7 薄い敵意

 陽の暮れた頃、傭兵の一行が街に到着する直前、彼らは人目につかない場所で馬車を乗り捨てた。街の入り口を守る門兵に騎士団の紋章が描かれた馬車が見られようものなら、一行には窃盗の疑惑が掛かったことだろう。

 三人が町の門前に辿り着くと、令嬢の姿を認めた門兵が駆け寄ってくる。街を守る兵士からすれば、そこ住まう貴族のことなど知っていて当然。ましてや、それにまつわる事件についての情報も当然持っているのだった。

 「おかえりなさいませ。お嬢様方。ウェルタ様からお話は伺っております」

 鎧と槍で武装した門兵が頭を下げる。令嬢はそれに対し会釈えしゃくで返すと、優美な笑みで二人いる門兵を労った。

 「忙しいところごめんなさい。どなたか父に連絡して、迎えを寄越よこしていただけるかしら」

 真っ直ぐに見つめられた門兵は少しの間惚ほうけていたが、ハッとそれを立て直すと一行に門前で待つように告げ、急ぎ足で駆けて行った。

 「しばしお待ちください」

 残された門兵がとろけそうな表情を堪えつつ言うと、少女らは門から少しだけ距離を置き、そこから続く街道の端に屯した。

 「……二人とも、疲れただろう」

 優しい風が吹く中、口を開いたのは傭兵だった。少女らはこれまでろくに話さなかった彼の賛辞に少しだけ驚きを見せたが、裏の無いことが分かると、それは安心感に変わっていった。

 「おにーさん、気の利くこと言えたんですね」

 小柄な少女が反応するが、それは令嬢も同じ意見だったろう。二人は傭兵の反応に目を遣った。

 「思ったことを言っているだけだ」

 「はい、馬車を動かす直前にも言っていただけましたわ」

 「あ、おにーさん、お名前聞いてませんよね」

 脈略なく変わった話題に、しかし男は眉も動かさなかった。「教える必要はないが」などと突っ返すと、明らかにむすっとした様子で令嬢が詰め寄る。

 「いいえ、私も知りたいです。お教えいただけますか?」

 「……アトレだ」

 傭兵が短く名乗ると、令嬢はその響きを胸に仕舞い込むように数度繰り返した。小柄な少女は自分で聞いておいて興味のない風だったが、結局「おにーさんの名前覚えましたー」と、まるで覚える気のない返事を返す。

 「はい、アトレ様」

 そう呼ばれると、アトレの背中にぞわぞわとした感覚がい登った。慣れない呼び方をされるものじゃない。アトレはやめろとばかりに手を振ってその感覚を誤魔化した。

 「様はやめてくれ」

 「では、アトレさん」

 「……まあ、それなら」

 不承不承ふしょうぶしょうといった風だが、アトレはそう呼ばれることを許した。もっとも、依頼が完了すれば会うこともないだろうが。

 (相手が自分をどう呼ぶかなんて、俺自身が決められるものでもないし)

 誰かに聞かれれば即座に反論を招くだろうアトレの内心を無視するかのように、令嬢はその手を取った。仕草には僅かばかりの必死さが漏れ出ていた。

 「私はテラウです。テラウ・ノー」

 「俺にこの件を依頼したのはウェルタ・ノーという人物だが」

 「まあ、それは父ですわ」

 じっと見つめ合う二人の片側、アトレの手を握りしめるテラウの側に熱っぽい空気が流れ出す。手から手へと手に熱が移る。交わされる視線もどこか色を帯びていく。

 アトレにとってそういった体験は初めてではなかった。助けた誰かに淡い慕情を抱かれる。若い男であるアトレは胸の高鳴りを感じないわけではないが、

 「テラウさん、まだ依頼は終わっていない。気を抜くのは早い」

 と、それを突っぱねる。アトレにとって彼女が魅力的でないというわけではない。むしろ長い髪と女性的な体つきは好みそのものだった。その証拠と言わんばかりに握られた手はどんどん熱を帯びていき、視線はテラウに吸い込まれていく。

