揚げあんバターサンド同盟

陋巷の一翁

揚げあんバターサンド同盟


「だから、今週末でさよならだ」

 九月の終わり、木曜日の男は同盟のメンバーにそう告げた。

「この時期に転校かー。親の事情とは言え、急なことだね」

 水曜日の男はふぅっと息を吐く。


 残りのメンバーは木曜日の男の偉業のことを考えていた。『揚げあんバターサンド同盟』の発案者でもあり、誰より同盟を守ることにこだわった男が突然の転校。それは彼らにとって大きな衝撃であり、痛手だったのだ。


 ここで揚げあんバターサンドと同盟の説明に入ることを許してもらいたい。揚げあんバターサンドとは、彼らが通う学校の購買で、毎日たった一つだけ入荷される菓子パンのことである。


 そしてその実像はと言えば、二つ切りした食パンに大盛りのあんこと分厚いバターを挟んだ……、だけでもカロリーの大暴力なのに、それをさらに油で揚げた、冒涜的なまでにハイカロリストな食品であった!


 毎日食べるにはさすがに重すぎるけれど、たまにどうしても食べたくなる魔力を秘めたこの揚げあんバターサンド。しかし一日一食しか卸されないために、欲しい人が多くいる日もあれば、全くいない日もあり、需要にムラがあった。


 需要にムラがあれば供給も途切れる可能性もあった。これは木曜日の男が実際に購買のおばちゃんから聞いた話でもあり、彼がこの同盟を結成することを決めた原因でもあった。


 そして揚げあんバターサンド同盟である。それは曜日ごとにカロリーの塊、揚げあんバターサンドを分かち合けあうことで、そのリソースを無駄しないことを目的に結成された。


 各成員は曜日の名前で呼ばれ、その曜日の揚げあんバターサンドをいただく権利を持つ。ただし自分が買う前に同盟以外の生徒に買われた場合は、その権利は失われる。


 とはいえ同盟の成員である彼ら以外に大冒涜的なカロリーを持つ揚げあんバターサンドを求める物はほとんどと言って良いほどおらず、実情、揚げあんバターサンドは彼らの独占物と化していた。

 

「なあ、俺たちの同盟はこれで終わりなのか?」

 やがて火曜日の男は重々しく口を開く。

「いや、終わりじゃない」

 金曜日の男がそう言った。眼鏡を指で上げ言葉を続ける。

「新しいメンバーを募集しよう」


「おい、星川、何やってる!」

 木曜日の男が去って翌週の火曜日の昼休み、職員室へ続く廊下の先を歩く掛井先生が突然前方にいる生徒を叱責した。夢遊病者のように掛井の後をついていた長谷部桜子はそれでわれにかえった。視線を向けると、そこには気まずそうな顔をした星川郁人の姿がある。反射的に桜子の顔が朱に染まった。星川郁人、彼はこの高校に在籍こそしているが、有名プロダクションのアイドルグループのメンバーでもあり、桜子はそのアイドルグループと彼の熱烈なファンだったのだ。急な遭遇に桜子の胸の鼓動は早まる。


 そんな郁人は桜子のことを知るわけもなく、モノクロのポスターを幾枚か小脇に抱え、部員募集の掲示板に何かを貼ろう、としていたところを掛井にとがめられた格好だ。


「こんな時期に、部員の募集だと? アイドル風情の貴様が? 見せろ!」

 掛井はずかずかと近づくと強引に郁人の手からポスターを奪い取った。郁人は体勢を崩し、小脇に抱えていたポスターもひらひらと舞った、その一枚が桜子の前に落ちる。桜子は反射的にその文字を読んだ。

