第7話 無駄がない弓を叩き売る少女!

 10メートル前方の地面に、等間隔に突き立った五本の丸太がある。


 丸太の先端には、的に見立てた真っ赤なリンゴが一個ずつ置いてあり、今、愛すべき私の息子のクラインが、リンゴに矢を命中させようとしているところだ。


 クラインは精神を研ぎ澄ませ、ロングボウの弦をゆっくりと引き絞った。構えられた弓と矢には、寸分の震えも見られない。


 彼の指が弦から離れると、勢いよく放たれた一本の矢は、まるで吸い込まれるようにリンゴへと命中した。


 お見事と思う間もなく、クラインは腰の矢筒から素早く矢を取り出しつがえると、目にもとまらぬ速さで立て続けに発射する。


 精密かつ迅速な動作が五回繰り返された後には、矢を生やした三つのリンゴが地面に転がっていた。



「すごいぞクライン! 目にも止まらぬ完璧な速射だ! よくやった!」



 私は自慢の10歳の息子、クラインの金色の髪をくしゃくしゃと撫でた。


 立て続けに矢を射る速射技術は、遠距離支援を主とする弓術士としてマスターすべき事柄の一つである。しかし、高い命中精度を維持しつつも、目にも止まらぬ発射速度を実現するのは、中々に至難の業だ。


 それを、クラインは苦もなくやってのけた。


 なんと、たった10歳の若さで。


「お父さんのように、もっと続けて連射できるようになりたいし、それに、二発も外しちゃった……」

「才能だけではなく、向上心もある! お前はまだまだ伸びるぞ!」


 一等級冒険者である私の見立てでは、息子の腕前は既に一流の域に到達しつつある。


 数日前、獣狩りへ出かけた際には、クラインは巣穴から一目散に逃げる三匹の兎を瞬く間に狩り、迫りくる猪をたった一射で、無駄の無い弓捌きで仕留めてみせた。

 まだ10歳の子供だと言うのに、なんて末恐ろしい才能なのだろう。クラインのような子供を指して、人は神童というのだ。


 そんな常識外れの才能を持ちながらも、全く努力を怠らないクラインが、このまま成長して私と同じ歳――つまり三十五歳になる頃には、誰もが知る伝説の弓術士になっているのではないか? 


 絶対になっているに違いない!


「ねえお父さん、聞いてる?」


 息子の約束された輝かしい将来へと思いを馳せていると、とうの息子が私の袖を引っ張った。


「ん、どうしたんだい?」

「ああ、やっぱり聞いていなかった。さっきからお母さんが呼んでるよ」


 クラインの視線の先を見ると、呆れ顔をした妻、リーネが立っていた。


「リーネも見ただろう。クラインの天才的な弓さばきを! 凄いよなあ、神業だよなあ。まさに希代の弓使い、神の申し——」

「本当に凄かったわクライン。頑張ったご褒美に、今日の夕食はあなたの大好きなレーゲルワッツにしましょうね」


 妻は笑顔ながらにピシャリと私の言葉を遮った。そして私の手にメモを握らせながら、「じゃ、レオン。あなたには買い物をお願いするわね」と一言告げ、クラインには、「弓の稽古も大事だけれど、勉強もしないと立派な冒険者になれないわよ」とささやき、スタスタと家に戻っていった。

 


・・・・・・・・・・・・

 

 妻は、私を典型的な親バカだと言う。


 先日も、クラインがツノイノシシを一人で狩ったことを妻に伝えると、「クラインを愛するのはいいことだけど、あなたは愛に溺れすぎよ」と忠告された。

 それよりも前、これは何の時だったかは忘れてしまったが、「外でクラインのことを大げさに自慢するのはやめなさい!」と、コワイ顔でにらまれたこともある。


 なぜ妻があんな顔をするのか、そして私が友人たちに息子を自慢することの何がいけないのか、それが全く分からない。


 私は妻から渡された買い物メモを握り、オルメディアの商業区へと足を運んだ。食料品店をまわり、メモに書かれた野菜や魚を買い揃える。

 買い物は終わったが、時間的には少し暇があるので、「商人の川」へ立ち寄ることにした。


 商人の川は、「オルメディア商業ギルド」が管轄する、南北に伸びる大通りの通称である。正式名称は「自由商業区域」だが、誰もその名では呼ばない。


 商業ギルドの会員のみが開業できる商業区とは違って、商人の川では、法に抵触する品を扱わない限りは、誰でも商売を始めることが出来る。


 オルメディアの外からやってきた行商人達が、商業区では扱っていない珍しい品を売買することもあるために、商人の川で必要な物資を調達する冒険者は数多い。安いものを高く売りつけたり、低品質の物や偽物を平気な顔をして並べる商人も居るために、買い手側にもそれなりの経験が求められるものの、掘り出し物と出会う機会も少なくないため、私もこうして、時折足を運ぶことにしている。