 「さん付けは苦手ですわ」

 その気配を感じ取れない程、テラウは子供ではなかった。少女と女の混ざる年齢にしか作れない色気を、しかしアトレは再び振り払う。

 「テラウ様」

 「まあ、冗談がお上手ですわね」

 一見すればお互いの距離感を計れない不器用な二人に見えるが、表面的なやり取りとは異なり、二人の間では奇妙な心理戦が行われていた。

 貴族として生を受け育ってきたテラウにとって、名前を呼び捨てられるというのは特別なことだった。それまで身内にしか許さなかったそれを、言外にアトレにもねだる。それは紛れもない慕情の表れであった。要は、アトレをどうにかして自分のものにしたかったのである。

 「おにーさん、私はモノですよ」

 割って入ったのは小柄な少女だった。何が起きているかわかっているのだろう。アトレが不器用なやり取りを続けるであろうことが想像できたモノは、助け船のつもりで名を告げたのであった。

 「モノ様」

 が、状況は悪くなるばかりだった。テラウにとってそれは、アトレが身分の高い誰にも同じ接し方をするのだと裏付けるものでしかなかった。積極的にアトレへ接するテラウにとって、気持ちをより燃え上がらせるライバルが増えただけのこと。気持ちが燃えている間、それは誰にも止めようがないものである。

 「アトレさんは傭兵稼業が長いのですか?」

 呼び方については一旦保留としたのだろうと、テラウの質問にアトレはひとつ安堵する。

 「二年ほどだ」

 「あら、拠点はこの街で?」

 「いや、旅をしている。ここ、ストフィルの街には何日か前に立ち寄った」

 二人はそこを入り口に、好きな食べ物やら天気やら、周りが見ていても安心する話題へと移っていった。隙あらば手を強く握ったり目を真っ直ぐに見つめるなど、テラウはアトレを落とすためにある種の必死さを見せている。

 (悪い気はしないが)

 アトレは内心呟いた。婦女子に言い寄られるのは悪い気がしない。男ならばほぼ全員が持ち合わせる情欲とも呼べるそれを、しかしアトレは後ろめたくも感じていた。この令嬢と親密にすることは依頼されていないのである。

 「おにーさん、あれ」

 モノの指差した方向は街の門だった。見れば、何人かの兵士らしき影がこちらに向かっている。

 「父の遣いでしょう。私が行きます」

 「……ありがとう」

 「ふふ、お話の続きはまた後で」

 テラウが兵士らの方へ向かうと、モノがすぐにアトレのかたわらへ寄ってくる。ある程度成熟したテラウとは異なりまるで少女なモノに、アトレはどこか安心するのだった。

 「はあ……」

 「おにーさん、疲れてます?」

 「少し」とこれまでの道中を振り返る。思えば、誘拐犯達に雇われた昨日の昼時からろくに眠っていない。眠気を帯びる中、ここまで集中できたのは奇跡とも言ってよかった。アトレはようやく気が緩んだのか、軽い眠気を自覚する。

 (いや、まだ依頼は完了していない)

 頭を振って気を張り直すと、モノは急な動きにわっと後退あとずさった。

 「すまない」

 「あ、いえいえ。その様子だとずっと寝ていないんですよね。……私達の為に」

 そう言うとモノはアトレの皮手袋をした手に触れる。手を握らなかったのはモノがアトレに慕情のないことを示すためだろうか。アトレはテラウの時とは異なり、どぎまぎすることもなくそれに答えることができた。手の甲に、僅かな熱が伝っていく。

 「……みんな無事でよかったよ」

 優しい声色は、果たして誰に届いただろうか。これまでもアトレはそのために動いていたが、心情としての安堵を吐露とろしたのは、少女らと合流してからはそれが初めてのことだった。張りつめた表情のまま漏れた言葉は、しかし暖かさに満ちていた。

