第90話 生存方法

 見るからに高価そうな調度品の数々に大きな窓。窓の外には手入れされた庭園が見える。

 百人以上を余裕で収納できる大広間に、ずらりと並ぶ木製の椅子に長机。

 机の上にはご馳走が並べられているのだが、この場に居る者は誰も手を付けていない。

 ほとんどの人が沈んだ顔で、焦点の定まっていない虚ろな瞳。

 女王ヘルムから現実を突きつけられ、明日は闘技場で殺し合いをさせる、と宣言された数分後が今だ。


 ここに連れてこられ、豪勢な昼食を用意してくれているが食欲が湧かない。

 俺の右隣には負華、左隣には雪音。明、喉輪、楓は対面に座っている。

 他の守護者たちも何人かのグループでまとまっている人が多い。だけど、話し声はまったく聞こえてこない状況だ。

 お通夜や葬式よりも静かで陰気な空気が充満している。

 事前に状況を把握していた俺たちは一番ショックが少ない筈なのだが、負華と戦うことになった衝撃がまだ抜けていない。

 だけど、このまま絶望に打ちのめされたまま無為に時間を費やすわけにはいかない。


「取りあえず飯を食おうか。腹が減った状態だと頭が働かないし。いただきます」


 手を合わせて目の前にあったステーキにフォークを突き刺す。

 ナイフで切り分けず豪快に口に放り込んで噛み千切る。

 うん、適度な歯ごたえがあって味付けも悪くない。何度も咀嚼して呑み込むと、大きく息を吐く。


「毒とかも入ってないみたいだよ?」


 仲間たちだけではなく周囲の守護者たちにも聞こえるように言う。

 そんな俺に促されて、のろのろとだが何人かが料理に手を付けていく。


「うじうじしててもしゃーないか。うちも食うで」

「栄養補給は大事でござる」

「うん。生きるためにも食べなくちゃ」

「最後の晩餐ならぬ、昼食になるやもしれぬからな」


 仲間たちが次々と食事を始めるが、負華だけはじっと見つめたまま身動き一つしない。

 いつもなら、真っ先におどけてこの場の空気を一変してくれるのだが、今だ衝撃が抜けないか。

 なんて言葉をかければいい? 落ち込んでいる彼女の心を少しでも和らげる魔法の言葉を懸命に模索する。

 ありきたりな言葉しか思いつかない。だけど、ずっと放置するよりもマシだ。意を決して話しかけようとした時に、場違いな明るい声がした。


「おいおい、姉ちゃん。食わねえのか? この世界の平民じゃ口にすることもできねえご馳走なのにもったいねえな。んじゃ、代わりに俺様がいただくか」


 負華の横に立っている男が皿からステーキを摘まみ上げると、顔を天井に向けて大口を開けると肉を放り込んだ。


「くはぁー、うめえ。料理長も奮発したな」


 額に手を当てて上半身を仰け反らし、絶賛する男。

 そいつは負華の右隣の空いている席から椅子を引っ張り出すと、俺と負華の間に割り込むように置いて、勢いよく座る。


「よくも、この場に顔を出せたな。どんな神経しているんだ……バイザー」


 さっきから一人だけ空気感の違う、ハイテンションで陽気に振る舞うバイザーに皮肉をぶつける。

 同じ守護者だが、魔王国の幹部の一人でもある。俺たちは事前にそれを知っていたので衝撃は少なかった、だけど他の守護者たちはそれを知らない。

 王の間で玉座に座るヘルムの隣に立っていたバイザーを見て、さぞ驚いたことだろう。

 バイザーのことを知らない守護者もいただろうが、ラッパー風の服装を見れば一目瞭然。誰もが異世界人ではなく地球から来たとわかる格好だ。

 魔王国の幹部として振る舞い命令していたバイザーがしれっとこの場に居る。


「周りの人に何か言うべき事があるんじゃないのか?」


 周囲から殺気の籠もった視線が突き刺さり、針のむしろだというのに平然と飯を食っている。


「おっ、そうだな。俺様はバイザー。実は魔王国の幹部であんたらを見張り、情報収集するために守護者として参加してたんだぜ。まあ、スパイみたいなもんだ」


 手をひらひらと振りお気楽な調子であっさりと暴露している。

 その説明で納得する……訳もなく、守護者たちの殺気が膨れ上がっていく。


「一応、念のために言っておくが、ここで俺様に危害を加えようとしない方がいいぜ」


 椅子から腰を浮かせて臨戦態勢だった数人が、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。

 魔王国に刃向かう者がどうなるかは、あの半グレ風の男が実証してくれた。周囲からの殺意も少し弱まったように感じる。


「俺様は基本、あんたらの味方だ。と言っても信じてはもらえないだろうけどな」


 その言葉に動揺して体がぴくりと揺れた。

 ここも監視されているはずなのに、今の発言は咎められないのだろうか。


「俺様が魔王国の幹部であるのは間違いねえ。だがな、今回の計画を実行するために数年前に日本へと転移して、情報収集をしていたんだよ。でまあ、日本の文化に触れていく内に感化されちまった」


 肩をすくめておどけたポーズを取るバイザー。

 外国人が日本に旅行して好きになる、なんて話はよく聞くが異世界人にもそれが当てはまるのか?


