第86話 六日目終了、七日目の始まり
夜も更けて、姫様一行が眠りについて数時間が経過している。
見張り担当の負華も爆睡しているが、起こさずに寝かせておこう。
就寝している一行は喉輪が《ブロック》で作った簡易の家で眠っている。家と言っても黒く真四角の箱。ネット上で豆腐建築と揶揄されている、デザイン性が皆無の建物。
当人曰く「凝った家も建築可能ですよ」とのことらしい。
俺はその黒豆腐の屋上に寝そべっている。
隣で同じように寝転がり夜空を眺めているのは聖夜の格好をした雪音。
ずっと、聖夜の口調や言動を真似て過ごしているが、様になっていて無理している感はない。日頃から互いの振りをして、入れ替わっていたりしたのだろうか。
「要さん」
「ん、なんだい?」
ずっと沈黙を保っていた雪音が体ごとこっちに向くと、じっと俺を見つめている。
聖夜にしか見えない外見をしているから、死に対するショックがかなり和らいでいるという事実。もしかして、雪音はそれも狙っているのかもしれない。
「昨日、向こうで聖夜に会ったんですよ」
一瞬なんのことがわからなかったが、直ぐに言葉の意味を理解した。
そうか、現実に見せかけた日本での生活は夢の世界。そこには死んだはずの聖夜が普通に存在する。
俺も死んだ姉と母に再会した。雪音も同じ状況なのか。
「ゲームオーバーになって要さんたちに会えなくなるのを残念がっていましたよ」
「そっか、俺も寂しいよ」
その言葉を口にしただけで、閉じ込めていた悲しみがあふれ出て泣きそうになるが、ぐっと堪える。
「今度、リアルでも会いませんか。きっと……聖夜も喜ぶから」
「そうだね、会いたいな」
それが虚像で夢だと知っていても、会いたいよ聖夜。
「朝になったらまた現実に戻るのかー」
残念そうな口振りだが、その表情は今にも泣きそうだ。
死んだ兄に会える喜びと悲しみがこみ上げてくるのだろう。何かしてあげられることはないか。少しでも悲しみを癒やしてあげられないか……。
「今日は少し肌寒いね。よかったら、側に来るかい?」
「うん」
俺と体を密着させるぐらい近くまで来ると「頭が痛いので腕枕」と要求してきた。
苦笑して腕を伸ばすと、頭を乗せて俺の胸に顔を埋める。
聖夜の代わりは無理かもしれないが、父と子ほどの年の差がある彼女の支えになってあげたい。
声を殺して泣いている雪音の背中を優しく擦りながら、朝になるのを待った。
目が覚めると……もう、この下りはいいか。
自室のベッドから起きると洗面台に向かい顔を洗う。
鏡に映るのは冴えない男の濡れた顔。これといった特徴がない顔をしているが、
それなりの高校生活を経て大学もまあまあ楽しんだ。就職して平凡な日々を過ごす筈だったのだが、強盗殺人に遭遇して母と姉を亡くし、VRゲームにハマったと思ったら異世界転移して殺し合いに参加。
……平凡とは?
鏡に映る自分に心の中で問いかけるが、答えが返ってくることはない。
「よーし、ご飯でも作るか」
いつも通り台所に立ち、自分の朝食を用意して紅茶も入れておく。
カップに紅茶を注いだタイミングで姉と母がリビングにやってきた。
「おはようさん」
「ぐっもーにん」
「おはよーう。いつも偉いねぇ」
陽気にカタカナ英語の発音で挨拶をする姉と、目元を擦りながらポヤーとした顔でこっちを見る母。いつもの席に座ると紅茶をすすっている。
俺はちょっと贅沢に仕上げた朝食を取りながら、今日は何をしようかなと思案していた。
「ねえ、なんか優雅な朝を過ごしているみたいだけど……大丈夫なの?」
「何が?」
「今日月曜日よ? 仕事は?」
「……あっ」
完全に忘れていた。この世界は現実と同じように月日が流れている。
現実の振りをしながらも夢だと知っているので油断していた。
「早く言ってよ!」
慌てて身だしなみを整えて会社に行く準備をした。
実際のところ、仕事をさぼったところで問題はない。ここは夢なのだから。
だけど、今はまだ現実世界だと信じている振りを続けなければならない。
「行ってきます!」
玄関の扉を開け放ち、駆け足で駅まで向かった。
何の問題事も発生しない比較的に楽な業務内容をこなし、定時で退社。
夢の中での生活はアクシデントや嫌なことが発生しないので、かなり過ごしやすい。夢を担当しているサキュバスのポーが気を遣ってくれているのだろう。
そういえば、担当のポーにはバイザーから話が通っているらしいので、願望を口にしたら問題なく叶えてくれるのでは?
夢とはいえ感触もあるし、現実との違いがほとんど感じられない。
異世界ではかなりキツい環境で過ごしているのだから、夢の世界ぐらいは楽しんでも罰が当たらないのでは?
