6 森を抜けて
傭兵が手順を説明し終えると、少女らはその単純さに苦笑した。
「これじゃあ私達が泥棒みたいですね」
小柄な少女がそう言うと、これまで一緒にいたことで妙な絆が生まれていた彼女らの間に、小さく笑い声が起こる。
(変に緊張されるよりは少しだけ抜けている方がいいか)
傭兵はそう考え、少女らを
「よし、行け。馬車の近くに目を
少女らは口を手で塞ぎながらゆっくりと移動を開始した。突っ立っている騎士を大きく迂回して、こっそりと馬車に乗り込む算段だ。
作戦、という程のものでもない。傭兵が騎士の気を引いている隙に少女らは馬車に乗り込み、全員が乗った段階で馬を走らせるだけのもの。単純で大雑把な工程だが、要項が少ない分には失敗率は下がる。少女らにとってそれは利点でしかなかった。
「さて」
少女らが見えなくなると、傭兵は木陰から顔を出す。
「あ、行くんですね」
傭兵の後ろからこそこそと出てきたのは小柄な少女だった。居心地の悪そうな苦笑で傭兵に笑いかける。
「……なぜここにいる。あいつと行ったんじゃないのか」
「まあまあ」
令嬢が既に動き出したのは事実。迂回するとは言っても長い時間はかからないだろう。傭兵はすぐに行動を始める必要が確かにあった。
「今からあの騎士に仕掛ける。お前を守りながらは戦えない」
「んー?あ、おにーさん、戦うつもりだったんですね」
小柄な少女は手近な木の
「最初からそう言っている」
「殺すのはダメなんですか?その方が手っ取り早いです」
提案は、以来達成の効率という考え方という面において合理的だった。しかし。
「そうできれば楽なんだが、相手は騎士団だ。国の組織に喧嘩を売りたくはない」
少女はふむふむと頷いて納得してみせた。「もういいだろう」と傭兵は行動を起こそうとするが、少女は止まらない。
「正面から行くのはどうしてですか?」
傭兵は剣を抜き、目線は騎士の方へ遣ったまま口を開く。小柄な少女は剣が珍しいのか、薄暗がりに鈍く光るそれへの興味を隠せないようだった。
「理由はいくつかあるが、背後から昏倒させるなんて器用な真似、俺にはできないからだ」
「おにーさん、器用そうですけど」
周囲に大小様々な木々が茂っている。少女の言及は、その状態で物音を立てずに剣を抜いたことを指していた。
「買い
馬車の方に、まだ令嬢らは到達していない。もう少しは話していても大丈夫だろう。傭兵はもう少しだけ少女との会話に付き合うことにした。
「殺すのはどうしてナシなんですか?」
当然の疑問であった。それができるのなら、救出対象の誰かに気を引いてもらうだけで事は済む。背後から一突きする。たったそれだけで今抱えている問題のほぼ全てを解決できるのは間違いない。
合理的な選択をしない理由があるならば、それは感情を優先したものに違いなかった。
「……あいつにも家族がいるだろう」
傭兵の言い分は、少なくとも少女にとって疑問符を禁じ得ないものだった。それを感じ取ったのか、傭兵は補足を連ねる。
「気付かない内に馬車が盗まれていました。なんて報告してみろ。そうなればあいつは
少女はにまにまとした笑顔で傭兵を見つめる。この人は優しい。そんな確信をすると、妙に生温い空気が二人の間に流れた。
「じゃあ、もう一つ」
「これで最後にしてくれ。そろそろ動きたい」
空気を振り払うような声色に、少女もつられて深刻な顔になる。よく考えずとも、状況は長々と雑談できるほどにいいものではない。森を行った騎士達は
傭兵が馬車の方を見れば、騎士の死角となる位置に令嬢が待機している。行動を開始するには丁度いいタイミングだった。少女もそれに気付くと、出しかけた疑問を引っ込めた。
「いえ、やっぱりあとで」
「たすかる。今からでもあっちに合流できるか」
「はい、おにーさんが気を引いてる間に行ってきますね」
「よし、行くぞ」
二人はそれぞれ動き出した。少女は森を行き令嬢の元へ。傭兵は騎士の元へまっすぐに。傭兵が森から顔を出すのはすぐだった。
「なんだお前は!」
傭兵が抜剣した姿で飛び出すと、騎士は警戒心を最大限高めた。左手で構えた
「いきなり物騒だな……」
「何者だ!」
「あんまり細かいことを気にしてると
軽口は時間稼ぎであることは言うまでもなかった。騎士の肩越しに見える令嬢らは、物音を立てないように森の端から馬車の陰へと忍び寄っていく。傭兵はその意外な程の早さを認めると、苦手な時間稼ぎを長々やる必要はなさそうだと安堵した。
「質問に答えろ!さもなくば射る!」
「わかったわかった。それで、質問ってのはなんだ?」
「何者だと聞いているだろう!答えなければ……」
弩の引き金に指がかかる。今にもそれを撃ち出しそうな緊張感の中、馬車裏の令嬢達は機を
「俺は何者か、って随分難しい質問をするな、あんた」
時間稼ぎもそろそろ限界だ、と傭兵は警戒を強めた。剣を握り込み、弩の引き金をじっと見つめる。そこに力が籠められるのを確かに見ると、傭兵は素早く体を
数瞬前まで上体があったその位置をボルトが空を切って通過する。空気の裂ける音が傭兵の
「クソッ!なんなんだ!」
傭兵の三歩目が地を踏みしめる頃、ようやく騎士は頭を切り替えた。再装填している暇はない。
