番外編 さよならしたその後は
痛み
熱
そして、今までに感じた事のない深い絶望
男は息を切らしながらそれらの散らばる感覚を全身で受けていた。
汗が止まらない。
何という速さだ。
ボタボタと未だに出血が止まらない。
片腕は何本もクナイが刺さる、血管を狙ってきたのだろう。
ジンジンと冷たい痛みと熱の波が押し寄せてきている。
もう片方の手にはぽっかりと穴が開いている。
切られた両足の腱は綺麗に開き中身まですっかり見えている。
膝をついた状態で何とか這いずり資材に身を寄せた。
――くそ、あのガキ。
男は生を受けた頃から暴力と共に過ごしてきた。
度々変わる父親の不条理な、とてもではないが躱す事の出来ない拳のはやさと圧倒的な体格さ。
幼い頃から大人に蹂躙され、屈服されつづけた男は既に「目覚めて」いた。
力さえあれば。
自身を想像した両親には多少は感謝している。
こんなに屈強で、頑丈な体にしてくれて。
だからこそ成人前のお礼参りでは苦しまないように殺してやったが。
鉄の体、そして何よりも幼い頃からの残虐性は男を悪の道へ進めていくのにはうってつけの人材へ成長させていた。
中学生になる頃にはもう同じ年はおろか、地元の中で彼に喧嘩を売る、逆らうという人間はいなかった。
そう、彼は幼い頃からの願いをある程度叶える事が出来たのだ。
力さえあればという願いを。
それからは暴力で全てを解決してきた。
女も、金も、全てを力でねじ伏せ、そして奪ってきた。
今まで彼がされたように。
それは地元の裏稼業を「管理」をしている団体からの紹介だった。
「密殺協会、聞いた事あんだろ、お前そこに所属してみろ」
そこでの仕事はまさに天職と言えた。
人を殺して、褒めたたえられる。
面白いようにランクも上がった。
だって「奪って」いけば、それだけで暗殺者としてのランクが上がるんだから。
少し大きな市の副市長を店の裏で嬲り殺し、ランクが60位に上がった頃には自分が密殺協会のトップを飾るのも時間の問題だと思っていた。
そして、ランカー専用の携帯にあの連絡が入った。
『3位、ランク外特別排除指令 生死問わず 報酬2億4千万』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
金脈を掘り当てたと思ったのに…
あのガキの姿を見て、連れの姿を見て、簡単に殺れると思ったのに…
一気に日本の中にいる暗殺者の3位へ躍り出るチャンスが目の前にあったが、それはまるで夢幻のように消えた。
見通しが甘かったのだ。
通常の処理とはまるで違う「ランク外特別排除」の意味を彼は身をもって体感する事になる。
ギリ…と奥歯を強く噛む。
両手、両足がズキズキと痛み、男の意識が遠ざけるのを常に邪魔していた。
だが…まずい、まずい、まずい
あと24時間、正確には23時間と43分しか、俺には残されていない。
そう、密殺協会の『鉄の掟』がある。
同じランカー同士で争った結果、負けた方は自動的に『ランク排除』の命運がのしかかってくる。
ランカー同士で戦うという事はそれなりの事を意味する、無用な争いを生まない為の協会の長年のルールなのだ。
だが救済措置もある、24時間以内に他ランカーの命をもってすれば『残留』が可能となる。
だが…
チラリと両足を見る、これではさすがにまともに動く事すらできない。
男は這いずりながら、空き地を後にした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――沖縄行き、17時15分より搭乗開始となります。」
男は空港に居た。
松葉づえを付きながら、サングラスをかけ、最低限の荷物を持ちながら空港ゲート前に佇む。
ある程度は自信はある、これまでに何度も死線を乗り越え、暗殺が何たるかも本能では分かっているつもりだ。
どんな人混みの中でも殺意のある人間が混じっていれば空気で分かる。
ズキ…
「いくつ痛み止めを飲んでも効きやしねぇ…」
鋭い痛みが彼の四肢を貫く。
このおかげで昨日から一睡もできない。
町医者を脅し相当キツい薬をもらっても延々と続く痛みは止めどなく彼から脂汗を流させた。
…あとは雲隠れして、地元の連中を数人呼んでほとぼりが冷めるまで待つか。
沖縄に到着してからの流れを頭の中でシュミレーションする。
だが薬のせいか頭が朦朧として上手く話しがまとまらない。
全部あのガキのせいだ。
今度はヘマをしねぇ、落ち着いて怪我が治ったらあいつの首を持って復帰だな。
立っているのが辛く、ロビーの座席へ座る。
改めて周りを見渡す。
…年寄りが数名、リーマンや…クソ、ダメだ、だが殺意は感じられねぇ。
じろっと辺りを見わたすと眼が合った背広の男が小さく「ひっ」と声を上げると本で顔を隠す。
右隣に座っている褐色のギャルは俺にのしかかってきそうな程のけ反り大声で笑いながら電話している。
「でさぁ!マジでムカつくから今から沖縄行くんだって!すごいっしょw」
…どいつもこいつも癪に障るツラをしてんな。
治ったら褐色ギャルでも徹底的に凌辱してやる、クソが。
苛立ちが止まらない中、ふと左側に座っている老婆が話しかけてくる。
「あなたも沖縄かしらぁ~?」
「…あぁ?まぁ遊びでな」
「あらそうなのぉ~、いいわよねぇ、沖縄、私大好きなの、主人とよく行くのよぉ、でもねぇ、年々暑さがダメになってきてねぇ…」
「…あーそうかよ、なぁばあさん、具合が悪いんだ、ちょっとそっとしといてくれるか」
「あらぁ、でもねぇ、やられた傷はもう痛まなくなるわよぉ?」
「あ?」
バジュ!バジュ!バジュ!と短くくぐもった音がする。
その音と同時に世界がゆっくりと反転し、力が、全身から力が抜ける。
最後に男が見た光景は、老婆が黒光りする筒を眼前に向けている姿だった。
バジュッ!
最後の音はきっと男が耳にする事はなかっただろう。
それと同時に男の周囲に座っていた年代も性別もバラバラの乗客らしき人間たちが一斉に動き出す。
男の、意識の途絶えた大柄な体が床につく刹那、ザっと黒いナイロンの袋が広がり、一般の乗客たちが気づく前にその巨体は袋に収まった。
ジッパーを即座に締めるとそれをまた別の乗客もどきが数人で担ぎ上げ、どこからか来た大きな掃除ワゴンに詰める。
男の命を絶った老婆は脇のバッグに黒い筒を仕舞うとスッと何事もなかったかのように人混みに混ざっていく。
それは老婆だけではない、自身の役目を終えた人間たちはまた一人、そして一人と人混みの中に紛れあっという間にどこに行ったかもわからなくなった。
ロビーを掃除する人間が床に這いつくばり、男から出た血液を綺麗に拭きとり、青っぽいスプレーを振りかける。
泡が血を吸いそれをもう一人の作業員が拭った。
そして床に這いつくばった作業員が四か所開いた銃創に特殊な加工を施し、あっという間に床はいつもの空港の床になった。
そのまま掃除のワゴンをゆっくりと押しながら、どこかへ去っていく作業員。
十数人程で男の処理を終わらせると、この空港から、いや、この世界から男の痕跡は全て消えてなくなってしまったのだ。
座席に残った褐色のギャルが冷たい目でチラッと男がいた席を見る。
さっきの高笑いと甘えた声とは比べ物にならない程の声で携帯電話の先の人物へ報告を始める。
「…63位、ランク外排除完了」
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