「秘密結社 揚げあんバターサンド同盟、新規構成員募集中……?」

 桜子の言葉を聞いて掛井の顔が怒りに赤くなり、郁人に詰め寄った。

「なんだこれは! 部活の許可は取っているのか?」

「いえ、秘密結社ですから……、その」

 ごにょごにょ言う郁人に掛井はますます声を荒げる。

「許可はないんだな! こんなの認められるか! この入試で忙しい時期に! ……まあアイドル? のお前は気楽なものか……、ふん」

「ちっ」

 郁人はカチンときたようだったが掛井と言い争うつもりはなく、くるりと後ろを向いて歩き去ってしまった。

 あとには掛井と桜子が残される。掛井は手に持ったポスターをくしゃくしゃにすると近くのゴミ箱に投げ込んだ。そして桜子にも命令する。

「なにしてるんだ、お前も捨てろ!」

「は、はい……」

 名残惜しくもあったが、桜子はいわれるままにポスターをゴミ箱に捨ててしまった。捨てたのを確認して、掛井は安心したように表情を緩める。

「長谷部、おまえはこんな馬鹿な連中とつるんではいかんぞ。まっすぐに前を見て勉強だけしていれば良いんだからな」 

「は、はい」

「じゃあ行くか」

「……」

 無言で先生の後を追う桜子。けれど、桜子は心の中でどこかこれは本当の私じゃないという気がしていた。私は掛井先生に言われるままに勉強するただの人形じゃない、と。


 だから。

 

「よかった、残ってた……」

 職員室からの帰り、桜子は、ゴミ箱の中身を見て安心した。まだポスターは残っており、桜子はそれを拾い上げる。

『秘密結社』

 その言葉が、何より桜子の心を惹きつけた。秘密結社、なんとなく危なそうで甘美な響き。それに揚げあんバターサンド同盟って? 桜子の興味は尽きない。

「あ、日時が書いてある……って、今日の放課後じゃない!」

 桜子は驚き、ポスターを折りたたむと隠すようにしまい、そっと教室に戻った。



 放課後。桜子は指定された場所へと向かう。そこは調理実習室だった。

(勢いできちゃったけど……どうしよう……)

