第104話 当日
目が冷めると昼前だった。
リヤーブレイスとの戦いは昼過ぎなので、起床時間としては丁度良い。
昨日も日本の夢を見ることはなく、普通に目が冷めてしまう。
母と姉に会えなかったのは少し残念だけど、昨日からの緊張感を保てるという点ではよかったのかもしれない。
昨晩は遅くまで作戦を練りに練った。脳を限界までフル回転させて、知恵を絞り出した結果……どうなるかは誰にもわからない。
だけど、充実感はある。ここまでやったのなら、もし上手くいかなくても仕方がないと諦めもつく。
「よーっし、みんな朝だぞ!」
まだぐっすりと眠っている仲間に向けて大声で起こしにかかる。
ソファーから立ち上がると、一番近くで寝ている喉輪を揺さぶる。
「ふおぉぉぉぉ……。もう、朝でござるか」
「昼だけどな」
昨日は全員が与えられた寝間着には袖を通さず、私服姿で話し合っていた。
喉輪はスーツ姿で上着だけ脱いだ状態なので、残業明けの疲れたサラリーマンに見える。
起きたのを確認すると、次のターゲットに狙いを定めた。
ベッドに歩み寄ると、その上に勢いよく飛び乗る。
ベッドを占領していた女性陣の体が寝ている格好のまま宙に浮く。そして、そのまま着地すると流石に目が冷めたようだ。
「ふああああああぁぁぁ。もうちょっと、優しく起こしてくださいよ。ほっぺにチューとか」
寝起きで寝言を言うな負華。
いつものジャージ姿なので豪奢なベッドとはミスマッチだ。
「僕にそれをしたら訴えるけどね」
「雪音さんに手を出したら許しませんよ」
俺に指を突きつける雪音とその隣で俺を睨む立挙。
聖夜の服を着た男装の雪音に寄り添うセーラー服の少女。一見、カップルに見えるが実態は芸能人とそのファン。
「負華。寝起きは口臭が酷いので、直ぐにキスをすると嫌われるぞ」
フード付きのコートを脱いでいる珍しい状態の明がツッコミを入れているが、注意を促す方向性が独特だ。
「えっ、そうなんですか! 今、お口くちゃいんだ。ちょっと、歯を磨いてきます」
「ついでに顔も洗っておいで」
負華は飛び起きると、水回りが揃っている隣部屋に繋がる扉を開けた。
後ろにゾロゾロと女性陣が続いているので、彼女たちが終わったら俺も顔を洗うとしよう。
昼食を食べ、身支度を調え、覚悟も決まった。準備は万端だ。
翼の生えた双子メイドに促されて俺たちは闘技場へ向かっている。魔王国民に見つからないように魔王城の地下通路を使い、闘技場まで移動。
地下の控え室に通されるのかと思っていたが、隔離された観客席まで連れて行かれた。
ぐるっと闘技場内を見回す。二万人も収容できるらしい客席は満員御礼。魔王国の住民がみっしり詰まっている。
俺たちの姿を見て罵詈雑言が飛んでくるのは変わらないが、昨日と比べると今日はかなり大人しい。
異世界人が強力な力を所有していることを知り報復を恐れ、腰が引けている観客も多いのだろう。
「あと数分で開始ですか。き、緊張しますね。ふんっ、ふんぐっ」
隣で鼻息が荒い負華。興奮が抑えられないようで目も血走っていてちょっと怖い。
「気持ちはわかるけど、ちょっと落ち着こうな。ここまできたら、なるようになるさ」
「要さんは……落ち着いてますね? 怖くないんですか?」
負華が不思議そうな目で俺を見つめていたと思ったら、何故かペタペタと両手で顔を触ってくる。
これで少しでも気が紛れるならと好きにさせておく。
「一番怖かったのは負華と戦うことだったからね。それに比べればリヤーブレイスとやり合う方がましだよ」
「た、確かに。要さんと戦うことに比べたら……気楽なもんですよね!」
納得してくれた負華の表情がかなり和らいだが、俺の顔をいじるのはやめないのか。かなり話辛いけど我慢我慢。
こんな状況なのに落ち着いていることは自覚している。