 商人の川の名前の由来については、十年程前、私がまだ駆け出しの冒険者だった頃、異様に商売ごとに精通していた先輩から教わった。


「なあレオン。お前、なぜこの大通りが『商人の川』なんていう、センスの欠片もねえ名前で呼ばれているか知っているか? 知らねえなら教えてやるよ。行商人の露店がズラリと並んでいる様が、まるで川の流れのようだから『商人の川』と名づけられているんだ。おい、なんだその目は……予想がついていただと? まあ、考えるまでもなく、そのまんまだよなあ。きっと、どっかの脳筋の冒険者が言い出したのが、当たり前のように定着しちまったんだ。ん? 先輩だったらどんな名前を付けるかだって? おいおい、いきなり無茶ぶりするんじゃねえよ」 


「泳ぎの名手」と呼ばれたあの先輩は、冒険者稼業から手を引いた後、別の街へ移ったのだと人づてに聞いたのだが……彼は今、どこで何をしているのだろう。


 商人の川を半ばぐらい歩いたところで、鎧を着た筋骨隆々の男が、地面に突き刺さった白銀の剣を引き抜こうと奮闘している姿が目に入った。

 彼は丸太のような太い腕をピクピクと震わせ、顔を真っ赤に染めていた。限界まで力を込めているのが分かるが、肝心の剣は微動だにしない。

 彼の他にも男が二人いて、応援しているのか、それとも野次を飛ばしているのか、どちらともとれる声援を送っていた。


 2か月ほど前から商人の川に現れたあの剣は、街の人達から「不動の剣」と呼ばれ、今ではオルメディアの新名所となっている。


 毎日、力自慢達が我こそはと、こぞって不動の剣に挑みかかるのであるが、誰も歯が立たぬようだ。

 私も先日、不動の剣に挑んでみたものの、剣はピクリとも動かなかった。これはもう、大地と一体化しているのではないかと疑ったのを覚えている。


 ふと、クラインならアレを引き抜けるのでは、と頭によぎったが、苦笑いと共に自分を否定した。


 クラインは弓術の道を志しているのだ。そもそもの話、息子は剣に興味すら持たないに違いない。


 そんなことを考えつつ商人の川を歩いていると、


「今日ももどえらい掘り出しモンを持って来たで! その名も、『無駄がない弓』や。地味な名前やなあと侮るなかれ。使えばその真の価値を知ることが出来る、レアモン中のレアモンやで!」


 弓使いの私の耳をくすぐる売り文句が聞こえてきた。


 見ると、行商人達に混じって、赤い頭巾の女の子が声を張り上げている。年頃はクラインと同い年くらいだろう。まだ商売を始めるには幼過ぎるというのに、妙にこの場所に馴染んでいるように思える。


 これはまた、なんとも可愛らしい商人もいたものだと思ったが、彼女の前に置かれた弓を見るや、思わず目がクギヅケになった。


 これは、弓ではなく竪琴ではないか?


 いや、違う。竪琴を、無理やり弓に改造したかのような、珍妙な見た目なのだ。なぜか弦が5本も張られているし、おまけにレリーフまで彫られているが、引くときに重心を捉えやすい形で設計されていることや、全体のバランスなどに、使い手に寄り添った職人のこだわりを感じるのも事実である。


「実にユニークなつくりの弓だね。最初に見た時は、これは装飾用の弓かと思ったのだが、意外と実用的な作りのようだ」


 私が声を掛けると、少女はぱあっと笑顔を輝かせた。


「おおっ、こんなケッタイな形の弓の良さが分かるなんて、オッチャンは目が肥えてはるなあ。オッチャンの言う通り、コイツは変な見た目やけれども、武器としてしっかり使える弓やねんで。『無駄がない弓』っちゅう名前の、使うモンにだけ解る、すんばらしい機能を搭載した弓なんや」


……はて、「無駄がない」とは?


