第109話 裸の付き合い
薄い布を巻き付けただけの格好なので、体のラインが手に取るようにわかる。
負華ほど大きくはないがバランスのいい大きさの胸にくびれた腰。すらっと伸びた手足。
雪音のようなモデル体型ではなく、グラビアモデルのような体つきをしている。
見た目と登場のインパクトに意表を突かれ過ぎて逆に冷静になり、スタイルに関しての感想を脳内で並べているが……この場合、どういった対応が正しいんだ?
「何を考えている、女王ヘルム」
冷静さを装って表情を引き締めておく。
「破廉恥でござるよ!」
温泉で薄衣をまとっただけの美しい女性と入浴。男として喜ぶべきシチュエーションの筈だが、状況を楽しめる心の余裕はない。
喉輪も同様に動揺しているようで、目を両手で覆って顔を逸らしている。が、指の隙間から横目でしっかり見ているな。
「貴様ら……いえ、この話し方は止めますね。肌を晒したのですから素の自分を晒すべきですね」
女王ではなく司会進行役の話し方になると、巻いていた布を外して温泉に入った。静かに俺たちの対面まで移動すると微笑んでいる。
憎むべき相手だと頭では理解しているのに、この状況は狡い。くつろいでいるところに突如現れ、肌を露出して無防備な姿を晒すことで、こちらの動揺を誘い冷静な判断を奪おうという巧妙な罠。
温泉は白い濁り湯なので、胸の谷間はよく見えるがそこから下は視線が封じられている。
警戒すべき相手だというのに男の本能が下へ下へと視線を誘導してくるが、邪念と欲望に抗いヘルムの目を見据えた。
「まずは謝罪を。謝って許される問題でないのは重々承知しています。ですが、申し訳ありませんでした」
湯船に額が付くほどに頭を下げるヘルム。
心から反省しているように見えるが、女王と司会進行役の顔を見事に使い分けている相手だ。すべてを疑ってかかるべきか。
「頭を上げてください。謝られたところで死んだ人たち……聖夜が戻ってくるわけでもないから」
「そうで、ござるな」
仲間に犠牲者が一人もいなければ、謝罪を受け入れる心の余裕が少しはあったかもしれない。だけど、すべてが遅い。
これが彼女の本心だったとしても、なんの慰めにもならない。むしろ苛つくだけだ。
「そうですね。最低最悪な手段で皆様を巻き込み、その命を危険に晒したのですから。いくら言葉で取り繕ったところで響くわけがありませんよね」
顔を上げたヘルムは寂しそうに笑う。
演技とは思えない、複雑な感情が絡み合った表情を見てふと思った。
彼女は立場上、冷酷な判断を下さなければならなかった。そこに自分の意志は関係なく女王として振る舞う必要があり、実は彼女も心を痛めながら決断をしていた……のではないかと。
だとしても、最終的な決断を下したのは彼女だ。その事実は変わらず責任も罪も消えることはない。決して。
「今後は守護者である皆様を害することはありません。後ほど契約書を交わす予定にしています」
契約か。ヘルムの一族にとって契約は絶対。
それは先程の戦いで明らかになった。それを逆手にとったバイザーの策が見事に的中したおかげで命拾いをした。
「じゃあ、もう守護者同士で殺し合うことはない、と」
「はい。女王ヘルムとして宣言します」
この言葉を信じるしかない。実際に契約書を交わしてサインするまで油断は禁物だけど。
「であれば、拙者たちはデスゲームから解放され、自由に過ごしていいのでござるか?」
「無理を承知で申し上げますと、東と西の国から魔王国を皆様の力で守っていただきたい」
腰の低い態度で懇願してくるヘルム。
丁寧な言葉遣いと全裸に惑わされて忘れそうになるが、目の前にいる彼女は女王であり、化け物じみた力を秘めている魔族。
彼女の機嫌を損なえば、俺と喉輪は瞬殺される。
それはわかっているのに、この異常過ぎる状況と温泉の熱でのぼせた頭が思考を鈍らせてしまう。
一度湯船から出て、頭も体も冷やせば冷静な判断ができそうだが、魔族とはいえ女性に全裸を見せつける気にはなれない。
「そういった詳しい話は後ほど、ゆっくり聞かせてもらいますよ」
「ヘルム殿は何が目的でこのようなことを。交渉するにしても……異世界では混浴は平気なのでござろうか? もしかして露出狂の気があるので?」
喉輪が失礼な疑問をぶつけた。
日頃はそんなことを口にするようなタイプではないのだが、俺と同じく熱で頭が働かなくなっているな。
すると、ヘルムは上気した頬を指で掻いて微笑む。
「この世界でも夫婦や恋人でもない男女が共に入浴する習慣はありませんよ。羞恥心も人並みにはあるのですが……正直、見られて恥ずかしい体はしていませんので。では、後ほど」
そう言って俺たちに背を向けて立ち上がり、湯船から出て脱衣所へと向かっていく。
照れを誤魔化した言葉なのだろうが、確かにその後ろ姿は立派だった。
「肩上殿。これは眼福と素直に喜ぶべきでござろうか」
「命懸けのサービスシーンだけどな」
一歩間違えれば死に繋がる、緊張感がありすぎるサービスは今後遠慮したい。
「しかし、冷静に考えると……お得という考えは過ちでござるな。拙者たちの全裸も見られたわけでござるし」
裸の価値は男女で違う、と言いかけたが、最近は男女平等を謳い表現や立場の平等化が叫ばれている。
こういう発言も引っ掛かりそうだ。真の男女平等ならお互い様という認識が正しいのかも。
「いや、むしろ覗かれた方の立場か」
「きゃー、破廉恥ぃ、とか叫ぶべきでござったか」
互いの緊張がほぐれ軽口を叩けるぐらいの余裕が出てきた。
ヘルムとのわだかまりが溶けることは、永遠にないだろう。だけど、互いに歩み寄り関係を改善させることに反対はしない。
まずは生き延びることが重要。その考えは今も変わらないから。
ここで魔王国を敵に回すのは得策ではない。下手に出ているからといって冗長して、相手の機嫌を損なえば立場は一変する。
「最低でも全員の自爆装置を外させるように交渉しないと」
「そうでござったな。今も拙者たちの命は握られている状態。相手の心一つでボンッでござるから」
交渉が上手くいったとして今後どうするべきか。戻るにしても、この世界で生きるにしても問題は山積み。
殺し合いを避ける、という第一目標は達成されたが「生き延びる」という最終目標が残っている。
「もう一踏ん張りしないとな」
「恥ずかしかった……」
脱衣所でさっきまでの光景を思い出してしまい、羞恥で体が震える。
武器を持たず、衣類も身にまとわず、無防備な姿を晒すことで敵意がないことを示したかった。
我ながら大胆すぎる行動だったが、結果、上手くいった……よね?
