第92話 一試合目、開始

 広く巨大な円形闘技場が目の前にある。

 材質は石のようだが初めて見るはずなのに既視感のあるデザインをしている。

 壁には等間隔で大きな穴が開いているのだが、その形は四角と半円を組み合わせたもの。窓ガラスが入っていたら欧米風のアーチ窓に見えただろう。

 それが横にずらっと並んでいて、それが上にもあり三層になっている。

 ヘルムがドーム球場と同じぐらい、と表現していたが確かにそれぐらいの規模はある。だけど、外観はドーム球場よりは甲子園に近い。


「如何にもといった感じの闘技場でござるな」

「ローマのコロッセオに似ているようだ」


 喉輪と明の呟きを耳にして納得した。

 ああ、確かに似ている。偶然似たデザインになったのか、それとも日本に渡った経験があるバイザーが口添えをしてコロッセオに似せたのか。

 まあ、どちらでも関係ないが。

 俺たち守護者は日が昇ったばかりの早朝に、巨大な闘技場を外から眺めている。

 昨晩は誰も日本で暮らす現実のような夢は見なかった。いや、あえて見させなかったのだろう。ここが異世界である証明として。

 結果、守護者全員が現実を直視させられた。心の何処かでゲーム内の設定ではないかと期待していた者もいたようだが、もうそんな甘い考えを抱く者は誰もいない。

 全員が覚悟の決まった顔をしている。

 俺たちはここで殺し合いをするんだ、と。






 周囲を武装した魔物に囲まれ、俺たちは闘技場の中にある地下の控え室に連れて行かれた。

 ここで抵抗して逃げ出す手もあったが、守護者の体と同調している宝玉の自爆装置が邪魔をする。

 バイザーを信じるなら俺だけは自爆装置が外されているから《矢印の罠》を活用すれば、逃走は可能だ。どんな壁でも乗り越えられ、追いかけられたところで移動速度が勝っている。

 だけど、それは負華や仲間を見捨てるということだ。


 ……あり得ない。守ると決めたのだから。


 姉、母、そして聖夜の顔が頭に浮かぶ。もう二度と大切な人を失いたくない。

 覚悟を決めた俺は現状を正確に把握するために室内を見回す。

 天井高は三メートルぐらいで、椅子だけしか置いていないだだっ広い地下室。その椅子も簡素で薄汚れている。

 床も壁も天井も石造りで無機質。地下なので当然窓もない。


 床の至る所に染みついている黒ずんだ跡から視線を逸らす。それが何かは気にしない方がいい。

 百人が入っても余裕があるぐらい広々とした空間なのに息苦しさを感じる。

 ほとんどの人が距離を取ってバラバラに座っているか、壁に背を預けで立っているかのどちらかなのだが、俺と仲間は部屋のど真ん中で円陣を組むように集まり座った。


「楓がいないのが少し寂しいけど、でも良かった」

「錣殿だけでも幸せに暮らして欲しいでござるよ」


 俺の言葉に喉輪は大きく頷いている。

 喉輪の笑顔は強がりではなく、心から喜んでいるように俺の目には映った。


「うんうん。楓泣きじゃくっていたね。以外と泣き虫なんだから」


 権利を譲ってからは負華と楓は呼び捨てで呼ぶようになった。

 お互いにもっと早く今のような関係になっていれば、という後悔はあったようだが、それでもあの切っ掛けがなければ本当の友達にはなれなかっただろう。

 楓だけでも日本に戻れて安堵している。

 ――あの話し合いとじゃんけんの後、俺たちは城の一室に移動させられた。


 中心部に巨大な半透明の石が備え付けられていた円形状の研究室のような部屋。その巨大な石は全体にひびが入り、至る所が欠けていて、元は球体だったようだが今は半分以下の面積になっている。