 「お待たせしました。一度私の家に移動するとのことです。行きましょう」

 「わかった」

 アトレが立ち上がると、テラウはその横に堂々と立ち並んだ。少しばかり威嚇するような目線を振り撒いたが、モノはそれにもこたえない。興味の向くまま視線をあちらこちらへと移すばかりだった。

 (良く分からない奴だ)

 アトレがその様子に僅かばかりの笑みを浮かべると、テラウはそれが自分に向けられたものだと言いたげに距離を詰める。

 「アトレさん。良ければ今晩はうちで休んでいってください」

 その声は最早少女の皮を脱ぎ捨て、女としての自分を見せつけるかのようだった。少なくともアトレにはそう感じられる程濃密な色気に満ちた誘いだった。

 その文脈は一行を迎えに来た、しかし少女らが誘拐されたと理解している兵士達には対応されづらい。純粋な礼にも取れるし、二人の物理的に近い距離を見ていれば恋仲のようにも感ぜられる。「それは謝礼として?」などと聞いても、「当然です」以上の答えが返ってくるはずもない。

 そして雇われ傭兵に過ぎないアトレは当然、貴族からの提案を断ることもできない。

 「……まずは依頼の完了を確定させたい」

 せめてできるのは、このように返事を遅らせることだけだった。

 「真面目なのですね」

 が、何を言ってもいいように取られてしまうのである。

 「お嬢様方、門を開きます。お足元に注意を」

 一行を前後で挟み誘導する兵士の一人がそう言うと同時、ガラガラと音を立てて木造りの門が持ち上がる。全員がその内に入ると、門はすぐに重く閉ざされた。

 「……依頼を受けた時は門が開きっぱなしだったが」

 「あら、確かにいつもはそうですわね」

 少女らは皆、アトレの疑問に同じ意見のようだった。いぶかしげに背後の門へ視線を注いでいる。

 「外に出したくない人がいるとかですかねー?」

 モノが呑気には答えるが、その想像には剣呑けんのんさが貼り付いていた。外に出したくない程の要人、あるいは危険因子。一難去った今この時に、自分に降りかかる災難は当然、誰から見ても御免被るものだ。

 「俺達には無関係だろう」

 願望混じりの言に少女らは乾いた笑いで同意した。「さて」と、今度は進行方向の町を眺める。

 街は整備された石畳の通りで一行を迎えた。そこは賑わいを見せる露店街で、一見するだけでも旅の支度を整えるに適しているとわかる程、開かれた店は多様だった。

 (報酬をもらったらこのあたりで宿を取ろう)

 テラウの家に招待されていたことをもう忘れ、アトレは今後の予定を立てる。拾い物の剣の損耗は僅かだがぎに出そうだとか、報酬の如何いかんによっては鎧を買い替えようだとか、旅の傭兵としてごく当たり前のことを考えていた。その視線に気付くのが遅れたのは、そういった青写真あおじゃしんを描いていたからだろう。

 道行く人々が一行を凝視している。その理由は明白だった。薄汚れた皮鎧の傭兵一人に、寝間着ねまきの少女二人。しかも少女らはどこか気品を漂わせているのである。兵士に挟まれ、まるで連行されているかのような一行は、当然ながら衆人の注目を受けた。

 「……見られ過ぎているな」

 傭兵が呟くと、いつの間にか傍らに来ていたモノが苦笑した。「そりゃ、ねー」と自分の服をひらひらと持ち上げて見せる。ちらりと覗く肌が周囲の視線を更に集めたことは言うまでもない。

 「見せびらかすな」

 モノの手が軽く叩き落される。少女ですら痛みを感じない程度のそれに、モノはきょとんとした様子だった。

 「すまない。痛かったか」

 「ううん、大丈夫です」

 モノはそれだけ言うと、今まで通り視線をあちこちに投げていく。アトレの持つ剣と店の軒先に置かれたそれを見比べたり、庶民的なアクセサリーに目を輝かせたり、その様子はどこからどう見ても無邪気な子供であった。