「無駄がないとは、一体どういう意味なのかな。他の弓とは違うのかい?」

「この弓はな、無駄の無さに関しては、そんじゃそこらの弓とは別格やで。なんせこいつは、『無駄がない』弓やさかいな。世界広しと言えど、これほど『無駄がない』弓は、他にはあらへんと言いきれるで!」


 間髪入れずに、全く答えになっていない答えが返ってきた。


「あの、『無駄がない』の意味を知りたいんだけれども……」

「意味も何も、『無駄がない』っちゅうのは、文字通り無駄がないっちゅう意味やで。一度使えば一発で分かる無駄のなさ! コイツの味を知ってしもたら、もう以前の無駄ばかりの弓には戻られへんで!」


 なるほど、さっぱり意味が分からない。


「無駄がないの意味を教えてほしいんだけれど……弓に無駄も何もないだろうに」


 何のことだか分からずモヤモヤする私を、少女がニヤニヤ顔で見つめてくる。


「ムフフ。オッチャンが弓の謎にモヤっとしはるのは分かるけれども、この弓の真価は、コイツを買うたモンだけが知ることが出来るんや。今、ここで教えるわけにはいきまへんなあ!」

「ああ、なるほど」


 これはアレだ。商品の価値をあえて語らないことで、客の購買意欲を高めようという魂胆なのだ。現に今の私は、「無駄がない」という弓に特別な何かがあるのではないかと、無性に好奇心を刺激されている。


 可愛い顔とは裏腹に、この子はなかなかしたたかな商売人のようだ。


「ほれほれオッチャン。ウチの持ってきた『無駄がない弓』の謎が気になってきたやろ?」

「……よし」


 ここは一つ、可愛らしい商人ちゃんに乗ってあげよう。


「うん、とても気になるねえ。気になりすぎて、このままじゃあ夜も眠れないよ。オジサンに意地悪しないで欲しいなあ」


 そう言ってみせると、少女は満面の笑みを見せた。


「別に、イジワルしとるわけとちゃうねんで。いつもは、商品の良さを余すことなく紹介する営業スタイルなんやけど、今日のウチは、普段とはチョイと趣向を変えて、ミステリアスな雰囲気をつくろうと頑張っとるねん」

「ん? ミステリアス?」


 意味が解らずにいると、少女は不敵に笑った。


「ウチはな、商売人としての魅力をさらに磨こうと、日々、ありとあらゆるところからヒントを得とるねん。で、今回ウチは、古今東西の物語に登場する『謎の美女』っちゅう、やたら魅力的なキャラクター達に着目したわけや」

「謎の美女? なんだねそれは」

「お話の中に、素性不明なところを売りにする、思わせぶりで謎が多い美女が登場することがあるやろ。アレや」


 なんだろう、弓の話をしていたはずなのに、話の展開が急激に迷子になっているが……。


「オッチャンが、『無駄の無い弓』の謎に取りつかれてはるように、人は謎めいたモンにどうしようもなく惹かれたり、トキメキを感じる性質があるわけや。謎の美女達も同じように、謎に包まれとるからこそ、実際以上に魅力的な存在として認知されるわけやな。謎が解かれてしもた後の美女は、その前に比べて魅力が三割方落ちるという、客観的観測に基づいたデータがあるんやで」

「データ? どこの誰が調べたんだい?」

「細かいことは気にせんでもええねん。とにかく、謎の美女というモンに、魅力を磨くヒントが隠されとるとにらんだウチは、頭の中でああやこうやと考えた末に、とある真相にたどりついたわけや。謎というモンは、人や物を魅力的に見せる、フェロモン的なモンなんやと!」

「フェロモン的なもん?」


 発想の展開があまりにもアクロバティック過ぎて、とてもついていけない。さっきから私の頭は疑問符で一杯である。


 お手上げ状態の私にかまわず、少女は「ウチはこの偉大なる発見を『謎フェロモン理論』と名づけるでっ!」といい、更に独自性と謎に満ち溢れた理論を展開した。


「ウチが発見した『謎フェロモン理論』によると、謎の美女がウチらから見て、とっても魅力的に映るのは、日頃から思わせぶりでミステリアスな雰囲気を纏うことで、謎フェロモンをプンプン匂わせとるからやっちゅうことや」

