第88話 女王ヘルム
「顔を上げてくれ」
ヘルムの第一声がそれだった。
司会進行役として現れたときの声と同じはずなのに、威厳に満ちた態度といつもより低い声を聞くと自然と身が引き締まる。
ゆっくりと顔を上げて玉座に座るヘルムに目をやった。
肘掛けに頬杖を突いて、じっとこっちを見つめる瞳。いつもの笑顔は消え去り、細めた目から注がれる冷たい視線。
無意識のうちに緊張で渇いた喉を唾で湿らす。
「此度は東の国ウルザムからの使者をこの城に届けてもらい感謝する」
ヘルムは姿勢を正すと、少しだけ頭を下げ静かに礼をした。
こういうとき、どういう言葉を返すのが正しいんだ? サラリーマンのマナーとして王族との触れあい方は学んでない!
考えても答えが出ないので、恭しく見えるように取りあえず頭を下げる。
「姫君一行は別室で控えているので安心してくれたまえ」
あっ、アトラトル姫たちのことをすっかり忘れていた。もう、交渉は終えたのだろうか。
少し心配だが、まずは自分たちを優先しよう。この山場を乗り越えることに集中だ。
「私の姿を見て驚かれたのではないか、守護者の諸君」
おっと、そっちから切り出してくるのか。
触れていいのかどうか迷っていたが、これで踏ん切りが付いた。
「司会進行役のヘルムさん、ですよね?」
「はい、その通りですよ。守護者、肩上要さん」
一変して優しい顔になると、司会進行役の口調へと切り替えた。
その態度を目の当たりにした魔族や魔物の一部がざわついている。
守護者たちの様子を観察している面々は何度もヘルムの司会進行役を目にしているので驚きはないが、魔王国の大半は司会進行役のヘルムを見るのは初めてなのか。
「皆の者、静まれ」
素早く女王バージョンに戻ると、一斉に静まり返った。
見事なまでの統率力だ。
「偉そうな態度では無駄に緊張させてしまう。なので……司会進行役のヘルムとして話した方が気楽でしょ?」
正直、そっちの方が話しやすいのでありがたい。
「お心遣い感謝いたします」
明がそれっぽいことを口にしてくれた。
なるほど、こういう場面で相応しい切り返しはこうか。
「もうっ、かしこまらなくていいですよ。それよりも、私がこうして玉座に座っていることに驚かれましたよね?」
「それは、はい」
前から知っていたことは隠して答える。
「ですよね。今から皆さんに謝るべきことがあります。その前に全員を喚びましょうか」
「全員?」
言葉の意味がわからず聞き返してしまう。
この場に居る俺たち以外に誰か呼ぶべき人物がいるのか? あっ、アトラトル姫一行か。
自分で答えにたどり着いたので、黙って新たな登場人物を待つ。
直ぐに青い光が俺たちの周囲に漂い収束していく。
そして、この場に十一人もの人が現れた。
全員がバラバラの服装だが共通点もある。それは日本の服を着ていること。更に付け加えると、ほとんどが見知った顔だ。
砦での戦いや山頂で何度か顔を合わせている。
「生き残りの守護者、か」
予想外の展開に驚きはしたが、俺たちよりも露骨に取り乱しているのは他の守護者たち。
「どこだここは⁉」
「えっ、何々!」
「この広くて大げさな場所って……王の間?」
他人の慌てふためいている姿を目の当たりにすることで、こちらは冷静になってきた。
何人かは即座に警戒してTDSを発動できるように身構えている。
他は辺りをキョロキョロと見回すか、黙ってその場に佇んでいるかのどちらか。
この世界に連れてこられてから一週間。俺も含めた守護者たちは多くの経験を得て成長している。全員、驚きはしているが現状を把握して徐々に落ち着きを取り戻しつつある。
「急な展開に戸惑っていますよね。申し訳ございません」
ヘルムは高圧的な女王モードではなく、司会進行役の口振りで謝罪の言葉を口にしている。
その声を聞いて守護者たちの視線が一点に集まった。
「皆様の前では司会進行役として登場していましたが、実は――魔王国の女王ヘルムです」
最後だけ威厳のある低い声で名乗るヘルム。
言葉の圧と驚きで守護者たちの動きが止まり、無言になる。
「まずは状況の説明をさせていただきたいので、質問は後ほどでお願いします」
全員が納得している顔ではないが、この場の空気を察したのか取りあえずは大人しくなった。
「守護者の皆様は異世界日本から召喚されて、この地にやって来ました。デスパレードTDオンライン(仮)のテストプレイヤーとして」
ここまでの説明には何の問題もないので、俺も周囲の守護者も軽く頷いている。
「現実に酷似したVR空間で守護者同士が殺し合い、最後の一人になるまで戦う新感覚のタワーディフェンス、という名目でご招待しました。しかし、それは偽りです」
まさか、本当のことを暴露する気なのか?
