8 追加依頼

 「やってくれる……」

 その部屋に無理矢理押し込まれたアトレは、扉を睨んで恨めし気に呟いた。

 「はは、どうだ。面白かろう」

 野太い声の方を向くと、そこには見覚えのある姿が執務机にかけていた。

 「どういうことだ、ウェルタ・ノー」

 ウェルタと呼ばれた男は、紛れもなくこの館の主だった。恰幅かっぷくの良い外見は頭から足先まで整えられ、年頃の娘がいるとは思えないほどに若々しい。

 「ふむ……気に召さなかったか」

 「町の門と屋敷、二重に閉じ込めておいて何を言う」

 「……執事のバルが失礼したようだ。あいつはどうも私の意向をみすぎる」

 ウェルタは爪をやすりにかけながら答える。かりかりと幾度かそうすると、やがて満足したのか、かけていた椅子から立った。

 「改めて、この街の統治者の一人。ウェルタ・ノーだ。依頼の完遂、本当に感謝しているよ、アトレくん」

 「感謝しているなら先に依頼金を払ってくれ」

 アトレの要求はもっともだった。が、ウェルタはそれに対し磊落らいらくな笑いで応えてみせる。

 「当然金は出す。だが、その前に話があってな」

 アトレはもううんざりだった。依頼を終えたのだから金を払う。その程度のことがどうしてまともに為されないのか。ウェルタの機嫌を損ねることができない立場でなければ、大仰な溜め息で返事をしたところだった。

 「単に一仕事、というだけでは、勿体ないと思わないかね」

 が、ウェルタは街を統治する一人だという。迂闊うかつなことを言えばいよいよ街から出られなくさえなるかもしれない。アトレはウェルタの言を黙って聞く他なかった。

 「アトレくん、君の行動は全てこいつが見ていたんだが、気付いていたか?」

 ウェルタが両開きの窓を開け放つと、そこに青い鳥が降り立った。これまでアトレ達一行を追っていたものである。

 「……珍しい品種だ」

 「そうだとも。最近になって使われるようになった」

 ウェルタが軽く手を振って見せると、鳥はアトレの肩に向かって羽ばたき、そこに降りる。

 「飼っているにしても随分器用だ」

 自慢の玩具を褒められ、ウェルタは上機嫌になったようだった。アトレが促すまでもなく、その鳥について語り始める。

 「飼い主に忠実に従う手駒だ。視界を共有して、アトレくんの活躍を見守らせてもらっていた」

 「からくりの自慢はいい。何が要求かを言え」

 「冗談は通じないタイプか。まあいい」

 ウェルタ上機嫌な様子を収め、鳥を部屋の片隅に立てられた籠へ羽ばたかせると、さて、と言わんばかりにアトレに向き直った。豊満な腹がその勢いにたわむ。

 「少し話を聞いてくれ。君を買ってのことだ」

 アトレは今度こそ大きな溜め息で返事をした。

 「閉じ込められているんだ。聞く以外に選択肢はない」

 「……その件については私が全面的に悪かった」

 頭を下げるウェルタにアトレは虚を突かれる形となった。アトレからすればウェルタが閉じ込めの犯人なのだから、きょとんとした表情も当然と言うべきであった。

 ウェルタはアトレにソファを勧めると、危険が無いと教えるように自分がその向かいに座って見せた。アトレも真剣さを帯びるその表情に圧され、勧められるがままに腰を掛ける。

 「話を聞いてくれるか」

 「聞くだけは保証する。その後は報酬を受け取ってここを出る」

 ウェルタは両手の指を組み、三秒きっかり考えてから口を開く。

 「簡単な話だ。少し演技に付き合ってもらいたい」

 アトレは数秒間頭を真っ白にすると、胸の空気を全て吐き出すような溜息を吐いた。

 「演技って、一体なんのだ」

 うんざりしたという感情ごと胸の中にある空気を全て吐き出すと、アトレはウェルタを忌々し気に睨みつけた。苦労して依頼をこなしてみれば今度は演技に付き合えなどと言うのだから、確かに人を馬鹿にするにも程があるというものだった。

 ウェルタはアトレの怒気に気圧されたのか、街の統治者然とした佇まいからそれを一変させた。僅かに肩を委縮させ、視線は部屋のあちこちを彷徨さまよわわせている。落ち着きのない様子は何かに怯えるようにも見える。

