第2話 恋と殺しのセレナーデ
暗がりの中の金髪の少女。
ドクンと胸が高鳴る音が空っぽの全身に響く。
どうして?なんで?why何故に?
頭の中に色々な疑問符が浮かび上がるがそれ以上に好奇心が湧いてくるのを止める事が出来なかった。
そのままバイト先へ出勤する事も出来たが噂の猫をも殺す好奇心のせいで足が前に進まなかった。
暗がりを凝視するととても小さく薄い肩がゆっくりと上下するのが見える。
こんな裏路地に座り込んでいるのは家のない人々か酔っ払いか、兎にも角にも知り合ってプラスにならない事は容易に想像できる。
止めておけ、平凡な日常を謳歌する、それが何よりお前の生まれ持った指名なのだ。
心の中のもう一人の俺が肩を寄せながらヒソヒソと耳元で呟く。
だが、その刹那
俺の足は気持ちや脳内会議で決議された意見とは裏腹に路地へ歩みを進め始めた。
理由のない行動、でもその時は思考よりも先に体が、足が動いていた。
嗚呼、これで俺も猫同様の命運を辿るのか。
「あの、えと、あ、大丈夫ですか?」
いらっしゃいませ、ありがとうございました、お疲れ様でした。
俺の中の常套句はこの三種類しかない。
それ以外の言葉を発するのが久々すぎて喉に詰まってしまった。
繁華街の騒々しい灯りも届かない路地の奥、髪色はかろうじて分かる。
金色、金髪の少女がこんな裏路地で座り込んでいる。
もしかしたら飲み屋の女の子が酔って寝ていたのか。
いやいや、だったらもっと明るい所でじゃないか?
等と思っていると件の少女はのそのそと腰を上げると、ゆっくり、壁伝いに俺に背を向けて歩き出す。
「あ、ちょ、ちょっと!」
酔っている、にはどうも様子がおかしい。
腹部を抑えながら壁づたいに歩く姿は薄い闇の中でも何かがあったと気づかせる。
声を掛けると同時に彼女が元居た場所まで歩き出す、ピシャ、としたなんともいえない感触がスニーカー越しに伝わってくる。
水たまりのような、と思い地面を見る。
真っ黒で小さな水たまりが出来ている。そして月にかかる雲が晴れていく。
血?
わっとその水たまりから離れる、明らかに転んだり軽く怪我をした程度では流れない血の量。
その水たまりを作ったであろう小さな少女が歩き出した方向を見る。
膝をついて先ほどよりも大きく肩を上下している姿が見えた。
頭の中で何かを考える前に彼女の元へ走り出していた。
高校生の時、駅でヤンキーたちに絡まれている女の子を見た時と感覚が似ていた。
自分でもらしくない事は分かっているのだが、それでもやはり目の前の小さな小さな女の子が怪我をしている可能性がある、動く理由はそれだけで十分だった。
「あの、だ、大丈夫?怪我してない?」
少女の元に駆け寄る、近くで見ると本当に綺麗な色だった。
美容院や市販のブリーチ剤では絶対に出せないだろう美しい金色、闇夜の中でも一層艶めいているのが分かった。
ふっと少女が顔を上げる。
驚いた、マスク、ではない。
黒のスカーフを口元に巻いていて、まずはそこに目を奪われた。
大き目のスカーフを口元に巻いており顔全体は分からなかったが他の部分で彼女が色白だという事が分かる。
だが、次の瞬間、俺の心臓は更に強く大きく鼓動した。
彼女の目、大きくて、丸くて、そして海色に青い目。
宝石みたいだ、俺の語彙力ではその表現が最上級であり精一杯だった。
「あ…えっと…」
まさに吸い込まれそうとはこのことだ、女の子と人生で一度も話したことがないわけじゃない。
そりゃその時盛り上がったか?と聞かれると答えはNO、それでも世間一般の女性と会話する機会はあったし、ちゃんと目を見て話した…気がする。
だが俺が今まで会話してきた誰よりも澄んだ瞳で、思わず見とれてしまった。
数秒、いや数十秒?
