八話 君の扉を開ける鍵

あの日から三日が経った。

楓は俺をずっと無視してくる。

謝るチャンスやタイミングは何度もあった。

だが、そのたびに聞かないふりをしたり、部屋に逃げ込む。

ノックをしても、なにも返してやくれない。

俺の存在が消えたと言わんばかりで、両親とは普通に会話したりしている。

一日くらいなら、しょうがないか。と思えるけど、三日は長くないか。

この現状に不満を募らせる。

俺が悪いのはわかっている。

わかっているけど、少しぐらい話を聞いてくれてもいいじゃないか。

どうしたらいいのか途方に暮れていると、スマホから、着信音がした。

悠からの電話だ。

「よお、楓。夏休みは満喫しているか?」

「ぼちぼちかな」

祭りに行ったくらいだから、まだできていないことがたくさんある。

「昨日、ハワイから帰ってきたからお土産を渡そうと思うんだが」

「わかった。場所は俺の家近くの公園でいい? 話したいことがあってさ」

悠に話したら、解決案を考えられるかもしれない。

「わかった。準備ができたらすぐ行く」

電話が切れる。

俺は身支度をして、公園に向かう。


公園のベンチに座っていると、紙袋を持った悠が来た。

彼は一つとなりのベンチに座る。

なぜ、一つとなりなのかは、わからない。

「へい、お土産」

紙袋ごと渡され、中身を取り出す。

「コーヒー豆?」

「コナコーヒーってやつだ。たまには大人っぽいやつもってな」

ハワイで人気のお土産らしい。

コーヒーは砂糖を少量入れるけど、好きだ。

豆ってことは、挽く必要がある。

家にコーヒーミルは、なかった気がする。

「あ、そうだ。コーヒーミルも入れておいたから」

「お、おう。気遣いありがとう」

そう思った矢先、こんなフォローをしてくれているとは。

俺の考えを呼んでいるかのようで、少し気持ち悪い。

「ハワイはどうだった?」

「楽しかった。人生初サーフィンなんかもしたな」

だから若干日焼けしているのか。

運動神経がいい悠なら、サーフィンはすぐにできただろう。

「日本より暑かっただろ」

「それがさ、日本より涼しかったんだよ」

「俺もハワイに行こうかな」

暑いのはもう嫌なので、涼しいところで、夏を謳歌したい。

ところが、旅行するほどの金は持ち合わせていない。

「んで、課題はどうよ?」

「おかげさまで苦しんでいる。あとちょっとで終わりそうだけど」

「意外にも早いな」

悠よ、ニヤニヤするな。

留年を回避できるのはありがたいけど、かなり辛い。

そういえば、あと一つ、どう片付けるか悩んでいる課題があった。

「読書感想文はいいけど、自由研究ってなんだよ」

「担任の思いつきって聞いたぞ。面白そうだからって」

どうやら、俺の担任は愉快な人らしい。

課題を追加してほしくはなかったが。

小学生の頃とはレベルが違うだろうけど、やるこっちの身になってほしい。

面白さや意外性が試されていると考えられる。

あー面倒だな。

「悠のクラスは、追加の課題とかないのか」

「俺の方は日記をつけろってよ」

また小学生みたいな課題だな。

そんなものを先生が読んで、どうするつもりだろう。

普通、「そうなんだ」や、「楽しそう」という感想で終わるはず。

いや深く考えすぎか。

先生も奇想天外な日々で笑いたいのだろう。

となると、俺の自由研究は……。

「話はまた今度。それよりも、話したいことがあるんだろ」

唐突に話題の転換をしてきた。

話す内容をまとめていなかったので、上手く話せるかわからない。

言えることと、言えないことがあるから。

「楓とちょっと喧嘩? しちゃってさ。俺が原因なんだけどさ」

相談話だろうと察していたのか、驚きもせず、聞いている。

「楓って従妹ちゃんのことだよね? 喧嘩の内容を教えてくれないか」

楓という人間は二人いるから、まだ慣れないのだろう。

「なんというか、触れてほしくない話を無理矢理、聞き出そうとしたんだよ」

「なるほどな。楓は理由があってそうしたのか?」