 「……どうか怒らないでくれないか」

 その言い分もアトレにとっては無理のあるものだった。

 「依頼をこなしたらまずは報酬。どの傭兵でもこれは徹底している。ルールといってもいい」

 それを守らない以上、こちらの怒気も当然のものだ。アトレが言外にそう伝えると、ウェルタはそれに気圧けおされたのか懐に手を突っ込んで慌てる様子を見せた。

 「わ、わかった。まずはそうする。だから話を聞いてくれ」

 懐から束になった紙幣を差し出されると、アトレは一も二もなくそれを受け取った。

 「……確かに受け取った」

 その金額を確認することはなく、アトレは皮鎧の留め具を外して胸元を緩めると、その内側に取り付けられたクリップに紙幣を挟み込んだ。依頼金が文字通り懐に入り込むと、アトレはようやくウェルタの話を聞く姿勢となる。

 「それで、演技というのは」

 アトレの射るような目線が和らぐと、委縮したウェルタの表情に明るさが混じる。アトレが話を聞く気になるとわかり、ウェルタは前のめりになって依頼した。どこか必死さを窺わせる表情は、まだトラブルを抱えていることを示している。

 「明日一日、いや数時間でいい。騎士団と話す時に話を合わせてもらえないか」

 アトレはさっき吐いたのと同じような溜息をぐっと堪えた。今度はまともな手順を踏んだ依頼の話だ。頭ごなしに蹴り付けるわけにもいかない。まともじゃなさそうな気配のする依頼だったが、傭兵としてぐっとそれをこらえてみせる。

 「……理由と経緯いきさつを聞いてもいいか」

 「ああ」と、ウェルタはそれを語り始める。悔恨の混ざった声色だった。

 「誘拐が発覚した朝、バルに頼んで騎士団を呼んだ。来たのは粗暴で傲慢だと有名なリベオン・ラルの連中だった」

 アトレは聞き覚えのある名前に記憶を掘り下げた。テラウが嫌悪感混じりに言っていたことを思い出すと、ウェルタの苦い表情とそれを結び付ける。

 「アイツらは娘を助け出せたら愛人に寄越せなどと言ってきた。でなければ誘拐犯の慰み者になるだけだと最悪の想像で私を脅してみせた」

 ウェルタの膝に添えられた手が強く握られる。どう転んでも娘が無残な目に遭うと知り、その想像に怒りを覚えただろうことは想像に容易い。

 「その時は仕方がないと思いその条件を呑んだが……、だがどう考えてもおかしい。連中の言い分は、命と引き換えに人生を差し出せというのと同じだ」

 「理由は分かったが、テラウさんを救出したのは俺だ。そのリベオン・ラルとかっていう騎士団も、要求の条件が成立してない以上、さすがに何も言えないんじゃないのか」

 ウェルタが言うには、騎士団の要求は”助け出せたら”という条件に基づいてのものだ。アトレが先んじてテラウを救出した以上、その要求は前提が満たせない。ウェルタもそれは理解しているようだった。

 「連中は明日にでもここに乗り込み、強引に話を進めようとするだろう。その時に助けが欲しい」

 「それが俺に求める演技の内容というわけか」

 「そうだ」

 ウェルタは肯定すると、握り込んでいた手の力をようやく抜き、そこに懸念材料があるかのように部屋の扉をじっと見つめた。

 「引き受けてもらえないだろうか。報酬はもちろん弾もう」

 そう言われては、傭兵のアトレに断る理由はなかった。が、アトレにとって大きい懸念は残る。

 「……俺は大根役者だ」

 大根どころか、アトレに演技の経験はない。自信の無さも当然だった。ウェルタはアトレの人間らしい部分が垣間見えると、どこか気を緩めたようだった。

 「無理な芝居をする必要はない。必要な時に話を合わせてくれる程度でいい。恋人という設定ならどうだろうか。連中も諦めそうじゃないかね」

 「テラウさんの気持ちもあるだろう」

 言いながら、テラウは断らなさそうだと当たりを付ける。街の門前で粉を掛けてきたし、街中を歩くときはずっと隣にいた。憎からず思われている自覚はアトレにもあった。

 「私も見ていたからわかるが、テラウはどうも君に熱を上げている。個人的には複雑な感情だが、状況に対して都合はいい」

 言われると、アトレは目を閉じて唸る。アトレはテラウの好意を最終的にそでにすると決めていたが、会話を重ねて妙な期待を持たせることも避けたかった。この依頼に対して消極的なのは、そういった感情から街を去りたかったという部分が大きい。

