第107話 ダメ押しの秘策

 球状になった暗黒の膜に次々と大矢が突き刺さる。

 刺さったままの状態の膜に《雷龍砲》の稲光が命中するが、未だに膜が破れることはない。

 だが、リヤーブレイスの苦しそうな表情を見る限り、あと一押しといったところか。

 このまま攻撃を続ければ、近いうちに鉄壁の防御は崩壊するだろう。……ただし、こちらのTDPが持てばの話だ。

 TDP――ゲームとしてはそう呼ばれているが、バイザー曰く「ぶっちゃけ、オーラとか精神力みたいな感じ?」らしい。

 普通の加護は出すときにだけTDP――精神力を消耗するが、起動時の消耗はない。


 だが、《雷龍砲》は違う。精神力を消耗して攻撃を放っている。発動時の消費量に比べれば少量だが、連続で打ち続ければどうなるか。

 砦の防衛戦は一台だけを運用していたので足りていたが、今は二台を同時に使用している。単純計算で倍の精神力が失われていく。

 明とセスタスの精神力が尽きるのが先か、暗黒の膜が割れるのが先か。

 固唾を呑んで見守るしか……なわけあるか! 傍観者に徹するつもりは毛頭ない!

 ここで指をくわえて待つほど間抜けじゃない。あと一押しが足りないなら、いくらでも押せばいいだけだ。


 リヤーブレイスは防御に集中していて、相手の攻撃にだけ注意している。それ以外の存在は完全に無視されている状況だ。

 周囲の観客は弾かれた稲光から逃げ惑い、ほとんどがこちらを見ていない。半数以上の観客が闘技場から逃げ出して、客席がかなり空いてきている。

 この混乱を利用しない手はない。

 俺は壁際まで素早く移動すると、壁に備え付けられている両開きの扉を開放する。

 そして、開いた先の通路に目をやりスッと右腕を掲げた。

 烈風が直ぐ側を吹き抜けたのを確認した俺は戦場に向き直る。


 暗黒の膜に刺さっている大矢の数が増えているな。あれじゃ前方の視界は塞がれて、ほとんど見えないはずだ。

 今、稲妻が命中した瞬間、膜の表面に黄色い線が走った。あれは……亀裂か。

 これなら、あと何発かで崩壊する可能性が高い。


「みんな、もうちょいだ! 頑張れ!」


 大声を張り上げ仲間に声援を送る。

 明、負華、セスタスは疲労を隠せずに肩で息をしていたが、それでも俺に笑い返すぐらいの元気は残っていた。

 あと少しだ、耐えてくれ。頼む、頼むから早く壊れろ。

 俺の祈りが天に通じたのか、ガラスが割れるような破壊音が響くと暗黒の膜が砕け散った。

 突き刺さっていた大矢が地面に落ち、無防備な姿を晒すリヤーブレイス。


 今が絶好のチャンス!

 俺が合図を送るまでもなく明とセスタスが《雷龍砲》を同時発射する。

 迫り来る四本の稲妻を正面から見据えていたリヤーブレイスが、目も眩むほどの閃光に呑み込まれた。

 光が通り過ぎたあとには、何もなかった。跡形もなく消え去っている。


「勝ったあああぁぁ。やった、やったああああぁぁぁ」


 負華が放心状態で地面に腰を下ろし、大きく息を吐く。

 明は無言で拳を握りしめ、セスタスはじっと正面を見つめたまま。

 今にも負華たちの下へ駆け寄って勝利を分かち合いたい、が……俺の視線はある一点を見つめたまま動かないでいた。


「勝利の余韻を堪能したようで何より。せめてもの慈悲を楽しんでもらえたか。満足したのであれば、死ぬがいい」


 その声は上空から聞こえている。

 背中の翼を羽ばたかせ空中に浮かび、俺たちを見下して表情を一変させるリヤーブレイス。

 口が裂けたのかと思わせるほどに口角を吊り上げた、あまりにも邪悪な笑み。


「防ぐのが無理であれば避ければよい。単純な話だ。貴様らの遊びに付き合うのはここまでとしよう」


 言葉通り手を抜いて遊んでいたのか、本当は強がっているだけで防御が限界に達していたのか、判断はつかない。だが、どちらにせよ万事休す。精神力が限界に誓い明たちに抗う術はない。


