第110話 妥協

 俺の住んでいたマンションの延べ床面積よりも広い部屋にいる。

 この部屋は飾り気がなく室内装飾品は最低限で殺風景。日の差し込む方角に大きな窓がずらりと並んでいるので明るさは確保されていた。

 室内には長机が一つと、それを挟み込むように椅子が等間隔で配置。

 窓を背にした席には俺も含めた守護者がずらりと座っている。

 俺は一番右端の席に陣取っているが、そこから左に負華、明、雪音、喉輪、立挙、闘技場で勝ち抜いた二人の計八名。

 そして対面には女王ヘルム、バイザーと、少し離れてアトラトル姫。


 リヤーブレイスはさすがにいないか。魔族とはいえ昨日の大怪我は簡単には癒えないようだ、当たり前だけど。両足を失った彼は今後どうするのか。

 相手の身を案じているわけじゃない。怒りの矛先が自分に向いてないことを祈るしかない。……無理だろうなぁ。あの時、できることなら止めを刺しておきたかった。

 ヘルムから守護者へ手を出すことを禁じるという厳命が下ったそうだが、それが絶対的な安心には繋がらない。

 と、自分の身を案じるのは後回しだ。今はこの会議に集中しよう。

 動揺による乱れた呼吸を整えて、もう一度正面を見据える。


 バイザーはいつものラフな服装だが、ヘルムは角も羽根も出さずにスーツ姿。司会進行役バージョンの格好だ。

 アトラトル姫は昨日着ていたドレスではなく、初めて会ったときの男装に戻っている。

 こうして全員が揃ってから数分が経過しているが、誰も口を開かない。

 重い空気が充満している状況で沈黙が続く。さっきから隣の負華が脇腹を肘で突いてくるので、ちらっと横目で確認すると、その目が「何か喋って」と訴えかけていた。

 ……勘弁してくれ。何を話しても注目されるような状況で、先陣を切る勇気は持ち合わせていない。

 そんな中、口火を切ったのはバイザーだった。


「おいおい、みんなもっとトークしようぜっ。陰気臭いのは勘弁してくれよ」


 椅子から腰を浮かすと大げさな身振り手振りを入れつつ、いつものおちゃらけた態度で陽気に話しているが、誰も反応しない。

 バイザーは全員の顔を見回した後に着席した。


「いつまでも黙っていては始まらないですね。では、司会進行役を担当します」


 ヘルムがその格好でその口調だと女王の威厳が一切感じられない。

 昨日の闘技場での立ち居振る舞いとは打って変わって、見事な変わり様だ。


「まずは皆様の宝玉に仕込んでいた自爆装置はすべて解除します。我……ごほんっ。私がするよりバイザーにさせた方が信用できると思いますので、処置はすべてバイザーが担当します」

「よろよろー」


 待ち望んでいた言葉を聞いて、仲間たちから安堵の声が漏れる。

 今更バイザーを疑うことはないので安心して任せられる。これで解除後は魔王国に従う理由がなくなった。


「皆様は自由の身となりますが、できることならこの国に留まり他国からの脅威を共に防いでいただきたい。今まで本当に申し訳ございませんでした」


 もう何度聞いたか忘れるぐらい女王ヘルムは何度も謝罪の言葉を口にしている。こんなにも頭を下げて謝る女王は前代未聞だろう。

 そこまで黙っていた守護者たちだったが、今の提案だけは容認できなかったようで、ほぼ全員がヘルムを睨みつけている。


「それはあまりにも都合のいい話ではないか。騙され殺し合いをさせられた我々が快く承諾するとでも?」


 明が俺たちを代表して不満と憤りを言葉にする。

 それを発端として次々と意見を口にする守護者たち。


「謝罪はもういい。補償をしてくれ」

「謝るぐらいなら死んだ人を生き返らせて」

「そんなことより、日本に返して」

「えっと、日本に戻してくれるなら、日本で換金できる高価な品を手土産にください! 一生遊んで暮らせるぐらいな物がいいです!」


 今の発言は負華か。あまりにも正直すぎる欲望をむき出しにしている。気持ちはわかるけど。

 反論もせずに黙って聞き入っているヘルムだったが、静かになるタイミングを見計らって言葉を発した。


「先日、楓様を日本へ戻した際に説明しましたが、戻るには膨大な魔力を必要とします。全員分を再び溜めるにはどれ程の時間が必要になるか……。すべてが上手くいったとしても、最低でも十年以上は」


 十年、か。絶妙なラインだ。

 決して短くはないが、すべてに絶望するほど長くはない。耐えられるか耐えられないかでいえば、正直なんとか許容できる範囲。

 日本に戻れる方法があり、それは実現可能。ただし、時間が必要となる。だから、その間は協力してもらわないと帰ることはできませんよ?

