第八話 止まり木亭にて ①

 そのころ、シルフェの南端付近。

 場末の冒険者宿「止まり木亭」では。


「アルー!! アル、どこにいるのー!?」


 階下からの大きな声に呼ばれ、自室から出たアルは、急ぎ玄関に繋がる階段を降りていた。


 背には数日分の食料と水、その他野外生活に必要な道具を入れたバックパックと、負い紐で吊った愛用の魔導銃。

 念のため、いつも使っている革製の胸当て、肘当て、膝当ても装備。


 街を出る準備は万端である。


「ここだ」


 玄関で大声を出していたのは、やはりハルニアだった。

 警鐘が鳴り始めたからか、仕事で出ていた先から急ぎ帰ってきたらしい。


 息が上がり、白い肌に汗が浮かんでいる。


「あぁアル、大変なのよ!」


 アルの不愛想な返事に対し、ハルニアは焦った様子でアルの両肩を掴んできた。


 思わず首をかしげるアル。


 彼女がここまで取り乱すのは珍しい。

 警鐘が鳴り響く今が非常時なのは間違いないが、それ以外にも何かがあったのだろうか?


「どうした?」

「それが、ユキちゃんがっ」


 胸に一抹の不安を抱きつつ尋ねると、ハルニアは一瞬声を詰まらせた後、一気にまくし立てるようにこう言った。


「ユキちゃんに掛けてた認識阻害の幻惑魔法が、解けちゃってるの! もしかしたら、街を出ちゃってるのかも……!」

「なんだと!?」


 いつも冷静沈着なアルだが、これには思わず声を荒げてしまう。


 ユキにかかっている魔法が解けているということは、彼女の本来の容姿――……真っ黒な髪と目が露になっていること、そして、既にユキがかなり遠くにいることを示している。


 つまり、他人に見られたら相当マズい状態になっている上に、何か厄介ごと……例えば、あの帝国技研のような連中に襲われることがあっても、すぐにフォローしてやれるような距離に彼女がいないのだ。


 それもこんな非常時に、である。


「いつからだ?」

「気付いたのは、さっき鐘が鳴り始めた後で……わからないの。本当はもっと前なのかも。あたし、仕事の最中で気付かなくて……ごめん」


 アメジストの瞳を伏せ、声を震わせるハルニア。

 アルの両肩を掴む手も、細い肩も、小さく震えている。

 アルもまた深刻な表情で表情をゆがめ、小さく首を横に振ると、


「それは、済んだことだ。それよりも、一体アイツは何故……」


 ……ハルニアの幻惑魔法は強力だ。コイツ自身が意図的に解除していない以上、ハルニアを起点とした効果範囲から出ない限りは、原則として魔法は解けん。


 ……ユキは、自分から街を出たのか? なんのためだ? 警鐘が鳴り、避難するためか?


 ……いや、非常時は「止まり木亭」で俺たちと合流するよう前に話して決めていた。警鐘が鳴り始めれば、戻ってくるはずだ。だとしたら……。


「っ、まさか!」


 何か根拠があったわけではない。

 遺跡冒険者ルインズエクスプローラーとして生きるうち、知らずに身に付いた勘のようなものだとしか言えない。


 とにかく嫌な予感がしたアルは、未だ動揺が収まらないハルニアを置いて玄関から飛び出すと、身体を軽くするためその場に荷を下ろし……。


 中空に魔導障壁を足場代わりに生成、上に向けてジャンプ。

 更に次々と紅く透き通った足場を生成して飛び移り、どんどん上空へと昇って行った。


「ちょっ、ちょっとアル!? どこに行くのよ!?」

「少し待っていろ!」


 ある程度の高さまで昇ると、アルは足場に乗ったまま片膝立ちになり、周囲を見廻した。


「いない……やはりいない……!」


 探しているのは、ユキが”マルコ”と呼ぶあの巨大な古代兵器オルト=マシーナだ。


 いつもは主人ユキの拠点を守るかのように、「止まり木亭」近くに鎮座しているのだが、今は高所から見回してもどこにも姿が見えない。


 ……ここから探して見つからんと言うことは、やはり!


「だからアル! いつも言ってるでしょ!? 何かするなら、あたしにも説明して!」

「さっきから言っているだろう!? いないんだ!」

「何がよ!?」


 大声を上げるハルニアに対し、アルもまた上空から声を張り上げる。


「アイツが……ユキが連れている、デカい古代兵器オルト=マシーナだ! アレの姿が、どこにも見えん!」

「なっ……。それって、まさか……!?」


 驚くハルニアの元へ、アルは再び足場を伝って素早く戻ると、


「あぁ、そのまさかだ。アイツは恐らく、古代兵器オルト=マシーナに乗って街を出ている」

「な、なんで!? なんでそんなこと……」

「分からん。だが、この警鐘が鳴る程の非常時……これにも、ユキが関係している可能性はある」

「……」


 愕然とした表情となるハルニア。


 街の警鐘が鳴るほどのトラブルに、ユキが絡んでいるかもしれない。

 それも、魔法が切れて髪と目が真っ黒な状態で。

 本人がどんなつもりであれ、街に警鐘が鳴り響くほどに事態が大きくなっているとなれば、もはやアルにもハルニアにも庇うことはできない。


 と、そこへ、


「お前たち、何してる!」


 不意に、声がかかった。

 二人そろって声の主を見れば、そこにいたのは紺色の制服を着た若い男の衛兵隊員。

 「止まり木亭」前に広がる街路に馬を止め、敷地内に入ってきている。


「警鐘が聞こえないのか? ヤバいことになる前に、はやくここから逃げるんだ!」

「……”ヤバいこと”とはなんだ? 何が起こっている?」

「西からデカい魔物が迫ってきている。既にパラベラがやられた、次はシルフェが危ない」

「……ふむ」

「ソース地区ここの人間のほとんどは既に避難した。あとはお前たちだけだ。さぁ、早く東に向けて退避するんだ」


 アルは一瞬ハルニアと視線を合わせたのち、続けて口を開いた。


「その件に、巨大で風変わりな魔物を連れた少女は絡んでいるか」

「!、それは……」


 一方の衛兵隊員は、一瞬驚き、そして迷うような表情を見せたのち、


「……いや、そういえば二人は、彼女の保護者のような立場にあるんだったか。なら知る権利はある、な」

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