 入り口で迷っていると、後ろから声をかけられる。

「お、もしかしてポスター見てくれたの?」

「えっと」

 振り返るとニコニコした顔の星川郁人が立っていた。再び桜子の頬が朱に染まる。

「どうなの?」

「はい、そう、ですけど」

 桜子がそれだけ言うと郁人は笑う。

「じゃあ入りなよ」

「いいんですか」

「うん、なにせ同盟にとっての緊急事態だからな」

「はぁ……」

 よく分からないまま星川郁人に押されるようにして桜子は調理実習室に入る。


「火曜日、遅いぞ」

「すまんすまん。ちょうど部室の前に入団希望者がいてね」

「火曜日?」

 不思議そうに桜子が言う。

「ここではこう呼ぶルールになってる」

「はぁ……」

 郁人の言葉に疑問符が浮かぶ桜子の顔を郁人以外の六つの目が見つめている。

「ほら、見てないでほかの曜日も自己紹介しろよ」

 郁人が彼らに言う。六つの目はお互いを見合ってうなずくと、こう切り出した。

「俺は月曜日。ってお前、長谷部じゃん」

「椎野君……?」

「知り合いか?」

 眼鏡をかけた男子の言葉に月曜日、もとい長谷部桜子のクラスメートで野球部のエース、椎野剛は頭をかく。

「おなじクラスです……」 

 月曜日がそう言うと少し気まずい空気が流れたがそれを切り裂くように星川郁人が声を出す。

「もう言ったと思うけど、俺は火曜日」

「は、はぁ」

「僕は水曜日、この料理研究部の部長もしてる。よろしく、長谷部さん」

 やんわりとした物腰の男子はそう言った。

「そして私だな。私は金曜日。一応この学校の生徒会長もしてる。お見知りおきを」

 眼鏡をかけた男子はそう言って一礼する。

「よろしくおねがいします」

 慌てて桜子も礼をした。

「これで自己紹介はすんだんかな」

「そうだね」

 水曜日がそう言う。金曜日もうなずいた。そして重々しく宣言する。

「ようこそ。秘密結社、揚げあんバターサンド同盟へ。君を新しい木曜日として歓迎する」

「えっ、えっ」

「いやね。本当は俺たち五人でやってたんだけどね。一人こんな時期に突然転校してしまったんだ」

 火曜日こと星川郁人が困惑する桜子の後ろから話しかける。

「それが、もうここにはいない木曜日。だから君には新しい木曜日として、秘密結社、揚げあんバターサンド同盟の成員になってほしいんだ」

 次は前から水曜日が桜子に言った。

「あの! 私ちょっと何やっているのか興味あって訪ねただけで、何も知らなくて、あの、急にいろいろ言われても困るというか、なんというか……、すみません……」

「いや、こちらこそ、性急すぎた。ことのあらましから話そうか」

 何が何だかわからず謝る桜子に金曜日はそう言うと、まずは彼女にこの同盟の設立理由と目的について話し始めた。


「というわけだ、分かってくれたかい」

「はい、なんとか」

「飲み込みが早くて助かる」

「つまり、揚げあんバターサンドという菓子パンを曜日ごとに分け合って食べる秘密結社なんですね」

「そう、そうだよ」

「まんまですね」

「辛辣だね」

 水曜日が笑うと、そういうわけじゃ、と小さく言って桜子は恥ずかしそうに下を向く。

「とにかく、君には木曜日に揚げあんバターサンドを食べる人になってもらいたいわけだ。まあ木曜日じゃなくてもいい、好きな曜日があれば可能な限りこちらで融通する」

 金曜日が言うと月曜日が口を挟む。

「でも長谷部食が細いぜ? 食べきれるかなぁ」

「椎野君? 見てたの?」

「いや昼休み購買行ってパン食べて筋トレ行って予鈴鳴って帰ってきてもまだ教室で食べてるの見てるし……」

「ゆっくり食べるのが好きなの!」

「お、なんか仲いいね」

 火曜日こと星川郁人が興味深そうに会話に入ってくる、

「星川さん、そんなんじゃないです!」

「火曜日」

「えっと火曜日……さん?」

「うんうん、及第点かな」

 ニコニコ笑う星川。反対に金曜日は顎に手を当てた。

「しかし食べきれるかは重要な問題かもしれん。私たちとしては食べることで同盟の親睦を深めていた経緯があるのでな」

「それなら、本番の前にテストしようよ」

 水曜日が言った。

「良い案があるのか?」

「うん、まんまというわけには行かないけど、揚げあんバターサンドがどんな感じかわかるぐらいの物なら僕作れるから、明日の昼休みにここで食べてもらって、できるかどうか判断してもらうのはどうかな」

「なるほど」

「木曜日……いやまだ早いか、長谷部さんもそれでいいかい」

「わかりました」

「じゃあ明日の昼、昼ご飯は抜きできてね」

 水曜日はそう言ってウインクし、桜子は小さく頭を下げた。



そして日は変わって水曜日の昼。とまどいながらも桜子は言われたとおりに調理実習室にやってきた。

「待ってたよ。さあ座って座って!」

 水曜日が声をかけ、近づいてくる。

「ちーす、揚げあんバターサンド、代わりに買っておきました。ここに置いておきますね」

 ほぼ時を同じくして火曜日こと星川郁人も入ってくる。

 月曜日と金曜日はすでにいて、桜子を待ち構えていた。

「じゃあこれ、揚げてないけどあんバターサンドね」

 水曜日は桜子の前にお皿を出す。

「揚げてないのはここじゃ揚げ物が作れないからだけど、ごめんね」

「いいえ!」

「水曜日、今思ったんだが自分の分のそれを渡せば?」

 金曜日が火曜日が持ってきた揚げあんバターサンドを指さし言った。

「それは拒否」

 水曜日は笑顔を崩さず言った。桜子に向き直る。

「さ、食べて食べて! これには劣るけど、自信作だよ!」

 言われて桜子は出されたあんバターサンドを見る。

つやつや輝くバターの壁、キラキラ輝くあんこの山、そして薄いパン。うう、食べられるかな。桜子は正直思った。

 でも、自分のために作ってくれたんだと思い、手に取り、一口食べる。あ、おいしい。

 サクッとした食パンの食感とじわっとしたあんこ、そして厚みのあるバターのハーモニーが快い。

「これ、おいしいです」

「本物はもっとおいしいんだけどね」

と、本物を手に取りながら水曜日。

 桜子はゆっくりだけど夢中で食べ進め、十分後には完食していた。

「ごちそうさまでした! おいしかったです!」

「どういたしまして」

 もう、かなり前に本物の揚げあんバターサンドを食べ終えていた水曜日がそう言う。

「大丈夫そうか?」

 金曜日が尋ねる。

「はい、大丈夫です!」

 元気よく桜子は答え、それからはしばらく秘密結社での雑談を楽しんだ。

 

