第四話 暗雲

「な!? 何事だ!?」


 馬車を護衛しつつ順調な旅を続けていたバンドベルたち護衛騎士隊一行であったが、急な咆哮と轟音に驚き、慌てて馬足を止めさせた。


――ゴガガァァン、ゴゴォォン!


「Keoooooo!!」


 轟音も咆哮も、進行方向……パラベラ村の方から、今なお響き続けている。

 さらに続けて、


――カンカンカン! カンカンカン! カンカンカン! カンカンカン!


 警鐘のけたたましい音が聞こえ始め、


「隊長、救難信号です!」


 前衛に当たっていた騎士の一人が、向かう道の先を指さし言った。


 そちらに目を向ければ、街道の先、ゆるやかな丘陵の向こう側から、赤い煙がもくもくと立ち上っていくのが見える。


 危急を知らせるための狼煙だ。


 仮にあれがパラベラ村から生じているとすれば、村は何者かに現在進行形で襲撃を受けており、今すぐに救援が必要な状況と言うことになる。


 ……これは、どうするべきか。


 護衛騎士隊の隊長である初老の騎士・バンドベルは、白い顎鬚を右手で触れて思案する。


 襲われているであろう人々のことは気になるが、今自分が一番に考えるべきは奥方様、姫様の安全だ。


 危険と分かっている場所に、護衛対象を連れて行くわけにはいかない。


 隊を二分して救援に向かわせるのも、ただでさえ少ない戦力を分散させることになるため、かえって危険だ。


 無情にも思える判断ではあるが……。


 奥方様や姫様の安全のためには、見て見ぬふり……見捨てるしかあるまい。


 ……街道は一本道で、パラベラを経由しない限りシルフェまでは向かえない。


 ……ここはいっそ、シルフェ訪問を諦め引き返すことを進言してみるべきでしょうな。


「バンドベル、バンドベル! 先程からのこの音と地響きは、一体なんですの?」


 と、馬車の窓ががらりと開いて、中から少女が顔を出した。

 桃色のウェーブがかった長髪と、サファイアの瞳を持つ少女……ミーナ姫だ。


「それに、あの赤い煙……あれは、救援を求める狼煙ではないのですか?」

「うむ、その通りでございますな」


 市井の文化であってもしっかりと把握している姫の姿に、バンドベルは内心で感心しながら頷いた。

 すると、ミーナ姫が目を丸くして、


「そ、その通りでございますな、って……だったらなぜ、すぐに救援に向かわないのです!?」

「姫様、無茶を言わないでくだされ。我らが救援に向かえば、姫様や奥方様の御身を危うくすることになりましょう」

「それが何だというのです! あの煙の元では、今まさに命を危険に晒されている人々がいて、救援を待っているのでしょう? バンドベルはわたくしに、わが身可愛さに民を見捨てろと言うのですか?」

「姫様、そういう問題ではございませぬ……」


 内心で頭を抱えるバンドベル。

 もちろん、他の騎士たちも困り顔だ。


 普段は聞き分けも良く、声を荒げるようなこともない穏やかな姫なのだが、こと他者を救うことに関しては急に無茶を言うようになる。


 以前も、街中で大怪我をした子どもを救おうと急に飛び出して治癒魔法ヒールをかけ始めたり、道端に行き倒れがいるからと馬車を止めさせ、事もあろうに御自ら声を掛けに行ったり……。


 もしあれらが、姫を害するための企てだった場合、彼女は確実に亡き者にされていたことだろう。


 まぁ、こういう性分の姫だからこそ、彼女は多くの人々に好かれているのであるが……。


「お言葉ですが、姫様。姫様はもう少し、自らのお立場をご理解するべきかと存じます」

「そ、それは……っ、確かに、皆に言われることではありますが……」

「それに、我らは姫様の護衛騎士。姫様の御身を、危険から遠ざけることが役目にございます。その役目果たせぬとあらば、我らはお父上より罰を受けましょう」

「う……」


 バンドベルの諫言かんげんに、しょんぼりと俯くミーナ姫。

 悪い癖がでているとはいえ、何だかんだで臣下の意見も聞いてくれる彼女に、バンドベルはふっと口元を緩めた。


 と、そこへ、


「ふふっ、だから言ったでしょう? ミーナ。無茶を言って、我が家の騎士を困らせてはいけませんよ、と」


 馬車の中から、もう一人の女性の声が響く。

 ミーナ姫の母、現領主の妃であるレーナ・C・アンセル、その人である。


「後はわたくしが話します。ミーナ、奥に下がりなさい」

「はい、お母さま……」


 ミーナ姫が引っ込み、代わりに彼女の母が窓枠から顔を出す。


 肩ほどで切りそろえられた桃色のストレートヘアに、翡翠の瞳。

 その身にまとうは、装飾のほとんどないシンプルなデザインの、淡い緑色のドレスである。


 ……派手に着飾っているわけでもないと言うに、相も変わらずお美しい方だ。


 バンドベルや他の騎士たちが密かに見惚れる中、レーナ妃はにこりと微笑み、言った。


「ではバンドベル、分かっている限りで構いません。状況の説明を」

「はっ!」

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