「はあ」

「実は、色々な言葉の頭に『謎』を付けるだけでも、謎フェロモン効果により、魅力的な雰囲気をまとわせることが出来ることが証明されとるねん。例えば、『謎のプリンス』、『謎の美少年』、『謎のオバーチャン』、『謎のニャンコ』、『謎のアメちゃん』……ほれ、名前の頭に謎が付くだけで、そこはかとなく、魅力的な何かを感じるやろ?」

「そ、そうかなあ?」

「けど、実際に謎をまとうことによる謎フェロモン効果は、それよりも遥かに上やねん。つまり! このとてつもない発見を応用して、元から美少女のウチが謎を醸し出していけば、本来の美しさに謎フェロモンによるブーストがかかって、誰も手が付けられへんぐらい魅惑的な存在へと昇り詰めることが出来るっちゅうわけやで! これぞ鬼に金棒、獅子にヒレ、美少女になぞなぞっちゅうやっちゃ!」

「謎となぞなぞは別の物だよ」


 子供というものは、様々なものにあこがれるものだ。


 クラインも、伝説の弓使いの物語「ロビン・フロッドの大冒険」が好きだ。私自身も子供の頃は、「雷神トーグ」の真似ごとをして、友達とよく遊んだものだ。


 そう考えるならば、物語に出てくるミステリアスな美女に憧れる少女がいても、何もおかしくはない……かもしれない。


「というわけで今日のウチは、商売と魅力と謎を極めるために、『謎の美少女』スタイルでやらせてもらっとるわけや。いつもとは一味……いや、七味ぐらい違うさかい、よろしく頼むで!」

「シチミ?」

「ウチをなめたらピリリとするでぇ」

「別に、なめたりはしないけれども」


 残念ながらこの子とは今日が初対面であるから、私には、今日の彼女と普段の彼女との違いが全く分からないのである。


 話が無駄に脱線してしまったが、私が気になるのは少女の謎ではなく、無駄が無い弓の謎だ。

 先ほどからずっと、「無駄がない」の意味を考えているのだが、全く見当もつかない。


 一切の飾り気のない、地味な見た目の弓であるならば、「無駄がない」の形容も似合うというものだが、わざわざ竪琴を改造したかのような見た目のコレには、全く相応しくない。 


 そう、わざわざ竪琴をモチーフとする必要はどこにもないのだ。ご丁寧にレリーフを彫る必要もないし、弦を5本も張る必要もない。


 冒険や狩りに用いるには無駄が目立つ弓、それこそ「無駄ばかりの弓」という名の方が、しっくりくるのでは無いだろうか。


 そう思うがために、さっきからこの弓のことが気になって気になって仕方がない。


「そもそも、この弓はいくらするんだい」

「時価や」

「時価?」

「こいつを買うと確約してくれたお客さんにのみ、金額を提示させてもらうっちゅうことや。本日のウチはいつものウチとは七味も違う、謎の美少女やさかいな。隙あらば謎をカマしていくで!」


 ふと、「泳ぎの名手」と呼ばれた、例の先輩の話を思い出した。


 先輩はとある店で「スシ」という名のジャポン料理を食べたらしいのだが、それほど頼んでいないにもかかわらず、会計時に目が飛び出る金額を要求されたらしい。 


 当時、彼は私に、美味いものを食ったとはとても思えない恨みがましい顔をして、こう告げたのだ。


「いいかレオン。お前もぼったくられるかもしれねえから教えておいてやるがよ。値段を聞いても『時価』だって言い張る奴の商品に、絶対に手を出すんじゃねえぞ! あれはな、店の主人の機嫌次第で値段を変えていくぞっていう、性悪な意思表示にほかならねえんだ。ちゃんと魚の相場を確認した上で、狙い通りのスシを食いに行ったのに、あの頑固オヤジめ、俺の想定をはるかに超えるバケモンみたいな額を要求しやがって。あれは絶対に、俺の顔がイケてるのが気に入らなかったから、腹いせにぼって来たに違いねえぜ……なに? 魚じゃなく、ライスの方の相場は調べたか、だと……ああっ、クソっ! そっちは調べていなかったぜチクショウめ! だが、時価が恐ろしい言葉だってのは本当だからな、ちゃんと覚えとけよ! 家に帰ったら、アレンにも口酸っぱく教えてやらねえとな。時価は恐ろしい、時価はヤベェ、時価はクソッタ――」


