本編の始まり

第26話 プロローグ

 体育館ほどの天井高と広さがある巨大な部屋。


 壁と天井は白で統一され、廊下に面した壁には扉が二カ所。左右に離れた扉の間には廊下から覗けるように、大きめの窓がずらりと並んでいる。


 室内にはシンプルなデザインのベッドが規則正しく、縦横に十ずつ並べられ、その数はちょうど百。


 ベッドの上には多くの人々が眠っている。年齢に統一性はなく性別は男性が七割、女性が三割。


 いくつかのベッドは空いているが、半数以上は埋まっている。




 人々が寝ているベッドの脇には丈の短い黒い制服を着た女性が座り、眠っている人の額に手を当て意識を集中していた。


 壁際の隅に位置するベッドの脇で、足を組みながらあくび交じりに仕事をこなす者がいる。


 そんな女性の背後に忍び寄る人影が一つ。




「ポーさん、勤務中ですよ。それに、貴女たちの制服は短すぎませんか?」




 黒縁の眼鏡にしわ一つ無い制服。ビシッと背を伸ばし、手には書類の束を抱えていた。


 服装と姿勢と言動から彼女の生真面目さが伝わってくる。




「ちーっす、ルドロン。サキュバスは露出してなんぼっしょ」




 ポーと呼ばれた彼女は対照的に胸元のボタンをすべて外し、こぼれ落ちそうな乳房を隠そうともせず、無頓着に体を揺らしている。


 本来の制服から袖を無くし、腹回りも大胆にカットしているのでかなり露出度が高い。


 下はローライズのショートパンツなのだが布面積が少なすぎて、下着が少し見えている。


 ウェーブがかかっている桜色の髪は肩に掛かっていて、手入れもほとんどしていないのに艶があり、動く度にふわふわと柔らかそうに跳ねた。


 豊満な胸と桜色の髪を羨ましそうにじっと見つめるルドロン。




「ルドロンは相変わらず固いねー。メデューサだけにぃ?」


「何、上手いこといってやった、みたいな顔をしているのですか。まったく」




 ルドロンが肩を落とすと、それにあわせて頭から生えている細長い蛇たちが頭を垂れた。


 ポーはサキュバスという種族で異性の夢に現れ誘惑し、精気を奪う悪魔。


 ルドロンは髪の毛の代わりに頭から蛇が生えている。祖先が大昔に人間から変化した魔物だ。その目を見た者は石に変えられるとう魔眼の持ち主で、暴発しないように今も目隠しを装着している。