ここで、「お前が悪い」と言わずに、こっちの事情を聞いてくれるのは、悠のいいところだと思う。

「詳しくは言えない。弱みを握ろうとか、そういうのではないんだ」

楓のことは、今は秘密にしておきたい。

説明で話を脱線させたくないのだ。

「悪意がないのはわかった。それで従妹ちゃんは、どんな反応を?」

「強く拒絶されたよ。そのあとは、部屋に戻って行ったよ。冷静になってからまた話そう。って」

「それで、冷静になったのか?」

「そのつもり。だから、何度も謝ろうとしたけど、無視されるんだよ」

悠は、顔をしかめた。

なにか引っ掛かることがあるのだろうか。

「なあ、楓。お前ちょっと傲慢すぎやしないか」

悠がなにを言っているのか理解できなかった。

「従妹ちゃんの気持ちのことを、なにも考えていない」

「…………」

「さっきの言い方だってそう、自分のことしか考えていない言い方だ」

反論の余地がなかった。

相手の気持ちを汲み取ろうとせず、自分のことを優先する。

楓が、話してくれないのも当然だ。

俺は、以前の俺に戻ってしまっている。無意識に人を見下している俺に。

おそらく、楓のことで不安になっていたのだろう。

帰る方法がなかったら、どうしようと思っていたのだろう。

俺のせいで、迷惑をかけてしまった。

「……俺はどうしたらいいんだよ」

「受け入れろ。それも自分って」

俺はハッとした。

楓を俺と受け入れたように、傲慢な俺も受け入れてしまえばいい。

向き合って、受け入れて、成長すればいい。

新しい扉を開け、その先にいる、次の自分に出逢えばいい。

鍵はいつも手の中にあった。

俺はただ、鍵と目の前にある扉を見ないようにしていただけなんだ。

「俺、なにをすべきか分かった気がする」

楓の決心がついた様子で悠は嬉しそうだ。

「俺が背中を押す。だから迷わないで一歩を踏み出せ」

「ああ、本当にありがとう」

俺はもう迷わない。

黒い霧や靄に包まれていた心に光が射す。

「そういえば、映画行ったときに悠が言っていたことは、あながち間違いではなかったよ。楓のおかげで少しは変われたのかもな」

「従妹ちゃんに感謝すれよ。俺も元気な楓を久しぶりに見たんだぞ」

「お前にも心配かけた」

その後、俺と悠は、家に帰った。


家の玄関前で、楓と鉢合わせる。

バッグから飛び出ている長ネギを見るに、買い物から帰ってきたらしい。

俺と楓は歩くのを止め、お互いを見つめる。

口を開かずに、ただ見るだけ。

俺から行動を起こさないと。

悠から背中を押してもらったとはいえ、隔たれてしまった壁を超えるのは困難だ。

だが、やらなきゃいけない。

決心を固めたんだ。

俺なりのケジメ。

「あとで私の部屋に来て」

話しかけようとするより先に、楓が口を開いた。

冷たい声なのは変わっていない。

けれど部屋に誘われたということは、話をさせてもらえる。

なぜいきなり、チャンスを貰えたのだろうか。

野暮な疑問を消して、ただ静かに頷くだけ。

楓のあとに続いて家に入り、リビングに悠からのお土産を置く。

楓に手招きされ、黙って付いて行った。

二階へ上がり、楓の部屋前。

たった三日だけなはずなのに、随分と久しぶりな気がする。

「ほら、入って」

「お邪魔します」

楓はサイドテーブル近くの丸椅子に座り、俺はベッドに座ってほしいとのことなので、ベッドに腰を掛けた。

どうやって話を切り出すか、考えていなかった……。

二人は沈黙したままだ。

楓は拳を握りしめて、沈黙を破る。

「楓に伝えなければいけないことがあるんだ」

「うん。その前に、なんで私が楓と話そうと思ったのかわかる?」

頭を回転させ、考える。

無視することに痺れを切らした? いや違う。

なんとなくではないことは、既にわかりきっている。

「…………」

はぁ。と楓はため息を吐く。

そして、俺の頬を挟んで、まっすぐ俺を見据える。

「楓の面持ちが変わったからだよ」

手を放し、言葉の補則をした。

