七話 二人の距離、気持ちの扉

「やっぱりあるわけないよなぁ……」

スマホとのにらめっこを止め、椅子にもたれかかる。

俺は、夕食を食べたあとに、ネットで元の世界に帰る方法を探してみた。

もちろん、どれも信用するつもりはないが、ヒントがないよりはマシだろう。

探した結果、どれもふわっとした内容だった。

例えば、時間が経てば自然に戻る、とか。

夏休みが終わるまでに帰してあげたいから、いつかなんて待てない。

……もう少し探してみるか。

気になったサイトや、有力な情報がありそうなサイトを、次々に開いて見ていく。

すると、ある情報に目が留まった。

そのサイトには、こう書かれていた。

・その世界の自分に会うと帰れる可能性が格段に上がる。会えなかった場合、可能性はゼロに等しい。

楓と俺は一緒にいる。

だから、帰れる可能性があるということになるけど、肝心の方法が、意味不明だった。

・紙に【飽きた】と書く

・十階以上のエレベーターに乗る。ただし、五階で乗ってくる女性に話しかけてはいけない。

・東に向かうバスや電車に乗り、眠る。

どれか一つでもいいらしい。

エレベーターと眠ることはよくわからないが、紙ならすぐにできる。

あとで楓にやってもらうとして、方法がまだあるはずだ。

その後も俺は、ネットサーフィンを続けた結果、有力な情報はこの二つだった。

ただし、そのすべてが、スピリチュアルな方法だ。

一つ目は、さっきの紙に書くという方法。

詳しく調べてわかったが、この方法は、かなりメジャーな方法らしい。

二つ目は、過去の自分の間違いを認識し、やり直す。という方法。

自分の間違いを正すことで、元の世界に変わっていくということらしい。

正直、これはよくわからない。

他にもたくさんあったが、恐ろしい方法や、実行するには難しいなどの理由から、断念したものが多い。

それにしても、自分の間違いを認識するってどういうことだ……?

