第9話 その刃は愛まで貫き、血の涙を流す
「し…しん…だ…」
「…殺して、ない」
ふとモジモジしながらチラ、と上目遣いで俺を見るえくぼ。
「あかつきが…言ったから…」
「あっ、ちゃんと聞いてくれたんだ…」
「ふさつ…って…」
「ふ、ふさつ…?あ、不殺かぁ、いいね、そうそう、不殺だよ、えくぼ」
…こくこく
嬉しそうに頷くえくぼ。
さっきまで殺し合いをしていたとは思えないくらい気の抜けた雰囲気、すっごいオンオフはっきりしてる。
気付くとさっきまでの張りつめた、それこそ吐きそうな程の殺意が満ちた空気はなくなり、空き地は元の空き地になり、いつもの日常の一部へ戻っていた。
びっしょりとTシャツが濡れている。
こんなに汗だくになったのはいつ以来だろう。
全身の筋肉が硬直していたのか、疲労感がどっと襲ってきた。
しかし不殺、息の根を止めていないのであれば、この伸びている男がいつ起き上がってまたえくぼを狙ってくるか分からない。
でも…その可能性が残っているにも関わらずに俺の言う事を聞いてくれたのか…
不思議と嬉しい気持ちが溢れてきた。
俺の言う事を女の子が聞いてくれたからではない、えくぼという一人の人間が、俺の意見を尊重してくれた事が嬉しかったのかもしれない。
…?
えくぼがこっちを見ている。
それこそ仲間になりたそうに。
…?
きょとんとしながらえくぼを見下ろしていると
「…いう事聞いたから…えと…」
モジモジと耳を赤らめている。
…あ、そうか…えくぼは褒めてほしいのか…
「う、うん…偉い…偉いよ、えくぼ…」
そう言いながら、初めて女性の頭を撫でる。
髪は見た目以上にさらさらしていて、撫でている俺の方が心地良かった。
実家で飼っていた犬を思い出す。
大きなゴールデンレトリバーで、ボールを取ってくると撫でてほしそうにじっとこっちを見ていたな。
にし…と嬉しそうにえくぼが笑った。
本当に…さっきまでの殺意はどこに消えてしまったんだろうか。
とにかくこんな大きな、身長も体格も性別も違う、男の俺ですら絶対に倒せないであろう男を、刺客を倒したえくぼ。
日本ランク三位というのは本当だったんだ、俺は身をもって実感した。
それと同時に今までの事も全て夢ではなかったと。
…平穏な日常には、もう二度と戻れないという事を。
寂しさ、不安、恐怖、色々な感情がブレンドされ、俺の情緒は完全に落ち着かなくなっていた。
「!?え、えくぼ!?何してるの!?」
気付くとえくぼは男の体をまさぐっている。
ぐい、と男のうつ伏せだった体をひっくり返す。
男は白目を向き口を大きく開けたままピクリともしない。
…本当に死んでないのかな?ホントに不殺ぅ…?
クナイの柄の部分で思い切りこめかみ辺りを殴っていたな。
確かに…あの戦いで見せたクナイの射出力の高さ、それに機動性…
えくぼは何か特別な筋力でも持っているのかも…
まだ触れていない、でも確かに秘密をえくぼは持っているんだと思う。
ゴソゴソ、ゴソゴソ…
男の内ポケットから何かを取り出した。
小さい、免許証…?
「えくぼ、それなに?免許証?」
「ん…暗殺証明書」
「あ、そういうのあるんだ、なんか車の免許証みたいだね」
「うん、何年かに一回、更新もある」
「あっ、車の免許証だぁ」
えくぼの後ろへ周り、免許証を見る。
なるほど、この男の身分が分かるんだ。
とは言っても…暗殺証明書かぁ、ふふ、変なの。
思わずふっと笑うとえくぼが不思議そうな顔で振り返る。
「63位」
そう短く言うと証明書の枠を指差す。
そこには「密殺協会 証明書」と記載があった。
「みっさつ…きょうかい?」
「うん、大体の暗殺者はここに入ってる」
「そうなんだ…えくぼの証明書もあるの?」
「…今はない」
「ふふっ、じゃあ免許不携帯で逮捕されちゃうねぇ」
「殺される」
「えっ?」
「不携帯だと、殺される」
「あっ、あっえっ」
「厳しい」
それ以上は何も言えなかった。
不携帯で殺されるなんて、どんな理不尽な協会に属しているんだろうと俺は驚愕と同時に恐怖を覚えた。
もう俺は生き死にの世界に首を、いや、頭のてっぺんまで突っ込んでいるんだと再認識させられた。
それと同時にもう一つ、男のポケットから携帯電話を取り出した。
今の時代には見る事の出来ない、スライド式の携帯。
確か懐かしのドラマか何かで見た気がする。
他にもパカパカと開く携帯、今の時代にはどちらもない代物だ。
それを手の平の中で素早く操作するえくぼ。
眉間にしわを寄せながら見つめている。
「ど、どうしたの、何か…連絡が来てた?」
「…ん、なんでもない」
そういうとマントの中から小さくボッという音が聞こえ、携帯がクナイによって破壊される。
「あっ!?ビックリした、射出する時は射出するって言ってほしいな」
「…出来たらそうする」
携帯が壊れ、手がかりが何もなくなった…
いや、えくぼの中では収穫があったのだろうか?