 

 予鈴が鳴って、桜子は教室に戻る。午後からは、掛井が作った英語のテストが待ち構えていた。真面目な桜子は当然のことながら予習を済ませていたが、当のテスト中、二、三問解いたところで、

(あれ、おなかが苦しいかも)

 そう違和感を覚えた。

 違和感はずんずん大きくなり、やがて苦しさに変わった。桜子はおなかをおさえ、冷や汗をかき、テストに集中できない状況。それが長く続き、

「すみません、ちょっとお手洗いに」

 ようやく言えたのが、テスト終了五分前。

 けれど、トイレに駆け込み便座に座って心を落ち着かせると違和感はすうっと引いていった。

 チャイムが鳴り、トイレから出る。テストは失敗だったけど、一度ぐらいまあ良いか、桜子はそう考えていたが、そう思わない人が何人かいた。

 そのうちの一人が掛井先生だった。

 掛井は放課後、早速桜子を職員室に呼びつけたのだった。



「長谷部、どうしたんだ? 今日のテスト、失敗する所なんてなかったと思うが」

「あの、おなかが……」

「おなかが?」

「急に痛くなって……」

 すまなさそうに桜子。だが掛井は、何かを感じたようだ。桜子に向き直る。

「緊張するとも思えん、が」

「その……」

「何かあったのか?」

「いえ……、あの」

 掛井に詰められてしどろもどろになる桜子。感づいた掛井が声を荒げる。

「やはり、何かあったんだな!」

「実は……」

 それに押され、桜子は昼にあったことを洗いざらいしゃべってしまった。

「なんだと! 長谷部、お前はそんなうす汚いものを食べたのか!」

「す、すみません……」

 言われるままに謝罪する桜子。掛井は怒り収まらぬように憎しみのうなり声を上げる。

「潰してやる」

「え?」

「そんな奴ら俺が潰してやる。俺の桜子にそんなことをしやがって!」

「え、え?」

「見ていろよ、そんなクソみたいな活動絶対に潰してやる!」

「は、はい」

「もういい、今日は帰れ!」

「……」

 桜子は掛井の怒気にあてられて慌てて職員室を出た。


8


 職員室から出ると、椎野が立っていた。

「あ、月曜日……」

「ばか、椎野だ」

 つぶやく桜子に、小声でたしなめる椎野。

「お前、掛井に呼ばれていたよな。いやな予感がして待ってた」

「ごめんなさい……」

「おい、なんで謝る?」

 そこで桜子は秘密結社揚げあんバターサンドの件を洗いざらい掛井にしゃべってしまったことを椎野に伝える。

「ごめんなさい……」

 伝え終えて再び謝る桜子。

「……」

 考え込む椎野。と、火曜日こと星井郁人が角を曲がったところで手招きしていることに気がついた。

「とりあえずあっちに行こう」

 椎野は桜子を促すと移動した。

「職員室にはイヤな思い出しかなくてね、ごめんごめん」

 郁人は言って桜子に向き直る。

「大丈夫? 長谷部さん?」

「いえ、その……ごめんなさい!」

 郁人にも謝る桜子。椎野がすべてを説明する。

「そうか、うーん、困ったな」

「それよりもだ。大きな問題がある」

 困り果てる郁人に向けて椎野が言うと桜子は顔を上げる。椎野はそんな桜子の顔を見て言った。

「お前テスト中、腹壊しただろ?」

「あ……、うん……」

「俺たちのせいか?」

「……違う! でも、たぶん、だけど、そう……」

「そっかー、やっぱり」

「でも」

「長谷部、無理することはないぜ、仲間はまた別の奴探すさ」

「でも!」

「それに、腹を壊してまで食べるものでもない」

 椎野の制止の声に郁人も続ける。

「でも!」

(私は、郁人君と一緒にいたい……)

