第101話 ヘルムの憂鬱

 閲覧席からおもむろに立ち上がり、リヤーブレイスが押し開いた扉から廊下に出る。

 背後で扉が閉まったのを確認してから、大きく息を吐いた。

 廊下に人影はない。一緒に出てきたリヤーブレイスの姿は既にない。

 再度、人目がないことを確認してから頭を掻きむしった。


「してやられた」


 これが正直な感想だ。


「以前からバイザーが守護者を全滅させるのに反対していたのは承知していたが、まさかこのような手に打って出るとは」


 闘技場での戦いについても最後まで抵抗していたのがバイザーだった。

 異世界での生活が長かったことで異世界人に感情移入してしまうのは理解できる。ヤツの話によるとニホンは治安が良く平和で、気性が穏やかな人々が多いらしい。

 こちらと比べると夢のような国のようだ。

 それを聞いたリヤーブレイスは「気性が穏やか、ですか。こちらに来た勇者たちを見るとそうは思えませんが?」なんて嫌味をぶつけていたな。


 リヤーブレイスは代々魔王に仕える異界の魔族。初代が召喚してからずっと魔王にだけ従っている。

 常日頃から感情を表には出さず、魔王の命令には決して逆らわず従順なのだが、それ以外を見下し目もくれない。

 純粋な戦闘力なら最強。我に《無効化》の加護がなければ確実に負ける。

 もっとも敵に回してはいけない相手だが、何千年もの間、魔王の側で尽くしてくれている。今更、裏切る必要性は感じられないので、その点についての心配は無用だ。


「滅多なことでは感情を表に出さぬというのに、バイザーに関しては例外なのが、な」


 二人は誰の目から見ても仲が悪い。特にリヤーブレイスは露骨に嫌っている。

 魔王国の幹部二人が仲違いをしている状況は女王として頭を悩ませる場面の筈なのだが、二人のやり取りを眺めているのが嫌いではなかった。

 言い争う姿にも見慣れてしまい、今ではいがみ合う二人を微笑ましく見物する余裕すらある。

 意見の対立は多いが最終的にはどちらかが妥協して、常に最良の策を導き出している。

 だが、今回に限っては真っ向から意見が対立していて、かなり険悪な状況だ。


「守護者を生かすことに関しては一考の余地がある」


 当初の目的とは異なるが目を見張る活躍をする守護者がいるのも事実。

 そこで両者の言い分を考慮して、闘技場での戦いを開くことにした。リヤーブレイスは当初の予定通り、守護者の全滅を望んでいた。

 バイザーは殺さずに味方に引き込むべきだという主張を曲げない。

 妥協案としてトーナメント戦は取りやめて一試合のみとした。これならば半分に減るだけで済ませられる。

 それでも両者納得はしていなかったが、渋々といった感じで従った。


「管理職というのは辛いな。父の苦悩が今にしてよくわかる」


 豪快で豪胆に振る舞っていた父だったが、自室では頭を悩ませていることが多かった。特に人材雇用や配置について考え込む姿を何度も目にしている。

 常備していたポーションが精神安定剤と胃薬だったのを後に知ったのだが、知った切っ掛けは……我も愛用しているからだ。

 後で服用しておこう。胃がキリキリしてきた。

 異世界人たちを殺し合わせて加護を強化する目論見は順調といっていい。実際、加護が急成長している。


「今、すべて刈り取れば我は相当に強くなる。だが」


 一国の王が膨大な力を手に入れたところで自ら戦場に立つ場面は少ない。守護者であれば気軽に戦場へ配置し、駒のように扱うことが可能。

 個人の圧倒的な力は脅威ではあるが取り回しが難しい。

 東と西への対策として現状は上手くいっている。ならば、このまま守護者を仲間に引き込むのが最良というバイザーの訴えには頷ける。

 我は割り切って運用することに抵抗はない。父や国民を殺した異世界人に対しての憎しみは一生消えない。だが、守護者共は同郷であるだけで無関係の者だ。

 利用価値があり、少しでも罪悪感が薄れ、民を納得させる存在であるから選ばれた。

 女王として本音を口に出してしまうと差し障りはあるが、彼らは――


「被害者だ」


 それをわかった上で我々は割り切って利用している。魔王国を存続させるために。

 未だに非情に徹することができない情けなさは自覚している。だが、それでも、魔王国の利益になるのであればと割り切り、決断もしてきた。

 しかし、生かすことが利益になるのであれば話は変わってくる。


「問題は民やリヤーブレイスが納得するか」


 女王として思うがままに采配を振るい、独裁を気取るのは簡単なこと。

 しかし、それでは民が付いてこない。力を示し、民の望みを叶える。これが魔王に求められる資質。


「それを見越した上で手を打ってくるとは、バイザーめ」


 事前に相談を受けていれば話を合わすことも可能だったが、常にリヤーブレイスの目がある。特にバイザーを嫌い警戒している状況で密かに我と連絡を取るのは至難の業。

 なので、このような強硬手段に打って出たのだろう。

 思惑に乗って我が戦う道もあったが、女王として部下の手のひらで踊らされるのは格好が付かない。それに私が直接戦うのはリヤーブレイスが納得しないだろう。