「ほら、スパイが感情移入して母国を裏切る、なんて映画や漫画とか結構あるだろ。それよそれ」


 確かにそんな展開は何度も目にしてきた。だけど、それはフィクションの世界。

 おまけに、そんなお気楽な口調とノリで言われても説得力がない。


「じゃあ、なんだ。あんたは僕たちを助けてくれる、とでも言うのか?」


 ずっと黙って聞いていた守護者の一人が、机に両手を叩き付けて立ち上がった。

 チェック柄の服を着たこの男は、喉輪チームの元ナンバー2か。砦防衛戦では雪音、聖夜、楓と共に戦った生き残りらしい。


「助けてやりたい、とは思っているが女王様には逆らえねえんだなこれが。しがない管理職ってヤツだぜ」

「はっ、結局何の役にも立たないのかよっ」


 ナンバー2は苛立ちを隠そうともせずに勢いよく椅子に座り、軽蔑の眼差しを向けている。


「そう言うなって。代わりと言っちゃなんだが、俺様のわかる範囲であれば質問を受け付けるぜ? 聞きたいことが一杯あるんじゃねえか?」


 バイザーの放った言葉に場がざわつく。

 未だに衝撃が抜けない状態だが、自分の状況に対しての疑問が頭を埋め尽くしている状態。聞きたいことは山のようにある。


「じゃあ、質問いいですか?」


 座ったまま手を上げている人物に全員が注目する。

 制服を着た三つ編みの女子。あの娘は……立挙か。男子三人組と一緒に行動していた女子高生。

 雪音と楓の話によると、砦防衛戦で男子三人組を失ったそうだ。


「ここが異世界というのは本当なのですか?」

「間違いないぜ」


 即答するバイザー。


「でも、昨日……私はみんなと会いました! この世界で死んだはずの友達と!」


 感情を爆発させ、髪を振り乱し叫ぶ立挙。

 そうか、彼女も会ったのか。夢の中で死者と。


「残念だけど、それは夢でまぼろしだ。あんたらの記憶に基づいた都合のいい夢。言葉を交わした連中も記憶を元にした偽りの人間だぜ」


 涙を拭おうともせずに呆けた顔で力なく座り込む立挙。

 わかるよ、その気持ち。現実としか思えない夢の世界が偽物だったと知ったときの衝撃。辛いよな、傷つくよな。


「こちらも質問いいか。定番の質問で申し訳ないが、この異世界から日本へ戻る方法はあるのか」


 今度の質問は明からだ。

 感情を読まれないようにしているのか、フードを目深に被ってこっちを見ている。


「ここで一方通行で帰り道はない、って言うのが定番の返しなんだが、帰還する方法はある」


 バイザーの言い放った一言を聞いて、ほとんどの人が思わず立ち上がった。

 俺も無意識で同じように腰を浮かせて、隣のバイザーを見下ろしていた。


「さっきも言ったろ。俺様は日本に転移してしばらく暮らしていたってな。その際に使った召喚陣を使えば転移は可能だ」

「マジか!」

「てっきり、帰れないパターンかと思っていたぜ」

「殺し合わないですむのね!」


 沸き立つ守護者たち。

 歓声を上げる人々の中で俺と一部の人は黙り込んでいた。

 まだ、バイザーの話は終わっていない。


「喜ぶのはちょい待ってくれ。ただし、魔方陣の起動には膨大な魔力を必要としてな。こちらに引き込むのはそんなにいらないんだが、こっちから地球に送り込むのは至難の業でよ」


 ほら、やっぱりそんな展開か。

 もし、簡単に変える方法があるならバイザーは俺に伝えていたはずだ。その方がモチベーションも上がるし、生きる希望が湧く。


「やっぱ、そんなベタベタなオチかい。期待させといて落とす、最悪やな」


 侮蔑の視線を注ぐ楓に対して苦笑するバイザー。


「早合点したのはそっちだぜ? でまあ、話の続きなんだが。実は今の状態でも一人ぐらいなら日本へ返すことが可能な魔力量は確保してある、って言ったらどうよ?」


 絶望の淵に再び垂らされた希望の糸。

 わらにもすがる状況の俺たちにとって、それはあまりにも魅力的に思えたが……全員が渋い顔で胡散臭そうにバイザーを見ている。


「まあ、そうなるわな。俺様だって疑って当然だと思うぜ。そもそも、ここは魔王国の連中に見張られているし、この会話も筒抜けだ」


 だよな。それは想像通り。ただ、そんな状況で内情を暴露しているバイザーが何を考えているのかが不明だ。


「ちなみにこの情報提供もヘルム様に許可済みだ。召喚陣で一人返せる、って話もな」


 ニヤリと笑うバイザーから目が離せない。

 さっきの話が嘘でないと仮定するなら、一人だけ日本に戻る可能性があるというのか。

 バイザーに向けられていた警戒の視線が、今度は周囲の守護者へ移る。

 みんなの考えていることが手に取るようにわかった。


 自分こそが魔方陣を使って日本へ帰還。


 目と態度がそう語っている。

 俺もその考えが頭をよぎった。だけど、戻るとしたら俺じゃない。もし、その権利を与えられたとしても、それを使うべきなのは仲間たちだ。

 辛い過酷な環境だけど、俺は日本に未練がほとんどない。

 母も姉も死に、毎日仕事をこなすだけの日々。大切な人はもう誰もいない。なんなら、夢の中とは言え現実と変わらない家族に会える今の方が……幸せかもしれない。

 無条件で日本に戻れるなら戻ることを選ぶ。だけど、他人を押しのけて殺してでもその権利が欲しいかと問われたら、否だ。


「バイザー。その話をしたってことは、この場の誰か一人だけ返すことが可能ってことだよな。そして、それには条件がある、と」

「さすが強敵ダチだぜ。相変わらず話が早い! 条件はあるが、たった一人だけ日本へ返してやる、と言ったらどうするよ?」

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