全員で話し合い、最良の策をひねり出した。やるべきことをやった達成感が背中を押してくれているのかもしれないな。
「女王ヘルムが来たようだ。おや、隣にいるのは」
明の呟きに釣られて特別観覧席の方へ目を向けた。
観客席の中でかなり異質なエリアがある。そこだけは豪華な一室の壁を取り払ったかのような作りで、特等席にアンティーク家具屋に置かれてそうな椅子が並べられていた。
その一つに女王ヘルムが座る。角も翼も隠さずに赤いイブニングドレスを着込んだ姿。
隣にはリヤーブレイスが佇んでいる。
そこまでは昨日と同じなのだが、向かってヘルムの左隣の席に腰を下ろしたのはアトラトル姫か。
いつもの男装とは違い、白いドレスを着ている。髪も編み込まれていて、見るからに姫様っぽい格好だ。
「アトラトル姫も見物するのか」
背後には何人かの騎士が付き従っている。
どうやら会合は無事に終了したようだ。二人に険悪なムードはなく、和やかに話し合っているように見えた。
時間が迫ってくるにつれ、緊張が高まり、呼吸が荒くなる。
少しでも気分を和らげようと深呼吸をして、手を開いては握るを繰り返した。
覚悟は決めたはずだ。今更、焦る必要もない。大丈――
「大丈夫ですよ! 要さんならやれますって!」
バンッ、と大きな音と衝撃が背中に響く。
俺の背を叩いた格好の負華が満面の笑みを浮かべて見つめていた。
「失敗したら失敗したでいいじゃないですか! 要さんが言ったんですよ。私と殺し合うのが一番怖いって。だったら、こんなの楽勝です!」
まさか、この状況下で負華に励まされるなんて。
「そうだな。やるだけやるか!」
「その意気ですよ!」
負華に負けじと笑顔を返す。
そんな俺たちを見て、少し離れた席からこちらの様子を窺っていた仲間たちの表情が緩む。
余計な心配をさせていたようだ、反省しないと。
『紳士、淑女の皆様方。大変長らくお待たせしました! 本日の特別試合、リヤーブレイス様対、守護者の戦いが開始されます! 両者、闘技場の中心へとお進みください!』
実況者の声が鳴り響く。
担当は昨日と同じか。この声にも聞き慣れてしまった。
「出番らしいから、ちょっと行ってくるよ」
「行ってきまーす」
俺と負華はコンビニに行ってくるかのような気軽なノリで、あえて陽気な声で仲間に告げると席を立った。
仲間たちが無言で右手を掲げたので、ハイタッチをしながら進んでいく。
全員と手を打ち合わせ、俺たちは闘技場の中心部へと降り立った。
指定された定位置で立ち止まり相手を待つ。
リヤーブレイスは観覧席のヘルムに恭しく頭を下げると、俺たちを見下ろし鼻で笑う。
そして、閲覧席から外へと飛び出し地面に向けて落下していく。
このまま自殺してくれれば楽なのだが、期待には応えてくれなかった。
背中から生えた二枚のコウモリのような翼が羽ばたき、ゆっくりと対面に着地する。
「派手なご登場だな」
「こういった出し物は演出が大事だと聞いてな」
てっきり無視されるかと思っていたのだが受け答えをしてくれるとは。
見た目は白いタキシード姿の老紳士。
実体は異世界の魔族で、魔王国最強の男。
立っているだけだというのに、全身から放たれる威圧感に押しつぶされそうになる。
近くで見て確信した。こいつは化け物だと。
「イケオジですよ、この人! うわぁ、外国の俳優さんみたい」
そんな俺とは正反対の反応を見せる負華。怯えた様子は一切なく、目を輝かせて興奮気味だ。
「……他に何か感じない?」
「えっ、と。上品そうだなーとか、お金持ってそうだなぁとか。乙女ゲーに出てきた執事にそっくりだなーとか?」
強がっているのではなく、本気でそう思っているらしい。
まさか、鈍すぎて相手が放つこのプレッシャーを感じていないのか?