「それなりに楽しめた褒美として、取って置きの一撃で葬ってやろう」


 リヤーブレイスが宙に浮いたまま地面の近くまで下りてくると、右手を前に突き出す。

 掌の先に黒い粒子が集まり、先端が尖りすぎたラグビーボールのような形に収束していく。


「さあ、我が最高の一撃で滅べ」


 漆黒の弾丸が放たれる直前、俺は足下に《矢印の罠》を起動させて負華たちの前に飛び込む。

 驚愕の表情を浮かべる、負華、明、セスタスに微笑みかけてから正面を見据える。

 迫り来る漆黒の弾丸に向けて、某なんとか波を放つような動作で両手を突き出した。

 手に触れた瞬間、両手に仕込んでおいた《矢印の罠》が発動、矢印が指し示す方向にいるのはもちろん、リヤーブレイス。

 この時を待ち望んでいた!

 俺たちで相手の防御を破れないなら、最強の力を借りればいい!

 暗黒の弾丸は真っ直ぐに跳ね返ると、放った本人へと返っていく。


「まさか、それが狙いだったとはっ! と驚けばいいのかね」


 リヤーブレイスの目の前で跳ね返した弾丸が音もなく消えた。


「私が放った魔力だ。こうやって魔力を消してしまえば何の問題もない」


 起死回生の筈だった奥の手があっさりと破られた。

 ――と、思うよな。


「頼む、紅牙!」

「あいよっ!」


 声と同時に俺の隣を風が吹き抜けたかと思えば、リヤーブレイスの背後に突如現れた人影がその脳天にかかと落としを炸裂させる。

 誰も予想しなかった乱入者による、死角からの完全な不意打ち。

全力の攻撃後で暗黒の膜が消えていたリヤーブレイスは、受け身も取れずに地面に叩き付けられた。

 地面で大きく一度跳ねた後、片膝を突いた状態でなんとか起き上がる。

 直ぐさま事態を理解したのか、俺の隣に戻ってきた神速の勇者――紅牙を睨みつけるリヤーブレイスの顔は鬼の……いや、悪魔の形相だった。


「なぜ、西の勇者がここに」

「要に呼ばれたからな。約束は違えねえんだよ」


 俺が所有している手札の中で最強の一枚をここで切った。

 以前、紅牙と戦った後に渡された連絡用の小さな桃色の宝石。それを壊せば、紅牙が一度だけ手を貸すという約束。

 昨晩、それを思い出した俺は迷うことなく宝石を破壊。バイザーの手引きもあったが、容易く魔王城に忍び込んだ紅牙に今回の作戦を説明。

 無謀で危険極まりない計画だったが、あっさりと了承して今に至る。


「あっれー、リヤーブレイス様が膝を突いてるぅー。ってことは、俺たちの勝ちでOK?」


 苦々しげに唇をかみしめているリヤーブレイスの周囲で、スキップを踏んでぐるぐると回りながら煽るバイザー。

 事前に躱した発言通りなら、一撃当てたので俺たちの勝ちということになるが。

 会場は逃げ惑う観客で今も混乱状態なので、実況者から勝利を告げる声もない。


「……下等な者たちとの決め事など守る必要はない」


 ゆっくりと立ち上がると膝の汚れを手で払い、苦々しげに前言撤回をするリヤーブレイス。


「おいおい、最強の異界の魔族ともあろうお方が、約束の一つも守れないんですかぁ」

「黙れ。まずは貴様を消滅させてく――」

「やっぱ、そう来るか。まあ、そうだよな」


 二人の会話に割り込み、リヤーブレイスが言い終える前に口を挟む。


「なんだ、その余裕の態度は。貴様の仲間に余力はなく手は出し尽くした。こちらの油断はもうない。勝ち目など何処にも存在せん」