バイザーの言う通りにしてみたが悪くない反応だった……と思いたい。
「日本には裸の付き合いという言葉があってさ、昔から大事な話は互いに肌を晒して、本心まで晒け出して交渉するんだぜ。そこに男女の壁はねえ、最高の文化だよな」
と熱弁を振るっていたが、確かに効果はあったようだ。
……嫁入り前の裸を異性に初めて見られてしまった。
あの光景を思い出しそうになったので頭から振り払う。
顔から火が出そうなぐらい恥ずかしい行動だったが、勇気を振り絞ったかいはあった。
「それに恥ずかしいぐらい……なんだというのだ」
百人のニホンジンを争わせ死なせた罪は一生消えることはない。
彼らを巻き込むことに迷いや躊躇いはあった。だが、決断したのは私だ。
恨まれて当然のことを実行した。どれだけ反省して言葉で繕っても罪は消えない。
今までも戦争で多くの兵士の命が奪われてきたが、それはすべてを知って理解した上での死。騙して戦わせたわけではない。罪に重さがあるとしたら、その差は歴然。
「王として大事なのは仮定ではなく結果」
父の口癖を呟く。
「目標を掲げ懸命に努力したところで、結果が伴わなければ評価されない。民にとって結果が何よりも重要なのだ」
いつも私に王としての心得を説いてくれた。
守護者の一件は結果だけを見れば成功と言える。何度も敵国から砦を守り、西の勇者を一人討伐。東の勇者からの生還。
成果としては充分すぎるぐらいだ。本来は守護者たちが育て上げた加護を私が取り込む予定だったが、このまま守護者たちに維持させて、手駒として利用した方が遙かに有益となる。
「結局、バイザーが進言していた通りの展開となったか」
異世界人に肩入れしているのは自他共に認めていたが、本心を言えばバイザーに加担してこの計画自体を白紙に戻したかった。
だけど、ここまでの苦労を無駄にする勇気が私にはなかった。多くの人員を配備して教育を施し育て上げ、多くの部下を犠牲にし、どれだけの時間と金と……命を浪費したのか。
後がなかった。これが失敗したら魔王国は滅びる。崖っぷちに立たされ、半歩足が出ていた状態。
なので、仕方ないことだ。これしか形勢逆転の手はない。何度も自分に言い聞かせ、無理矢理にでも納得させていた。
「すべては言い訳だが、な」
誰も犠牲にしない策が思いつかなかった無能、と罵られても仕方がない。現状、これが私にとって最良の策だった。
「いい加減、頭を切り替えろ。まだまだ、問題は山積みだ」
守護者たちとの交渉により妥協案を引き出す。
理想の展開はワダカミにも伝えたが、守護者たちを仲間に引き込み防衛に当たらせる。……難しい交渉になるが、なんとか成し遂げなければ。
「アトラトル姫との交渉は片付いたが、そういえば西の勇者がいたな」
あの試合に突如乱入してきた、神速の勇者。
ワダカミが協力を願い出て、一時的にだが力を貸してくれたらしい。
あの後、姿を消して消息は不明だがこの国に潜んでいるのは間違いない。話によると再生の勇者と共にいるそうだ。
更に東の勇者の脅威。アトラトル姫を取り込んだのはいいが、勇者ロウキをこちらで倒さなければ話が進まない。
勇者ロウキか。数年前、単身でこの国に攻め込んできたが、私とリヤーブレイスの活躍により撃退。それ以来、直接乗り込んでくるような真似は控えるようになったが、騎士や兵士を使い何度もちょっかいを掛けてきていた。
「死霊術か。また厄介な物に手を出してくれたものだ」
最近では死霊関連の魔法に執心らしく、死者を利用して手駒を増やすとは。
ヤツの《万能魔法》は大概の能力だ。どの属性の魔法でも短時間で極めることができ、膨大な魔力を惜しみなく発揮して不死の軍隊を作り上げた。
西と東からの挟撃。私一人がどれだけ強くなったところで手が足りない。なので、守護者たちは今後の重要人物となる。
できることなら守りの要になって欲しいが、自業自得とはいえ魔王国に対する印象は最悪。
好条件を提示して……駆け引きが必須となる。
「はああぁぁ。何もかも投げ出したいが、そうもいかないか」
両手で頬を叩き自分を奮い立たせる。
私は……我は女王ヘルム。魔王国の統治者であることを忘れるな。
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