第五話 悪夢の顕現
しばし後。
バンドベルたち護衛騎士隊と白い馬車は、パラベラ村に向けゆっくり、そして慎重に進んでいた。
バンドベルの意に反して、彼らは結局、バラベラへと向かうことになったのである。
その経緯は、次のようなものであった。
☆
「なるほど、状況は分かりました」
バンドベルから、分かっている限りの状況を聞いたレーナ。
眉間にしわを寄せ難しい顔をする彼女に、バンドベルもまた渋面で尋ねる。
「どう致しますか、奥方様。やはりここは、引き返すが上策かと思われますが」
「……えぇ、バンドベルの言うことは最もです。ただ」
レーナは視線を僅かに落とし、その美しい
「この轟音や振動、得体の知れない咆哮も、ただ事とは思えません。単なる賊や魔物の襲撃ではないとしたら、一体何が起こっているのか……。この地を治める者として、自分の目で確認しておきたいところではあります」
「しかし、御身にもしものことがあっては……」
「えぇ。ですから、方針はこうです」
右手の人差し指をピンと立てて見せ、レーナは続ける。
「救難信号の発生元にもう少し近づいたら、あなたたちの中から偵察を出してもらいます。それで状況を確認し……今の
「ううむ……」
「ワガママを言って、申し訳ありませんが……頼りにしていますよ」
難色を示すバンドベルに対し、ふわりと柔らかな笑みを送るレーナ。
「……御意に」
内心で盛大に頭を抱えつつも、そう言う他ないバンドベルであった。
☆
「……総員、いつでも対処できるよう準備しておけ」
馬車とともに微速前進しつつ、バンドベルは周囲に声をかけた。
その言葉に騎士たちは、背に担いだ伸縮式の槍、弓の位置を確認するようにして触れたり、負い紐でかついだ魔導銃の
先程まで聞こえていた轟音も地響きも、警鐘すらも今は止み、周囲は不気味なほどに静かだ。
耳に入るのは、ぱっかぱっかと石畳の上を馬が歩く音と、ごろがらと馬車の車輪が廻る音のみ。
襲撃者は撃退されたか、襲われた側が完全に制圧されてしまったか……いずれにしても、戦闘は終わっているのかも知れない。
緩やかな丘陵を昇り切ると、街道の先に家屋の群れが見えてきた。
パラベラ村だ。
やはり何者かの襲撃を受けていたらしく、石や木で組まれた家屋や物見櫓が無残に倒壊しているのが、遠目から見ても分かる。
何かが燃えているのか、青空に向け黒い煙が何条も立ち上っていた。
……酷いな。
パラベラが既に甚大な被害を受け、壊滅状態にあるのは明らかだ。
かつて傭兵として大陸中を転戦していたバンドベルにとってはどこか懐かしい……錆びた鉄のような匂いが、風に乗ってここまで漂ってくる。
「全体止まれ。総員、警戒を厳に」
バンドベルが低い声で命じ、馬足が止まる。
周囲に視線をめぐらせれば、全員が表情に緊張をにじませ、前方を睨み据えていた。
「予定通り、偵察を出す。セシリア、ガイデル、頼む。戦闘は避け、状況の確認が済んだらすぐに……」
続けて、最前衛を努める男女2人の騎士に偵察を命じた、その時であった。
「バンドベル隊長ッ!」
鋭く、高い声。
たったいま偵察を命じた、アンセル家護衛騎士隊唯一の女性騎士・セシリアだ。
赤みがかった短い金髪と深緑の瞳を持つ、美しい騎士である。
彼女はパラベラの方向を指さし、
「村から誰か来ます、武装しているようです!」
空気が一気に張り詰める。
騎士たちはもちろん、馬車の御者ですらも己の武器(
バンドベルもまた、左腰に佩いた剣の柄へと手をやりつつ、こちらに向かってくる人物を注視する。
村から街道に出て走ってくるのは、男が1人。
手には銃身の長い魔導銃、恐らくよく見る旧式の
右手のみで銃身を握り、構えてはいない。
左手は左大腿に添えられており、負傷しているのか左足を引きずるようにして走ってくる。
……どこか、様子がおかしい。
その目はこちらを見ることはなく、男の背後、村へと向けられている。
