第75話 逆境

「どうした、何があった!」

「敵が壁の内側にいきなり現れた!」

「馬鹿なっ! 見張りは何やってんだっ!」

「おい、砦の壁を登ってきているぞ!」


 屋上にいる守護者たちが胸壁から身を乗り出し、下を覗き込んでいる。

 僕たちも同じように視線を向けると、墜落させたアンデッドの死体が見えた。それ以外におかしな点は……あれか!

 死体脇の地面に大きな穴が開くと、そこから鼻が長く両手の爪が異様なほどに鋭く伸びた魔物が現れた。

 あの姿はモグラだ。大きなモグラ型のアンデッドが地面を掘り進んできたのか⁉


「敵は穴を掘ってそこから壁の内側に入ってきている!」


 大声を張り上げて現状を伝えた。

 現在進行形でモグラの空けた穴から無数のアンデッドが湧き出ている。

 その穴は一つじゃない。目視できるだけでも四つ。

 砦の周囲が同じような状況だとしたら。

 想像した瞬間、悪寒が全身を駆け巡った。

 ヤバいなんてもんじゃないぞ。


「西側は任せてくれ! 他は頼んだ!」


 振り返りもせず、地面に予め設置していた《電撃床》《棘の罠》を起動させる。

 まず、モグラ型を棘で貫き穴の増殖を防いだが、これだけ穴が開いている状態だと焼け石に水か。


「諦めるのは早いよ、聖夜」


 定位置となっている僕の隣に並ぶ雪音が肩を強く叩く。

 砦の壁から炎が噴き出し、無防備に近づいてきていたアンデッドを丸焼きにする。

 雪音の《火炎放射》は効果的なようで次々と焼かれ倒れていく。


「高所からの狙撃は最強なんやで!」


 降り注ぐ矢の雨がアンデッドの脳天を貫き、物言わぬ死体へと戻す。

 更に地面に開いた穴に爆弾が放り込まれ爆発。その威力で土砂に埋もれていく。


「私たちは爆弾で他の穴も塞いでいきます! こちらはお任せしますので!」


 次々と穴を処理していく男子生徒Cが投げる《爆弾》。高校生四人組と《爆弾》の加護を持つ女性が一緒になって、北側へと向かう背が見えた。

 彼らのおかげで西側の穴は全部埋まった。僕たちは既に地上へと出てしまったアンデッドの処理をするのみ。

 ここには僕と雪音と楓しかいない。

 恐怖と心細さに足がすくむ。……今になって要さんの重要さを実感するよ。

 初見は頼りなさそうで特徴のない人に見えたけど、知らない間に大きな存在になっていたんだな。


 父親を知らない僕や雪音は、要さんを理想の父親像と重ねていたのは自覚している。

 感じたことのない父性。頼れる大人。

 ……まあ、雪音はもう一つ別の感情がありそうだけど。

 ちらっと横目で雪音を見ると、必死の形相で敵を撃退している。

 ずっと側にいたけど、こんな姿は見たことがない。僕と似ている妹。学力も身体能力もほぼ同じ……だと思われているがそうじゃない。

 本当は妹の方があらゆる面において優れている。学力も運動も僕に合わせて力を抑えているんだ。

 それを知っているけど、僕はずっと黙っていた。その気遣いを嬉しいと思う反面、悔しくて。


「聖夜、何ぼーっとしているの。油断は命取りだよ!」

「あっ、そうだな! さっさと片付けて他を援護しないと」


 こんな状況で何を考えているんだ。

 もっと集中しろ。生き延びて、要さんたちと笑い合うために必死で足掻け!

 アンデッドたちは降り注ぐ矢の雨をなんとか凌いで砦の壁に到達しても、壁に設置している《火炎放射》の炎で焼却処分されるだけ。

 炎を乗り越えたとしても、壁から突き出てきた棘に貫かれて一網打尽。

 《棘の罠》を壁に設置できるように強化したのは正解だった。

 僕たちが担当している西側は怖いぐらいに順調で敵の数は残り二体……いや、ゼロに変更だ。


「こっちは終わった! 次は北と南どっちに行けば⁉」


 屋上に視線を向けて、必死に抵抗する守護者たちの様子を確認する。

 東正門は一番人が多く、立挙たちの後ろ姿が見えた。

 次に北側に目をやると四人で対処しているが、少し余裕があるような感じだ。

 最後に南を見ると……六人の男女が取り乱している。


 頭を抱えて何かを叫ぶ人。

 地面の方を指差して怯えている人。

 仲間に檄を飛ばし奮い立たせようとする人。

 距離があるのにパニック状態なのが見て取れた。

 雪音、楓と目を合わせて頷くと、一斉に駆け出す。

 もちろん、行き先は南側だ。


「どうした、大丈夫か?」


 一番取り乱している女性に駆け寄り、肩に手を添えて声をかける。

 涙目の女性が俺に振り返ると、震える指で胸壁の向こう側を指差す。


「壁に、壁に、壁に」


 それだけを繰り返す女性。

 質問は無駄だと悟った僕たちは一斉に胸壁から身を乗り出して、下を確認した。


「ひっ」


 人は本当の恐怖に直面すると悲鳴は出ない。そのことを初めて知った。

 視界の先にいたのは異形の化け物。

 一見巨大な蜘蛛なのだが、その体のすべてが人間のパーツで作られている。

 長い足は人間の手や足を繋ぎ合わせたもの。

 体は人間の胴体を集めて混ぜ合わせている。

 極めつけは頭。老若男女問わず集めた頭を適当にくっつけて丸めた何か。


 それが砦の壁に貼り付いて、僕たちを見つめている。

 異形の化け物から目を逸らしたいのに逸らせない。

 恐怖のあまり正しい呼吸法すら忘れ、荒い息が漏れるだけ。

 足下から這い上がってくる恐怖が脳天まで突き抜け、全身が激しく震えて立っているのがやっとだ。

 逃げたい、逃げ出したい。

 恥も外聞も投げ捨てて、ここから離れたい!