 「……わかった。引き受ける」

 が、アトレは依頼を引き受ける。その理由はウェルタに与り知るところではないが、返事自体は確かな希望となった。自分の娘を救うために頼れる仲間が一人増えた。ウェルタにとってはそういう風に感ぜられただろう。しかし表情は喜びに沸くものではなく、むしろ引き締まったものとなる。

 「この話はとりあえず私と君とテラウ。三人の秘密としておこう」

 「構わないが、あの執事はいいのか?協力者は多い方がやりやすいだろう」

 「バルか。あいつは……いや、今はいい。問題ないだろう」

 妙な引っ掛かりを感じたアトレだったが、深い言及は避けた。

 (他人の家事情なんて知っても、気持ちのいいものじゃないだろう)

 それはアトレの経験則けいけんそくだった。いくつかの過去が頭の中に点滅すると、その表情は苦いものとなる。それを振り払うように、アトレは追加依頼に意識を向けた。

 「それについてはあんたに任せるが、肝心なことを忘れている」

 ウェルタはアトレの表情の変化を見逃さずいぶかしんだが、既に依頼を引き受けるという言質げんちは受けている。疑いにまで昇華しなかったそれを嚥下えんげすると、「聞こう」とアトレを促した。

 「俺にどんな演技をさせるかテラウさんに話を通しておけ。でなければ依頼は無しだ」

 ウェルタはアトレを部屋に入れてから、初めて表情をほころばせた。恋人役などという頓狂とんきょうな仮定にまで、アトレは真剣に思考を及ばせていたのである。先程まで報酬にうるさかった男が突如として自分の娘に気を向けたのだから、その落差に諧謔かいぎゃくを感じるのも無理はなかった。

 「わかった。当たり前だ」

 アトレは仏頂面のまま、対照的に笑うウェルタへ視線を刺し続ける。が、ウェルタにとってアトレはもう人間味のある傭兵でしかなかった。その視線に感じる強さも五割減というところだ。

 「君は面白い男だな。アトレ君」

 「不服だ。俺に面白みはない」

 表情を変えずに不満を鳴らす。アトレは自分が笑いの種にされることに慣れていなかった。居心地の悪い感覚が、アトレに軽めの後悔を抱かせる。報酬を貰ってさっさと出ていけばよかったと。

 「いいや、気に入った。……今日は夜も遅い。また明日の朝に話そうじゃないか」

 ウェルタは人懐っこい笑顔を浮かべ、立ち上がってアトレへ感謝の意を見せる。それにこそばゆさを覚えると、アトレは勢いよくソファを立った。

 「……失礼する。宿を取らなければいけない」

 アトレはウェルタに背を向けると、扉に向かって歩き出す。すると「おいおい」とウェルタはアトレを引き留めた。アトレは視線だけを向けてウェルタに続きを促す。

 「泊っていけ。どうせテラウからもそう言われているんだろう」

 「……そういえば」

 街を歩いていた時、テラウからそんなことを言われたのだった。すっかり忘れていたと、アトレは頭の中でテラウに詫びる。

 「実は部屋も用意させてある」

 ウェルタは立ち上がり、執務机の引き出しから陶磁器のような球体を取り出すと、それに手で触れつつ話しかけた。漏れる魔力の光が、最早重い空気の無い執務室に赤く溶ける。

 「リオ。執務室に」

 部屋の外から駆けてくる音。扉が開かれると、身長の低いメイドがそこに立っていた。明るい栗色の髪を高く結って後ろに垂らしている。身長はアトレと比べて頭一つ分以上の差はあるだろうか。子供だと言われれば確かにそうとしか見えないが、それにしては体つきが成熟している。凹凸のしっかりしたその肢体はアトレにとって目の毒だった。

 「お待たせいたしました!」

 しゅたっと居住まいを正すリオは部屋の敷居をまたぐことはなかった。微妙に離れた距離を埋めるように元気の良い声を弾ませて主人と客人に応対する。その様子にウェルタは機嫌よく口角を上げると、アトレを手で指して指示を出した。

