第7話 初デート!(金色狼迅雷編)
鳥肌が立つ。
胃の底から手でグッと押し上げられる。
脳の一番奥がジンジンと熱くなっていく。
昨日えくぼが路地裏で倒した輩達とは明らかに違う雰囲気。
声を掛けてきた男は身長は2メートル近くある巨体だった。
真っ黒なスーツは体のどの部分を見てもパツパツで、まさに動けば張り裂けてしまいそうな程だ。
黒く、そして刈り込まれた短髪、片目の古傷が痛々しく、左目は傷の影響か黒目が白く濁っていた。
そして何より、香りがした。
そう、死の香り。
死が常にこの男の全てを包み込んでいるような、そんな形容しがたい何かを感じる。
一般人の、争い等とは完全に無縁だった俺でも本能で感じる。
こいつは、明らかに違う。
住んでいる世界が違う。
マンガで読むような、ドラマで見るような悪役とは全く違う異質な雰囲気の男はじっとえくぼを睨んでいた。
だがそれと同時に、えくぼも全く違う、先ほどまで見ていた、一緒にいた時と違う表情になっていた。
昨日と同じだ、路地裏で、弧を描いて宙を舞っていた時、俺と一瞬だけ目が合った時の、そう…
生命を断つ時の目。
吐き気をぐっと抑えながら身動き一つ取れずにいた。
獲物を食らう時の昆虫、鳥類、哺乳類。
そこには人ではない、人の形をした、意思や理性、人の尊厳等何も持たない獣が二匹いた。
俺はそこに挟まれている。
気付くと息をする事すら忘れていた。
ひゅー、ひゅー、と喉が鳴る。
きっとこの時、人間には見えないオーラが出ていたに違いない。
えくぼとこの男の間に、それこそ絵や文字では表現できない程に禍々しいオーラが。
しばらくにらみ合うと突如男が口を開いた。
「…ここでやってもいいが」
「…場所、移す…」
そう短く言葉を交わすとえくぼがすっと立ち上がる。
男も振り返ると二人同じ方向へ歩き出した。
チャンスだ…今しかない。
こんな大男に勝てるはずがないんだ。
そうだ…交番…警察に…
「えくぼ…に、逃げよう、これはヤバいって」
「…逃げられない」
驚愕の真実を俺にさらっと叩きつけるえくぼ
「多分…協会のランカー、一度見つかったら闘るまで永遠に追いかけられる」
「そ、そんな…えくぼ、無理だよ、すぐに警察に…」
「…だめ、警察の中にも協会の人間が、いるから…」
なんて事だ。
俺が今まで過ごしてきた日常の中にも、えくぼと同じような世界の人間がいたっていうのか?
警察は市民の安全を守るのが仕事だろ…頭の中でぐるぐると言葉が駆け巡るが口から発せられるのは荒い息だけだった。
この子は…何を言っているんだ…
協会?警察の中に悪人が?ランカー?
一体何の話をしているのか全く整理がつかないまま、男の後を黙ってついていくえくぼ、その少し後ろを歩く俺。
今なら、今なら逃げられるかもしれない。
思い切り走って、走って、そして交番に…はダメだ、えくぼの話を信じるなら…
きっと門前払いにされるだろう。
待て、えくぼは?
えくぼはどうなる。
昨日見た夢の光景がフラッシュバックし、ガクガクと膝と顎が笑う。
白昼堂々と、こんないたいけな少女が嬲られ、辱められ、命を絶たれるなんて。
考えられないし考えたくもない。
真っ青になっていると、えくぼが歩きながらふっと振り返る。
黒い口元のスカーフをずらしながら、俺に微笑んだ。
先ほど見せたような、捕食者の目ではない、柔らかく、俺の事を抱きしめた時のようなふわりとした口調で
「大丈夫」
そういうとすぐにスカーフを元に戻し、前を向く。
俺は自分を恥じた、何を一人で助かろうとしていたんだ。
この子は、こうやって狙われている中でも、俺の事を考えて…
ぐっと前を向き、先を歩く男の背中を睨む。
ネズミが虎を睨む事と同義だろう。
でも俺はもう怖がる事を止めた、いや、正確に言えばずっと恐怖を感じたままだ、歩く一歩が震えている。
それでも…俺はえくぼと一緒にいたい。
何故かそう思えた。
まだえくぼを知ってから一日と経ってもいないのに。
しばらく歩くと中くらいの高さのビルとビルの合間に出来た空き地に来る。
開発予定という看板が立っており、草が踝程度まで生い茂る、なんの変哲もない空き地だ。
まだ工事の準備段階なのだろう、ぽつりぽつりと広い空間の中に工事現場用の資材が置かれている程度だ。
だが俺は何となく不気味に感じる。
俺が何気なく過ごしていた人生の中で、日常の変哲もない瞬間を切り取ったようなこんな空き地で、その裏で日夜殺し合いが繰り返されていたと思うとぞっとした。
よくも表沙汰にならなかったものだ、いや、さっきえくぼが言っていた通り、警察もお抱えであるという事は、きっとマスコミもグルなのだろう。