「昨日までは、余裕のない顔をしていたけど、今は自分の気持ちがまとまって、前へ進もうとしているように見えたんだよ」

楓は薄く微笑む。

さっきまでの冷たい声とは変わり、温かく包んでくれているような声だった。

そうか。楓が口を聞いてくれなかったのは、余裕がなくて前が見えていない俺だと、ちゃんと話し合いができないという考えだったのだろう。

「悠に言われて気づいたんだよ。俺の傲慢さを」

俺は、楓が言葉を発する前に言葉を紡ぐ。

「少し考えれば分かることを、俺は考えられなかった。そして、昔も今も誰かに迷惑をかけた。傲慢で自己中心的な最低人間だ」

「けど、それも自分だということも同時にわかった。ダメな自分も、名鳥楓という人間なんだって」

楓は、温かい目で見守ってくれている。

「新しい次の自分になって、一歩前へ進みたい。背中を押してくれる人はいても、隣で一緒に歩んでくれる人が俺には必要なんだ―――」

一息置いて、彼女に告げる。

告白以上、プロポーズ未満の言葉を。

「俺と一緒に歩いてほしいんだ。いつか別れてしまう、その日まで」

勢いで言ったものの、かなり恥ずかしいことを言った自覚はある。

楓の反応を待つ。

俺の手を取ってくれるのか、否か。

「……ふふっ。あはははは!」

「……?」

楓はいきなり笑い出した。笑う要素はなかったはずだけど。

「ごめんごめん。楓が真面目なことを言うのが珍しくって」

おかしいな。俺は普段から、大真面目に言っている。

ツボに入ったらしく、ずっと笑っている。

俺は苦笑するしかなかった。

「あの楓さん。それでお答えは……?」

笑いすぎて、涙が出てしまっている。

やっと笑い終わった楓は、笑いすぎて出てきた涙を手で拭いながら、

「答え? 是非私も、楓と歩んでいきたい。楓は私、私は楓。運命共同体なんだよ」

可能性で分かれてしまった楓という人間だとしても、世界が違っても、本質は変わらない、表裏一体の関係。

それが楓の言う、運命共同体。

緊張が解ける。

受け入れてくれると思っていたけど、もし断られたら話は終わりだった。

自分の気持ちを伝えたはいいが、もう一つ残っている。

「無理に楓のことを聞き出そうとして、本当にごめん」

頭を六十度に下げた。

「顔を上げてよ。言えないことはあるけど、楓のことはちゃんと信用しているからさ。もう怒っていないよ」

顔を上げ、楓を見ると、心が波を打つ。

彼女の顔は今にも泣きそうで、涙を堪えるのに必死だった。

目尻には微かに涙が溜まっている。

俺は、楓が愛おしく思った。

花火をしたときに強く感じた気持ちと同じだ。

これに名前をつけるとするのなら、それはきっと――――――

――――――人は恋と呼ぶのだろう。


自分に恋をするなんて、ないと思っていた。

それは、自分自身のことが嫌いだったから。

けど、楓と生活していくうちに、自分のことが、だんだんと好きになれた。

俺は、自分のことが許せなかった。

楓に許されて、心を打ち明けて、初めて自分のことを許すことができた。

人として成長できた気がする。

それができたのは、楓だけじゃない。悠や母さん父さんたちがいたからだ。

本当の意味で俺は再出発点に立てた気がする。

今だから確信を持てる。

俺はいつの間にか楓のことが気になって……いや、好きになっていた。

彼女にはまだ伝えられない。

恥ずかしいという理由もある。

そんな理由よりも、俺と楓は運命共同体だから。

この関係は、恋人という域を超えている。

本当の意味で付き合ってはいないけど。

俺たちは、これからも選択をしていく。

隣に彼女がいるから、道に迷う心配はない。

もし道を間違えたら、みんながまた背中を押してくれる。

もう一人じゃないことが分かったのだから。

                                  一章 完








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