最終章

第103話 プロローグ

 反射するまで磨き上げられた石床。隅々まで掃除が行き届いた埃一つない巨大な空間。

 白い円柱が等間隔で配置され、天井高は優に五メートルを超えている。

 ずらりと並ぶ窓から差し込む日差しは、夕日独特の赤みを帯びていた。

 見事な彫刻が施された両開きの扉から真っ直ぐに伸びる真っ赤な絨毯。室内を分断するように一本の赤い線が引かれたその先には玉座があった。


 そこに座するのは人間ではない。赤く長い髪を掻き分けるように生えた二本の角、背中からは黒と白の四枚羽根を生やした女――女王ヘルム。

 隣に立つ執事のような格好をしている男は魔王国ガルイで最強と謳われている、リヤーブレイス。噂によると初代魔王の時代から付き従っている、異世界の魔族らしい。

 女王ヘルムと同等に厄介な相手だ。

 広々とした謁見の間だというのに魔王国側の人員はこれだけしかいない。護衛の兵士すら存在しない状況なのは、そんな者を必要としない程の強者というアピールなのか。


 謁見の間にはその二人だけではなく、他にも人間が九人存在する。

 男装をした第一王女アトラトル。確か今は十二歳だったか。王族の中でもっとも才能を期待されていた娘。本来なら跡目争いで悩みの種になる筈だったのだが、今となってはただの杞憂。

 既に血の繋がった家族は誰もいないのだから。

 付き従うのは近衛騎士団長グレイヴと七人の騎士。片膝を突いた状態で頭を垂れ、言葉を待っている。

 騎士の中に面白い人物が交ざっている。体格が良く精悍な面構えをした男、第三騎士団長セスタス。

 砦戦から消息不明となっていたが、まさか生き延びて魔王国にいたとは。


 総勢九名のウルザム国の姫と騎士。対してたった二名の女王ヘルムとリヤーブレイス。

 人数差と反比例して戦闘力は圧倒的に魔王国側が有利か。


「アトラトル姫、及びに騎士たちよ。そのように畏まらなくてよい。ここには我々しかおらぬのだから、頭を上げてくれ」


 意外にも優しく語りかけるヘルム。

 その言葉に促された面々は伏せていた顔を上げると、背筋を伸ばして立ち上がった。


「女王ヘルム様。属国の願いを快くお受けいただき、ありがとうございました」


 恭しくそれでいて気品あふれる礼をするアトラトル。


「よい。こちらとしても、西の国エルギルと東の国ウルザム。同時に相手するにはちと厄介だったのでな。どちらかが片付くのであれば、もう片方に注力できるというもの。のう、リヤーブレイス」

