第79話 五日目終了、六日目の始まり
夢の中で目が覚めると同時に装着しているVRゴーグルを外す。
いつものようにベッドの上で寝転がっている自分。
部屋の様子は変わりなく家具の配置が変更されている、なんてこともない。
寝起きの爽快感はある。だけど、これは夢の世界。
わかっているのに騙されそうになる。
命懸けのゲームの方が現実で、現実だとしか思えない今が夢。
手を握りしめ、軽く柔軟をする。
思い通りに体を動かせて感覚だってある。だというのにここは……。
「はああああぁ。昨日のゲームは激し過ぎた。体の疲れは取れたけど、精神がどっと疲れたよ」
普通ならただの独り言なのだけど、今はこれを見張っている魔王国の連中に向けての芝居だ。常に監視され見られていることを意識しつつ、自然に振る舞う。
未だになれないけど命懸けの芝居だ。やるしかない。
いつもの格好に着替えている最中にふと思い出す。
「あっ、今日は日曜か」
この呟きは素だ。
夢の世界は現実のように月日が流れ暦も存在する。なので、今日は休日の日曜日。
ビルメンテナンスの仕事は土日もあるのだが、役職を与えられてからは土日を休める日が増えた。
まあ、夢の中なのだから仕事をさぼったところで誰に咎められることもないけど。
台所に向かい、いつものように朝食を作っている最中に姉と母が登場。
相変わらずの寝起きの悪さで、寝ぼけ眼を擦りながらリビングのソファーに座っている。
「おはよう」
「おーはーよーぅ」
「いつも早いねー」
母と姉と朝の挨拶を交わす。
紅茶を入れてダイニングのテーブルに置くと、もっさりとした動きでソファーから移動してきた。
「やっぱ、朝は紅茶に限るわ」
「息子が入れてくれた紅茶を飲む至福の時間……」
二人がカップを手に取って口を付ける。
そこでようやく目が覚めてきたのか、顔からけだるさが抜けていく。
「んーーっ。さーて、今日は休日だけど何しよっかなー。あんたは予定あるの?」
「ん、俺? そうだな。家事は昨日まとめてやったから、何処かに遊びにでも行くかな」
「あら、珍しい。休みの日は家でゴロゴロするのが多かったのに」
姉に話を振られ適当に答えると、母が驚いた顔をしている。
確かにいつもなら引きこもってゲームか読書をすることが多い。だけど、今日はそんな気分になれなかった。
あちらの世界で聖夜と雪音と楓の安否が不明なままログアウトになったので、今も気が気じゃない。
「そうだ……。姉ちゃんは佩楯ツインズって知ってる?」
ふとした疑問と実験を兼ねて姉に訊いてみた。
「あんたと違ってそれなりに流行には気を配っている」
と、よく口にしていた姉なら二人のことを知っていても不思議じゃない。
「あー、あの兄と妹の双子モデル? 二人ともお人形さんみたいに顔が整っているわよね」
「お母さんは知らないけど、美人さんなの?」
姉がスマホを操作して佩楯ツインズの写真を母に見せている。
「あら、金髪なのね。髪の毛染めているのかしら」
「お父さんがドイツ人みたいよ」
そうなのか。日本人離れした顔だとは思っていたけど、その情報は知らなかった。
ゲームが忙しくて必死で二人のことは……あまり知らない。家族構成も日々をどのように過ごしているのかも。
嫌われてないとは思うけど、もう少し二人のことを知る努力をするべきかもしれないな。命を預けて戦う仲間なのだから、互いにもっと歩み寄ってもいいはずだ。
負華については……色々知っている、というか強引に聞かされた。家事が苦手で日々だらだら過ごしていて、兄の家に転がり込んでいるニート。
追い出されたときの新たな寄生先を求めていて、俺がその候補に上がっていることも。
寄生するも何も我が家には姉と母が居るし、そもそも、ここは現実じゃない。
「無駄な努力か」
負華だってそれを理解した上で、俺と同じく今まで通りの自分を演じているのだろう。……何も考えずに振る舞っている、という可能性も捨てがたいが。
「どうしたの、なんか難しい顔して」
「ちょっと考え事がね」
「悩みがあるならお母さんに話してみなさい。こう見えて学生時代はクラスのまとめ役だったんだから」
姉と母が目を輝かせて迫ってくる。
心配よりも好奇心が勝っているのが見え見えだ。
けれどこれも、俺の記憶を元にして魔王国のサキュバスが作り上げた幻影。わかっているのに、会話を楽しんでしまっている自分がいる。
「大丈夫だよ。そんな大事じゃないから。さーてと、公園にでも行って読書してくるよ」
しつこく聞き出そうとする母と姉から逃げるように家を出て、近くの公園へと向かう。
なんか、今日の母と姉には違和感があった。言動にわずかな差違というか、言い回しにちょっと引っ掛かる感じがある。
もしかして、俺の夢を担当しているポーとかいう人とは違う人がやっているのだろうか?