真実を明かすつもりで俺たちをこの場に集めた、とでもいうのか。
「ここは本当の異世界。ゲームではありません」
おいおい、マジか。本当に断言したぞ。
真実を知っている俺たちは心構えができているが、他の守護者たちはそうじゃない。
動揺している振りをしながら周囲を観察すると、驚愕して唖然とした顔の者が半数。
他は……驚いてはいるが納得している者。
訝しげにヘルムを見つめる者。
腕を組んで苛立ちを隠そうともせず、忌々しげに睨む者。と、多種多様な反応をしている。
そんな俺たちを冷静に眺めているヘルムと両隣に立つバイザーとリヤーブレイス。
この反応は想定内なのだろう。
守護者たちの中には状況を素早く判断して冷静さを取り戻している者もいるが、何人かは不満が顔に出ている。……良くない雰囲気だ。
この場を仕切るべきか迷っていたが、決断する前に一人の守護者が動いた。
全身黒で染めたフード付きのトレーナーにサングラスに厳つい顔付き。いかにも半グレを連想させる見た目をしている。
「おいおい、ゲーム内の設定にしては凝りすぎだろ。ここが本物の異世界だ? じゃあ、なんで毎日ログアウトして日本に戻れるんだ。日帰りの異世界旅行ってか?」
話し方は威圧的で相手をバカにしたような口調だが、質問の内容はもっともだ。
誰もが抱く疑問を口にしている。
「皆様が現実だと信じている日本での日々は、こちらが作り出した夢ですよ。と、言ってもにわかには信じられないとは思うので、こちらをご覧ください」
守護者とヘルムの間を遮るように透明の板が現れたかと思えば、その表面にある光景が映し出された。
通勤の満員電車に揺られている薄毛の中年。
ポーズを決めて撮影中の双子モデル。
妻と子に囲まれて夕ご飯と食べる家族。
ジャージ姿で熱心にゲームをするニート。
メイド喫茶で働く大学生らしき女性。
小さな子供の世話をしながら料理をする大家族。
友達とカラオケをしてはしゃぐ主婦たち。
人々の日常が描かれた映像が、透明な板に十八分割されて流されている。
問題は映像の中身ではなく登場人物。
「あれ、俺だよな。昨日の……」
「えっ、なんで? 盗撮されていたの?」
映像を指差してざわつく守護者たち。
全員が気付いたようだ。映っているのが自分だということに。
「見てわかるように、すべては我々が作り出した夢。故にこの一週間何をしていたのかすべて把握しています。だって……私たちが演出したのですから」
冷たくも楽しげに話す声に背筋がゾクッとした。
「ふざけるなよっ! 俺らをゲームだと騙して殺し合いをさせていたとでも言う気かっ!」
さっきの半グレ風の男は証拠を突きつけられても納得できないのか、怒りで顔面が紅潮した状態でヘルムに食ってかかっている。
「その通りですが、何か?」
冷淡に平然と即答して、鼻で笑うヘルム。
他の守護者よりも心構えができていたおかげで、冷静に判断できた。
ヘルムは相手の怒りを誘うような言葉を選んで、あえて芝居がかった言動で挑発している。
「舐めやがって! ぶっ殺してやる!」
半グレ風が唾をまき散らしながら叫び、右手をヘルムに突き出す。
ヘルムの足下に細長い鉄の溝が現れると、そこから巨大な丸鋸が飛び出して回転しながら向かっていく。
「真っ二つになりやがれ!」
「やれやれ、身の程知らずが」
ヘルムが一瞥すると丸鋸も細長い溝も消失した。
「えっ?」
呆気にとられる半グレ風。
今何をしたのか見えなかったぞ。罠が発動して、瞬時に消えた。そうとしか表現できない。
「皆様のTDSはこちらの世界では加護と呼ばれている能力なのですが、私は有りと有らゆる加護を無効化する加護を所有しています」
早々に本人の口からネタばらしをしてくれた。
無効化の加護ときたか……。能力系バトルにおいて、最強の一角とされることが多い無効化。
とある有名なラノベの主人公も同じような力を所有していたな。
それを親玉が所有している、と。厄介すぎるだろ。俺の必殺の一撃である《矢印の罠》による又裂き刑もヘルムには通用しないということか。
「さて、無礼を働いた者には罰を下す必要がありますな」
直立不動で無言だった白いタキシードの男が初めて口を開く。
全員が注目する中、右腕を掲げると無造作に振り下ろした。
瞬間、半グレ風が脳天から真っ二つに――裂けた。
「ひっ!」
誰かの息を呑む声がした。
倒れ伏した死体の切断面から大量の血が流れ、絨毯の赤をより赤く染めていく。
死体を見て泣き喚くほどの精神を乱される者はこの場にいない。これまで生き残ってきたということは、凄惨な死体を何度か目の当たりにしてきた、ということに他ならない。
しかし、今の一撃……何も見えなかった。加護の力なのか魔法なのか、それとも別の手段なのか。それすらも判断できない。
ただ一つ理解したのは、この男がとんでもない強者だということ。
「リヤーブレイス、やり過ぎだ」
「差し出がましい真似をして申し訳ありません」
ヘルムに叱責されたリヤーブレイスと呼ばれた男は、謝罪の言葉を口にして後方へと下がる。
一見、怒りのあまり暴走したように見えるが、この場を沈めて圧倒的な力を見せつける絶好の演出。何もかも計算尽くで行動したのではないか。
「はあ、老人は沸点が低くて困るぜ。おーい、いつものように死体処理、よろしくー」
この場に相応しくない明るい声で命令するバイザー。
マスクを装着した制服姿の一団が音もなく現れると、手際よく死体を袋に詰めて、絨毯や床に飛び散った血を、掃除道具や魔法を使って綺麗に清掃していく。
三分にも満たない時間で元通りになったのを確認すると、その一団は素早く立ち去る。
あまりにも異質な展開の連続に口を挟むどころか、瞬きの一つも忘れていた。ただ、呆然と眺めていただけ。
「このように守護者の皆様が殺した相手も、我々が綺麗に処理していたのですよ」
にこやかに微笑む女王ヘルムの顔が文字通り悪魔に見えた。
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