「ねえ、目隠しの上から眼鏡掛けるの意味なくない?」


「気分の問題です」




 ルドロンは人差し指で眼鏡をくいっと上げると、鼻を鳴らした。




「そんなことより、79番の様子はどうですか?」


「幸せな夢見てるよー」


「そうですか」




 二人が視線を向けたのはベッドで眠っている男。


 これといって特徴はないが悪くはない顔立ちをしている。若者と呼ぶには無理があり、壮年と呼ぶには若い、そんな年齢に見える。




「ルドロン、番号で呼ぶのいい加減やめなよ。うちらの担当っしょ。名前で呼んであげないと仲間外れみたいじゃん」


「ポーさん、実験体と馴れ合う必要はありません」


「厳しいー。でも、でも、かわいそうくない?」




 額に当てているのとは別の手でポーは男の髪を撫でる。




「同情? ふっ、我々の家族を殺した異世界人の同胞ですよ」


「わかってる、わかってるけどさ……。この人は直接関係ないわけじゃん。敵は勇者なんだし」




 ルドロンは否定も肯定もせず、男へと顔を向けた。


 その瞳は目隠しで遮られて見えないが、忌々しげに睨みつけているのがポーにも伝わっている。




「ほら、あちしは夢担当、ルドロンはゲーム担当っていうか、起きているときの担当なわけじゃん」


「そうですね」




 サキュバスであるポーは当事者に現実と見分けの付かない夢を見させ、ルドロンは宝玉の操作や見張りを担当している。


 守護者と呼ばれる異世界人には一人につき、最低二人の担当が義務づけられていた。




「こうやって守護者の意識に触れて夢を操ってるとさ、やっぱ感情移入しちゃうわけよ。ルドロンだってそうじゃない?」


「それは、まあ。少しは……。死んでしまったら仕事がなくなってしまうので、できるだけ長く生き延びて欲しいとは思いますよ」




 彼女たちの周囲のベッドには誰も人がいない。そこには昨日までに脱落した守護者が眠っていた。




「79番……ごほんっ、肩上わだかみ かなめは頭もキレるようですからね。良いところまでいくのではないでしょうか」




 ポーに軽く睨まれると、咳払いをして呼称を変更した。




「だよねー。ワダカミっち、めっちゃ頑張ってるよね。仲間も順調に増えてるし。あっ、今度、ワダカミっちの仲間を担当している面々とお茶飲む約束してんだけど、一緒に行かない?」


「結構です。サキュバスの集まりは苦手なので」




 間髪入れず断るルドロン。




「わー、種族差別! 偏見はダメなんだぞー!」




 子共のように片手を振り回して文句を言うポー。男の額に添えたもう片方の手は外さずに。




「だって、エグい恋愛話と下ネタばかりじゃないですか」


「それがあちしらの生きがいだから!」




 ルドロンは大きなため息を吐いて頭を抱える。


 サキュバスにとって性は命に関わること。性行為やエロトークに羞恥心は必要ない。




「はあーっ、魔力ずっと流しっぱなしだとめっちゃ疲れるぅ。淫夢……じゃない、夢の長時間放映なんて、は、つ、た、い、け、ん」




 茶化して言ってはいるが、目元のくまを厚塗りのアイシャドーでも隠しきれていない。




「無料で、栄養と魔力たっぷりのポーションが配られているでしょ」


「まあね。くはああああぁ、この一杯のために生きている!」




 ベッド脇に備え付けられている机の上には何本もポーションが置かれている。


 そこに今飲み干したばかりの空瓶が追加された。




「まあ、あちしらもきっついけど、現場担当よりかはマシよね」


「そうね。守護者を誘導するための小細工やアイテムの配置もやっているから」




 要が滅びた町で都合よく看板を見つけられたのも、保存食が残っていたのも実行部隊のおかげだ。




「それよりもさ……わざと無能な振りをして殺されるなんて酷くない? ゴブリンさんたちなんて、コップリンって変な名前で呼ばれてさ」




 目を伏せて、ぽつりとこぼすポー。




「戦闘担当は志願者のみよ。自らが望んでやっているの。残された家族への手厚い保証はヘルム様が宣言されているわ」




 戦闘担当は守護者を密かに発見しても見て見ぬ振りを貫き、罠が配置されていると知っていても自ら罠を踏む。


 これもすべて守護者にゲームと思わせるための演出。


 無能を演じ、道化に徹し、この国の未来のために犠牲になった。


 ルドロンはそう割り切って考えようと努力している。せめてもと勇敢に散っていった同胞のために祈りを捧げる。




「ポー、無駄話はここまでにして集中してください。万が一にも夢とバレては計画が破綻してしまいます」


「はーい。でもさ、いつかきっと気づく人が出てくるよね?」


「洞察力に優れて勘が鋭い人なら近いうちに気づく、かもしれません」




 ヘルムや上層部もそこを危惧していると、ルドロンは聞いていた。


 意外と一番初めに気づくのは……そこまで考えて頭を振る。




「どうしたのルドロン。蛇がぶるんぶるん揺れてるよ」


「なんでもないです。私は休んできますね」


「おつかれー。あっ、エロい夢を見るコツを教えてあげ――」




 同僚の言葉を最後まで聞かずに、ルドロンは部屋を後にした。

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