第一章「動機の要らない事件」

5 傭兵の仕事

 真昼時まひるどきの少し前、国境沿いの山のふもと。森の上を鳥の群れが通過していく。その中の青い一羽は群れを外れ、森の中に降りていった。

 鬱蒼うっそうとした森の道を一台の馬車がゆっくりと進んでいく。魔力の運用技術が高まった昨今、馬力で走る貨物車を用いるやからは数多くない。その大半が金のない悪党だ。先頭の男が馬を引いて歩くと、それに追随ついずいして全員が道を行く。

 馬車の周りに隊列を組んで歩く六人の内、長剣を持つ傭兵の男を除いた全員が、いかにもと言わんばかりの悪党であった。その理由は馬車に引かれた荷台を見れば瞭然りょうぜんだ。積荷はさらった令嬢一名と、訳ありの少女が一名。いずれも容姿端麗で、見るからに育ちの良い者である。悪党とは対極に位置する可憐な彼女らは、今のところはまだ呑気に寝息を立てていた。傷一つ無く丁重に扱われている様子は、この誘拐が短絡的なものではないと裏付けている。

 「そろそろ休んだ方がいい。疲弊していては騎士団の追撃を振り切れない」

 声を上げたのは皮鎧を着た傭兵の男だった。短い黒髪の彼は旅の傭兵だといい、ろくに話もせず誰にでも無愛想だったが、仕事には真摯しんしである。悪党たちの認識はそのようなものだった。出会ってまだ十数時間。たったそれだけで信頼を勝ち得る程、その態度を徹底している。

 「お前が言うならそうしよう」

 一行は密輸や密売に使われる道から馬車を逸らし、森と道の境目から進んだ先の、岩や木々で遮られた空間に隠れ潜んだ。慣れた手付きで野獣対策の火を起こすと、リーダーを自称する男はさっさと横になり、目を閉じて言い放った。

 「交代で休憩だ。俺らは先に休む。下っ端と傭兵、お前らは見張っとけ。何時間かしたら誰でもいいから起こして交代。いいな」

 下っ端のバンダナ男と今回の仕事のため雇われた傭兵の二人は、寝息を立てた仲間達を起こさぬように離れ、なるべく死角を作らないように警備を始めた。

 昼間から不寝番ふしんばんありきの六名で休息を回すのであれば、十分な休息となるのは夜も更ける頃になるだろう。二人は長い時間の警備を覚悟するのであった。ただでさえ重いまぶたを無理やり開いて数時間は経つ。いい加減下っ端の眠気は限界だった。

 「ねむ……」

 下っ端のバンダナ男がちる。鬱蒼とした森の中、自分達が通っていた道はどちらだろうと周囲を見渡すと、目印になりそうな背の高い木をひとつ見つけた。

 その木を背に正面が自分達の来た道だ。しかし自分達は、その道をどっちに行くのが正しいのだろう。道を左に逸れて森に入ったのだから、戻った時にも左に進めば行きたい方に行けそうだ。

 そんなことを考えていると、ざあ、と強い風が森を吹き抜けた。眠気に浮つく頭に心地がよい。バンダナ男はそれでもなお眠気をこらえ、見張りの相方に声をかける。あるいは、それ自体が自分への言い聞かせだったのだろう。

 「おい……、寝るなよ……。もうすぐ誰か起こすから……ふぁ……」

 明らかに寝そうなな声。頭と尻を痛い程に掻き、眠気を強引に押さえつける。相方の傭兵は無愛想にこくりと頷くと、森から離れ行く鳥達を見送った。

 相方はこの仕事のために雇った傭兵だった。しかし仲間内の評価は高かった。歓迎の宴とばかりに、少女の内一人を攫った直後に酒盛りを開いたが、この男は要らないとそれを突っ返すだけ。仕事中は飲まないし、そしてサボらない。実に真面目な働きぶりが仲間達からの信頼を稼いでいた。下っ端働きのバンダナ男はそのプロフェッショナル振りに強い感銘を受けていた。