俺たちのそんなやり取りをリヤーブレイスは黙って眺めている。登場時の見下した目とは違い、少しは興味を持ったようだ。
『両者揃いましたね。ではここで、今回の戦いのルールを説明します! 昨日までとは違い、守るべき玉
は存在しません』
実況者の言う通り、昨日まで使っていた玉は撤去されている。
つまり――
『ということは、どちらかが負けを認めるか死ぬまで戦いは終わらないということです!』
その内容を聞いて観客から歓声が巻き起こる。
血の気の多い反応だ。忌み嫌われている異世界人を、自国の英雄であるリヤーブレイスが殺すという最高の見世物。盛り上がる気持ちはわからなくもないが。
『ですが、このルールに異を唱える方がいました。それはリヤーブレイス様ご本人です』
歓声が止み、観客がざわついている。
『このまま戦っては圧勝して面白味に欠けると。そこで、こう提案されました。……相手は何人で挑んできても構わない、と』
その言葉を聞いて口元に笑みが浮かぶ。
上手くやってくれたな、バイザー。
事前の計画の一つ、リヤーブレイスのプライドを刺激して有利な対戦状況に持っていく。
バイザーは「高慢ちきでプライドの塊みたいなじじいだから、誘導は意外と簡単だと思うぜ」と自信ありげに語っていたので期待はしていたが、本当にやってくれるとは。
『つまり、対戦者であるワダカミとクサズリは共に戦う者を増やしても構いません! とはいえ、この死地に自ら向かう者がいるかどうか、無謀な者がいるかどうか、という話ですがぁ』
煽り、嘲り、からかうような口調で実況者が盛り上げると、観客席が下卑た笑い声に包まれる。
圧倒的な強者であるリヤーブレイス相手に、命をかけて挑む勇気がある者なんているわけがない。そう言いたいのだろう。
『さあ、勇気ある異世界人はいるのか! 彼らと共に死にたい者はワダカミの元へ!』
その言葉を聞いて観客席から颯爽と戦場に降り立ったのは明。
仲間である喉輪、雪音、立挙はその場から動いていない。これは事前の打ち合わせ通りだ。
圧倒的な力を有する相手。人数を無駄に増やすよりも、有能な人材に絞って戦う方がいいという結論に基づいての行動。
最後まで雪音は戦うことを望んだが、どうにか説得をして耐えてもらった。
今も納得はしていないらしく、唇をかみしめ悔しそうな顔で俺たちを見つめている。
「共に死地へ挑むとしようか」
「歓迎するよ、明」
「いらっしゃいませ、明さん」
二人で同時に手を差し出すと、明は強く握り返す。
『おおっと! 無謀な異世界人が一人参加するようだ! さあ、さあ、他にはいないのかっ!』
煽り立てる実況者。
守護者のいる観客席からは、もう誰も行く気配はない。
『では、誰もいないということで……ちょっと待った!』
実況者の声が途中で入れ替わり、陽気な男の声が闘技場にこだまする。
『誰でも参加OKなら、俺様の登場だな!』
マイクを奪って一方的に話していたのだろう。声が止むと観客席の手すりを乗り越えて、戦場に現れたのはバイザーだった。
睨みつけるリヤーブレイスの横を素通りして、呆気にとられている俺たちの横に並ぶ。
この展開は――聞いてないぞ。
「よーっす。おっ、いい顔してるじゃねえか。黙っていた甲斐があったってもんよ」
くそっ、とんだサプライズだよバイザー!
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