 どうすればいいんだろう、どうすれば一緒にいられるんだろう。

 桜子の頭はフル回転して、やがて答えを導き出す。

「うん、そう、これなら!」

「うん、何か思いついたのか?」

「お願い、明日、もう一回、試験受けさせて」

「明日は本番だぞ? 今日より重いのが来るんだぞ?」

 椎野の言葉に桜子は言う。

「うん、多分。ううん絶対、大丈夫!」


 

9

 

「大丈夫なのは良いが、今度は掛井だな」

 場所変わって調理実習室。椎野もとい月曜日の招集で、水曜日、金曜日も集まってきていた。

「俺、あいつ、きらーい」

 すねたような火曜日の言葉に桜子は思わず笑ってしまう。

「なんだよ。お前は掛井にお気に入りだろ」

 月曜日がいうと桜子は

「あーうん、なんだろ。なんか冷めちゃった」

と、言った。水曜日の顔がわずかにひきつる。

「わー、女の子はこわいねー」

「ごめんなさい、でも『俺の桜子』とか言われちゃうと、ちょっとね……」

「あー」

 言われて水曜日は納得する。

「俺はライブとかで言われなれてるけど?」

「話がややこしくなるからやめろ」

 火曜日を金曜日がたしなめる。それを聞いて桜子はまた笑った。そしてもう一度謝る。

 こんな楽しい秘密結社を危機にさらしてしまったことに対して、だ。

「ま、なんとでもなるでしょ」

 水曜日が気楽そうに言って金曜日もうなずいた。

「むしろ楽しみが増えたくらいだ。掛井がどう挑戦してくるか、な」

「でも!」

「いいんだ、どうせ揚げあんバターサンドが欲しいだけであとは暇人の集まりさ」

「火曜日……さんも?」

「アイドルは暇じゃないけど、学業もそれなりにやらなきゃならないけど、週一回の揚げあんバターサンドだけは俺が人であるためにどうしても必要なんだよ」

「俺も」

「僕も」

「私もだ」

「ふええ……」

 なんか場違い感を覚えて、桜子は声を上げる。


10

 

 翌日の木曜日の昼休み。調理実習室。

 すでに揚げあんバターサンドは桜子を待っていた。

 ごくり。桜子は喉を鳴らし、それと対峙する。

「さあ、秘策とやらを見せてもらおう」

 金曜日が桜子に言う。

「はい!」

 桜子は抱えていたバックからヨーグルト飲料とタッパーに入れたカットされたりんごを取り出す。

「バカ、カロリーの塊なのにさらにカロリーを積み上げるだと?」

「いいじゃないか、見てみようぜ」

 月曜日の驚きの声を火曜日が遮る。

 

「いただきます」

 そういって桜子はゆっくりゆっくり食べ始める。まずはヨーグルトを一口。そして揚げあんバターサンド。


 はむ。

 こ、これは……。

 桜子の目が輝く。これはおいしい。圧倒的においしい。申し訳ないが昨日の物とはレベルが違う。油のくしゅっとした層、パンのサクッとした層。バターのむにゅっとした層。あんこのやや堅めの層。それが織りなすハーモニーが素晴らしい。一口、口に入れただけで元気がもりもり湧いてくる。

(だけど)

 桜子は自分に言い聞かせるようにペースを落とす。ヨーグルトを飲み、りんごを食べ。ゆっくりゆっくり食べる。

 やがて、ほかのメンバーはゆっくり食べる桜子の様子を窺うことをやめた。

 そして予鈴が鳴ろうかというころ。


「ごちそうさまでした」

 桜子の声に思い思いに時間を過ごしていたほかのメンバーが振り返る。

「おなかの具合はどうだ?」

 金曜日の問いに桜子は答える。

「今のところ大丈夫! あとこれ、すごくおいしいね! ヨーグルトともすごい合うの!」

「ふーむ、今度僕も試してみようかな……」

 桜子の言葉に、水曜日がうなった。

 