 相方の傭兵は眠気をまるで感じさせない素振りで頷くと、そっぽを向いて警備に戻った。バンダナ男はそれにならい、一言も話さず、更には物音すらをも立てないよう周囲の警戒に努めた。静かな森の中に、仲間達の寝息と吹き抜ける風の音だけが鳴り渡る。

 (そういや、この仕事が始まってから何日もロクに寝てねぇ)

 バンダナ男はその心地良さにとうとう思考が覚束おぼつかず、意識も半分は夢に落ちていただろうか。それに気付くと、その度に頭を振って目を覚ます。涙ぐましい、あるいは微笑ましくも見える努力は、相棒にしっかりと見られていた。

 「寝ていいぞ。もう少しでどうせ交代だ」

 相方の優しさが身に染みたバンダナ男は、しかし眠気に耐えることは考えられなかった。弱く返事をすると、焚き火を囲んで眠る仲間達に加わり目を閉じた。

 (鳥、停まってる)

 バンダナ男が眠りに落ちる寸前、男達をじっと見詰める青い鳥が、高い木から飛び立った。

 寝息が五つになったことを確認すると、傭兵は浅いため息を一つ吐き、眠る全員の視界から外れる馬車の荷台、その陰に音を立てずに歩く。

 (全員寝ているとは思うが)

 傭兵は念の為、馬車の影から全員が眠っていることを確認する。こちらを向いているのはリーダーと下っ端の二人。すやすやと気持ちよさそうに眠っている。後の三人も規則正しく胸を上下させていた。

 (さて)

 傭兵はある貴族から請け負った依頼を思い出す。昨日の昼前のことだった。

 その朝、自分達の一人娘が攫われたという。それを騎士団より先に救出しろというもの。救出対象は一人。計画的な犯行の後始末は骨の折れる仕事だったが、傭兵にはいつものことだった。問題はむしろ、依頼人が貴族だということにあった。金払いのいい貴族には裏があるものである。

 相当な立場にあるらしい依頼主は、自分のために動くであろう騎士団を信用出来ないとの事だった。今回の事件に動く騎士団は粗野そやな連中の集まりらしい。大事な一人娘が彼らに救出されては、文字通りの傷物きずものににされてしまう可能性すらあるのだとか。

 無論それを額面がくめん通りに受け取れる程、傭兵は簡単な職業ではなかった。裏のありそうな匂いを感じつつも、路銀ろぎんに困っていたのもまた事実。それに、誰かが少女を救出しなければ余計にどうなるか分かったものではない。いぶかしいとは思いながらも、傭兵はその依頼を渋々ながら引き受け、その後いくつかの巡り合わせにより今に至る。

 現状を再認識した傭兵は馬車の荷台を覗く。目標の少女達がいることを確認したが、その人数は二名だった。

 (二人?……依頼された人数より多い)

 一人娘と聞いていた傭兵だったが、いやと首を振り、今やるべきことに意識を向ける。

 (どの道両方助けなければ真っ当な未来はないか)

 傭兵は荷台に乗り込むと、抜いた剣で少女らの手足を縛る縄を手早く切り裂いた。その内金の長い髪を持つ一人の顔を軽く張って起こすと、悲鳴を上げるなと言わんばかりに口をふさぐ。

 「む、…むーっ!!」

 「落ち着け。ここにはお前を誘拐したやつらが眠っている。暴れると殺されるだろう」

 案の定と言わんばかりに暴れようとする少女だったが、傭兵の忠告を一旦は素直に受け入れて大人しくなる。

 「……起きてはないようだ」

 荷台から顔を出し、寝姿が先程の確認と相違ないことを確認する。意識を荷台内に戻すと、起こした少女は傭兵をじっと睨んでいた。

 「……なんとなく状況はわかりました。それで、助けはどこですの?」

 令嬢然とした口調は、誘拐されたとは思えない程に冷静だった。見知らぬ男に見知らぬ場所だというのに、胆力が強いものだと傭兵は感心する。暴れ出したり叫んだりしないことは、傭兵にとってありがたい話であった。どこか慣れているようにも感じた傭兵だったが、それ自体は都合がいい。