 「お客人を部屋に案内してくれ」

 「わっかりました!」

 「それと、テラウはどうしている」

 「はい!もうお風呂を上がって、お部屋でお連れ様とお話してます!お呼びしますか?」

 リオはくるりと回ってその方向に足を向ける。いちいち動きの大きいメイドだった。

 「案内が先だ。その後でテラウだけを呼んでくれ。それと、待たせてすまないと」

 「かしこまりましたー!」

 再度ターンを決め、アトレの部屋があるのだろう方向に体を正対させる。何かにつけて動きのあるリオに、アトレは圧倒されていた。

 「……元気のいいメイドだ」

 声量もそうだが、何よりずっと笑顔を振り撒いている。アトレにとって初めて出会うタイプの人物であった。

 「だろう」

 ウェルタも満更ではないようであった。ふふんと鼻を鳴らすと、自慢気な表情を隠しもしていない。

 「えっへへー。褒めてくれてありがとうございます!」

 頭を掻く仕草で照れを隠す様は少女然としている。が、体をよじらせると、育ち切った体の一部が揺れ弾む。ウェルタにとってそれは娘を見るような感覚で活力を貰えるものだったが、女性に慣れていないアトレにとってはやはり目の毒だった。性的な刺激に過ぎるのである。

 「ほら、早くご案内差し上げろ。食事は部屋に運ぶように。食堂は私とテラウだけで使う」

 ウェルタの意図しない助け船は、揺れ続けるリオの胸部から意識を切るのに役立った。野太い声はアトレの冷静な部分を刺激したようである。

 「はい!それではお客様、ご案内いたします!」

 アトレは部屋を出ると、リオの小さな背中についていった。入ってきた時とは異なり、出る時はどうやら普通に出られるらしい。あるいは、屋敷の主がそうなるようにしているのか。

 階段を下りると、ウェルタの部屋が二階であったことをアトレは知る。吹き抜けの天井となったホールは、不気味な程の静寂に包まれていた。

 「こちらでございます!」

 足音を廊下に響かせて突き当りの部屋に着くと、リオはアトレを向いてにっこりと笑いかけた。

 かちりと鍵を回して扉が開かれると、リオは指先に白い光を集わせる。それが天井に吊られた淡く光る金属にふわりと投げられると、部屋が少しずつ照らされていった。

 (魔鉱まこうの照明か。……懐かしいな)

 部屋が白い灯りに照らされると、アトレは見たことのない豪華さに唖然とした。広い部屋。大きなベッド。書き物ができる机に、いくつか並べられた娯楽書。宿というにはあまりにも、人の暮らしが想定されていた。

 「宿を取らなくて正解だった」

 屋敷なんて呼ばれる邸宅の客室と場末の安宿を比較するものではない。アトレは内心反省していた。立派な客室に足を踏み入れると、またも敷居を超えないリオを振り向いた。

 「案内ありがとう」

 リオは「それでは」と言いかけて言葉を切った。何かに気付いたような表情は、彼女が振り撒いていた笑顔を始めて途切れさせるものとなる。

 「あ、灯りの消し方はご存じですか?この国ではまだあまり見ない照明ですので」

 リオが投げた魔力により点灯した灯りは、アトレの生まれ故郷では一般的に使用されているものだった。アトレの生家でも当然それは使用されていたため、使用方法も熟知している。

 「ああ。知っている」

 過去を思い出しつつアトレは天井の照明に手をかざす。リオがしたように魔力を投げ放つと照明はふいと消え、もう一度同じよう投げると点灯する。アトレの記憶通り、問題なく照明の操作はできたようだった。

 「大丈夫そうですね!それでは、失礼いたします!」

 リオはうやうやしく頭を下げると、大きな声とは裏腹に扉を閉める音は立てず去って行った。その声や仕草が元気に満ちていたからだろうか、広い部屋に一人残されたアトレは身体の疲れがどっと出たようだった。

 (……疲れたな)

 見たこともない程の大きなベッドに腰を掛けると、アトレはあまりの柔らかさに体勢を崩した。仰向けに倒れると、布団は心地の良い香りでアトレを包み込む。

 誘拐犯達に雇われるように動きまわった昨日の昼から、アトレは碌に眠っていない。気を張り続けていたその時間分、当然とも言うべき微睡まどろみが意識を浚っていく。

 (そういえば。今回の依頼……)

 アトレは少女達を救出した森に思いを馳せた。焚火。馬車の荷台に寝かされたテラウ達。騎士の足跡。一台の馬車。次々と今日の記憶が流れていく。その中にあるいくつかの違和感が、眠りに漂白されていく意識の中にぽつんと佇む。

 (妙な点が、いくつか……)

 そこまでを何とか頭の中で絞り出すと、アトレは靴も脱がずに眠りに落ちた。

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