(あと一歩で間合いに入る。どうやら相手は混乱している。大きく振りかぶっておけば素直に対応するだろう)
傭兵が三歩目を蹴り出すと、騎士は無用の長物と化した弩を、再装填しかけていた矢ごと投げ付けた。
(投げ返すか。いや、振り払う)
傭兵は体を一度閉じ、僅かだけタイミングを合わせた。体を開き上体を起こす動きに連動させ剣を振り上げると、矢は両断され、弩は弾かれて森の中へ吹き飛んでいく。同時に四歩目が地に着くと、もうお互いは剣の間合いに入っていた。
「は、や……!」
振り上げた形となった傭兵の剣にもう片方の手が添えられる。両の手でしっかりと握られ、大上段に構えられたそれに、騎士は受け手の準備が間に合わない。流れの中で作られた構えに見入り、呆然と傭兵に相対する。
「っ……」
軽く息を吐きつつ、しかし確かな速度と重みを以て振り下ろされるだろう大上段。その威圧は騎士に死を予感させるのに十分だった。先に傭兵が話していた殺しはしないとの言があっても、それは命を絶つだけの
「ぁ」
短い
騎士は中段正対に構えられた剣でそれに迎える。その姿勢から適う攻撃は突きのみだ。力は要らず、ただ前へ剣を突き出せばよい。相手の勢いが乗っている今であれば、勝手に喉笛を貫かれるだろう。少なくとも無力化という面においては十分な手に思える。
「っ、ゥうぉああああああ!!」
力の入らないただ突き出しにそれほどの叫びを要したのは、死の恐怖から逃れるためであった。あまりにも判断の遅い反撃。騎士には気勢で互角に立つ以外、相手に立ち向かう方法が見えなかった。しかしその気炎は、既に朽ちていた騎士に一手の反撃を与える。
傭兵が振り下ろさんとする死神の鎌。死という生命共通の恐怖にしかし、騎士は立ち向かった。その恐怖を振り払う勇猛な一撃。力の無い、否、最早それすら不要の、速さだけを求め伸びきった手の先にある白刃はしかし、騎士に
(順調だな)
傭兵は実際に剣を振り下ろしてはいない。その気配を匂わせただけであった。誰が見てもそうだと、そう振り下ろすしかない構えに相手に対応させる。
それと同時に行っていたのは、馬車に乗り込む令嬢らの確認だった。視界の端に映った彼女らは、馬車の荷台から顔を出してこちらを心配そうに見つめている。
(よし、もういいだろう)
安直な攻撃が来ると読み切っていた傭兵は、最小限度の動きでそれを躱していた。体を僅かに傾けると、切先は空に泳ぎ惑う。そのまま切りかかれば喉笛を貫かれていたことだろうが、必殺も当たらなければ
「うわッ!」
先程の気勢が嘘のように情けない声を出しつつ、騎士は仰向けにすっ転んだ。剣も取り落とし、自身の状態を把握する頃には、傭兵がその眼前に剣を突き付けている。騎士は抵抗の意志が無いことを閉じた目と天に向け開いた掌で示していた。その心から溢れた熱は、優しい風によって緩やかに冷えていく。
「……」
傭兵は言葉もなく剣を収めると、その代わりと言わんばかりに騎士の頭を思い切り蹴り付けた。側頭部に直撃したそれは騎士の意識を絶つに十分なものだった。
「……よし」
白目を剥いた騎士に呼吸があることを確認すると、傭兵は既に動き始めていた馬車に意識を向ける。すると馬車を止めた令嬢が馬から降り、こちらに駆け寄っていた。
「お怪我は……」
大丈夫だと手でそれを制すると、傭兵は馬車の方へ歩み寄る。
「結局倒してしまったのですから、私達がこっそり乗り込む必要もありませんでしたわね」
令嬢は冗談交じりに言うが、自身の行動が何を意味するかは分かっていた。傭兵が騎士に敗れた際、無理にでも馬を走らせて逃げられるように。別行動はあくまで傭兵がかけた保険だった。
「そっちは無事だな」
「ええ。問題ありませんわ」
答えた令嬢に、傭兵は今日初めての安堵を見せた。その様子は張りつめていたこれまでとは異なり、優し気で、しかし今にも消えてしまうそうな儚さをも
「……ならいいんだ」
声色さえ穏やかだったが、それも一瞬のことだった。突然優しくふるまわれた令嬢は、既に気を張り直した傭兵の様子を不思議そうに見つめる。その頬は僅かに
「この模様に見覚えはあるか」
指差されたのは馬車の荷台に描かれた模様だった。首輪を付けた虎の紋章は、何らかの組織のものであると想像に容易い。
「リベオン・ラル騎士団のものです」
答えた令嬢の表情は複雑なものだった。悲しみとも怒りともつかないそれは、いかにも嫌悪を示したものであった。
「その騎士団については後で詳しく聞くとしよう」
傭兵は止まった馬の
「おにーさん。私、乗りたいです」
にゅっと現れたのは小柄な少女だった。馬を挟んで傭兵の反対側から、鞍に手をかけて体を乗り上げようとしている。
「……荷台に戻れ。馬には俺が乗る」
ちぇー、と少女は荷台に駆けていく。令嬢はその様子を見ると、張りつめていたものが切れてしまったようだった。
「ふふ、やっと帰れますのね」
「ああ。もう少しだが、油断はするな」
「ええ」と荷台に令嬢が乗り込むと、傭兵は馬に
馬車が少女らを乗せて動き出す。その様子を高い木の上から見ていたのは、一行を追跡していた青い鳥だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます