第三章 - 閉塞世界 -

 公園のベンチで、朱美は独り座っていた。

 そこに、ソウと名乗った男が寄って来た。


「ほら」


 ソウが、自動販売機で買ったペットボトルを投げてよこす。


「ありがとうございます。これ、好きなんです」

「そうか」


 ソウの方はといえばホットコーヒーの缶を開け、ひちびちと飲んでいる。

 なんとなく、笑ってしまった。


「どうした」

「いえ。何でもないです」


 沈黙。他に誰もいない。電灯の明かりが、ふたりを照らして薄い影を作っていた。

 不意に、羽ばたきの音がした。

 からすだ。鴉が電灯に止まった。影がひとつ、増えた。


「あの」


 朱美が沈黙に耐えかね、口を開いた。


「ウィルスだ」

「え」


 何を言ってるか分からない。


「いや、逆か。奴等にしてみれば、あちらこそ白血球か抗体ってところのなのか」

「あの、何を言ってるか」

「あの黒い陽炎が何か、知りたいんだろう。だから教えている」


 一々言葉が足りない、と朱美は思わざる得ない。


「端的過ぎて何言ってるか分からないです」

「そうか」


 ソウが俯き、考え始める。鋭い、痩せた横顔。どこかで見た気がする。

 どこかで会ったことがありませんか、と朱美が言う前に、ソウが口を開いた。


「仮想世界というのは、知っているか」

「ゲームとかで。あとSNSやってるどこかの企業が、そんな世界を作ろうってニュースで見たことがあります」

「ニュースか」


 ソウの頬が歪んだ。本人は笑っているつもりなのかもしれないが、剣呑な雰囲気しか感じられない。


「そういう一方的な情報は再現しやすいだろうな」

「どういう意味です?」

「ニュースを見ているなら、どこかのIT企業の経営者がこの世界が仮想世界である可能性は99.9パーセントだとか言ってたことは知らないか?」

「なんかそんなコメントもあった気が。でもそんなの」


 再び、羽ばたきの音が響く。鴉が飛び立った。

 その烏を、ソウが指差す。

 止まった。

 鴉が止まった。

 鴉だけではない。翼を広げた拍子に飛び散った羽根ごと、静止していた。

 鴉とその周りだけ、時が止まったようだった。


「この程度のオブジェクトの干渉なら、俺の権限でも可能だ」

「何、言ってるんですか」


 声が震えている。


「だから話しただろう。仮想世界のことを」

「私たち、仮想世界に入り込んでいるってことですか」


 何かの映画のように。その映画では、人間は電池のように扱われていた。つまり、そういうことなのか。


「違う」


 ソウは否定した。一瞬、安堵する。


「現実世界なんてもの自体、なかった。俺たちは、この仮想世界で生まれた存在だ」





「何、言ってるんですか」


 先程と同じ台詞。だけど、震えは前の時の比ではなかった。

 なんで、私の声はこんなに震えているんだ。


「言ったとおりだ。AIでもNPCでも呼び方は何でもいい。俺たちは仮想世界の住人だ」


 ソウが手首を翻す。途端に鴉が動き出し、夜空へと飛び去った。


「その世界で生まれて、死ぬ。消滅か、どこぞへデータ保管されるか分からないが、それはそれで救いだろうさ。世界が続いている限りはな」

「それのどこが救いなんですか」

「気付かなきゃ、幸せに生きる道もあるだろうからさ」


 投げやりなソウの台詞。

 ふざけるな。朱美が怒鳴ろうとした時。


「だが、世界は有限だった。正確には、世界を構築するサーバー群の方がな」

「サーバー?」

「まあ、でかいコンピュータのことさ。その集まりで、サーバー群だ」


 俺たちの考えるコンピュータとは違うかもしれないがな。そう、ソウが付け加えてくる。

 急に知らない用語を出されて、勢いを削がれてしまった。


「そのサーバー群を運営している連中が、もう限界だと言い出した」


 サービス終了のお知らせってやつだ。ソウがわらう。

 自嘲めいた笑み。酷く、陰惨に見えた。


「サーバーは停止。俺たちは世界ごと廃棄か凍結。あるいはデータの一部分はどこかで再利用ってことになったかもしれない」

「それなら、どうして私たち、ここにいるんですか?」


 聞かざる得ない。それなら自分たちは皆、消滅しているはずだ。


「連中。癪な言い方だが、上位存在の中に俺たちを存続させたい奴も───」


 途中で声が低くなる。ソウが目を細める。

 ソウの視線の先を追う。電灯の陰。そこから黒い陽炎のような何かが這い出て来ていた。


「乗れ」


 ソウへ振り返る。いつの間にか、ソウがオートバイに跨っていた。やたら排気筒マフラーの大きい、ミサイルみたいな流線形のオートバイだった。

 これもオブジェクト操作とかで出したのだろうか、等と考えている余裕もない。

 ソウの後ろに飛び乗る。

 頭からヘルメットを被されると同時に、バイクが飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る