 床には青く光る魔方陣が描かれていて、女王ヘルムに促され魔方陣の中心に恐る恐る立った楓が光に包まれると、俺たちの目の前から消えた。

 日本に戻れたという保証はないが、そこは信じるしかない。

 あとでバイザーがこそっと教えてくれたが、実際に自分が日本に飛んだ際に使った魔方陣で、正しい手順で間違いなく作動した、とお墨付きをくれた。


「帰りたいと願う人が……帰るべきだ、よ」


 雪音は聖夜のことがあったからこそ日本に戻ることを選ばなかった。帰ったところで聖夜はもういないのだから。

 彼女が何を考えているかは不明だ。だけど、生きることを諦めた様子はない。聖夜から「僕の分も生きて」と望みを託されたそうだ。だから「絶対に死なない」と語っていた。

 仲間の誰よりも覚悟が決まり、生きることに執着しているのが雪音なのかもしれない。


「途中で投げ出し、尻尾を巻いて逃げるように戻るのは主義に反する。それも、権力者のお情けなど御免被る」


 明は自分なりの考え、というか美学があるらしく、どうしても譲れないポイントらしい。

 実業家の孫として生まれ育ってきた環境が関係しているようだ。

 聞いた話によると幼い頃から父に帝王学を叩き込まれたそうで「弱く無力な者は力のある者が保護し、導かなければならない」というのが父の口癖だった、と皮肉めいた口調で語っていた。

 父親の考えにある程度は納得しているが全面的に同意をしているわけではないらしい。だけど、幼い頃から植え付けられた思想はそう簡単には抜けないようで、言動にもその片鱗が垣間見えることが多々ある。


 楓について触れた後は雑談が続いていた。

 特に深い内容でもない日常の会話。いつもと変わらない日々を無意識のうちに俺たちは演じていたのかもしれない。


「皆の衆、心配は無用。拙者、覚悟は決まってござる」


 俺たちの会話を遮るように喉輪は立ち上がると、顔を引き締めて拳を握った。

 気付いていたのか。俺たちが気を遣って少しでも緊張を和らげようとしていたのを。


「まさか、第一試合が喉輪だとはな」


 今まで避けていた話題をあえて口にする。

 対戦の順番は今朝公表されたのだが、第一試合は喉輪VS元ナンバー2。ちなみに元ナンバー2の本名は吉原と言うらしい。


「それも吉原殿と戦う羽目になるとは思いもよらなかったでござるよ」


 これから本気の殺し合いを始めるというのに、喉輪は緊張している様子がない。……表面上は、だが。


「覚悟は決まったのか?」

「生きるために殺し合う。致し方のないことでござるよ。そう割り切らなければ、生き抜くことはできぬでござる」


 寂しそうに笑う喉輪。

 よく見ると握りしめた拳が微かに震えている。

 そうか、そうだよな。簡単に割り切れる訳がない。無理して強がって見せているだけだ。


「正直に言ってしまうと怖い、でござる。自分が死ぬかもしれないことも、他人の命を奪うことも。しかし、今まで魔物やアンデッドとはいえ多くの敵を倒してきた。その違いがどれほどのものかと。きっとやれる……でござるよ」