表情も異様に切羽詰まっており、ひどく怯えているように見える。何かから必死に逃げている様相だ。
襲撃を受けた村民の生き残りかも知れないが、油断はしない。
遠距離武器で武装した最前衛二人、件のセシリア、ガイデルに向け、バンドベルは素早くハンドサインを送り、対応を命じた。
「そこの者、止まれ!」
命令を受けた二人の騎士が、前に出る。
強弓の使い手たるガイデルと、最新式の魔導銃を携えた女性騎士・セシリア。
ガイデルは背の矢筒から抜き取った矢を弓につがえて馬上から狙いを定め、セシリアもトリガーに指をかけて銃口を相手に向けており、
「ッ!?」
馬車から大体40メルト(※)程の距離まで近づいてきていた男は、ハッとしてその場に立ち止まり、こちらを見た。
まるで、こちらの存在にいま初めて気がついた、と言った表情だった。
「りょ、領主さまの馬車!? だ、ダメだ! こっちに来てはダメだ!!」
続けて男は、手にした魔導銃を青空に向けて大きく振り、声を張り上げる。
「戻れぇぇ! 引き返せぇーッ!」
ガイデルとセシリアが、ちらりと視線を送ってくる。
対応の指示を求めているのだ。
……よく見れば、あの男、見覚えがある。
緑色の髪を持つ、壮年の男。
名は思い出せないが、確か彼は、パラベラ村にあった形ばかりの自警団の隊長を名乗っていた男ではなかったか。
彼ならばなにか、情報を持っていそうだ。
話を聞いてみるべく、ガイデル、セシリアの二人に男を連れてくるよう指示を出した。
――……その時だった。
――ゴズズゥゥゥン……
不意に、村の方向から何かが崩れるような音が響いてきた。
反射的に目を向けると、音を立てて崩れていく石造りの家屋が目に入り、そして……。
舞い上がった土煙の中に、ソイツはいた。
はじめは、家屋と同サイズの……何か、大きな黒い塊りのようにしか見えなかった。
「ひ、ひぃいっ、ヤツだ、ヤツが……ッ!」
それを見た緑色の髪の男が、裏返った声で悲鳴をあげる。
とたんに、黒い塊がもぞりと動き、こちらを見た。
黒い身体についた、どこか丸っこいシルエットの巨大な頭。
丸みを帯びた耳が、頭頂部に二つ。
特徴的だったのは、ぎょろぎょろと別個に
瞬間、ソイツが動く。
進路上にあった小さな小屋を粉砕し、どずん、どずんと地響きを響かせながら、四つ足で疾走。
その先には、大声をあげて注意を引いてしまった、哀れな男がへたり込んでいた。
「う、うぁ、うわぁぁあぁあッッ」
男が発狂しながら、手にした魔導銃の銃口をソイツへと向ける。
だが、ソイツの走行速度は――……身体が異常に大きいからだろうか、凄まじく速かった。
男からソイツまでの距離は、50~60メルトはあっただろう。
しかしその距離を、ソイツはものの一瞬で駆け抜けたのだ。
――ゴゥッッ!
と、風が吹き荒れるような音が聞こえた。
四本の鋭い爪が生えた腕を、ソイツが振るった音だ。
哀れな男は、魔導銃を撃つ暇もない。
その丸太のような……否、何千年も生きた大樹の幹のような剛腕に弾かれて、彼は空を飛んでいった。
手足と首をおかしな方向にぐにゃんぐにゃんとネジ曲げながら、子どもが放り投げたオモチャの人形のような挙動で宙を舞い……街道を挟む草原の中へと消えていった。
「な、なん……ッ!?」
「は、あ……?」
一行の誰もが、まともに言葉を発することができない。
そんな彼らを金の四ツ目でぞるりと見据え、ソイツは二本足で立ち上がり、咆えた。
「KEOooooooOOOOOO!!!!!!」
※メルト
ハールと同じく、近年帝国で定められた単位の1つ。
例によって、貴族やその関係者など上流階級以外の人間は日常生活ではあまり口にしない。
1メルト=大体1mと考えてよい。
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