 ……とにかく時価というのは恐ろしいものなのだと、その先輩は私に叩き込むように言ったのだ。まあ、注意するべきものということは、教わるまでもなく分かっていたのだけれど。


「値段を提示しないのは良くないんじゃないかな?」

「ムフフ、値段を予想しながら買うやなんて、なかなかスリルがあって楽しめるやろ?」

「スリルというか、なんというか。ぼったくられるんじゃないかと身構えてしまうよ」


 私の言葉に、少女は大げさにのけぞって「そりゃアカン!」と叫んだ。


「ウチはどこぞのガールズなバーと違て、天地神明に誓ってぼったくりなんてせえへんで! ウチは公明正大な商売人やさかいな、誤解してもらっちゃあ困るわ!」

「なら、値段を教えてくれるかな? 値段が謎のままじゃあ、誰も怖くて買ってくれないと思うよ」


 少女は渋々といった表情であったが、やがて諦めたような顔に変わる。


「ムムム、ウチがブチかました謎を力づくで解き明かそうとするとは……オッチャンは優しい顔して、なかなかのミステリーハンターやなあ」

「は、はあ……どうも」


 アドバイスをしただけであって、謎を解き明かそうとしたつもりはないのだが。


「で、その弓の値段はいくらするんだい?」

「1000ディールや」

「えっ、1000? まさか、1000ディールと言ったのかい?」


 耳を疑う私に向かって、少女はムフフと笑い、


「その通りやで。このミステリアスな弓を、1000ディールでご奉仕や!」

「それは安すぎるのではないかい?」

「高いか安いかは、お客さんのお考え次第やで」

「考えるまでもなく安いよ。100万ディールは堅いと思うけれども」


 口ではそういいつつも、いざ100万ディールで買うかと言われると、手が出ないのであるが。冒険者家業に用いる武具であっても、リーネの断りを得ずに黙って高い買い物をすると、あとで怒りの雷が降るからだ。私だって、むやみに愛する妻を怒らせたくはない。


 頭の中でプンプン怒るリーネの姿を思い浮かべていると、少女はどこか神妙な顔をした。


「うーん……思ったんやけど、どうもウチには、謎の美少女役はチョイと荷が重いようやわ。よく考えたら、さっきから謎が深まっとるのは、ウチや無くて商品やしなあ」


 少女は、謎フェロモンが漂う「無駄がない弓」を見つつ続けた。


「さらによくよく考えたら、別に謎を極めんでも、ウチはもう既にパーフェクトな美少女やさかいな。これ以上可愛くなってしもたら、ウチの姿を目にするだけで、感極まって気絶してしまうお客さんが出てくるかもしれんで。そうなったら商売上がったりやしなあ……しゃーないから、今日のところはこの辺で勘弁しといたるわ」

「よっぽど自分に自信があるんだねえ……謎を提示するのをやめたのなら、『無駄がない』の意味を教えてくれるかな」


 そう言うと、少女は大げさに手を振りながら「アカンアカン」と拒否した。


「この弓はウチと違て、ミステリアスな魅力が最大のウリの品やねん。ネタバラシしてしもたら、途端に魅力が三割方落ちてしもて、誰にも見向きされんようになるで」

「さっきも尋ねた気がするけれども、謎があるとそれだけで魅力が三割増しなるって、どこの誰が調べたんだい?」

「細かいことは気にせんでもええねん」


 結局、「無駄がない」の真意を知ることが出来なかったが、本当に1000ディールで良いのならば、これはよい買い物だ。


 そうだ、弓の稽古に余念がないクラインへ、この弓を買って帰ろう。きっと飛び跳ねて喜ぶぞ。妻も、1000ディールの買い物では流石に怒らないだろう……最悪でも小言で済むはずだ。