とりあえず楓を、俺の部屋に呼ぶことにした


「自分から呼ぶなんて珍しいね。もしかしてやっと、勉強の意欲が出てきたとか」

「それは一生ないな。まあ、なんだ。勉強前の世間話でもってな」

勉強のやる気がないのは本当だ。

雑談後に勉強が始まる。

だいたい十分くらいの余裕が今日はあった。

微妙な距離はあるが、楓は俺のとなりに座る。

「楓が来てから、もう二週間近く経つけど、こっちの世界には慣れたか?」

この手の話題は切り出しやすい。

「慣れないというか、自分の世界とは人間関係も、なにもかもが違うから、寂しいなって思うときはあるけど、楽しく過ごしているよ」

「それはよかった。なにかあったら、すぐに言いなよ」

信頼はしているが、心配な点がいくつもある。

「ありがと」

正面の壁を見ながら楓は細く微笑む。

さて……、ここからどうやって紙に書かせようか。

「紙に書いて」と言ったらすぐに終わることなのは承知している。

もし、それで楓が帰れたとしたら、もっと話したいことが出てくるかもしれない。

後悔をしないために、コミュニケーションは取っておこう。

「そうだ。明日スイカ食べようよ。冷え冷えのスイカをさ」

「明日も暑いらしいから、ちょうどいいかもな」

今日は三十一度だったが、明日は三十度。

春や冬によく、早く夏になってほしいと思うが、実際に夏になったらこれだ。

暑くてなんのやる気も起きない。

「早食い競争しない? 私はやらないけど」

「俺もやらないわ。提案者が参加しないなら言うなよ」

タイムアタックしているところを見て、面白みも一切ないだろう。

あるとするなら、滑稽なだけ。

すると、楓はなにかを思い出したように、立ち上がり、俺の本棚にある漫画を取り出した。

その漫画の表紙を見せてきて、

「この漫画の続き気になるから買っておいて」

漫画でも読むのかなと考えていたが、ただのお願いであった。

「自分で買えよ」

「辛辣~」

漫画の話だったらよかったが、お願いなら断固拒否する。

俺が買う義理がないからだ。

「てかさ、私の部屋にもぬいぐるみ欲しい」

「今の時期は暑いだけだぞ」

枕元にシマエナガのぬいぐるみを置いているのはいいけど、睡眠時に、暑くてしょうがない。

「そのシマエナガのぬいぐるみ、もらっていい? 抱き枕として使うから」

だから暑いって言っているのに、抱き枕に使うのはチャレンジャーだな。

「いいよ。抱き枕を抱いて寝ると、安心感を得られるらしいし」

シマエナガのぬいぐるみを持って、楓にパスする。

楓はそのぬいぐるみに抱き着く。

可愛いものを見ているときの顔は、子供みたいで可愛らしい。

……そろそろ時間か。

勉強を始める時間になった。

俺が考えた作戦は一つのみ。

文章で答える問題で、【飽きた】という言葉を含めた文章を書く。

しかし、漢字を忘れたからやっていくというシンプルな作戦。

俺と楓は、ローテーブルに座り、課題と教科書を開く。

毎日二ページずつと決めたが、順調にこなしているので、三ページずつ解いている。

早速俺は、現文を解き始めた。

文章題にいち早くたどり着くために。

「今日はやる気を感じられるね。いいことだ、私は嬉しいよ」

楓のどこから目線かわからない感想はスルーだ。

記号問題や、文章から引き抜く問題を超えて、やっと文章題になる。

聞かれている内容的に、【飽きた】という言葉は入らない。

だが、書いてもらうのが目的だ。

「楓、わからない感じがあるんだけど」

「どの漢字?」

「飽きたっていう漢字なんだけど、書いてくれないか」

よしっ。さりげなく流れを作れた。

楓の目の前に白紙を置き、書いてもらえばミッションコンプリート。

「簡単だよ。ほら」

楓はすぐに書いて、俺に見せてくる。

これで一時間くらい待って、変化がなかったら、作戦弐に移行しよう。


結論から言うと、一時間が経っても、楓は俺の目の前にいる。

……やっぱり、この方法はダメだったか。

非科学的だったので、成功しなくて当然と言えば当然だ。

じゃあ次は、作戦弐。

ちょうど今は、休憩中。

雑談を含みながら、さりげなく聞き出す。

楓がやり直したいと思うことを。

「なあ、楓。昔に自分が間違えたなって思うことはあるか? 興味本位だから答えたくなかったらいいよ」

嘘である。

答えてもらわなかったら困るのだ。

「いきなりだね。うーん……数えきれないほどあるよ。あんなこと言わなければよかったなとかさ」

それは誰にでもある、失敗や間違いだろう。

どの間違いを正せばいいんだろうか。

もっと、もっと心の奥深くに、しまい込んでいることを聞きたい。

「じゃあさ、人生最大の失敗は?」

「うわ、デリカシーなさすぎ。言わないよ」

話を飛躍させすぎたせいか、怪訝な目で見られる。

「言ってよ。笑ったりしなからさ」

「だとしても言わない」

「笑ったり、人に広めるような人間に見えないだろ?」

「信用はしているつもり。でも楓だからこそ言えない」

……学生の痴話喧嘩かよ。

なにか訳ありなのだと察した。だが、

「今はそう言っている場合じゃないんだ。お前が帰られるように……」

「言いたくないって言ってるでしょ‼」

食い気味且つ、叫ぶように言われた。

しつこかったのは認めるが、楓のためを思って……あぁ、まただ。

またやってしまった。

「もういい。今日は一人で勉強するから」

話し声が、いつもと変わり冷たい。

楓は、勉強道具をまとめ、早足で部屋を出て行った。

俺は楓を止めようとは思わない。

扉をバタンと強く閉められる。

テーブルに肘をつけて、頭を抱える。

……また俺は同じ過ちを繰り返してしまった。

記憶の蓋が開いて、黒い靄の一つが晴れる。

トラウマとも言える記憶を、俺は思い出した。


時は去年に戻る。

高校生になった俺は、特になにも変わることのない日々を過ごしていた。

友達もいて、休日は遊んで、彼女はいなかった。

けど、充実した日々を送っていたと言えるだろう。

しかし、俺が良かれと思ってやった行動が、余計なお世話と思われていた。

誰かの役に立ちたいと思って、人の心に土足で踏み込んでしまったのだ。

お節介や余計なお世話を超えて、害悪だった。

俺のうわさは瞬く間に広がっていく。

俺は気づいたらみんなから避けられるようになった。

今考えると、当時の自分がしたことを後悔している。

そんな奴、俺も関わりたくないと思うからだ。

悠は、俺が原因で避けられていたということを知らない。

騙すような真似をして、後ろめたい。

避けられるようになってからも、しばらくは高校に通っていた。

だがある日、自分の居場所がないことに気づいてしまった。

違う。自分で居場所を無くしてしまった。

今は緩和されたが、人が少しだけ怖くなった。

その後、俺は家に引きこもるようになったのだ。

そして、現在に至るというわけである。

誰のせいでもない。


俺がすべて悪い。


それに限りなく近いことを、俺は楓にやろうとしていた。

もう二度とこんな過ちをしないって決めたはずなのに。

俺はあの出来事でなにを学んだのか。

思いだし、悩み、考えるほど傷は深くなり、自責の念に駆られる。

「ああ、もう。どうしたらいいんだよ……」

俺がやるべきことはただ一つ。

楓に謝ることだ。

許してもらおうとは思っていない。誠意を見せる、それだけ。

今、会ったら気まずいとか、そんなことを考えている暇はないんだ。

俺はゆっくりと歩き、部屋の扉の前で立ち止まった。

深呼吸をして、扉をノックする。

「楓。話したいことがあるんだ」

『お互い、気持ちの整理をしよう』

門前払いをされた。

楓は、冷静になる時間を設けようとしているのだろう。

「わかった。おやすみ」

大人しく俺は自分の部屋に戻った。

俺はベッドに腰を掛けて、倒れこむ。

天井を眺め、楓の立場になって、俯瞰してさっきの状況を思い出すことを始めた。


楓があんなことを言うとは思わなかった。

一見、言葉が強いが、その裏で微かな優しさを感じていた。

なのに楓は……。

デリカシーがないのはわかっている。けど、言われたら嫌な気持ちになるのは、あたりまえのこと。

最後に微かに聞こえた、私のためっていうのは理解できる。

わかってるけど、楓に話したくないことの一つや二つはある。

私も、すぐに怒って、拒絶してしまった。

自分の弱さだなと思う。

あれは楓じゃない。私には別人のように見えた。

無意識に焦っていて、不安な気持ちがいっぱいで、自分を見失っているようだ。

焦っているなら、不安なら、相談してほしかった。

そのときだ。扉がノックされる音がした。

たぶん楓。

『楓。話したいことがあるんだ』

話し? こんな気持ちで話したところでなにも解決しない。

冷静になって、明日でも、明後日でもいいから話したい。

「お互い、気持ちの整理をしよう」

私も、楓にあの出来事を告げるべきか、考える時間がほしい。

『わかった。おやすみ』

気持ちを汲み取ってくれたのか、楓は部屋に戻って行った。

気持ちの整理ができたら、本音で話そう。

そして私は、膝に顔をうずめた。


                                 八話へ続く


















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