だからこそ人の生き死にが公に出ないまま闇から闇へ葬り去れる事がそもそもの「日常」と化していたのだろう。
昨日の男たちも…
いや、考えるのは止めておこう、さっきからずっと俺の胃が悲鳴を上げている。
ピタリ、と男の歩みが止まりこちらを振り返る。
マンガであれば自己紹介等を挟むのだろうが…男も、えくぼも無言だった。
無言のまま、ゆっくりと重心を下に下に落とす。
「あかつき、隠れてて」
そういうと同時にえくぼもスッと深く重心を落とし、即応の体勢に入る。
俺は女の子を前線に追いやる恥ずかしさよりも素直にえくぼの指示に従う。
きっと俺が一緒に戦う、等と言い出しても無理だろうし、あの男に一瞬で屠られる姿が容易に想像できた。
時刻はもう夕方に差し掛かろうとしている。
遠くでは子供の泣く声、車の通る音、生活音が溢れている。
まるでこの空き地だけが異界に取り残されてしまっているような感覚になる。
俺は一台だけあった重機の後ろに隠れる。
途端に
『パァァァァァン!!!』
と何かが爆発するような音がした。
驚きと同時にえくぼに何かあったのでは、と焦りながら重機の隙間からすっと覗いてみる。
良かった、えくぼはまだ立っている。
大男は無表情で、まるで野球選手のピッチャーが球を放った後のようなポーズで固まっていた。
「…やはり日本三位の名は伊達じゃないな」
「…」
ジリ、と続く攻撃に備ええくぼが構えた。
すっと男が胸元のポケットに手を入れ、そしてジャラ、と手で何かを弄ぶ。
よく見てみるとそれは…
「ビー玉…?」
色とりどりの、男には不釣り合いなビー玉をジャラ、と手で上へ飛ばし、握りしめる。
そしてまたゆっくりと振りかぶると…
それを思い切りえくぼ目掛けて投げる。
『バシャァァァン!!パパパパン!!』
まるで戦争映画の中にでも入ったような、銃撃戦の最中に入り込んだような、そんな大きな破裂音がする。
男はビー玉を投げていた、ただそれだけだ。
ただそれだけだったのだが、いかんせん男の投げる力がビー玉を凶器へと変えていた。
物凄い速さで投げられた無数のビー玉はまるで散弾銃(ショットガン)のように広範囲に広がり、そして壁にぶつかると炸裂する。
ビー玉がぶつかった壁を見ると一つ一つぶつかった箇所がえぐれている。
あんなものを受けたら、通常の人間の皮膚なら抉れ、裂傷し、血が噴き出しているだろう。
「…なんて素早さだ」
俺は男が放つ凶器に目を奪われ、えくぼがどこにいるか全く認識出来ていなかった。
しばらくえくぼの姿を探す…いた。
いつの間にか俺とは反対の方向にいる。
確かに常人では考えられない移動速度だ。
「…生かして受け渡し、と言う話だったがそうもいかないようだな」
そう男は呟くと重むろにスーツの上着を脱ぎ捨てる。
男の体に、ビー玉が巻き付けられていた。
いや、正確には真っ黒な鉄球が細かく、無数に繋がった縄状のものだ。
武器…なのだろうか。
男はスルスルと縄を体から離すと、それをまるで鞭のようにゆっくり…段々とスピードを上げて回し出す。
相当な重さがあるだろう。
だが男の丸太のように太い腕は何なく鉄球の鞭をしなやかに振り回していた。
「かろうじて息のある状態までしなければ持って帰れないだろうな」
「……」
「ぬんっ!!!!」
『バシャァァァァッ!!!!』
地面がまっすぐに抉れる。
えくぼが寸での所で身を躱す、かろうじて息のある状態?
あんな攻撃を食らってしまっては確実に息の音が止まるだろう!
二回、三回と男が鞭を振り回すと地面、コンクリートの壁、資材。
強度が高いものが次々と、まるで段ボールを捨てる時に解体するような、そんな抉れ方をしていた。
「ここだぁっ!!!」
パイプをまとめている資材置き場に鉄球の鞭が直撃する。
いとも簡単にパイプはひしゃげ、砂煙が巻き起こった。
と、その刹那。
『ボッ、ボッ』
と小さく、くぐもった音がする。
砂煙に二か所穴が開いたかと思った矢先、男の鞭が止まる。
その場に何が起こったか理解できない者が二人いた。
俺と、男だ。
キョトンと視線を下に落とす男。
鞭を持っている手に二つ、小さなナイフが刺さっている。
電話帳以上に分厚い手の平を簡単に貫通してしまっている。
男は特に苦痛の表情も浮かべず、ただ呆けた表情を浮かべ、まだ舞い上がる砂煙の中に声を掛けた。
「これが…『聖痕』か……!」
ブシュッ
血の吹きだす音が俺の耳にこびりついた。
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