第九話 一億Gの少女

「こいつは…!」


 そのケース、緑のランプが灯った卵型のケースは他のものと違い、はめ込まれたガラスが透明であった。


 そしてそのガラスの向こう側、ケースの内側では、1人の少女が眠っていた。


 目を引くのは、黒く長く、艶のある髪。白く透き通るような肌。顔立ちや体つきはまだどこか幼く、13~14歳ぐらいに見えるが…芸術のことなどとんと分からないアルでも思わず見惚れるほどに、彼女は美しかった。


 この世界では、黒は最も高貴で美しい色とされる。


 だが、黒い髪や目を持つ者は全くと言っていいほどに存在しない。それは滅んでしまった古代人オルトニアのみがもつ特徴であり、失われた美貌だ。


 極々まれに黒い髪、目を持つ者が生まれたとの噂が耳に入ることもあるが、そのほとんどが後から無理やり染めたものであったり、幻惑術でごまかしたものであったりと偽物であり、本物の黒髪・黒い目を持つ者はこの世にいないとすら言われる。


 だが、アルには…いや、この場にいたのが誰であれ分かる。


 目の前に横たわる少女の美しい黒髪は、染物でも幻惑術でもない。本物だと。


「まさか、こいつが…」 


 ここにきて、彼は今日捕まえた賞金首からの情報が正しかったことを悟る。


「こいつが、一億Gか!」


 遺跡の奥で見つけた、黒い髪の少女。


 その姿を見て思い浮かぶのは、幼いころに見た蝶の標本だった。あれは不思議なもので、蝶そのものは死んでいるにも関わらず、いつまでも美しさが保たれていた。


 これも恐らくは、それと同じようなものではないか?


 目の前の少女は息をしている様子もなく、既に死んでいるようであるが、髪には艶が、肌には張りがあり、まるで今すぐにでも動き出しそうなほどに状態がいい。


 ……つまり、これは古代人の標本。持ち帰れば一億、いや、もっと価値があるかも知れん。


 もはや、遺跡破壊の黒幕のことなどどうでもよい。そんなことより一億Gだ。


 この標本だけは、何が何でも自分が持ち帰る必要がある。


 ……このケース、取り外せるか?


 屈んで下から覗いてみたり、軽く引っ張ってみたりするが、どうにも取り外し方が分からない。


 どうやら壁に大きく空いた丸い穴から大量に管が伸びていて、それに繋がっているようであるが、どうしたら取り外せるのか見当もつかない。


 ……外せさえすれば、身体強化フィジカル・バフでどうにか運べると思うが。


「…」 


 こうなればいっそのこと…とケースを固定していそうな部分に銃口を向けるが、すぐに考えを改めて頭を振った。

 

 もしそれで何かあって少女本体を傷つけてしまっては元も子もない。


 ならばどうすればいいか。どうにかして、帝国の調査隊がやってきてこれを横取りされるようなことになる前に運び出さなくては。


 腕を組み、唸り。悶々と考え、悩んでいたその時。


 それは起こった。


―ウィィィイイン…


「!?」


 少女の入ったケースが、奇妙な音を立てて動き出したのである。今まで横になっていたケースが、不意に縦に立ち上がり始める。


 何が起こるのかと呆けた様子で見ていたアルの前で、ケースは完全に立ち上がり、そして。


 がっこん!と音を立てて、あれほどに開け方の分からなかったケースの蓋があっさりと開いた。


 とたんに、中に横たわっていた少女の身体がぐらりとバランスを崩し、床に向けて崩れ落ちてくる。


「!!!!!!!」


 顔面蒼白となったアルは慌ててその場から飛び出し、少女の身体を支えに入る。


 もし床に激突してその美しい肌に傷でもついたら、一億Gのお宝が台無しである。


 幸いにも彼の献身は間に合い、少女は彼の胸の中へと落ちてきた。その身で少女の軽く柔らかな身体を受け止め、アルは心から安堵しため息をつく。


 だがこれは好都合だ。何だかよくわからないが、労せずしてお宝を運ぶ手段を得られた。


 念のため、彼女が傷ついていないか状態を細かく確認する。


 変わらずに美しい黒い髪と、白い肌。


 見たことも聞いたこともないような材質の、薄いが丈夫そうな生地でできた淡い青のガウンのような服。


 首元には、鉄のようで鉄でない、石のようで石でない、これまた奇妙な素材でできた八面体のペンダントがぶら下がっている。


 それから、


―とくん。


「?」


 一瞬、あり得ない音が聞こえたような気がして、アルは顔をしかめる。


 まさかと思いながらも、彼女の手首に触れ、耳を胸元へと近づけてみると。


―とくん、とくん、とくん。


「………」


 思わず開いた口がふさがらなかった。


 ……心音が聞こえる?