 確かに。明、セスタス、負華の精神力は空っぽだ。

 リヤーブレイスが今後隙を晒すことなどあり得ないだろう。だけど――


「もう、充分に隙を晒してくれたからね。そちらをご覧ください」


 指を差すと、その場にいる全員の視線がリヤーブレイスの足下に移動する。

 そこには《矢印の罠》が二つ置かれていた。矢印の方向は右と左を指して。

 リヤーブレイスよ、必殺の又裂きを踏んだな?


「黒い膜がある状態で踏ませても膜が左右に分かれるだけっぽいから、生身の姿で踏ませる必要があってね。苦労したよ」


 普通に膜を破壊して攻撃が通るならそれでもよかった。

 なんなら、今も負けを認めて引き下がるなら《矢印の罠》を消してもいいが、やはりこうなったか。……理想の展開だ。

 本音を言えば、厄介な障害であるリヤーブレイスをここで退場させられるなら願ったり叶ったり。


「防御を無視して攻撃に魔力を注ぐ瞬間を狙って、先の先まで手を読んでいた、と言うのかっ!」

「タワーディフェンスは罠が命。罠を巡らせるのは得意中の得意だから」


 遅らせて起動するように仕込んでいた《矢印の罠》が発動する。

 両足が限界まで開き一度動きが止まるが、そこから更に両足は左右へと広がっていく。

 どれだけ体が頑丈であろうが矢印の動きには逆らえない。


「侮るなっ、異世界人!」


 リヤーブレイスは両腕を掲げると、手刀を自分の膝に叩き付けた。

 切断された両足が血をまき散らしながら、左右へと遠ざかっていく。


「マジかよ……」


 自ら両足を切り落として、股裂きを回避するとは。

 背中の羽で空中に留まっているが、膝下の切断面から大量の血が流れ落ちている。

 鬼気迫るリヤーブレイスの表情に加え、全身から発せられる圧が更に増していく。

 動けない。

 全身の震えが止まらず、体に力が入らない。

 これは恐怖なんて生やさしいものじゃない。死だ。死が目の前にある。

 何か言うべきだと頭は判断しているが、体が呼吸すらまともにさせてくれない。

 今、指の一本でも動かした者から死んでいく。

 理屈ではなく直感で理解した。


「ああああっ、あーーっ、グガアアアアアアアアアアアアッ! この感覚、この感覚だっ! 久しく忘れていた生命の危機! いいぞ、気に入った! ここまで追い詰めた褒美として、貴様ら全員なぶり殺してくれるっ!」


 歓喜と怒りの感情がせめぎ合う面で激高するリヤーブレイス。

 傷口からの出血は完全に止まっているが、代わりに大量の闇がこぼれ落ち地面に広がっていく。

 ゆっくりと両腕を大きく広げると、空を見上げていた顔を俺に向けて無表情になる。

 そして、獲物を見つけたと言わんばかりに笑顔になると、こちらに向かって飛翔した。

 避けろ! 《矢印の罠》を発動しろ! と叫ぶ本能とは裏腹に体が言うことを聞かない。

 闇と狂気を垂れ流しながら迫り来るリヤーブレイスが目の前にっ!

 せめてもの抵抗に目を逸らさず睨みつけていたが、視界が突然妨げられた。

 まず、目に映ったのは黒と白の翼。そして赤い髪。


「そこまでだ、交わした契約を忘れたのか。お前の負けだ、リヤーブレイス」


 静かで冷たく威厳を感じさせる声。

 間に割り込み言葉一つで暴走を止めたのは、女王ヘルムだった。

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