「聖夜! しっかりして!」


 パンッ、と強い音がしたかと思えば頬が痛い。

 何も考えられずに横を向くと、涙目の雪音がいた。


「一緒に生き延びるんだよね! だったら、あんなのにびびってちゃダメ! お兄ちゃん、しっかりしてよ!」


 涙を拭い無理に笑う雪音。

 お兄ちゃん、なんて言われたのは子供の頃以来だ。

 昔は僕を頼って、甘えて、引っ込み思案な妹だった。それがいつの間にか対等になり、追い越されそうになったら……雪音はそこで立ち止まった。

 僕に合わせて歩くようになり、今に至る。

 対等の存在だと信じて妹を演じたりもした。だけど、難なく僕になりきる妹とは違い、僕は雪音にもなりきれなかった。

 いつか離れ離れになる。妹は僕から離れていく。

 その現実が悔しくて悲しくて、それでも受け入れようと、最後にしようと、このゲームに誘って一緒に楽しむ……予定だった。

 それがこんなことになってしまって。


「ごめんな、雪音。お兄ちゃん頑張るよ!」


 勇気を振り絞るんだ。

 雪音だって怖いのを我慢して堪えている。

 だったら、兄として振る舞うときだろ。強がりでもいい、演技でもいい。

 理想の兄を演じろ。

 頼れる大人……要さんのようになるんだ!


「楓さん! 楓さん!」


 放心状態の楓さんの肩を揺さぶった。

 はっとした表情になって、俺の顔をまじまじと見つめている。


「何も考えずに《サイコロ連弩》を並べて下に向けて撃って」


 こくこくと頷くと屋上の縁に《サイコロ連弩》を並べる楓。

 あれだけの巨体だ。適当に撃ったとしても必ず当たる。見たら正気を失うのであれば、見ずに攻撃すればいい。

 三台の《サイコロ連弩》の内、真ん中のサイコロが六と六を出している。最大値の三十六連射。これなら期待できるかも。

 大きく息を吸って覚悟を決めてから、再び下を覗き込む。

 多くのうつろな目が僕を捉えて放さない。


 歪に長い足が砦の壁に貼り付き、ゆっくりと上っている。

 体の形は見せかけだけではなく、蜘蛛のような動きも可能なのか。

 見ずに発射された無数の矢が地面に向けて降り注ぐ。

 照準が合ってないのに何本もの矢が体と足に突き刺さった。

 だけど……這い上がる速度が落ちない。


 一撃の威力不足か。負華お姉ちゃんの《バリスタ》なら、かなりの痛手を与えられただろうけど《サイコロ連弩》の連射力は大した物だけど攻撃が軽く、矢が浅く刺さる程度。

 アンデッドは痛みを感じない。だから、それで怯むこともない。

 壁に《棘の罠》を貼り付けて発動。飛び出した無数の棘が異形蜘蛛の腹を突き刺す、筈が棘の先端は空を貫く。

 あの異様に長い足が壁を蹴り、真横へと飛んだ。


 重力に逆らうような動きで避けたが、その巨体が地面に落ちることはない。

 前足の二本が異常なまでに細く伸びて、胸壁の縁を掴んでいる。

 ヤバい。……これはヤバい。

 先の展開が読めてしまった。


「敵が上ってくるぞ!」


 俺が言い終わると同時に異形蜘蛛が壁を蹴り、伸びた前足二本が急速に縮まり、その巨体が一気に押し上げられる。

 そして、胸壁の縁に降り立った。

 異形蜘蛛を目の当たりにして腰を抜かす守護者たち。


「あっ、あっ、あっ、あああああああ……あ」


 声にならない声を漏らしていた守護者の一人が蜘蛛に捕まり、高く持ち上げられた。

 すると異形蜘蛛の背中がぱっくりと割れて、細かい歯が無数に生えた口が現れる。

 僕たちが止める間もなく、巨大な口にその守護者は放り込まれてしまう。

 ぐちゃぐちゃと不快な咀嚼音が響く。

 その姿に戦意喪失した守護者が数名。腰が抜けたのか、座り込んだまま後退っている。

 守護者を一人、また一人捕まえては貪る異形の蜘蛛。

 体は冷え切っているのに鼓動はうるさいぐらい激しく動いている。


 考えろ。考えろ。要さんならどうする? 


 何か機転を利かせて対応してくれるはずだ。

 楓は地面にへたり込み、雪音は楓に寄り添うように座り込み、戦意を失っている。

 他の守護者たちはこちらの状況に気付いているが、自分の持ち場を守ることで手一杯のようで助けに来る気配がない。

 今、まともに動けるのは僕だけだ。僕だけが……妹を守ってやれる。


 どうする、どうすればいい。


 また《棘の罠》を試すか?

 いや、壁際ですら飛んで避けて見せた。足場がしっかりとした屋上なら容易く避けられてしまう未来が見える。

 なら《電撃床》は……無理だ。そもそも威力が弱いし、アンデッドに電撃が効果的だとは思えない。

 他に何か使えそうな物はないのか。

 土台の上に置かれたボウガンのようなデザインの《サイコロ連弩》は地面を向いたまま。

 楓も雪音も指示をすればTDSの発動はしてくれるだろうが、正確に狙いを付けるのは今の状態では難しい。

 絶体絶命の危機。


 だから、諦めるのか?


 そうじゃないだろ。兄として奮起する絶好の場面じゃないか。

 奮い立たせろ! なけなしの勇気を振り絞れ!


「僕はお兄ちゃんだ!」

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