何かを見つけたえくぼ、だが俺には何も教えてくれなかった
「いこう」
「ん…そうだね、ここにいたら危なそうだし」
「…する…」
「え?」
「デート…続き…する」
またモジモジと手を後ろに組みながら俺を見上げるえくぼ。
…とても、かわいいと、おもいました。
殺意のぶつかり合いを制した一人の少女を連れて、俺はまた歩き出した。
――巨大なビルがそびえる区画がある。
大手証券会社、貿易ビル、様々な会社が自社ビルを建てる中…密殺協会の本部はそのビル群の中の一つ、それも特に大きなビルの中、最上階にあった。
「…はい、はい、畏まりました、お伝えいたします。」
白髪の老紳士が電話を取る。
髭を口元に携え、いかにも素敵な年の取り方をしていると風貌で分かる老紳士が何者かと電話でやり取りをし、短く会話を終わらせた。
「63位が会敵、16分で決着、3位は依然として不動です。」
老紳士はこの部屋、いや、このビルの中で一番の権力者への報告を済ませる。
最上階の大きな窓に西日が照らし出され、大きなアンティークのデスクに座る何者かはゆっくりと老紳士の方を振り向く。
影になり顔は見えないが、女性。
女性はこれもアンティーク調の巨大な椅子の背もたれにゆっくりと体重をかけ、そして大きく息を吐き出した。
「でしょうね、二桁ランカーでは到底太刀打ちは出来ないわ」
澄んだ良く通る声で答える女性。
「63位は抹消処理を」
老紳士はゆっくりと頭を上下に振る。
「にしても…組織の反故、離脱は実に50年ぶりですな」
女性が席から立ち、ビルからの風景を見る、老紳士は西日に目を細くしながら女性に問いかける。
「お次はどのように動きましょう」
クルっと振り返る女性。
まっすぐに切りそろえられた前髪、そして胸元まで伸ばした黒いロングヘア。
とても綺麗で西日に反射され、眩しい程艶めいている。
「そうね、もう少し様子が見たい、ランクを上げていきましょう」
そうして女性の顔が露わになる。
きめ細やかな肌、そして遠くまで伸びる長い睫毛。
その先にある―――
深く、澄んだ、青い、目
「畏まりました、手配いたします」
そういうと老紳士は部屋を後にする、振り返りながら女性へ再度深々と頭を下げる。
「大変立派なご判断に御座います。では……かなえる様」
大きな木製のドアが閉じ、再度かなえるは最上階の風景を眺める。
彼女の口元がにぃ、と歪んだ。
「すごいね、止まらないね」
俺の目の前に通算8杯目の空になったどんぶりが重ねられる。
チェーンの牛丼屋さん、まさか初デートの締めがこことは。
先ほどの激闘が終わった後、俺は何か質問することなくまた二人で歩き出していた。
あんな強さを見せつけられた後ではえくぼの過去や組織の事…
何か聞き出すタイミングを完全に逃していた。
ブラブラと充てもなく歩く。
ふと自宅から遠くの商店街に入る。
さっき殺されかけたのにも関わらず、温かい日常がそこには広がっていた。
キョロキョロと珍しいものを見る様にえくぼは商店街を見ていた。
「…珍しい?商店街、来た事ないの?」
「…ん、こういう所、通った事なかった」
「そっか…」
やっぱりあれほどの身体能力、小さい頃から、それこそ俺なんかの想像力ではたどり着けない程の拷問に近い訓練があったんだろう。
ふとえくぼが足を止める。
「…ここ、気になる?」
「…ん…なんだか、美味しそう」
そうやって彼女がご所望されたのは大手牛丼店。
デートの雰囲気もへったくれもないが、それでもえくぼが行きたいと言ったところには行かせたいな、そういう気持ちになっていた。
「そっか、商店街来た事がないなら頼み方も分かんないよな、えーと…」
えくぼにメニューを渡す。
えくぼは青い目をキラキラさせながらメニューに齧りつく様に顔を近づけた。
ぐぅぅぅぅ…
「…あっ…」
さっと顔をメニューで隠すえくぼ。
俺は緊張の糸が切れたのか、人目をはばからずに吹いてしまった。
「あはは!そうだよな、あれだけ動けば腹が減るって。ほら好きなもの、なんでもいいから全部食べていいよ。」
そういうと顔をパァ…と明るくさせながら、これ…と指を差す。
でも
それがいけなかった。
一杯目をほぼ秒で完食。
俺はがっつくえくぼを穏やかな目で見つめる。
二杯目も?いいよ、相当おなかが空いてたんだろうな。
そうして二杯目も完食。
三杯目?すごいな、よくそんな小さな体で食べられるね。
四杯目、完食。五杯目を希望。
もう食べれないでしょ、えっ、食べれるの?すごいね
あっ五杯目もほぼ秒で完食、あっ、あっ、この頃からさっきと違う恐怖を俺が襲う。
この子、めちゃ食うやん。
六、七、平然と平らげるえくぼ。
俺は引きつった顔しか浮かべられなかった。
そして…
「もう一杯、食べるの?」
「…にし…」
照れたように笑うえくぼ。
俺は、財布を開き持ち合わせを確認。
こうして俺とえくぼの初デートは、牛丼で幕を閉じた。
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