第十話 「止まり木亭」への帰還

 帝国の東寄りに位置する小都市「シルフェ」。


 その場末に、小さな冒険者宿がある。


 名は「止まり木亭」。


 造りはボロボロ、風が吹けば飛ぶような見た目の木造二階建て。


 ここが宿だと知らない人が見たらゴーストハウスだとしか思わないような外観だ。


 当然ながら宿泊客はほとんどおらず、部屋は空きだらけで年中ガラガラ。


 物理的にも経済的にもいつ潰れてもおかしくない「止まり木亭」だが、その主人は今、


「ふんふ~ん♪ピーマン、ニンジン、ジャガポテト~♪」


 丁寧に結われた茶色のおさげ髪、質素な雰囲気のワンピース、身長は大人の股よりちょっと上程度の幼女の姿をしていた。


 自身の身長よりも柄の長い箒を手に、せっせと玄関前の掃き掃除。口からは、本人自作の謎の鼻歌がもれている。


「んー!今日もいい天気ー!」


 ある程度掃除を進めた幼女はふとその手を止め、空を見上げて伸びをする。


 早朝の今は空気が澄んでいて、とても気持ちがよい。青空に浮かぶ綿雲も、心地好さげに泳いでいる。


「ふふっ、今日はなにか良いことある気がするな~」


 太陽に手をかざし、眩しそうに目を細めて幼女は屈託のない笑みを浮かべる。


 と、そこへ。


 ざっ、ざっ、と土を踏みしめる音が聞こえてきた。


「あ、やっと帰ってきた」


 その笑顔を門の前へと向ける幼女。


 そこには、「止まり木亭」唯一の宿泊客である赤毛の冒険者の姿があった。


「おかえり、アル!」



―――――――――――――――――――――



 遺跡冒険者、アルトフェン・D・クロイセル。通称、アル。


 一仕事終えた彼は今、自身の拠点である冒険者宿「止まり木亭」へと帰還していた。


 背中には、遺跡で出会った黒髪の少女。


 街の人間から見えないよう、今は頭から背中にかけて厚手の布が掛けてある。


「おかえり、アル!」


 門をくぐると同時に、玄関前から声がかかる。


 この宿の主人だ。


 は可愛らしい幼女の姿をしているようで、小さな手足をぱたぱたと振って駆け寄ってくる。


「今回は結構時間かかったね!何かあったの?」


「…」


 ニコニコとこちらを見上げる幼女を見て、アルはため息を1つ。


「…なんだ?その恰好は」


「え?」


 幼女はきょとんとした後、自身の手や脚、身体をきょろきょろと見て、


「あ!あーッ!そっか、昨日”接客”したあと戻るの忘れてたっけ!」


 ぽんっと手を打って笑う。


「最近どーもこういうのが好きな客が多くてさ~…ほんと、世の中変態ばっかで嫌になっちゃう」


「…いいから早く戻れ。やりづらい」


「はいはい。分かりましたよ~」


 とたんに、アルの目の前で幼女の姿がぐにゃりと歪む。


 まるで陽炎に包まれたかのように存在があやふやとなり、やがてそれが戻った時。


 そこには、濃い藍色の長髪を靡かせる美女が立っていた。


「はい、戻りました。アルはこっちの方が好みだもんねー!」


「そういうわけではない」


「そんな興味のないフリしちゃっても~!このむっつりめ!」


 その身長は幼女の姿をしていた時に比べ大きく伸び、成人男性であるアルと同程度。


 コケティッシュな顔立ちに豊満な肢体。身体を包む衣服は質素ではあるものの、胸元が妙に開いて強調されており…正直、目のやり場に困るデザインだった。


 彼女の名は、ハルニア。場末の冒険者宿「止まり木亭」の主人にして、かつて”幻影胡蝶”の二つ名で恐れられた、幻惑魔法の使い手である。


「…そんなことよりハルニア、部屋を1つ借りたい。急ぎだ」


「え?部屋ならどうせたくさん余ってるし、別にいいけど…」


「すまん、恩に着る」


 言うが早いか、アルはずかずかと宿の中へ足を踏み入れていく。


「ちょ、ちょっとちょっと!」


 そんな赤髪の青年の背に向けて、ハルニアが慌てて声をかけた。


「借りるのはいいけど、何に使うのよ。ってか、その背中の子もなに?」


「悪いが、説明は後だ。まずは人目につかない場所にこいつを寝かせたい」


「えー?…あ、分かった!その子、女の子でしょ?さては、部屋に持ち帰ってイイコトする気だな~?」


「…」


「ったく、あんたも隅に置けないわね~。ね、どこの子?どんな子?」


 相手にするのも面倒になってきたアルは、ハルニアの言葉を無視して二階へと上がろうとする。 


「ちょっとー!無視はひどくない!?あたし、一応ここの主人よ~?」


 ハルニアは楽しげに笑いながらその背に追いすがると、アルが背負う遺跡の少女に被さった布に手をかけて、


「せめてどんな子か見せなさいよっと!」


「おい待て!」


 アルが止めるのも聞かず、そのまま布を引きはがしてしまった。


 とたんに、少女の姿がハルニアの目にも明らかとなる。


 その黒く艶のある髪と、不思議な素材でできた薄い青のガウンを見て、


「………」


 ハルニアは一瞬、口をぽかんと開けたまま固まってしまった。


 彼女は若干引きつった表情で少女を指さし、


「…えっと、本物?」


「あまり目立ちたくない理由が分かったか?」


 ハルニアはただ、こくこくと頷くことしかできなかった。

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