 私が銀貨を取り出すと、少女の目がぱあっと輝いた。


「おほっ、ホンマに買ってくれはるとは。よっしゃ、謎に惹かれたミステリーハンターのオッチャンが、無駄がない弓をお買い上げや!」



・・・・・・・・・・・・



「面白いものが売っていたから、お土産に買ってきたぞ!」


 家に戻ると、私の購入した弓に興味津々のクラインと、また無駄遣いしたのと疑うリーネの視線を同時に受けた。

 クラインは無駄がない弓を手にすると、キラキラと目を輝かせた。


「うわ、カッコいい! これすっごくいいよ!」

「見る目があるじゃないか、流石はクラインだ!」

「明日の稽古に使ってみてもいい?」

「もちろんだとも」


 リーネがツンツンと肩を叩いてくるので振り向くと、


「ねえ、それいくらしたのよ。竪琴なのか弓なのかはっきりしないけれど、どう見てもアンティーク品じゃない?」


 私はクラインに聞こえないように、小声でリーネに行った。


「聞いて驚くなよ。これはたった1000ディールで売られていたんだ」

「本当に? ワケ有りの商品じゃないでしょうねえ」


 ワケは無くとも謎はあるわけなのだが……きっと明日になればその意味が明らかになるだろう。


 今は、お土産に喜ぶ息子の顔を眺めて癒されることにしよう。

 


・・・・・・・・・・・・・・



 10メートル前方の地面に、等間隔に突き立った五本の丸太がある。


 丸太の上には、的に見立てた真っ赤なリンゴが、それぞれに一つずつ置いてあり、今、愛すべき私の息子が、リンゴに矢を命中させようとしているところだ。


 クラインは精神を研ぎ澄ませ、弓の弦をゆっくりと引き絞った。


 初めて手にする弓を扱うにも関わらず、構えられた弓と矢には、寸分の震えも見られない。流石は私の息子、新しい弓を既に自分のものとしている。


 指が弦を離れようとしたとき、


「ハッ、ハクション!」


 クラインが、思いっきりくしゃみをした。

 弓を使っている時にくしゃみをするとは……大丈夫だろうか。まさか風邪をひいてはいないよな? そう心配したが、どうやら虫が鼻の先をかすめたせいで、くしゃみをしただけだったようだ。


 安堵と共に、丸太に置いたリンゴへと目をやると、矢にドまん中を貫かれたリンゴが地面に落ちている。


「おおっ! くしゃみをしても狙いを誤らないとは、なんて隙が無いんだ! やっぱりお前は弓の大天才だっ!」

「あれれ? 絶対に外したと思ったのに……」


 クラインは不思議そうに首を傾げ、もう一度、弦を引き絞り矢を放った。

 そして今度も、矢はリンゴに吸い込まれるように突き刺さる。


「でも、おかしいなあ。なんか、あまり苦労せずに狙った場所に飛ぶんだけど……」

「なにっ! 苦労せずに的に命中させることが出来るだって!?」


 それはもう、弓の達人の境地ではないか!


「なんてすごいんだ! お前はやはり10年に一人……いや、1000年に一人の大天才だっ!」

「……ねえ、お父さん。もしかして、すごいのは僕じゃなくて、この弓の方なんじゃ……」

「ほほう、アレが噂に聞く伝説の弓『フェイルノーツ』ですか」


 声がしたほうを振り向くと、学者然とした老紳士が、感心したような顔つきをして立っていた。彼は、鼻にかけた眼鏡を指でクイッと持ち上げて見せつつ、


「宴席の騎士の一人、弓の名手として知られたトリステン卿が用いた弓です。その弓で放たれた矢は百発百中、まるで吸い込まれるかのように標的に飛んでいったと伝わります。その様を指して『無駄無し――」

「失礼。あの、どちら様でしょうか?」


 突如、庭に現れた紳士は、私の問いに解説を止めて、うやうやしく礼をした。


「私ですか。名乗るほどの者ではありませんが……そうですねえ、一部の方からは『有識者のおじさん』と呼ばれております」


 なぜか本名を名乗ろうとしない謎の老紳士は、もう一度礼をして、


「勝手に庭に上がり込んでしまい、まことに申し訳ございません。世に稀な品を目にいたしますと、どうしても居てもたってもいられなくなるのです。好奇心というものは、まことに抑えがたいものですなあ。では、早々に失礼させていただきます」

「そんなことより、あなたも見ましたか? 私の息子の神懸かり的な弓さばきを! まさかたったの10歳で、百発百中の技術を習得するだなんて……なんて素晴らしいんだっ!」


 ミステリアスな老紳士は、帰ろうとした足をピタリと止めて振り返った。なぜか、キョトンとした風な表情である。


「むう? 話を聞いておりましたかの。あの弓は、必ず狙った通りに矢を――」

「初めて扱う弓を使って、百発百中! しかも、全てど真ん中を射抜いている! ロビンフロッドも真っ青の、凄まじい才能ですよっ!」

「ほ、ほお……」

「私の息子はねえ、100羽のウサギを瞬く間に仕留め、猪を矢でコッパミジンにしてみせたこともあったんです! そんな息子が、必中の極意を手に入れた……これはもう手が付けられない事態ですよっ!!」

