第108話 誤算
「そこまでだ」
冷たく言い放つ女王ヘルム。
俺を庇うようにリヤーブレイスとの間に割り込み、右手を突き出している。
掌に触れる直前で止まったリヤーブレイスは空中で停滞しながら、主であるヘルムを睨んでいた。
「止めないでいただきたい。まだ決着がつい」
「決着はついた。残念ながらお前の負けだ」
「まだ死んでおりません」
冷静に語りかけるヘルムに対し、感情を押し殺しながらも悔しさがにじみ出ているリヤーブレイス。
俺も何か言うべきなのかも知れないが、緊張と恐怖で口が渇いて声が出ない。必死に唾で湿らせているが、今は状況を見守るしかない。
「お前は攻撃を当てられたら負けを認めると契約書にサインをした。我が一族にとって契約は絶対。それは契約を交わしたお前も知っておろう」
「くっ」
唇をかみしめ言い淀むリヤーブレイス。
「我が一族のみが使える契約は強力な枷となる呪い。己自身も契約には逆らえぬが、我と契約を交わした者も契約には逆らえぬ。これが《契約》の加護。魔王には絶対服従、という契約を交わしたお前はその身をもって知ったはずだ」
異世界の魔族であるリヤーブレイスが魔王に従っている理由が明らかになった。
《契約》の加護による力で主従関係を結ばされていたのか。
「忌々しいことだが我が止めに入ることを前提に契約を交わさせたのだろう。なあ、バイザーよ」
いつの間にリヤーブレイスの背後に忍び寄っていたバイザーに話しかけるヘルム。
「なんのことでしょうか。ひゅーひゅー」
頭の後ろで手を組んで、鳴らない下手な口笛を吹いてとぼけている。
「まあ、よい。我もしてやられたという訳だ。ここは互いに負けを認めようではないか、のうリヤーブレイス」
微笑みながら手を差し伸べるヘルムに対し、その手を握らずに背を向けて羽ばたき、ふらふらと闘技場の外へと飛んでいくリヤーブレイス。
無言で去るその背が拒絶を雄弁に語っていた。
「すまぬな。アレは昔からプライドが高く頑固で意見を曲げぬところがあってな。頭では理解していても受け入れられぬのだろう、自分の負けを」
俺たちに向き直ったヘルムは頭を下げ謝罪する。
これだけを見れば物わかりの良い上司だが、そんな生やさしい存在ではない。
司会進行役として俺たちの目の前に現れて騙し、死地へ向かわせた諸悪の根源。
どんな態度で接しようが俺たちにとって明確な敵。ゲームならラスボス級の相手。
許す許さないという次元ではない。倒すべき相手。
「無駄だ、肩上要。我への無礼に対する差し引きゼロということで構わぬな」
提案をしているように聞こえるが、実際は反論を許さない言葉の圧を感じる。
足下に仕込んだ《矢印の罠》による必殺の股裂きは《無効化》の加護によりあっさりと防がれてしまった。
ダメで元々、やるだけやってみたが通じなかったか。
「
俺が何をしたのかを察し、呆れた声を出して肩をすくめるバイザー。
「好機だと思ったんだけどな。完敗ですよ」
両手を挙げて無抵抗の意を示す。
仲間が限界近くまで消耗している状態だ。ここでもう一戦、やるのはあまりにも分が悪い。
この不意打ちを防がれた時点で勝ち筋はなくなった。――今は。
俺の態度から何かを感じ取ったのか、意味ありげに微笑むヘルム。
「バイザー、マイクを貸してくれるか」
「どうぞ、どうぞ」
恭しく献上されたマイクを手に取ったヘルムは、その場でぐるっと回転をして闘技場内を見回す。
リヤーブレイスが撤退したことで闘技場内は落ち着きを取り戻し、わずかに残った観客や関係者の視線がここに集中している。
それを確認した上でヘルムは背筋を伸ばし、堂々とした態度で言い放った。
『この戦いの勝者は守護者たちとする! この勝利に異論を挟む者は我に敵対したと見なす、よいな。今後一切、守護者たちへの無礼を禁ず。我が国の客人として丁重にもてなすよう厳命する!』
魔王であるヘルムからの宣言を聞き、闘技場内がどよめいている。
絶対の統治者であるヘルムの発言に刃向かう住民はいない。これで魔王国内において俺たちの安全は確保されたということになるのか。
「なんとかなったか。つ、疲れた……」
安堵のあまり全身の力が抜けて、地面に座り込んでしまう。
勝者としては情けない格好だが、今は勘弁して欲しい。
俺が何枚も描いていた未来予想図の中で最良の未来を引き抜けた。これで仲間たちと殺し合いをする最悪の結末は回避された。
「要ざあああああん! やっだああああ、がぢまじだぼおおおおおお!」
前のめりに倒れそうになるぐらいの衝撃が俺の背中に。
この汚い泣き声と背中に伝わる感触は負華か。
背後から抱きしめられるのは悪い気はしないけど、鼻水を右肩にこすりつけるのはやめて欲しい。だけど、彼女を振り払う気にはなれなかった。
この格好のまま手を伸ばして頭を優しく撫でる。
「そうだな、やったな負華。俺たちの勝利だ」
「うえええええええええええぇぇ」
涙で濡れたびちょびちょの顔が頬にこすりつけられているが、好きなようにさせておこう。
「まさか、勝てるとは。人生やってみないとわからぬものだ」
空いた左肩に手を添えたのは明か。
どんな状況でも冷静な判断力を失わない彼女だからこそ、この戦いがどれだけ無謀で絶望的なのかを誰よりも理解していた。