だとしたら、突飛な行動をしたら困らせてしまい、致命的なミスを誘うことになりかねない。
表向きは俺がこの夢を現実だと誤認していると魔王国側に信じさせる必要がある。なので、動揺してボロが出ないように立ち回る必要が出てきた。
なんで、騙されている方が気を遣う必要があるのか。
思わず苦笑してしまうが、今日は大人しく過ごすことを決めて、公園のベンチに腰を掛け読書を始めた。
結局、あれからだらだらと日曜日を消化してゲームの時間となり、またこの世界に戻ってきた。
目が覚めるとそこは殺風景な荒野。俺はすり鉢状に凹んだクレーターの中心部にいる。
辺りを見回すが、まだ誰も来ていないようだ。
てっきり、砂漠の高台にあった砦から始まるのかと思っていたが、強制転移させられる前のクレーターから開始だとは。
確かあの時にいたのは俺と負華、聖夜、雪音、喉輪、楓……だったな。そういや、立挙と男子生徒三人も一緒にいたはずなのに、いつの間にか姿を消していた。
佩楯ツインズのファンらしく、ファンとしての距離感を大事にしていたから用が済んだので、素早く撤収したのだろう。
あの後、俺と負華と喉輪の三人は高台の砦に飛ばされて一緒に防衛。そこにフードコート……じゃなくて、
四人でなんとか守り切ったのはいいけど、離れ離れになり連絡が付かなくなった聖夜たち三人がどうなったのか。
夢の中でもそれが心配で何をやっても集中できず、読んだ本の内容もほとんど覚えていない。
嫌な想像が頭をよぎるが、すべて振り払う。当人に会えばわかること。もう少し待てばみんながやってくる。
すると、目の前に青い光が集まって二人が姿を現した。
いつも通りピンクが目立つジャージ姿の負華と、スーツを颯爽と着こなす喉輪が揃って立っている。
「おや、肩上殿が一番乗りでござったか!」
「そんなに私と会うのが待ち遠しかったんですか?」
大げさに驚く喉輪と、ニヤついた顔で俺の頬を指で突く負華。
「初っぱなにこの二人は胸焼けするな」
「どういう意味でござるか⁉」
「レディーに対して失礼では⁉」
ぐいぐいと迫ってくる二人の顔面を鷲掴みにして遠ざける。
朝っぱらからウザ絡みするのはやめて欲しい。
だけど……さっきまでの暗い気分がすべて吹き飛んだよ。ありがとう。
心の中で感謝の言葉を述べておく。口には出さないけど。
「お三方はまだのようでござるな」
「あーほんとだ。遅刻だね! まったく、来たら説教しないと」
二人はいつものように振る舞っている……ように思えたが俺の周囲をぐるぐると歩き、落ち着きがない。
俺と同じく心配で仕方ないのだろう。
もしかして、このまま三人が来ない。という最悪の未来を想像してしまって。
「まあ、のんびり待とうよ。暇なら何か――」
今度は俺が二人を和ませようとしたタイミングで、新たな青い粒子が噴き出してくると人型へとまとまっていく。
一人目はヘソ出しのシャツにローライズの短パンで、かなり露出度が高い格好の女性。大阪弁が特徴的な楓だ。
「おはようさん」
軽く手を上げて挨拶する楓の声に元気がない。
いつもならもっと明るく陽気な感じなのだが。
次に現れたのは金髪碧眼が目立つ美形。最近流行っているらしい髪型をして、無地の白シャツの上にカーディガンを羽織った格好だ。
「聖……夜、君?」
どこからどう見ても聖夜で間違いのない見た目をしているというのに、断言できない自分がいた。
髪だって短い。顔も服装も聖夜。だけど、何か違和感がある。
「一日合ってないだけで凄く久しぶりに感じるー。元気にしてた聖夜君?」
負華が満面の笑みで駆け寄ると、少し寂しそうに笑い返している。
その顔を見た瞬間、胸がズキリと痛む。
「うん、僕は元気だよ。お姉ちゃんは相変わらず元気一杯だね」
言葉遣いも聖夜。なのに……何かが……もしかして……。
それに、楓と聖夜が現れてからしばらく経つが、次が現れない。
もう一人、ここにいなければならない人物の姿が何処にも……。
「あれー、雪音ちゃんはまだ来てないみたいだけど体調不良なのかな? 今日はゲームお休み? あー、女の子の日なのかも。ごめんね、変なこと聞いちゃって。聖夜君は体の調子はいいの? 何かあったらお姉ちゃんに相談するんだよ?」
負華は相手が口を挟む暇がないぐらい早口で話している。この世界がゲームではなく現実だとわかっているからこそ、不穏な空気を感じ取っての言動か。
「負華、負華、困ってるだろ」
「あっ、うん。ごめんね」
沈黙を保ったままの佩楯と負華の間に割り込み、相手の瞳をじっと見つめる。
その瞳は俺の方に向いているが、何も見ていないかのような空虚な瞳をしていた。
隣に並んで立っていた楓は顔を背けて肩を震わせている。
二人の様子を見てすべてを……察してしまった。
俺は思わず強く抱きしめると「辛かったね、雪音」と涙を堪えて呟く。
「要……さんっ! う、ううううううううああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
咆哮のような慟哭が荒れた大地に響いていた。
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