 「助けは俺だ。一人で悪いが、指示に従ってくれ」

 令嬢は頷くと、未だ眠っているもう一人少女の様子を順に見る。

 「知り合いか?」

 「いえ……」

 返す令嬢は状況をある程度理解したのか、小さな声で応える。傭兵は認識の共有ができたとすると、荷台の外に顔を向ける。

 「すまないがお前が起こせ。なるべく静かに、他の誰も起こさないようにな」

 傭兵は荷台から降り際、ギリギリ聞こえる程度の声量で指示を出すと、「わかりました」と少女の返事を聞いた。荷台から降りると、火を囲んで眠る五人の様子を窺う。全員が高いびきで、自分がやっていることがバレるだろうかという心配は少し薄らぐ。この分だとまだしばらく眠ったままだろう。

 「あの、よろしいかしら」

 外の様子を観察して少し、最初に起こした令嬢が荷台から顔を出した。傭兵が中を覗くと、令嬢により起こされた少女は寝ぼけ眼を擦りつつ、寝ぐせがついた短い白金の髪を手でぺたぺたと押さえていた。

 年頃の少女然とした体つきの令嬢と比較して、寝ぼけ眼の少女はかなり小柄だった。年齢も離れているのだろうが、それにしては体躯に僅かな性徴が見られる。年齢の良く分からない少女であった。

 「……どちら様でしょう?」

 たおやかな仕草で口元に指を当てて考え込む仕草は、とても自分の状況を認識しているようには見えない。傭兵は小さく溜息を吐くと、

 「……少なくとも騒ぎにならなくてよかった」

 と安堵した。当人は「ん?」と首を傾げているが、いずれによやることは変わらない。

 「とにかく、起きたならさっさと逃げるぞ」

 端的たんてきに行動指針が伝達されると、少女もどこか状況を察したようで、三名はすぐに動き出すことができた。傭兵を先頭に、小柄な少女がその真後ろ。そして最初に起きた令嬢を最後尾に、彼らは森の中へ分け入った。

 その様子を、群れから外れた青い鳥はよく見ていた。それは傭兵達の後をゆっくりと追跡する。木から木へ。枝から枝へ。その後を追い続ける視線は、どこか不安の色を帯びていた。

 少しして、やがて彼らは森と道のさかいに出た。道には幾つもの足跡が残っている。鎧を着た数名が木底のブーツで歩き進んだといった風と言ってしまえれば簡単な話だったが、明確な証拠もなくそれを断ずることもできない。それを傭兵はそれをよく観察すると、それらに共通点を認めた。

 「騎士団の足跡だろう。足底の模様がどれも同じだし、支給された靴だと思う。……四人、いや五人か」

 それらが伸びていく方は、紛れもなく先程まで傭兵たちがいた方向だ。全員がそれを認識すると、少女らは一先ずの安心感から小さく息を漏らす。慣れない森を短くはない時間駆けた二人には、決して少なくはない消耗が見て取れた。

 「油断するな。後続がいないとも限らない」

 だが、傭兵は安堵にこそ疲れや油断がにじみ出ると知っていた。淡々とした声に令嬢はきゅっと息を詰める。自分たちはまだ森を抜けてさえいない。安心できる理由がどこにあろうか。周囲を見渡せば仄暗い木陰ばかり。時節聞こえ入る鳥の鳴き声でさえ、見知らぬ場所にあればどこか怖気を感じさせる。

 (今のところ上手くいっているが、こういう時は往々にして何かが起こる)

