第七話 セルナ=イスト遺跡を目指して
翌日の朝。
アルとユキ、二人の姿は、セルナ=イスト遺跡に向かう道の途上にあった。
シルフェの街を出て南、セルナル平野を越えてセルナ大森林へ。
セルナ=イスト遺跡は発見から時間が経っていることもあり、そこへ向かうための道中もある程度整備されている。
石畳の街道とまではいかなくとも、森を切り開き土を均して踏み固め、歩くのにそう苦労しない道ができているのだ。
天気は快晴。
左右を木々に挟まれたその道を、二人は徒歩で進んでいく。
綿製のシャツとズボンの上に使い古した革製防具、指先の切られた手袋を身に着け、魔導銃を担いだアルが先頭を。
その背中を、昨日の冒険装備一式に身を包んだユキが追う。
「…」
「あのー、アルさん?」
「…」
「もう。いい加減、機嫌なおしてくださいよ」
むっすりとした表情のまま、紅髪紅瞳の青年はひたすら無言で歩き続ける。
そのすぐ後ろを行く少女の表情は、整った眉を八の時に曲げた困り顔だ。
「確かに、ちょっと騙すような感じになっちゃったのは悪かったなーって思ってますよ?」
「…」
「でも、報酬だって、ちゃんとギルドに預けてますし…」
「…」
「うぅぅ…だから、そんなに怒んないでくださいよぉ」
「…別に怒ってなどいない」
ぶっきら棒で短い返事ではあったが、確かに彼は怒ってはいなかった。
言ってしまえば、これが彼が真面目に仕事にあたるときの通常のテンションだ。
アルは周囲を警戒しつつ、背後のユキの様子をちらりと確認する。
彼女は目も髪も、既に黒に戻っている。ハルニアとの距離が離れたためだ。
髪は一応帽子で隠してはいるが、ちょっと注意して見られたら黒いことはすぐにバレる。目に至ってはそのままだし、他の人間には注意が必要だ。
彼女のスタミナにも、気を配る必要がある。見た感じ、どうやら思ったよりは体力があるようだが、それでも成人男性かつ冒険者であるアルとは比べるべくもない。
アルのペースで歩いて疲れさせ、いざという時に全力で動けなくなられては困る。
……俺はまだ、一億Gを諦めたわけじゃない。こいつが大金に化ける可能性がある以上、価値が下がるような怪我は絶対にさせられん。
――
話は昨日の午後に遡る。
「どういうつもりだ、ハルニア」
夕暮れの時の食堂にて、アルはハルニアに食ってかかっていた。その口調には、珍しく感情が滲み出ている。
「どういうつもりも何も、あたしはいつも通り依頼を仲介しただけよ?」
そんな彼相手に、ハルニアは軽く肩を竦めて飄々と答えた。
「依頼人と報酬と行先について決めて、ギルドに話を通しただけ」
「そんなことを聞いているんじゃない」
逆立った感情を載せた口調のまま、アルは目前のアメジストの瞳をグッと睨む。
「…お前、遺跡まで一緒についてくる気か?」
「そんなわけないじゃない。あたしの体力じゃ、あんたの足手まといになるだけだし」
「だったら無理だ。分かるだろう?お前との距離が離れて術が届かなくなれば、こいつの髪も目も黒に戻る。他の冒険者や旅人に出くわしたら…」
「そんなの分かってるわよ。だからわざわざ帽子も買って、外から見えにくいように工夫してるんじゃない。ねぇ?」
ハルニアがふと、傍らのユキに話を振った。
ユキはこくりと頷くと、真剣な目をアルへと向けて、
「アルさん、お願いします。私、どうしても遺跡に行きたいんです」
「…」
「アル、諦めなさい。どうせ報酬額に釣られて、依頼者が誰かロクに確認もせずに請けたんでしょ?お金は全額、この子が自分で稼いだものだし…ここまでするんだから、この子の気持ちも尊重してあげないと」
「…しかしだな」