 ならばどうすべきか。両者の意図を組んで両立させる最良の答えはないか。

 あの場面では平静を装っていたが、頭をフル回転させて必死に答えを模索していた。

 結論として代理としてリヤーブレイスを戦わせることに決めたが、未だに迷いはある。


「バイザーへの不信感と鬱憤を少しでも晴らすには、ヤツが肩入れしている守護者と直接対決させるのが手っ取り早い。……ワダカミにとっては災難でしかないが」


 加護をすべて封じる我と圧倒的な力を有する異世界の魔族リヤーブレイス。

 どちらがマシかと問われたら、答えは出ないだろうな。

 しかし、これで民も納得できるはず。想像以上の力を見せつけられ、守護者に対して畏怖の念を抱く者も少なくない。

 特にグソクアキラという異世界人の加護雷龍砲は要注意だ。あの威力はリヤーブレイスの魔法に匹敵する可能性がある。今のところは届かぬだろうが、今後の成長も見込めるとなれば……。

 あのような加護ですら恐れる必要がない、と圧倒的な力を誇示して民を安心させる必要がある。


「明日の戦いをどのように演出するか」


 対戦方法やルールに手を加えるか。

 ただの殺し合いであれば一方的に片付いてしまう。力を誇示するだけならそれでいいのだが、ワダカミの強さが不明なまま瞬殺されては意味がない。

 それにバイザーほどではないが、我もワダカミの急成長には目を見張り期待していた。

 あちらを立てればこちらが立たず。丁度良い案配を模索しなければ。


「これが管理職の辛さか、父上」


 いつもの堂々とした態度と打って変わって自室で悩む父の後ろ姿を見て、少し情けなく感じていた当時の自分を恥じ入るばかりだ。


「まずは我が家に戻るか」


 廊下でいつまでもうだうだと悩んでいては埒が明かない。

 少し手狭だが落ち着く自室に帰って考えをまとめよう。明日までの時間は残りわずかだ。

 この面倒な服を脱ぎ捨て、まずは風呂に入るか。それで、身も心もさっぱりして……。


「これはこれは親愛なる女王ヘルム様ではございませんか。ご機嫌麗しゅう」


 慇懃無礼とはこのことだ。

 いつもとは違う口調で恭しく頭を下げる男が廊下の先にいた。


「よくもまあ、ぬけぬけと顔を出せたものだ」

「そんな! 俺様ほど忠実な部下は存在しませんよ」


 ニヤけた笑みを浮かべてステップを踏みながら、軽い足取りで平然と近づいてくる。

 あえてやっているのは理解しているが、その言動のすべてに軽く苛つく。


「ぬかせ。読書家である貴様の辞書には忠実という言葉の意味は書いてなかったのか?」

「偶然にも、そこだけ辞書のページが破れていたみたいで」


 悪びれもせず、すらすらと流れ出る言葉の数々。

 反省や謝罪の心など微塵も感じられないのはいつものことか。


「しかし、やってくれたな。守護者共に肩入れしていたのは承知していたが、まさかこのような手段に打って出るとは」

「お褒めに預かり光栄です」


 文字だけ見ればまともな対応なのだが、この場面に相応しい言葉ではない。


「思ってもいないことを口にするな。あと、かしこまった口調も必要ない」

「そうっすか。いやー、もうこっちの話し方の方が慣れちゃってさ」


 ニホンに行くまでは感情の揺らぎがほとんどない本の虫だったのだが、数年ですっかりニホンに染められてしまった。

 正確には依り代にしたニホンジンの性格を忠実に再現した結果の後遺症というべきか。


「バイザーよ。我に魔王国に弓を引くつもりなのか?」


 相手に合わせて軽い日常会話のノリで問うてみた。

 いつも通り軽薄な表情を浮かべたまま、小首を傾げている。


「あっれー、忠実な俺様を疑っているんですか?」

「忠実という言葉の意味を知らぬようだからな」

「こりゃ、一本取られました」


 おどけた調子で自分の頭を小突いている。

 本当に他人の神経を逆なでするのが得意のようだ。リヤーブレイスと馬が合わないのも納得がいく。


「本当に何を考えている」


 今度は極力低くして魔力を乗せた声で問う。


「まあ、ニホンジンに情が湧いたのは事実ですよ。できるだけ救いたいと思っているのも否定しません。ですが、魔王国を救いたい。これもまた本心なのです」


 静かに語るバイザーの顔は珍しく真剣だった。

 裏表がありすぎる部下を信じるか否か。上司としての資質が問われる場面。


「まあよい。我も魔王国が滅びを免れ、東と西の国に一泡吹かせればそれでいい。どんな手段を用いろうがな」

「それは明日の戦いを見て判断していただければ」

「バイザーよ。貴様はあのワダカミという男に勝つ見込みがあるとでも?」


 それは素朴な疑問だった。

 圧倒的な実力差を理解できぬほど、バイザーは間抜けではない。

 我の予想では最小限の犠牲でリヤーブレイスを納得させるための手段だと考えていた。その犠牲というのは言うまでもなく、ワダカミ。


「さあ、どうなることやら」


 肩をすくめ頭を左右に振る姿はいつものバイザーだった。

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