 とでも言いたいのだろう。実際は口にしていないが今の説明でそこまで読み取ることができる。交渉材料としては、これ以上ない最高の手札。


「長すぎる! 十年もこんなところで暮らせっていうのか! ふざけるのも大概にしろよ!」


 激高するのはデニムジャケットを着た男性。闘技場では目出し帽を被っていたので、人相が不明だったが、少し垂れ目の一見大人しそうな顔をしていた。

 今は細い眉毛が吊り上がり怒りの形相で不満を口にして、怒声と唾をまき散らしている。

 冷静な判断力を失うとろくな事にはならない。だけど、彼の怒りには共感できる。なので、口を挟まずに黙って事の成り行きを見守っておく。


「お怒りはごもっともです。しかし、こればかりはどうしようもないのです」


 技術は感情に左右されない。泣き喚いたところで事態は好転しない。

 それを理解しているから俺も仲間も黙っている。……いつものように、隣で首を傾げている負華は除外して。


「じゃあ、一人ならどうだ! 全員を運ぶから時間がかかるんだろ。だったら、一人だけなら直ぐに溜まるんじゃないのか?」


 俺もそこは気になっていた。残った守護者はバイザーを除いたら八名。十年を八で割ると……ざっと一年ちょい。かなり時間が短縮される。


「確かにその方法でしたら一年と少しあればなんとか」

「だろ! だったら、俺だけ先に返してくれよ」


 興奮状態で息も荒くヘルムに詰め寄るデニムの男。壁際に控えていた衛兵が数名動くが、それをヘルムが手で制した。


「ただし、単独では魔力効率が悪く、無理をすれば召喚陣にも影響が出ます。召喚陣の使用にも限度が近く、あと一回は確実に起動しますが、その後の保証はできかねません」


 ヘルムの発言が嘘か本当かを見抜く術はない。だから、真実だと仮定すると先に一人帰したら、残りの守護者たちの帰還が怪しくなる。

 こうなると、自分の我を通して「先に帰りたい」と言えない空気が出来上がってしまった。


「俺が帰れるならそれで、い、い」


 頭に血が上った状態で願望を口にしたデニムの男だったが、その発言が何を意味するのか理解したようで言葉尻が段々弱くなっていく。

 大きく見開いた目からこぼれ落ちそうな眼球がぎょろぎょろと忙しなく動き、非難の視線を感じ取ったのか大人しく着席をした。


「他に手段はないのですか。魔力を効率よく集める手段は」


 ならばと、妥協案を口にする。

 魔王国としては守護者を守りの要として利用したい。だから、十年後の帰還という餌をぶら下げて、そこまでは有効活用。というのが狙いだろう。

 自爆という枷は外すが、代わりに褒美で釣る。わかりやすい策だけど、命を脅かされるよりかはかなりマシだ。

 話に乗ってやってもいいが、彼のように十年も我慢できない人だっている。俺も時間が短縮できるならそれに越したことはない。

 他の人と比べて日本への未練は少ないが、だからといって帰りたくないわけじゃない。日本の食事も恋しいし、平和な日常は何ものにも代えがたいことを知った。


「一年ぐらいならまだしも、十年は長いでござる! 二期が気になっているアニメや完結間際の漫画を読めないのは辛い、辛いでござる!」


 目的はともかく喉輪のように帰還を望む仲間もいるのだから。

 他の仲間はどう思っているのだろうか。雪音と明はこちらに残ることを決めたようだが、負華と立挙は日本に帰ることを望んでいた。

 仲間の様子が気になったので視線を左に向ける。

 隣の負華は腕を組んで小声で何やら唸っているので耳を澄ましてみた。


「うーん。十年あれば要さんと愛を育むには充分な時間。寄生するために既成事実を作って逃げられないようにして、日本に帰る。そしたら、ずっと一緒で楽ができるかもぉ。ぐふ、ぐふふふ」


 怖い妄想を垂れ流しにしていたので聞かなかったことにする。

 まあ、あれだ、負華は十年こっちでも我慢できそうだ。


「十年もあれば父も諦めてくれるか。自由が手に入るのであれば……」


 明も独り言を口にしているが、負華と違って深刻な事情があるようだ。

 大企業の跡継ぎという重荷を下ろせるのであれば、異世界生活も悪くないといったところか。

 守護者たちが各自思い思いの発言をするか、考え込んでいるので会議が紛糾している。ヘルムは事態を収集する気がないのか、相づちを打つか頷くかの二択で対応中だ。

 視線をヘルムから逸らして横に向けると、明の向こう側に見えた雪音と立挙と目が合ったので手招きをする。

 二人が自分自身を指差したので頷くと、俺のところに駆け寄ってきた。

 その様子を見て、他の仲間たちも円陣を組むように椅子を並べて集まる。


「雪音と立挙はどう思う。まずは雪音の正直な気持ちを聞かせて欲しい」


 話を振ると、雪音は即答した。


「僕は十年後でいいよ。あっちにはもう聖夜もいないし」

「お母さんはいいのかい?」


 本人から聞いた話によると母子家庭で母親がマネージャーのようなことをしていたらしい。ただ、あまり良い感情を抱いていないのは言葉の端々から伝わってきたが。


「いいよ別に。僕たちが稼いだ金も残っているし。初めは子供を失って悲しむ母親を演じるだろうけど、直ぐに飽きて悠々自適に暮らすんじゃないかな」


 冷たく吐き捨てるかのような物言い。そこに愛情はなかった。

 雪音は日本に残してきた母親に対する未練がほとんどないようだ。


「私は……帰りたいです。私はみんなを殺した最低な人間ですけど、それでも少しでも早く日本に戻りたい……。こんなところにいたくない、です」


 うつむき肩をふるわせる立挙を優しく抱き寄せる雪音。

 ゲームだと信じ、仲間の男子生徒三人に止めを刺した立挙。彼女に罪はない、罪はないが、殺したという事実は残り続ける。

 一生、その業を背負って生きていくのだろう。彼女は優しい、優しすぎるぐらいだ。だからこそ、罪の意識に呑み込まれないか心配だ。

 今も常に感情が不安定に揺れ動いていて危険な状態に思える。このまま異世界に残るより、日本に戻った方が精神の安定に繋がるのは間違いない。

 できるだけ早く戻りたいと願っているのは立挙と喉輪。なら、決まりだな。

 人数の問題じゃない。仲間の誰か一人でもそれを望んだら、そうするつもりだった。


「じゃあ、俺たちはできるだけ日本に早く帰る、これを新たな目標にしよう」


 人を殺さないようにする悩みと比べたらなんて前向きな目標。

 今ここから仲間たちと過ごす、新たな異世界生活の始まりだ。

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