 周囲からの視線とモノの振る舞いにアトレがいよいよ参り出した頃、一行はようやく露店街を抜けていくつかの坂を上り、静かな邸宅の立ち並ぶ地区に足を踏み入れた。

 「いかにも貴族の人が住んでそうな場所ですよねぇ」

 「お前もこういったところに住んでいたんじゃないのか」

 「もっと賑やかでしたねぇ」

 軽口を叩くモノの定位置は、アトレを挟んだテラウの反対側となっていた。アトレに粉を掛けようとしているテラウにとっては面白い話ではない。が、モノは明らかに小柄で振る舞いも幼い。子供のやることだろうと、テラウは敢えてそれを見逃していた。

 しばらく歩いた先、一行はようやく目的地にたどり着くと、「それでは、失礼いたします」と兵士らは颯爽さっそうと去って行った。

 「おかえりなさいませ!お嬢様!」

 勢いよく開かれた屋敷の門から老紳士が飛び出してくる。黒い使用人服を綺麗に着こなした、誰が見ても執事や使用人長といった風体だった。細く束ねられた白髪混じりの髪と年季の入った丸眼鏡がよく似合う男だった。

 「じい。出迎えありがとう」

 「いえ。帰って頂けましただけで私はもう……」

 涙をたたええながらも、老紳士はテラウの無事な姿を目に焼き付けた。気遣いが本業の使用人がその傍らにいる傭兵に気付かない程に。

 「あの、じい。私、早く部屋に戻りたいのだけれど」

 「……大変申し訳ございません。お嬢様、メイド達が湯殿ゆどのを準備してございます。まずはそちらへ」

 テラウが促され、門を潜り屋敷の中へ入っていく。

 「そちらのお嬢様も、よろしければお湯浴みをしていってはどうでしょうか」

 老紳士の提案に、モノは色めいて声を上げる。ここに至るまで慣れないことをいくつもしたのだ。体の各所はもちろん汚れている。テラウに次いで促されると、モノはメイドの案内を先頭に屋敷へ入っていった。必然、アトレはその場に老紳士と二人になる。

 「報酬の話がしたい」

 傭兵として当然の発言だった。が、それを遮るような勢いで老紳士はアトレに言い放つ。どこか僅かな敵意すらをも感じる視線に、アトレのそれも僅かな緊張を帯びる。

 「あなたには御屋形様おやかたさまからお話がございます。どうぞ中へ」

 そういった言い回しはアトレからすれば予想の範疇はんちゅうだった。色々と難癖をつけられ、結果報酬は雀の涙程度にしかならない。以前からよくあることだった。

 (金払いのいい貴族はいないとよく言うが。本当だな)

 内心言ちるが、かといって貴族の呼び出しを無視してはお尋ね者になりかねない。アトレは門の内側へ一歩踏み入った。

 アトレが門を踏み越え屋敷の玄関扉の前に到達する直前、潜ったばかりの門が閉じられる音背後にを感じた。それ自体は何らおかしいことではない。が、背後から漏れる魔力の波は、庇の下に立つアトレにまで届く。魔法の気配にアトレは大きく溜息を吐いた。

 (魔法で鍵?……閉じ込められたか)

 うんざりした気持ちの向き先は閉じ込められたことにではななく自分の浅薄せんぱくさについてだった。街の門が閉められた時「俺達には無関係だろう」などと軽く考えたことから始まったのだろうか。いずれにせよ、アトレにも僅かな気の緩みがあったことは事実だった。

 「どうされましたか?」

 促されるまま重厚な玄関扉を押し開けると、そこは屋敷の執務室だった。扉の縁には門と同じく橙に光る魔力が漂っている。閉じ込められたのと同様、こちらも何らかの魔法であることは間違いなかった。

 「おかしい。こんな屋敷の玄関ってのは吹き抜けのホールがあるもんじゃないのか」

 「当家は特殊な構造でして。お入りを」

 アトレは背中をぐい、と押されると、背中越しに扉の閉まる音を聞いた。振り返ればもう、そこにあるのは何の変哲もない扉であった。

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