11


 放課後、また桜子は、調理実習室こと秘密結社揚げあんバターサンド同盟のアジトに顔を出した。

「よう、木曜日見習い、あれから体大丈夫だったか?」

「うん、問題なし!」

「そりゃよかった。で、この秘密結社入る? 入らない?」

「もちろん入ります!」

「ははは、いい返事だ。じゃあみんなも集まってるし襲名式をやろう」

「待て! 貴様ら!」

 と鋭い声。見ると入り口に掛井先生が立っていた。

「なんだよ掛井先生」

「こんな会合中止だ。二度とこの部室を使わせなくしてやる」

「それは教員が勝手に決められる物ですか? 生徒の自治と言う問題もありますし、まずはこの調理部の担当の先生と連絡を取ってください」

 生徒会長でもある金曜日が応戦する。

「ばかばかしい! そんなのいちいちとっていられるか!」

「では出直してください」

「ぐぬぬ……」

「出直してくださいと言っているんです。掛井先生」

 念を押すように金曜日。

「ぐなな、桜子! 来い! こんなバカどもと付き合うな。勉強だけしていればいい!」

「はぁ?」

 思わず声が出たのは桜子だった。

「はぁ? ってなんだ、貴様先生に向かって!」

「それはこっちの台詞よ、勝手に下の名前呼ばないで! 気持ち悪い!」

「いや、それは……」

「おやおや、掛井先生は長谷部さんとの距離を縮めたいようですね」

「掛井、ガンバレ! 無理だけど」

「そういや掛井って独身?」

 金曜日以外のメンバーはそれぞれ好きなことを言って、言うたびに掛井先生の顔が引きつっていく。

「とにかく、勉強はするから、私をあなたの所有物にしないで!」

「ぐ、ぐぐ」

「それとも、掛井先生は私とそれ以上の関係をお望みかしら?」

「わーぉ、長谷部さん大胆」

「演技派ー」

 白シャツの襟をめくって、誘うよう挑発する桜子。図星だったのか掛井の顔が真っ赤になってゆがんだ。

「く、く、そ! 覚えてろよ! こんな部活潰してやるからな!」

 そう言って掛井先生は出て行った。小さく金曜日がつぶやく。

「部活じゃないんだなぁ」

「あれ、そうなの」

 桜子は驚く。

「ここが使えなくなってもまた別のところでつるむだけだし。まあもともとそんなにつるんでもないし」

 月曜日も言う。

「そうなの?」

「今回は同盟の欠員が出たから集まっただけだしね」

 水曜日も言った。

「は、はぁ…」

「あれ、寂しい?」

 火曜日の言葉に桜子は首を横に振る。

「そんなことは……!」

 そんな桜子の肩を抱き、天を指さす、火曜日。

「心配ない、心は一つさ」

 そして一息入れると芝居がかった声で、

「そう、揚げあんバターサンドの元、俺たちは一つ! てなわけでよろしくな、木曜日!」

と言った。皆も続く。

「うむ、よろしく、木曜日」

「よろしくね、木曜日」

「よろしくな、木曜日」

「みんな……ありがとう!」

 礼をする桜子。こうして長谷部桜子は、秘密結社揚げあんバターサンド同盟の木曜日に就任したのであった。 


12


ここからは後日談。


 同盟は基本、グループチャットで話し合うことが多い。当然桜子もそのなかに入り、木曜日として活動している。基本は雑談だが、たまにライブ活動なんかでアイドルの火曜日が揚げあんバターサンドを食べられないときに代わりに食べたり、代わりに順番をゆずったりした。また昼に忙しいときに各曜日の代わりに購入して曜日担当に渡すといった秘密結社らしいこともしている。


 火曜日である星川郁人との距離はなかなか縮まらないが、桜子はそれでも成員の一人として、彼と同じ活動をすることを楽しんでいる。勉強も前より良くできるようになった。きっと揚げあんバターサンドのおかげだと、桜子は感じている。アレを食べた日は不思議と頭が回るのだ。


 最後に、掛井先生のことを書く。掛井先生はいろいろやっては失敗を繰り返し、最後には大本を絶つべく、購買に向かい揚げあんバターサンドの供給を絶とうとしたそうだ。

 しかし資本主義の権化である購買のおばちゃんに一喝されて、とぼとぼと帰るほかなかったという。

 

 こうして同盟は末永く続き、揚げあんバターサンド同盟は、この学校で彼らが卒業した後も引き継がれ、長くだが、そっと栄えることとなる。 どっとはらい。

 

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揚げあんバターサンド同盟 陋巷の一翁 @remono1889

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