間章 追憶 ―Memory01―

A.D.2101.09.21 ①

 …ザ…ザザザ…ブブ…ザザザ……

 …オモイダセ…オモイダセ…オモイダセ…オモイダセ…


 また、あの声が聞こえる。

 オモイダセ、オモイダセ、って。

 私は、何を思い出さなきゃいけないんだろう。何を―……。

 

 …ザザザ…ブブブ…ザザザ…ザ…ザァーーーーーー……


 ……

 ………

 …………

 ……………



「お母さーん? 今日の味噌汁、なんかうすいよー?」


 それは、何の変哲もない、とある朝のこと。

 私は、朝ごはんの味噌汁の濃さについてお母さんに文句を言っていた。

 お勝手に立つお母さんが、結い上げた黒い髪を揺らして振り返る。


「お母さんはそれぐらいが好きだからいいの。そんなこと言うなら、優希ゆきが自分で作りなさい」

「えー?…それは面倒だしいいかなぁ」

「じゃあ文句言わないの。ほら、早く食べないと学校遅れるわよ?」

「はーい」


 私は不満げに唇を尖らせながらも、机の上に並ぶ朝ごはんをぱくぱく食べる。

 白いご飯に、豆腐とわかめの味噌汁、きれいに巻かれた卵焼きに、ほうれん草のお浸し。

 ちょっと味噌汁が薄味なことを除けば、正直、どれも美味しい。

 うちのお母さんは、料理上手なのだ。


「ごちそうさまでした!」


 お米一粒残さずきれいに食べて、胸の前でぱんっ!と手を合わせる。


「それじゃ、行ってきまーす!」


 それから椅子から飛び降りるようにして立ちあがり、傍らにあった学生鞄を手に取って出発だ。

 玄関前の廊下へと続くドアに手をかけて、開けようとしたところで、


「優希? ちょっと待ちなさい。あなた、そんな恰好で学校行く気なの?」

「え?」


 お母さんに呼び止められて、私は首を傾げて自分の格好を見直した。


 白いワイシャツの上に、校章の入った薄手でグレーのカーディガン。

 首元には、学校指定のネイビーカラーのリボンがあって、下は同色のスカート…別におかしなところなどない、いつもの制服姿だ。


 私がきょとりんと首を傾げていると、お母さんは洗い物の手を止めてタオルで両手を吹き、ドアの前で立ち止まる私にすたすたと近づきながら言った。


「髪よ、髪。それ、起きてから何も触ってないでしょう?」

「うぇ、髪ぃー?」

「ちょっとは結んだりしてきなさい」

「えー? いいよ、私はこのままで」


 面倒くさい! という感情を露骨に顔に出す私だったが、お母さんは許してくれない。

 呆れたような顔で私の髪の一部を指さして、


「ダメよ。ほら、ちょっと寝ぐせだってついてるじゃない」

「お母さん、違うよ? これはアホ毛っていう立派な個性アイデンティティで…」

「はいはい、変な言い訳しなくていいから。お母さんやってあげるから、そこに座りなさい」

「はぁーい」


 ……自分で結べなくはないけど、お母さんにやってもらった方が上手にできるんだよね。


 私は仕方がなく、言われたとおりに椅子に座ってお母さんに背を向けた。


 私の髪は肩甲骨の半ばを少し過ぎるぐらいにまで毛先が届いていて、少し長めだ。

 それを、お母さんは私の耳の上から頭の後ろの斜め上に向けて手に取って、少し高めの位置でヘアゴムで纏めてくれる(最近教えてもらったけど、こんな感じの髪型をハーフアップって言うらしい)。

 それから、優しい香りのヘアオイルを少しだけ、私の髪に馴染ませながら、


「優希はせっかくきれいな髪してるのに、あんまり適当だと男の子にモテないわよ?」

「別にモテなくてもいいけど…あ、でも那由多なゆたくんは、そのままでもいいって言ってくれてるよ?」

「…男の子のそういうお世辞は、あんまり真に受けちゃだめよ?」

「えー?」


 何だかんだで、お母さんに優しく髪を触ってもらうのは嫌いじゃないし、落ち着く。

 昨日ちょっと夜更かししすぎたせいもあって、登校前だと言うのに何だか眠くなってきた。

 椅子に座って髪を結んでもらいながら、私がうつら、うつらとし始めると、


「…優希、さては昨日、夜遅くまでゲームしてたでしょ」

「ふぇっ!?」


 お母さんにそう指摘されて、私の意識は一瞬で覚醒した。


 ……そんな! なんで!? なんでバレたの!?


 布団の中に潜り、外に光が漏れないようにして、偽装はカンペキだったはず。なのになぜ!


「ナ…ナンノコトカナー」


 最後の手段として、私はお母さんから思いっきり目を反らしてとぼけてみた。

 そんな私を見て、お母さんの顔に苦々しい笑みが浮かぶ。


「優希は相変わらず嘘つくのが下手ね…」

「う…記憶にございません!」

「テレビで聞いたこと適当に言ってもだめよ?」

「…うぅ」


 私は慌てた。


 このままではまた、お母さんのチクチクお説教コースが始まってしまう。

 それどころか、悪夢のゲーム禁止令が出てしまうかもしれない。

 

 ……今いいところなのに、それは困るよ!


「あ、あぁー! もうこんな時間だ、学校行かなきゃー!」


 丁度髪のセットも終わったタイミングだったので、私は椅子から勢いよく立ち上がって駆け出した。

 すっごくワザとらしい棒読み口調にはなっちゃったケド、別に嘘は言ってない。

 もうそろそろバスが来る時間だし。


「あ、ちょっと優希!? 待ちなさい!」

「ごめん、お母さん! 話は帰ってから聞くから!」


 胸の前で片手を立ててお母さんに謝って、私はさっさと扉を開けて玄関に走る。

 丁寧に並べられていた自分のローファーに足を突っ込んで、一瞬転びそうになりながらもドアノブに手をかけると、


「あなたそそっかしいんだから、転んで怪我とかしないでよ?」


 ……むぅう、お母さんめ!何故そんなにカンがいい!


「だ、大丈夫だよ! 私、そんなにドジじゃないもん!」

「そう?…今、転びかけてなかった?」

「そ、そんなことないって!」


 お勝手と食事机のある部屋から心配そうに顔を出すお母さんを振り返って、私は言う。


「それじゃ、もう私、行くから!」

「はぁい、気を付けていってらっしゃい」

「行ってきまーす!」

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