帰宅途中の電車内で色々と妄想してしまう。
やりたいことか。夢だとわかっているので虚しさはあるが、そこは割り切って楽しんでもいいはず。
まず、エロいシチュエーションが頭に浮かんだのは仕方がないと思う。男ですから……。
アダルトな作品では都合良く、好みの女性に惚れられて、あれやこれやなんて展開はよくある。
願望の塊のような展開をリアルな夢で再現できるのか。担当のポーはサキュバスなのだから、そっち方面の話はお手の物だろう。
だけど、全部見られているんだよな……。ポーや下手したらヘルムや他の魔王国の人に見られるのか……。
露出癖がある人なら逆に興奮するかもしれないが、俺にそんな趣味はない。残念だが自重しよう。
こんな馬鹿げたことを考えていると、少しだけ気が紛れる。
聖夜の死は思ったよりも大きな傷を心に刻んだ。
また、守れなかった。この事実が背に大きくのしかかり、心を押しつぶしそうになる。
守ると誓ったのに、俺は……。
その場に居なかったからどうしようもない、と心では理解している。だけど、それでも、何かできたのではないか。ずっと自責の念に駆られている。
「はあぁぁぁ。やめだ、やめ。ゲームのことで真剣に落ち込みすぎだろ」
あえて口にすることで、あの世界はゲームなのだと本心を誤魔化して慰める。
残された雪音や頼りない負華。それに喉輪や楓。今は明も仲間となった。守るべき人は多い。
今度こそ俺はみんなを守り抜くことができるのだろうか。
いずれ、一人しか残らない結末に向かっている状況で全員を守る術なんてあるのか?
その問いに答えがないとわかっているのに、考えることをやめられなかった。
「で、ここ何処だ?」
目が覚めると、よくわからない場所にいた。
視線の先には天井が見えるのだけど、そこには巨大なシャンデリアがぶら下がっている。状況が掴めないので、一旦、目を閉じて頭を働かせる。
家に帰って晩ご飯を食べて、風呂に入って、いつものようにVRゴーグルをセットしてベッドに寝転んだ。
ここまでは間違いない。その後、眠ると同時にこの異世界で目覚めた……はずなのだが。
目蓋を開いて、もう一度確認するが、やっぱりシャンデリアが見えた。
他に気付いた点は後頭部にクッションの効いた枕の感触。全身が埋まるようなふかふかとした寝心地。
どうやらベッドの上に転がっているようだ。
そのまま顔を右へ傾けると、口の端から涎を垂れ流している負華がいた。
「んーーー。ん?」
理解が追いつかない。まさかこれは朝ちゅんというシチューエーションなのか?
酔った勢いでことに及んで目が覚めて焦る、なんて展開はドラマや漫画で何度も見てきた。
自分の体をまさぐってみると服は着ているし、負華もいつものジャージ姿。アダルトな展開ではないらしい。
冷静になるために反対側に寝返りを打つと、そこには雪音とその奥に楓の姿も見える。
広いベッドの上に俺と負華、雪音、楓が添い寝状態。ここまで非現実的だと逆に冷静になれた。
「寝ている間に魔王城に到着して、客室に運ばれたって感じか?」
「ご名答。つまんねえな、もっと焦ってくれよ」
独り言に対して返事があった。
聞き覚えのある声だったので、上半身を起こして声の方へと体を向ける。
ベッド脇の椅子に座り、大股を広げてニヤついた顔でこっちを眺めている男と視線が合う。
「なんでここにいるんだ……バイザー」
「そりゃ、俺様の仕事場だからな」
「魔王城なのかここは」
部屋中を見回すと家のリビングとダイニングを合わせたよりも広い室内。
見るからに高級そうなソファーやテーブルがあり、左手側にある巨大な窓はレースのカーテンで覆われ、抑えられた光が透過している。
よく見るとソファーの上では明と喉輪が眠っている。俺以外の仲間は熟睡しているようで起きる気配がない。
「ちょいと操作して
「現状は把握したよ。で、話があるんだよな?」
「話が早くて助かるぜ。まずは状況説明だ。ここは魔王城の一室。
「ある程度……ね」
変装でもしない限り、司会進行役のヘルムと女王ヘルムが同じなのは一目瞭然。
もしかして、ここが本当の異世界というネタばらしもするつもりなのか? いや、そうすると守護者たちからの反感を買い、敵対するのはわかりきっている。そんな愚かな真似はしない……よな?
「褒美やらお礼もくれるんじゃねえか。それよりも、本命なのはその後だ。何が起こるかはあえて口にしねえが覚悟はしておいてくれ。なんとか俺も抵抗して最悪の展開だけは避けるようにしたが」
珍しくバイザーが言葉を濁している。
警戒心は高まるが、内容がわからない限り対処のしようがない。
「まあ、いきなり殺されるとかじゃねえよ。何かあるのは早くても明日以降の話だからな」
フォローしているつもりらしいが、その言葉を聞いても安心はできない。
だけど、彼の言う通り心構えだけはしておこう。
「っと、そろそろヤバいか。俺は撤退するぜ、またな」
バイザーは椅子から勢いよく立ち上がると窓を開け放ち、外へと飛び出した。
ベッドから下りて窓際まで移動すると、ここは二階にあるようで結構な高さがあった。眼下には手入れされた庭園が広がっていて、そこを歩くバイザーの背が見える。
忠告に感謝しながらベッドに戻り、目を閉じて寝たふりをしておく。誰かが目を覚ましてから、今起きた振りをしたらバレないだろう。
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