一話 名鳥家へようこそ

実家へと出発してから、約一時間が経過した。

「見えたよ楓。私の家、いや今は違うかな」

一瞬だが、楓の顔が暗くなったような気がした。

「ちゃんとお前の家だぞ。ほら、外観は変わってないはずだろ」

「たしかに。なにも変わってない」

この家は楓の家であるけど、そうとも言えない。

俺なりにフォローしたつもりだ。

どう返すのが正解だったのだろうか。

そんなことを考えていると、家の前に到着した。

チャイムを押し、ピンポーンと鳴る。

『はーい』

聞き馴染みがある声がした。

母さんの声だ。

「俺だよ俺」

『オレオレ詐欺みたいな言い方は。今開けるね』

扉の奥から人の足音が聞こえてきた。

ガチャと鍵が開く音がして……。

「おかえり! 楓」

母さんが勢いよく抱き着いてきた。

俺ではなく楓に。

「母さん、俺はこっち」

楓を解放し、母さんは一歩引く。

「え? あら本当。勘違いしてしまって、ごめんなさいね」

「ううん。大丈夫。お母さ……あっ」

楓は言葉を途中で止めた。

やはり、気にしているのだろうか。

この世界の母さんと父さんは、本当の両親ではないことを。

「それじゃあ、改めて、抱き着いとく?」

「別にいい」

子供じゃあるまいし。

するとしても、楓の前だと恥ずかしい。

「張り合いがないわね。さあ、入って入って」

久しぶりの実家。

最後に帰ってきたのはたしか正月くらいだったような。

なにも変わっていなく、安心できる。

とりあえず、リビングに荷物を置くことにした。

「それにしても、帰ってくるなんて珍しいね」

「まあ、いろいろと事情があってね。父さんが帰ってきたら話すよ」

「わかった。あと楓ちゃん」

「は、はい」

「楓ちゃんが使う部屋は、楓の隣の部屋ね。楓、案内してあげて」

「ちょっと休ませて。足が痛い……」

荷物を置いてすぐに、俺は長時間での疲れを癒すため、ソファに座っていた。

「運動不足。自業自得でしょ。ほら立った立った」

「しょうがない。楓、ついてきて」

荷物を持って、二階に上がる。その途中にて、

「楓なら案内しなくてもわかりそうだけどな」

「部屋の位置とか相違点があるかもしれないよ」

「そんなに変わらないだろ」

二階の長廊下にある、二つの扉の前に立つ。

「右と左の部屋、どっちが楓の部屋?」

「左が俺の部屋だよ。右は来客用かな」

楓はうっすらと笑いながら俺の方を見てきた。

「同じだ」

「だから言ったろ。あまり変わらないって」

先にこれから楓の部屋となる扉を開ける。

「「いつ見てもホテルみたいだなぁ」」

来客用の部屋に置かれているのは、ベッドやサイドテーブルをはじめとした、オシャレな家具。

そして、ティーバッグや電子ポッドなど、ホテルに置いてありそうなものなど、様々だ。

全て、母さんのこだわりらしい。

「いらない心配だと思うけど、なにかあったら、母さんか俺に言って」

「了解。ねぇ、楓の部屋を見に行きたい」

鞄を置いた楓はベッドに腰を。

「休まなくていいのか。疲れただろ」

ここに来るまでの時間と、俺の家で起こった出来事を考えると、かなり疲れが蓄積されているだろう。

「これでも体力はあるから、全然大丈夫」

俺と正反対だ。

「あと、俺の部屋なんて面白いものなんてないぞ」

「面白いよ。男の私がどんなものが好きか気になるから」

「そんなもんかな」

「そんなもんなの」

俺を横切って行く楓を追いかける。

俺の部屋を見渡す楓は、目を輝かせているように見えた。

「おぉ」

「なにかあった?」

「思ったより普通すぎて驚いてる」

表情と言っていることが一致してない。

「だから言っただろ。どんなものを想像してたんだよ」

「いやぁ、べつに」

楓がなにを考えていたかはだいたい予想できる。

けど、そんなベタな展開ないだろ。

……ないでほしい。

「このぬいぐるみ……」

ベッドに鎮座している白いものに、楓は手を伸ばして、抱きかかえる。

「シマエナガだな。二年前くらいにブームがきて、そのときに取ったものだよ」

「楓はぬいぐるみが好きなの?」

「好きかどうかだったら、好きだな」

昔はぬいぐるみを集めていたのだが、最近はしていない。