あっという間に見つめあう時間は終了、彼女はすっと視線を地面に堕とす。
「あ、いきなりごめん…なさ…えっと、怪我してるんじゃない?大丈夫?救急車を…」
確かバックの中にハンカチがあったはず。
そうして俺は彼女の前に回り込み、怪我をしたであろう腹部を見る。
俺が甘かった、怪我ではない。
致命傷レベルの大怪我だ。
傷口を抑える細くしなやかな指の合間からとめどなく黒い血が溢れ出ている。
これはハンカチではどうする事も出来ない、声を掛けた俺の方が真っ白になるほど血の気が引いた。
「えっ!どうしたの、この傷…だ、大丈夫?き、救急車…とっ!とにかくこれでっ!傷口押さえて!やばいからっ!」
女の子の手を避け自分の手とハンカチを当てる。
ジュっという音と同時にハンカチが血柄へ変わっていった。
女の子の指先に触れる、字にすればロマンチックではあるが、この時は雰囲気等考える暇もなかった。
冷たい。
映画で見た事がある、血を流しすぎて寒いと呟く兵士の姿を。
あっという間にパニックになってしまった。
とにかく目の前の女の子に大丈夫、大丈夫だから、と声をかけた。
この場で一番大丈夫ではないのが俺なのだが。
冷静さを欠き辺りを見わたすが路地の奥だ、すぐに誰かを呼ばなければ…というか文明の利器がある、電話だ電話。
ポケットの中に手を突っ込みiPhoneを探す、その時に初めて自分の手が震えているのを知った。
血で真っ赤になるズボン、そんな事は関係ない、目の前で死にかけている女の子がいるんだ。
「あーいたいた、おーい、こっちこっち!」
ふとその時、急に路地に声が響く。
男性の、しかも野暮ったい声で誰かを呼ぶ声が響いた。
ふと携帯を探す手を止め声のする方を見た、良かった、こんな所に人が、おそらく繁華街の方で怪我をしている女の子を見かけて、それで通報してくれたんじゃないか?
安堵しながら女の子に問いかける。
「良かった、もう人が来たから大丈夫…」
女の子の目が一点を凝視している、先ほどの綺麗で澄んだ瞳と違い睨む…という表現では足りないほど、殺意を含んだ瞳で相手を見ているように感じた。
「ったく、手間かけさせやがってガキコラ」
あれ、救急隊の方?その言い方って?
女の子が見ていた方向を見るとぞろぞろと大柄の男たちがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
消防や救急隊員のガタイの良さではない、暴力を生業としてきたからこそ得られるガタイの良さ。
「ん?なんだこいつ、お前誰?仲間?」
…俺、以外いないですよね。
とてつもない不穏な空気の中状況の説明をする。
「あ、いや、えっと…さっき路地裏、女の子見つけがぱっ!!!!」
会話の最中に顔面に衝撃が走り、吹き飛ぶ。
路地に入ってからというものクエスチョンマークが頭からずっと離れない、だがそのマークすら吹き飛んでしまった。
集まって来た男の一人が俺の顔に思い切りストレートパンチを叩き込んできた。
二、三歩、たったったというリズムを刻みながら後ろに飛び、バランスを崩し、尻もちをつく。
数秒程呆然とした後、猛烈な熱が鼻をつんとさせ、同時に口の中に鉄の味を広げる。
鼻血と口の中を切った血で服が汚れた。
どうして?なんで?why何故に?
なんで今俺殴られた?