 こんなことがあるはずがないと、理性が否定するが、現実は否応なく進行する。


 直前まで冷たかった彼女の体が、徐々に温かさを取り戻していく。


 見れば雪のように白かった肌も、かすかに赤みを帯び始めていた。加えて、小さな唇が僅かに動いて、


『んぅ』


 か細い声が漏れる。


 アルはそんな彼女を胸に抱いたまま、呆然として固まっていた。


 アルとて、それなりに経験を積んだ遺跡冒険者である。 


 今までそれなりに価値のあるお宝は何度も見てきたし、自身で持ち帰りもしてきた。


 古代遺跡とは、現代の常識ではとても考えられないような不可思議なモノが山ほど眠っている場所であることも、身をもって経験して知っている。


 だがそれでも、アルは想像もしていなかった。いや、彼ではなくとも、誰が想像できただろうか。


 よもや遺跡の奥で、”生きた古代人オルトニア”を発見することになろうとは。


 ……これは、どうする?


 首筋を冷たい汗が流れる。これはもう、一億Gどころの騒ぎではない。


 古代文明の謎を解明しその力を我がものとすることは、帝国をはじめあらゆる国の悲願である。


 各国は自国領内の遺跡の調査をこぞって行い、その失われた技術を自国に取り入れようと躍起になっており、だからこそ遺跡冒険者は儲かるのである。


 さてそんな中で、”生きている古代人がいる”となればどうだろう?


 彼女は古代文明の謎を解き明かし、その力を手に入れるためのカギとなりうる。


 その存在を知れば、世界中のすべての国が彼女を欲しがり、奪い合いとなることは必至だ。


 それこそ他国に侵攻してでも奪おうとする輩も出てくるに違いない。


 かつて”傾国の美女”という言葉があったそうだが、彼女は本当に国を傾け、滅ぼしかねない存在なのだ。


 ……いや、どうするも何も…とにかくここから脱出しなくては。


 今は考えても仕方がない、動くしかないと、アルは彼女を背負って立ち上がる。


 彼女をここに置いていくという選択肢はない。置き去りにすれば帝国調査隊がすぐに彼女を見つけるだろうが、それではアルは1Gも得られない。遺跡で見つけた遺物は無事に持ち帰ってこそ、自身の成果だと主張できるのだ。


 ……無事に帰るまでが遺跡探索だからな。


 幸いなことに彼女の身体は軽く、身体強化を使わずとも容易に運べる。


 アルは彼女を背負ったまま、足早に歩き出した。


 背中に感じる、温かさと柔らかさ。彼女は生きてるのだと、否が応でも実感させられる。


 ……そういば、昔―…。


 ふと、ずっと昔の記憶が脳裏に蘇る。


 それはまだ家族が離散せず、4人で幸せに過ごしていたころの記憶。


 あのころはよく、遊び疲れて眠ってしまった妹を背負い、こうして家路を歩いたものだ。


 当時は少し面倒に感じたものだが、今ならば分かる。あの時背中に感じていた温もりは、世界中のどんな遺物よりも価値のある宝物だったのだ、と。


 ―…両親が消え、妹がその身をブローカーに売り渡すまでそれに気づかなかったと言うのは、何とも間抜けな話であるが。


―にいさま!


―だいすき!


「……」


 どこからか懐かしい声が聞こえた気がして、彼は思う。


……俺は本当に売るのか?こいつを。

 

 確かに彼女には、一億G以上の価値がある。このまま持ち帰って帝国にでも売り渡せば、それこそ天文学的な額を出してでも買い取ってくれるだろう。


 その金を使えば借金も完済できるし、妹も、両親も探し出せるかもしれない。


 だがその後、彼女はどうなる?


 古代文明の謎を解き明かせるとなれば、相手がいたいけな少女であろうと帝国は容赦すまい。


 そもそも、帝国領内では人身売買はご法度…彼女を売るとなれば、”人間以外のモノ”として売買することになるのだ。


 恐らくは生きたままの解剖も厭わず、数々の非人道的な実験を行い…おおよそ人間としての扱いはされないだろう。


 ……確かに俺はあの日…妹を失ったあの時、”どんなことをしてでも、失った全てを取り戻す”と誓った。だが…。


 今も確かに感じる、背中の温もり。


 この温もりを…何の罪もない誰かの人生を、金のために平気で売り買いする。それはあの日、妹を買っていったブローカーがした事と何も変わらないではないか。


 ……罪人とは言え数々の人間を殺したり捕まえたりしておいて、今更こんなことを気にするのもバカらしいが。


 アルの口元がふっと緩む。


 彼は自嘲気味に笑い、誰にともなく呟いた。


「矛盾しているな…俺は」


 金のためならば何でもやると誓い、事実そのために他者を殺めることすら躊躇わなくなった自分。そんな人間が一億G以上の金を得られるチャンスを得たというのに、躊躇している。


 そんな現状がなんともおかしく、彼は静かに笑っていた。


 ……何はともあれ、無事に帰らなくてはな。


 背中に感じる、どこか懐かしい感触。


 心の内にどこか温かいものを感じながらも、アルは家路を急ぐのであった。

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