 ここで何か気の利いた言葉をかけるべきだ。わかってはいるが、相応しい言葉が思いつかない。悩みに悩んだあげく、本心を素直に伝えることにした。


「無責任なことを言うけど、生き延びてくれ。俺は喉輪に死んで欲しくない」

「そうだよ。勝って帰って来てよ」

「うんうん。生きてください」

「罪悪感を抱く必要はない、と言っても無理だろうが。それでも、割り切るんだ生きるために」


 全員からの応援と励ましを受け、喉輪は拳を掲げる。


「その想いしかと受け止めたでござる!」






 闘技場の中心には土がむき出しの地面があり、そこを囲むようにずらっと何層にも客席が配置されている。

 中心部がグランドなら、野球場のように見えただろう。

 俺たちは闘技場の一番内側にある隔離された席にまとめられていた。ここから試合を見物できるのだが、客席からの殺意を帯びた視線が全身に突き刺さる。

 その視線に晒されているだけで動悸が激しくなるが深呼吸を繰り返す。

 気圧されるな。この場の空気に呑み込まれるな。

 振り返る勇気はないが、俯くな堂々としろ。


 顔を上げると視線の先に喉輪の背が見えた。そこから少し離れた先に元ナンバー2の吉原がいる。

 背を向けているので喉輪の表情はわからないが、吉原は緊張で顔がこわばっていた。

 顔は前を向いているが視線が定まらず、開きっぱなしの瞳孔が忙しなく動いている。


「異世界人はみんな死ねー!」

「殺し合え!」

「家族を返して! この外道!」


 罵詈雑言が二人と俺たちに降り注ぐ。

 特に中心にいる二人には耳を覆いたくなるような怒号と罵倒がぶつけられていた。


「一回戦じゃなくて、よかった」


 守護者の誰かがこぼした安堵の声が微かに届く。

 一瞬、同じことを考えた自分を恥じた。人殺しへの覚悟。いわれのない暴言。様々なプレッシャーの中で喉輪は今、何を考えているのか。

 俺は大きく息を吸い込むと、大声で言い放つ。


「喉輪ああああぁ! 負けるなああああぁぁ!」


 何万人もの罵声に掻き消されそうになりながらも喉輪へ届いたようで、驚いた表情で振り返っている。

 それを見た負華と雪音は席から立ち上がり、上半身を仰け反らせてから、勢いよく身を乗り出す。


「がんばれーーーっ!」

「勝てえええええぇぇっ!」


 腕を突き出しながら喉が枯れんばかりの大声で声援を送る。

 そんな俺たちの姿を見て緊張が薄れたのか、まだ表情は硬いが少しだけ頬が緩んでいた。


『会場の皆様、長らくお待たせしました。これより、異世界人同士による殺し合いを始めます!』


 闘技場の四方から声が響いてくる。

 この世界にマイクやスピーカーがあるのかは不明だが、似たような音響装置が存在しているようだ。

 声は若い女性らしく、聞き覚えはない。さすがに女王ヘルムが闘技場の実況を担当するような真似はしないのか。


『勝敗はどちらかが死亡するか戦闘不能になるか。もしくは、両者の背後に置かれた玉が破壊された方が負けとなります』


 この玉が今回の独自ルールだ。対戦相手の背後の壁際にボーリング玉程度の大きさがある青い玉が石の台座に鎮座している。

 それは五回攻撃を受けると破壊される仕組みになっているのだが、攻撃の威力は考慮されない。

 明の《雷龍砲》の一撃であろうが雪音の《火炎放射》であろうがカウントは一だ。一度ダメージを与えると五秒間はカウントされないので、一気に壊すのは不可能。


 それに守護者が直接打撃を加えるか、TDSを利用して攻撃しない限りカウントは増えない。

 このシステムは殺し合いを避けるための温情処置かと喜びそうになったが、そうではなかった。後ろの玉と宝玉が連動していて、壊されると同時に自爆装置が起動する。

 事前の説明でここまで聞かされていた。ちなみに初めて宝玉に自爆装置が備え付けられているのを伝えられ、守護者たちがパニック状態になりかけていたのを追記しておく。


『では、この銅鑼が試合開始の合図となりますので、両者準備はよろしいですか? ダメと言ってもやりますけどね』


 対戦者の名前や説明もなしにいくのか。

 この世界の住民にとって異世界人の名前なんか知る価値もないと。


『試合開始します!』


 司会の宣言と同時に大きな銅鑼の音が反響する。

 試合が始まってしまった。ここから先は一瞬たりとも目が離せない。

 互いに見つめ合っている両者。

 何やら話しているようだが、喧噪に掻き消されてこちらまで届かない。

 喉輪、負けるなよ。絶対に勝って帰ってこい!

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