楓はニヤニヤしながら、シマエナガを見つめている。

「実は、このぬいぐるみ私も持ってるんだよ。ぬいぐるみ好きだから」

「へぇ、奇遇だな。いや、必然か?」

「根本は同じなのかもね。楓は私だから」

さっきまでは、楓は俺だということに実感が湧かなかったが、少しだけ親近感に近い、なにかが湧いてきた気がした。

それは不思議な感覚で、言葉にするのが難しい。

その後しばらく、ルームツアーをした。


「楓、夕飯を作ったけど食べる?」

エプロンを着たままの母さんが、台所からひょっこり顔を出して言った。

時計を見ると、今は七時。ルームツアーが終わって、二十分くらい経ったのだろうか。

ちょうど、我が家の夕飯の時間である。

楓はというと、漫画を読みたいということで、一階に下がって俺はテレビを見ていた。

「うん、お腹空いた。今日のご飯なに?」

「カレーだよ。好きでしょ?」

「やったー。楓を呼んでくるよ」

お袋の味というものが久々で心が躍る。

俺の部屋にいるはずの楓を呼びに行くと……、

「おい楓、なにやってんの」

「隠しているものがないか探しているんだよ」

「さっきも言ったけど何もないってば」

「男なら、一つや二つ隠しているものがあるって漫画で読んだから本当かなって。ね?」

嫌な予感はしていたが、それが現実になるとは……。

「ね? じゃないよ。あと夕飯の時間だけど食べる?」

「食べる! お腹空いた。今日のご飯なに?」

「俺と同じ反応してるし。カレーだよ」

「やった! すぐ行く」

楓は勢いよく部屋を飛び出し、一階へと下がっていった。


リビングでは、俺と楓が協力して食器を運んだ。

父さんは残業なのか、いつもより帰ってくるのが遅い。

「先にいただきますしましょうか」

俺と楓は手を合わす。

「「いただきます」」

スプーンでカレーを掬い、口に運ぶ。

「母さん。味付け変えた?」

「そうなの。前は甘口だったけど、中辛に変えたのよ」

「このピリッとする感じ、すごく美味い」

「楓ちゃんはどう? 美味しい?」

「はい! 美味しいです」

楓はすごい勢いでカレーをかきこんでいて、既に半分食べていた。

「たくさんあるから、いっぱい食べてね」

「ありがとうございます!」

そう言って、楓はカレーを完全に平らげた。

「おかわりお願いします」

母さんは楓の食いっぷりを見て、微笑みながら、カレーをよそいに行った。

「楓、お前意外に大食いなんだな」

食べる速度が人間ではないが。

「そういう楓だって、食べる方なの?」

「楓ほどではないな」

「茶化してるでしょ」

「あはは。ごめんって」

他愛ない会話をしていると、楓のおかわりが持ってこられた。

「はい、楓ちゃん」

「ありがとうございます!」

そんなこんなで晩御飯を食べ終えた。


食器を片付けているとき、父さんが仕事から帰ってきた。

「賢一さん、おかえりなさい」

「ただいま。お、楓じゃないか、おかえり」

父さんは俺に向かって、手を挙げた。

「おかえり父さん。仕事お疲れ様」

楓の肩に手を置いて、母さんはひょっこり顔を出す。

「賢一さんに紹介したい人がいるのよ。楓ちゃんです!」

「ついに、楓に彼女が、おめでとう。楓をよろしくね」

「父さん、楓は彼女じゃない」

やっぱり似た者夫婦だな。ほぼ同じ反応だ。

「楓、話があるんじゃなかった?」

「ああ、そうだった。父さんがご飯を食べ終えたら話すよ」

父さんも仕事でお腹が減っているだろう。

「楓もそれでいい?」

「私はいつでも大丈夫だよ」

「すぐ食べるから少し待っててね」

そして、三十分が経過した。

父さんが食べ終えたので、楓のことについての事情を説明する。

テーブルを挟んで、俺の隣に楓が。向かいに両親。

楓の顔色を見ると、緊張しているのが見て伺える。

静寂を破るように、俺は話を切り出した。

「楓のことなんだけどさ」

俺は楓のこと、今日起こったことのすべてを話した。

もちろん、まだわからないことだらけで、どうしたらいいか俺にも考えつかない。

でも、この世界で安心できて、彼女の居場所はつくった方が彼女のためだと思ったのだ。

「なるほどね、そんな事情が。大変だったね楓ちゃん」