「大体、もう依頼は請けちゃったんでしょ?だったら、もうやりきるしかないじゃない」
「ぐ…」
ぐうの音も出ない、とはまさにこのこと。
アルにはもはや、眉根に皺を寄せた不機嫌そうな表情で押し黙ることしかできなかった。
一度受けた依頼はしっかりこなす。
それこそが彼の冒険者としての信条であったし、請けた依頼を何もせずに放り出すようなことをすれば、ギルドからの信頼を失いかねない。
……ギルドからの信頼を失えば、遺跡探索のような高額の報酬が期待できる仕事も斡旋してもらえなくなる。それはまずい。
……やるしかない、か。
――
「…休憩を入れる。休んでいろ」
「え?あ、はい!」
シルフェの街からセルナ=イスト遺跡までの道程は、そう厳しいものではない。
大人の足で半日も歩けば着くし、道も整備されている。
それでもアルは、ユキの体力を気にしていつもより多めに休憩を入れていた。
今は丁度いい木陰があったので、木の下に座らせて彼女を休ませている。
アル自身は、魔導銃を手に周囲を警戒だ。
引き金に指はかけていないが、
……さて、今のところは順調か。
あたりを油断なく見廻しつつ、アルは考える。
現在地点は、セルナ大森林を通る道に入ったばかり。今のペースでいけば、予定通り昼前には目的地に着けるだろう。
ふと後ろを振り返れば、木陰に座って休むユキの姿が見える。彼女は今、革製の水筒に口を付け、こくんこくんと喉を鳴らしておいしそうに水を飲んでいる。
その光景に既視感をおぼえ、記憶を探り…アルは懐かしげにふっと目を細めた。
――
それは、もう訪れることのない幸せな日々。
その昔、まだ家族が離散する遥か前の話、アルと妹のレイシアは、兄妹そろってよく”冒険”をしていたのだ。
といっても、まだ子どもの頃の話。
住んでいた屋敷からそう遠くまで行けるはずもなく、その範囲は無駄に広い庭の中か、屋敷周辺の村の中に限られた。
だがそれでも、まだ世界の広さを知らない小さな兄妹にとっては、それらは未知の遺跡に挑む大冒険にも等しかった。
庭の中でも、村の中でも、二人の目には”新発見”に映ることがたくさんあって。
二人はそれを、紛れもない”冒険”だと思っていた。
それは―…とても大切な、掛け替えのない時間。
涼しげな木陰のもと。
両手に抱えた水筒からおいしそうに水を飲みながら、妹は言った。
―にいさま!ぼーけん、楽しいね!
―ね!大きくなったら、もっと色んな所に、一緒に―…
――
「アルさん?…アルさんってば!」
「!…なんだ」
背後から名を呼ばれ、ハッと我に返る。
振り返れば、水を飲み終わったユキが座ったまま、その黒く澄んだ瞳をこちらに向けていた。
「どうしたんですか?ぼーっとして…もしかして、少し疲れてますか?」
「…いや、問題ない。気にするな」
いけない、一瞬ぼーっとしていた。
心のうちで気合いを入れなおし、アルは魔導銃のグリップをしっかりと握った。
――
その時、ユキは水筒の蓋を閉め、彼女が背負ってきた小ぶりなバックパックに仕舞おうとしていた。
すると、背後から右の肩をとん、とんと叩く者がいる。
「?、何ですか?」
アルさん、何か用かな?…とバックパックから目線を上げるが、自身を守ってくれている紅髪の青年の背中は、一歩か二歩分ほど前にある。
あれ?と、首を捻るユキ。
だとしたら、今、背後から肩を叩いた者は一体…?
何気なく振り返るとそこには、おぞましい触手が数本、ぐにぐにと蠢いていた。
その太さはユキの細腕ほどはあり、表面には気持ちの悪いイボがたくさん付いていて、紫色で―…。
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