呆けている俺をよそに男たち数人が少女を囲む。
坊主の柄シャツの男がゆっくりと少女の前に座り込んだ。
「はー、日本ランク3位って聞いてたけどこんなガキとは」
「どうします?事務所かどこか連れて行ってヤりますか?」
「とりあえず車乗せろ、そっから移動して本部に連絡を――」
男たちが何か今度に関してよからぬ事を相談し合っている、会話が聞こえるだけで完全に体が言う事を聞かない。
だがその場にいる全員が、聞いた。
まるで大きな旗を思い切り振ったような音。
ブワッという音を立てながら、金髪の少女が宙に舞った。
それと同時に屈んでいる坊主の男が、水気を含んだ小さな悲鳴を上げた。
ぶごえっ…!
俺が殴られた場所から数メートルの距離、見ると坊主の男の首元がくっぱりと開いていた、物凄い速さで切ったのだろう、血が噴き出ていない。
ただあり得ない程首が開いていた。
そして少女は大きく弧を描きながら一回転する。
金髪の少女が一回転するにはとてもいい月夜だった。
ありえない、あんなに出血していたのに?動けるはずがない。
だが金髪の少女は男たちの背丈ほど跳躍し、回転しながら腰、厳密に言えば太もも辺りに手を掛けると見えない程の速さで両手を開いた。
すると残りの男たちが呼応するかのように短い悲鳴をあげる。
ごっ!えぐっ!がぇっ!
悲鳴の後ろでは重い物質に鋭い刃物を突き立てた時のような音がしている、ズドッ、それが人数分。
小さな金髪少女が地面に着地すると同時に、男たちは崩れ落ち、坊主頭の開いた首からまるで出しっぱなしのホースの水のような血が円を描きながら地面に零れる。
一瞬にして血の海とかした繁華街の路地裏。
さっきまで虫の息だった少女がゆっくりと近づいてくる。
俺知ってるよ、この感じ、目撃者は消すってやつだろ?
やっぱりそうだった。高校生の時のあの感覚。
あの結末を7兆倍ほど最悪にした結末がこれからやってくる。
まるで漫画で見たように少女は歩きながら手に持つ得物を横に振る。
ビチャッ!と壁に何かが当たる音がした、きっと坊主頭の首をまっすぐ裂いた時の血だろう。
あぁ、やはりそうだった。
好奇心は猫だけじゃなくて俺まで殺すのだ。
目の前に立つ少女、じっとあの青い瞳で俺を見下ろしている。
まぁ、いいか、なんだか諦めが俺の脳内を満たしていた。
モブそのものの人生だったんだ、最後の最後、他の誰も経験のできない事が出来たんだ。
おまけに俺の生命を断つのはこんなに可愛い女の子。
絶対に他じゃ…ありえない……
なんでか俺の口元は鼻血と口の中の切った血で汚れていたが、笑っていた。
そうして、意識がプッ、と音を立てて遮断された。まるでゲームのスイッチを切るみたいに。
どれだけ寝ていたか分からない、重い瞼が二度三度開き出した。
見覚えのある天井、ここは…俺の家…?
驚いた、夢オチとは。
いくら平凡な日々で刺激に飢えていたとはいえ生々しすぎるだろ。
途端に自分の心臓の鼓動に気づく、ドッドッド、四気筒のバイクよろしく脈打っていた。
体の力が抜けるとはこのことだ。
はーと大きなため息をつく、良かった、全部夢だったんだ。
嫌な汗が噴き出ると同時に携帯を探そうと自分の手を見る。
ボロボロと黒いものが落ちていく、見た事がある、血が固まるとこんな風になるよな。
血?なんで?俺の手に?
意識が覚醒してくると同時に全てに輪郭がつきハッキリとしていく。
口の中と鼻の痛み、路地裏のあの独特の臭い、そして…
「……起きた………」
俺の部屋では絶対に聞けるはずのない声がする。
女の子の声だ。
声が聞こえた方に首を向けようとするがまるで長年放置されて錆ついた部品みたいに動かない、ギチギチ、と音を立てながらゆっくりとそちらを振り向く。
どうして?なんで?why何故に?
路地裏の金髪少女が、俺の部屋にいるのは。
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