「楓と同じ名前だなとは思っていたけど、実質的に楓とは」

楓が俺ということに驚いた様子だが、同様しているというのではないので、大人の余裕を感じる。

「理解できないことも多いと思うけど、しばらくの間、お世話になりたい」

「私からもお願いします」

「二人とも、頭を上げて」

母さんと父さんは微笑んでいた。

「事実がどうであれ、娘を突っぱねるほど、私たちは人でなしじゃないよ」

「じゃ、じゃあ!」

父さんは静かに頷き、

「これからよろしくね、楓ちゃん」

「は、はい! よろしくお願いします」

胸を撫でおろし、安堵する。

「それにしても、婚約の許可がほしい。とか言われたらどうしようと思ったよ」

「実はわたしも」

彼女じゃないって言っているのに、俺ってそんなに信用がなかったかな。

「楓はこれからどうするの?」

「明日から夏休みだから、俺もしばらくいるよ」

大荷物で来たから、察してくれていると思ったが、一応の確認だろう。

「もうそんな時期か、早いね」

「ああ、そうだ。母さん、父さん。楓だとややこしいから俺と楓の呼び方を、あらかじめ決めておきたい」

楓のままだと、どちらを呼んだかわからなくて、ややこしいそうだ。

「それもそうだね。どんな呼ばれ方がいい? 楓ちゃん」

「高校で友達にはなんて呼ばれているんだ?」

両親にあだ名を言うことが恥ずかしそうな様子をしている。

楓は視線を微妙に逸らしながら、両親に言う

「友達には、なっちゃんって呼ばれています」

「いいね、そのあだ名。私たちもなっちゃんと呼んでいい?」

「は、はい」

やっぱり恥ずかしかったようで、赤面している。

「楓ちゃん、僕と静香さんには敬語じゃなくていいよ。家族なんだから」

静香というのは母さんの名前である。

父さんからの言葉が嬉しそうな楓は、

「うん、母さん父さん」

そう言われて、母さんの顔がパッと明るくなった。

「娘ができたみたいね」

「たしかに」

母さんの言葉に賛同し、二人は笑う。

「楓はどうする?」

「俺は楓のままでいいよ」

「もう、ノリが悪いなぁ」

あだ名で呼ばれることなんて、そういえばなかったな。

けど、親からあだ名で呼ばれるのは嫌だ。

「母さんと父さんがノリ良すぎるんだよ」

「そんなことないわよ。ね、賢一さん」

「ああ、まったくだ」

ダウト。表情と言っていることが合致していないから。

何はともあれ、楓が家族の一員になった。

俺たちはしばらく談笑をした。

そして時は過ぎ、辺りは暗闇に包まれ、近所が完全に消灯したころ。

ベッドに仰向けになって、今日のことを振り返る。

「今日一日で、三日分の体力を使った気がする……」

ため息を吐くが、久しぶりに充実した一日だった思う

すると、扉がコンコンコンとノックする音がした。

「楓、まだ起きてる?」

楓の声だ。

「ノックしなくても自由に入ってきていいよ」

扉が開き、楓が部屋に入ってくる。

「どうしたんだ。なにかあったか?」

「寝る前に野暮用を思い出してね」

「その野暮用とは?」

楓は照れくさそうにしている。

「まあ、なんというか今日のお礼を言いに来たというかね」

「別にいいよ」

自分だと言われたら、どうにかしてあげたいと思ったからやったことだ。

「いいから、私の自己満足でもあるから」

「はいはい」

なにも言わずに、彼女の言葉に耳を傾ける。

「この世界に放り出されて、一人ではなにもできなかったと思うから、その、ありがとう」

「おう、改めてこれからよろしくな」

「うん!」

満面の笑み、月の光で反射する楓の顔は、とても美しく、可愛かった。

……自分のことを恋愛対象に見るなんて無理だな。

照れ隠しをするために、絞り出した言葉。

「ほら、もう遅いから寝な」

楓からは、俺の顔は見えてないはずだろう。

自分がどんな顔をしているのかはわからないけど。

「おやすみ」

そう言い残し、楓は笑顔で自分の部屋に戻っていった。


                         一話 名鳥家へようこそ 完


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