「ひゃ、ひゃく? え、ええ……?」

「私が、絶対に狙いを誤らない『必中』の極意を掴んだのは30代の頃だったというのに、息子は10歳で……いつかは我が子に追い抜かれる日が来ると覚悟しておりましたが、まさかこんなにも早いとは。しかし、いざ追い抜かれてみると、なんというか、感無量ですなあ!」

「大変失礼なことを申しますが……あなたは他の方から、親バカと言われたりはしませんかの」


 有識者の紳士と話している最中に、ふと、背後に気配を感じ取り、慌てて振り向くと。

 

 妻が腕を組んで仁王立ちしていた。


「おおっ、リーネじゃないか! ちょうどこちらの方に、クラインの素晴らしい天才性について語っていたところなんだ! クラインは初めて使う弓にも関わらず、的を見ずして、全ての的へ矢を命中させたんだぞっ! これは前人未到の大奇跡――」


「ねえ、あなた。わたし、前にも口酸っぱく言ったと思うけど」


「うむ?」


 どうしたことだろう。


 リーネのコメカミに、ピクピクした青筋が浮かんでいるようだが……。

 不思議に思っていると、突然、リーネの怒りの雷が炸裂した。


「クラインのことを大げさに自慢するのをやめなさいって、あれだけ言ったのに何で分からないのよっ! あなたの親バカのせいで、街中にクラインの変な噂が広まってるのよ!」


 はて、噂?


「100羽のウサギを一瞬で仕留めたことになっているし、ツノイノシシを矢でコッパミジンにしたって、近所に変な風に誤解されているのよっ! 親バカも大概にしなさいっ!」

「あ、あれ……100? おかしいなあ、クラインが仕留めたのは3羽のハズだぞ? ツノイノシシを仕留めたのは合っているが――」


 私が有識者の方へ顔を向けると、 彼は困惑顔で、「ええ。さきほど、確かに聞きましたよ。100羽のウサギを仕留めたとかなんとか」と言う。


 アレ、そんなこと言ったかなあと思っていると、リーネの雷がさらに炸裂した。


「だから外でクラインの自慢をするのをやめなさいと言っているのよ! あなた、親バカが過ぎて、いつも大げさに自慢するじゃないのっ!」

「そ、それについては謝るさ。でも、クラインの弓の腕前が天才的に仕上がっていたのは本当だぞ? おい、クライン。お母さんにも見せてやってくれないか?」


 そう言いつつ、辺りを見回したが……愛すべき息子の姿はどこにもない。

 おかしいな。さっきまですぐそこにいたハズ……。

 

 ……ハッ!


 これは、まさか。


「ま、まさか、今度は体を透明化する技能を身に着けたというのか! 立て続けに奇跡を起こすなんて……まさに神童だっ!」

「なにをバカなことを言っているの! クラインなら、とっくに部屋に戻って勉強中ですよ!」


 い、いつの間に。


「そうか、そうだったのか! クラインが発現した奇跡は、透明化ではなくて瞬間移動の方だったのか! 庭から部屋へ一瞬で移動するなんて、本当に何てことだっ! そこの有識者の方! どうです私の息子は。本当に素晴らしいでしょう!」

「あ、あはは、夫婦仲がよろしいようで、うらやましい限りですなあ、ははは……では、私はこのあたりで失礼いたします」


それから小一時間。


私は、カンカンに怒ったリーネに庭に正座させられた挙句、たっぷり絞られることになったのだが……。


しかし、「無駄の無い弓」とは結局、どういう意味だったのだろう?

 


_____________________________________


 本作の「無駄がない弓」は、アーサー王伝説に登場する、トリスタン卿が用いたとされる弓「フェイルノーツ(無駄なしの弓)」をモデルにしております。狙った獲物を絶対に逃がさない弓であり、そのために矢が無駄にならないのだとか。

 伝説の弓ではありますが、矢が無駄にならないのは弓の能力によるものではなく、トリスタン卿自身の腕前を指しているという説もあるようです。

 

 狙った獲物を逃がさない弓があったとしても……狙いを絶対に外さない「必中」の極意を得た冒険者には、その弓の凄さはなかなか伝わりにくいことでしょうね。

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