だからこそ、冷静な口調とは裏腹にフードの奥の顔が満面の笑みを浮かべている。
共に戦ったセスタスは少し離れた場所で腕を組み、温かい目でこちらを見ていた。俺たちの輪に入るのは無粋だと大人の判断をしたようだ。
「みんな、みんなーーっ!」
「最高でござったぞおおおおぉぉ!」
歓声を越えた奇声に近い絶叫を上げながら駆け寄ってくる人影が二つ。
感極まった泣き顔を無理に笑顔に変えて、懸命にこちらへ向かって走っている。少し遅れて駆け足程度の早さでついてきている立挙も見えた。
俺はしがみ付いている負華を背負ったまま立ち上がると、大きく両腕を広げた。
「約束通り、勝ったぞ!」
全力で飛びついてきた雪音を受け止める。
「やった、やったああ、よかったあああ、よかったよおおおおぉぉぉ」
前後から挟まれ泣きじゃくる二人をあやしていると、ようやく勝利が実感できてきた。
勝てた、勝てたのか、あの強敵に。
正直、勝てる可能性は良くて一割未満だと考えていた。もちろん、負ける気はなかったし、最悪自分が死んでも負華は守る気だった。
作戦もあるが運も味方した結果、こうして生き延びることに成功した。
なんとか生き残ったよ、楓。やったぞ、聖夜。
空を見上げ、ここにいない大切な仲間に向かって勝利を告げた。
試合の後、俺たちは客室へと戻る前に大浴場へと連れてこられた。
戦いの汗と疲労を流して欲しいという心遣いをありがたく受け取り、今脱衣所にいる。
魔王城内に設けられている大浴場は城で働いている者なら誰でも利用可能なのだが、今は俺たちの貸し切り状態だ。
脱衣所はかなりの広さで壁際には棚が設置されている。そこに脱いだ服や荷物を置ける。浴場に繋がる扉はガラス製で表面が曇っているが、うっすらと中が見える。
足下はすのこが敷き詰められているのだが、このレイアウトは完全に――
「日本の銭湯っぽいよな」
「一時期、温泉巡りにはまっていたでござるが、こんな感じの脱衣所が多かったでござるよ」
服を脱ぎながら素直な感想を口にすると、隣で喉輪も同意している。
「風呂回はとても重要なのでござるが、拙者と肩上殿の組み合わせに需要はないので、女性視点にするべきだと提案するでござる」
「何をぶつくさ言っているんだ。さっさと脱いで風呂に入るぞ」
虚空に向かって呟いている喉輪を促し、いち早く全裸になる。
もちろん、脱衣所は男女別に分かれていて浴場も別々だ。実は中で繋がっている、というオチもない。
「読者サービスが足りぬと思うのでござるよ」
遅れて全裸になった喉輪が何故かボディービルダーのようなポーズをして筋肉をアピールしている。
アニメの影響で筋トレをしているとは聞いていたが、均整の取れたいい体つきだ。
「鍛えてるな」
「拙者のは見せ筋でござるが、肩上殿の筋肉は実用性のある見事な筋肉でござるよ」
男が二人筋肉を褒め合っている光景。それも一人はオッサン。誰にも需要はない……。
表面上は和解したとはいえ、それでも魔物の国で全裸になるのは無防備すぎる。だけど、俺たちの能力は武器を持って振るうわけではない。
武器防具を装備してようが素っ裸であろうが戦闘力に大差はないので、警戒心だけは緩めなければ不意打ちへの対応は可能。
一応、罠の可能性も考慮しつつ浴場へと繋がる扉を開ける。
湯気とむわっとした熱気が一気に流れ込むが、しばらくすると視界が晴れた。
「おー、立派だな」
左手には石造りの大きな壁がある。男女の浴場を隔てている目隠しも兼ねた壁だろう。
正面には木々が並んでいて、緑に囲まれているというのもポイントが高い。
上空には天井がなく空がよく見える。曇り空なのはマイナスだが解放感があるのはプラスだ。
手前には洗い場があり、木製の椅子と桶が綺麗に並べられている。
風呂……いや、これは温泉か。大小様々な石で囲まれていて、日本の温泉をモチーフにしたとしか思えないデザインをしていた。
温泉は大人が十人以上入ってもゆったりできるぐらいのスペースがある。
「最高でござるな」
「ああ、まさか異世界で温泉を堪能できるなんて」
嬉し過ぎる誤算だ。
日本に転移したバイザーが色んな文化を持ち込んだとは聞いていたが、温泉まで広めるとはやるじゃないか。
「まずは湯で体を流し、軽く洗ってから湯船に浸かるのが作法でござる。体を流さずに入るのは厳禁でござるよ」
「爺ちゃんがよくそんなことを言ってたな」
喉輪がアニメで学んだ知識をひけらかすのを聞き流しながら体を洗い、温泉へと入る。
「ふいぃぃぃぃぃ、あああああああ」
「ふおおおぉぉぉ。たまらんでござるぅぅぅ」
気持ちよさのあまり、だらしない声が漏れる。
あー、最高。疲れが全部湯に溶け出そうだ。
「男二人というのがあれでござるが、こういうのもいいでござるな」
「ああ、今だけはすべてを忘れたいよ」
両手足を伸ばし、湯船に肩まで浸かる。
ダメだけど、このまま寝たら最高に気持ちよさそうだ。
「くつろいでいるところを悪いが、邪魔するぞ」
この場に相応しくない女性の声が背後から聞こえ、思わず姿勢を正してしまう。
期待と不安が入り交じった状態で喉輪と一緒にゆっくりと振り返ると、そこにはバスタオルのような大きな布を巻き付けただけのヘルムがいた。
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