 傭兵は一層気を張って周囲を見回した。現時点で警戒すべきは二つある。ひとつは騎士団の後続部隊。もう一つは寝ているはずの彼らが逃げ出していないかどうか。

 (俺の読んだ通りだと、あいつらは騎士団に捕まるなり殺されるなりしている頃だろう。となれば)

 騎士団後続の警戒をしつつ、傭兵は少女らを促した。森を抜けた時と同じ並びで歩を進める。傭兵は単独なら森を抜けるだろうと考えていたが、少女らはどうしようもなく相応な身体能力だった。森を行き発見されないことのメリットは大きいが、同時に行動の遅さもデメリットとして無視はできない。歩きやすい道を行き速度を上げることが少女らの精神衛生上もよかろうと、傭兵は騎士団の足跡を逆行することを選んだ。

 歩きやすい道程に、確かに一行の速度は上昇した。休憩を何度か挟んで森の道をようやく抜けようかという頃、傭兵は声もなく少女らを手で制した。ここで止まれ、と傭兵の真後ろを歩いていた小柄な少女はぴたりと停止する。次いで令嬢が止まると、少女らは傭兵の脇からにゅっと顔を出し、その先を覗き見た。

 「あ、騎士がいます」

 「顔を出すな。かけられたらどうする」

 小柄な少女はえへへと引っ込むが、どうにも緊張感がない。にこにこと笑ってはいるが、時折ときおり空腹に腹をさすっている。

 (……幼いようだし、自分の状況がよく呑み込めていないのだろうか)

 傭兵は木々の間から騎士とその周辺をよく観察する。幸いなことに、森と平野の境界線に立つ騎士は一人だけだった。傍らに馬車が一つ停められている。どうやら騎士団がここまで来るのに使ったようだ。

 森を出たところから真っ直ぐ畦道あぜみちが続いている。それを真っ直ぐ行けば令嬢の家がある街に着くと傭兵は記憶していた。傭兵らが攫った少女を馬車で運んだ時にも通った道だ。当然見覚えはあったし、道の行先が分かる程度の土地勘も身についていた。だから傭兵にとって、そこに騎士がいる理由は良く分かるものだった。少女らが自分で逃げてきた場合にはここで保護すればいいのだから。

 (馬車を奪えれば楽ができそうだが)

 傭兵の意識は道から馬車へ移る。止まっているのは一台。馬も一頭。馬車に乗れるのはせいぜいが五、六人だろう。馬一頭で引くには適当な人数だが、乗っているのは鎧を着た人間だ。幾分足も遅くなる。

 (騎兵ではなく馬車で、か。随分のんびりやってきたな。救出対象の地位を考えれば動員も少ない)

 依頼主が少なくともこの騎士団を信頼できないという感情を持つことに同情した傭兵は、意識を騎士に向ける。視線に気付かれないよう、騎士を視界の端気味に捉え、よく観察する。

 (装填された弩。長剣、灯っていない松明たいまつ。盾はない。アーメットの無い板金鎧プレートメイル。何度見ても一人、か)

 少しだけ考えた後、傭兵は少女らを振り返った。

 「馬車を奪う」

 突如告げられた行動指針は、しかし一行にとって最も効率の良いものでもあった。成功しさえすれば。その不安は令嬢の言葉に現れた。

 「あの騎士、どうにもお強そうですわ」

 危険性の指摘に、傭兵は確かにと頷く。騎士の顔はどうにもいかめしい。顔には複数の傷があり、いかにも歴戦の勇士といった佇まいだった。

 「俺があいつの気を引く。お前達は裏から馬車の荷台に忍び込め」

 「危険では」

 「騎士のことは任せておけ。見た目と強さは無関係だから気にするな」

 言葉をさえぎられた令嬢は、しかし自信を感じる語気にやや気圧されると、最終的には黙って頷いた。

 「よし、手順を説明する。時間はかけていられない。いいな」

 少女らは一人残らず頷くと、傭兵の説明に耳を傾け始めた。

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