第13話 悪夢

 その日一日、混乱しすぎて授業に集中することができなかった。日好先生の授業は先生のメガネ姿を見るのが好きで、気分が落ち込んでいても、先生の姿を見るだけで気分が上がる。それなのに、今回は先生のメガネ姿を拝んでもまったく気分が上がらないどころか、先生に当てられて黒板で問題を解くときにまさかの計算ミスをしてしまった。


「日好、今日は調子でも悪いのか。計算ミスするなんて珍しい」


「いえ、別に調子は悪くないです」


 何てことだ。思っていたより目黒君のコンタクトデビューは私にとってショックなことだったようだ。


「ずいぶんと重症みたいねえ」


 席に戻る途中、前の席のみさとが心配そうに声をかけてきたが、今は返事する気力さえない。自分の席に座って日好先生の授業を聞いていても、何も頭に入らない。言葉が右から左へと流れていく。


「それでは、今日はここまで。次の授業の始めに、今日教えたところを小テストするから、勉強しておくように」


 あっという間に50分の授業が終わってしまった。そして、どうやら次の授業は小テストから始まるらしい。


「小テストなんて最悪だわ。まあ、仁美は常に予習復習しっかりしているから余裕だとは思うけど」


「みさと、心配してくれるのはわかるけど、今日一日、話しかけないで。今後のことを考えなくちゃいけないから」


 とりあえず、今日は必要最低限の会話ですまし、ひとりで考える時間を確保しよう。幸い、隣の席の目黒君が私に話し掛けてくることはないので、これ以上の心の乱れはなさそうだ。



「ただいまあ」


 ようやく帰宅すると家には誰もいなかった。両親は仕事、弟は部活のようだ。家の中は真っ暗で、なんだか物寂しい。


「どうしようかなあ」


 二階の自分の部屋に入り、荷物を下ろし、制服を脱いで半そでとハーフパンツの部屋着に着替える。6月だというのに、既に夏のような暑さでエアコンを入れようか悩むほどだ。地球温暖化もかなり進んでいる。


「おっと、あぶない、あぶない。メガネをかけたままベッドにダイブするところだった」


 部屋の窓を開けると、ぬるい風が部屋に入ってくる。ようやく一息ついたとベッドに倒れこもうとして、間一髪メガネを守ることに成功した。メガネを外してベッドわきに置く。メガネをかけている人は、毎回、こんな危ない思いをしているのだろうか。だとしたら、結構危険である。


 改めてメガネを外したのでベッドにダイブする。枕に顔をうずめると急に眠気が襲ってくる。このまま寝てしまうと、宿題もできないし、家族も帰ってきて夕飯の時間になってしまう。


「まあ、いいか。今日は疲れた……」


 何せ、せっかく私が「メガネ女子」になったのに、反対にメガネをかけている「メガネ男子」こと目黒君、私の「運命の相手」がコンタクトデビューをしていたのだ。


 とはいえ、今日はもう考えることすらできない。私はそのまま眠気に身をゆだねて目を閉じ、あっという間に眠りについた。



「残念なお知らせだが、目黒君が転校することになった」


 目を開けたら、そこは高校の教室だった。担任の言葉に脳内が一気に覚醒する。


「そ、それは本当ですか?」


 確か、コンタクトデビューをしたのをきっかけに私との関係を断ちたいということは言っていた。しかし、それがまさか転校するまで発展しているとは思いもしなかった。コンタクトデビューしてわずか一日で転校とは驚きすぎて言葉もでない。


「ああ、急に親の仕事の都合で引っ越しをすることになったそうだ。先生も一週間前に聞いたばかりだ。目黒、何かクラスメイトに伝えたいことはあるか?」


「短い間でしたけど、この高校、このクラスで生活できてとても楽しかったです。転校先でも勉強を頑張ります」


 今は帰りのHRだろうか。教室の黒板の上に掛けられた時計が16時を示している。今日の授業の記憶が全くないので、私はいまだに目黒君のコンタクトデビュー、関係を断たれたことを嘆いていたのだろうか。


 目黒君は吊り上がった一重の三白眼でクラス全体を見渡して別れの挨拶をする。不機嫌そうな表情は急に決まった転校に対する怒りだろうか。間違っても、クラスメイトや私に対して寂しいと思っているような表情ではない。


「そうか。じゃあ、今日はこれで帰りのHRを終わるぞ。起立」


 このままでは目黒君が私の前から本当にいなくなってしまう。


「さようなら」

『さようなら』


 目黒君との別れのタイムリミットが近づいている。クラスメイトが席を立ち、担任の挨拶に合わせて挨拶を返す。そして、その流れで目黒君は自分の席に戻り、クラスメイトは部活や帰宅の準備を始めていく。


「仁美、あんた、隣の席なのに何も知らなかったわけ?『運命の相手』とか言ってたくせに」


 帰りのHRが終わったので、みさとが後ろを振り返り、あきれたような声で話し掛けてきた。返事をしようと口を開いて、あることに気付く。


「どうして、メガネをかけているの?」


「なに言ってるの?私はいつもメガネでしょう?」


「ええと……」


 目黒君の突然の転校、みさとのメガネ発言、いったいこの教室で何が起こっているのか。


「仁美も目が悪かったでしょ。まさか、私より先にコンタクトデビューするなんて驚きだわ。そのあたりについては目黒君のおかげかな。コンタクトにして、仁美、あか抜けた気がするもん」


「はあ」


 言動もおかしなことになっている。どうしてみさとが学校でメガネをかけているのか。そして、私がコンタクトデビューとはどういうことか。わからないことが多すぎる。


「目黒君、ちょっとこっちに来て!仁美が別れの挨拶したいってさ」


「ちょっと!」


 ただでさえ、今の状況についていけてないのに、目黒君と別れの挨拶などまともに出来るわけがない。


「オレは別に日好と話すことなんて」


「お、おれって!」


 おかしなところが多いが、目黒君の一人称も気になった。目黒君は辛らつな言葉は吐くが、一人称はオレではなく僕だったはずだ。


「そんなこと言わないでよ。今日でお別れなんだから、別れの一言くらい」


「じゃあ、言わせてもらうけど。日好」


 みさとと目黒君が話している中、私は真剣に現状について考えていた。


 もしかして、これは。


「俺はお前のことが○○だった」



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