「そうでございますな。もっとも、あの厄介な勇者ロウキを倒す必要がありますので、状況はさほど変わっておりませぬが」


 アトラトルが王位を継いだ暁には魔王国ガルイの属国となる。その交換条件として東の勇者を殺す依頼をした。狙いは悪くないが、可能かどうかは別だ。

 それにしても、思い切った行動に出たなアトラトル。


「どちらにしろ、倒さねばならぬ相手だ。戦後処理が楽になるだけでも、こちらとしてはありがたい」


 そこからは、なんてことのない日常会話が続く。

 回りくどい言い回しで互いの体調を気遣い、面白味もなく中身のない内容ばかり。

 いい加減、聞くのにも飽きてきたところで、不意にヘルムが手を打ち鳴らして微笑んだ。


「そうだ、アトラトル姫。明日の戦いを見物せぬか」

「戦い、ですか」


 言葉の意味がわからずに小首を傾げるアトラトル。


「説明不足であったな。明日、闘技場でこのリヤーブレイスと守護者が戦うことになっていてな。対戦相手が姫とも関わりがある者なのだよ」

「関わりがある……。どちら様なのでしょうか?」

「ワダカミだ」


 その名を聞いて表情が変わるアトラトル。今までは毅然とした態度で表面上は落ち着いて見えたが、その顔が一変した。

 驚きのあまり目と口が開いた状態で声も出ないようだ。


「ふむ、返事を聞かせてはもらえぬか?」

「し、失礼しました。ワダカミ様ですか。大変お世話になった方なので驚いてしまい」


 アトラトルを魔王国で護衛していたのが肩上という守護者。

 姫の目を通じてあの男の姿を確認したときは、心底驚いたのを覚えている。まさか、あの一撃を生き延びていたとは。

 威力を限界近くまで高めた魔法による一撃は、巨大なクレーターを作り出した。中心部にいた守護者たちは跡形もなく消え去ったとばかり――


「ロッちゃん、そろそろご飯よー」


 人を苛つかせる能天気な声が思考の邪魔をする。

 アトラトル姫の目とリンクさせた魔法の水晶から目を離して振り返ると、大声で怒鳴った。


「今は忙しいって言ったろ!」

「あら、ごめんなさい。でも、ご飯が冷めると美味しくないし」


 申し訳なさそうに謝ってはいるが、覚える気がないのか反省していないのか毎回同じ事を繰り返す。

 少しでも気品が出るように金色に染めた髪は、軽くウェーブしていて手入れが行き届いている。だけど、小太りの体が装飾過多なドレスに包まれた姿は違和感の塊だ。

 日本人のオバさんが貴族風のコスプレをしているようにしか見えない。


「ご飯は料理人が用意してくれるって、言ってるだろ」

「でもでも、ロッちゃんは好き嫌いが多いから、口に合わないでしょ。いつも私のご飯食べてくれるじゃない」

「それは……そうだけど! あと、いい加減ロッちゃんって呼ぶのやめろよ。もういい大人なんだぞ!」


 何度も言い聞かせているのに昔からの呼び方を変えない。流石に人前では控えているが、こんなやり取りを見られたら威厳が失われてしまう。

 魔法の力で見た目は二十歳のままだが、実年齢は三十後半。この世界に来てから二十年が経過した。


「で、ロッ……朗希は部屋に籠もって何をしていたの?」


 母が壁際の魔道具を起動させると、薄暗かった室内が光で満たされる。

 六畳ほどの石造りの部屋にはソファーと机と椅子。壁際には本棚。それだけしかない。

 ここは自室の奥にある隠し部屋。豪華絢爛な王の自室の奥にある非常時に身を隠すための部屋なのだが、手頃な大きさと暗さが丁度良くて愛用している。

 日本の自室とほぼ同じぐらいなので、とても落ち着く。権力も地位も金も手に入れたが、貧乏だった頃の感覚がまだ抜けない。

 母子家庭でボロボロのアパート暮らし。口うるさくて過保護で過干渉な母と……。もう、あの頃に戻りたくもないし、物理的にも戻ることができない。


「アトラトル姫に予め仕込んでおいた魔法を使って見物中だ」


 こんなこともあろうかと、王族には監視用の魔法を付与してある。あいつらが見聞きしたものはすべて筒抜け。何処にいるかも把握済み。

 アトラトルをあえて泳がし様子を見守っていたが正解だった。

 かなり面白いことになっている。闘技場で守護者同士が殺し合いとは、中々の見世物だ。

 この国の王も最悪な人物だったが、女王ヘルムの非道さは更に上を行く。……いや、それ程までに勇者を憎んでいると捉えるべきか。


「勇者か」


 なんの脈絡もなく、家でくつろいでいたときに母と一緒にこの世界に召喚された。

 強大な力を与えられた勇者と知った瞬間は歓喜した。母も自分のことのように喜んでくれていたが、直ぐに絶望の淵へと突き落とされることになる。

 勇者として選ばれたのは――母だったのだ。

 膨大な魔力、強力な加護を複数所有、身体能力の強化。勇者として相応しい才能の持ち主は俺ではなく、母。

 俺は加護もなく、ただの一般人として母に巻き込まれて、おまけとして召喚されただけの存在。


 悔しくて、悔しくて、情けなくて……死にたくなった。


 日本では過干渉な母に甘やかされたせいで打たれ弱く、すぐに諦めて挫折する性格になり、学校でも馴染めずに登校拒否。

 小学校の途中から学校には行ってない。それから、毎日PCをいじるだけ。

 そんな最底辺の生活から抜け出し、人生が変わると喜んでいたら……また母の存在が邪魔をした。

 世界が変わっても俺はずっとこのままなのか、と絶望の淵にいた俺に対し母は何を思ったのか、自分が得た能力の大半を俺に譲り渡したのだ。

 母の得た加護の中に《譲渡》という珍しいものがあり、それは自分の力を第三者に与える能力だった。膨大な魔力も強力な加護も、なんの躊躇いもなく俺に渡した母。


 その瞬間、俺は確信した。母は……心底、救いようのない愚か者だと。自分が手にした最高のチャンスを手放すなんて頭がおかしいとしか思えない。

 前々から気に食わない存在だったが、母がいなくなれば俺は生活ができない。だから、貧乏でもずっと耐えてきた。理不尽な環境に、口うるさい母に。

 俺が力を得た後も唯一の身内で母だから、鬱陶しくても我慢してきた。産んでくれた恩だけは残っていたから。


「ロッちゃん。お母さんに何か手伝えることはない?」


 そんな俺の葛藤も知らずに暢気に話しかけてくる母。


「何もない」


 苛立ちを押さえ返事をする。


「なんでも手伝うから、なんでも言ってね」


 軽く聞き流して無視をしようとしたが、ふと妙案を思いついた。

 以前からずっと研究を続けていたが、あと一歩のところで足踏み状態だったアレ。もしかして、もしかすれば、上手くいくのではないか?


「なんでもいいのか?」

「うんうん。息子のために役立てるのは母としての喜びだから」


 子供に尽くすことを生きがいにしてきた母。父に逃げられてから俺への依存は酷くなり、歯止めが利かなくなった。

 俺が少しでも嫌な目に遭ったら学校に怒鳴り込み、教師から陰でモンスターペアレントと呼ばれていたのも知っている。

 そんな母なら、この頼み事を快く引き受けてくれるに違いない。


「実は不老不死の研究をしているのだけど、難しいところがあって母さんの力を借りたいんだよ」

「あらまあ、凄いじゃないの! 不老不死なんてみんなの憧れでしょ! さすがロッちゃん! 他の人にできないことをやろうとするなんて素敵よ!」


 この反応は想像通り。母なら必ずこう言うと思っていた。

 多くの人を死霊術の実験台としてきたが、どうにもしっくりこなかった。だけど、母なら、血の繋がった者なら実験体として最適。

 これで俺の夢にまた一歩近づける。

 最強の力を得て不老不死も手に入れる。永遠の栄華をこの手に掴むんだ。


「あらあら、そんなに嬉しいの。凄くいい笑顔ね。お母さんまで嬉しくなっちゃう」


 ああ、最高の気分だよ……母さん。

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