8.もう負けたくない
四月二九日と三〇日。
週末の休みの間、俺はほぼずっとパソコンの前に座り、真っ新な文章作成ソフトの画面を見つめていた。
頭の中ではもうとっくにわかっていた。
十代さんの言う通りにするべきだと。
編集者のOKをもらわなければ本は出せない。
それは、今回に限らず、小説家となってからもずっと続いていく宿命。
自分が書きたいように書くだけなら、タマゴに投稿したり、同人誌を作って個人で売ればいい。
それで小説家と言えるのかはわからないが、読者に物語を届けるという意味では同じだ。
……でも、俺は書くべきなのだ。
カヤ、ナギ、モモ。
三人の可愛い子供達の中から、一人だけが報われる世界を。
読者の皆さん、それぞれのヒロインを推してくれてありがとう。
でも、恋が成就するのは一人だけです。ごめんなさい。
頭を下げながら、歯を食いしばって書くべきなのだ。
しかし、一向に指は動かなかった。
キーボードの上に乗せても、すぐに降ろしてしまう。
この物語は、俺の理想そのものだった。
誰も負けない。
全員が幸せになれる。
そんな愛と優しさで満ちた世界をずっと書いていきたかった。
そうすることも不可能ではなかった。
出版後もタマゴで連載を続けて、こちらが正史、書籍版はパラレルワールドだとでも言い張ることはできた。
だけど、そうしたら書籍版を購入した人はどう思うだろう。
全ての人がタマゴを読んでいるわけではない。
自分が買ったものが作者に偽物だと言われたら、愉快な気分にはならないはず。
逃げ道や言い訳を探すのではなく。
俺は、決断を下さなければならないのだ。
自分の手で『負けヒロイン』を生み出すことを、受け入れるのか。
それとも、拒むのか。
二日悩み続けて、答えは未だに出せなかった。
ふと目を開けると、五月一日の朝を椅子の上で迎えていた。
今日と明日は大型連休の中日、平日だ。当然学校もある。
締め切りはまだだが、時間切れだと思った。
……ところが、制服に着替え終えたところで、頭の中に魔が差した。
普段登校する時間を過ぎてもなお。
妹の「行ってくるさー」の声を聞いてもなお、俺は自室に留まっていた。
キャラのことを想うのも大事。
読者のことを想うのも大事。
だがしかし、いま一度己に問う。
――俺は、なぜ、こんなに悩まなければいけないのか?
無論、本を出して小説家になりたいからだ。
こんな好機はそうそう訪れないだろう。
ではなぜ、俺は小説家になりたいのか。
そう決意させてくれたのは、一体誰だったのか。
そんなの、いうまでもなく。
先輩の〝アドバイス〟と、
色芸の〝絵〟だ。
三次元の存在に影響を受けるなんて、俺も随分と腑抜けになったものだ。
二次元にしか人生の意味を見出せなかったというのに。
……いや、いまでもそう思っているが。
でも、三次元の中にだって、大事なものはあるのだ。
守りたいと思う場所と、人がいるのだ。
これからも共に二次元の世界を楽しんでいきたい、大切な存在が。
俺にとって、二次元と等しく大事な女の子が二人、いるのだ。
俺はヒーローじゃないから、全員を幸せになんてできなかったけれど。
物語の創り手となってなお、負けてしまったけれど。
それでも、俺の決断で誰かを救うことができるのなら。
俺にしては十分、よくやったほうなんじゃないか。
――だから、俺は書くことにした。
甘々で、糖分マシマシで、口から砂糖デロデロ吐いちゃうようなラブシーンを。
一方で、嘆き悲しみ、怒り狂うような失恋シーンを。
十代さんが求めるクライマックスを、泣きながら書くことにした。
二四時間かけて、書きまくった。
信念を曲げて、書きまくった。
何度も、何度も何度も後悔した。
それでも、功績を残し、部室棟の部屋を取り戻して、また三人でソファに座るために。
心の奥底で憬れる、大切な先輩と絵描きと過ごす、これからの日常を慈しむために。
またいつものように、二次元で負けてしまっても。
今度は、三次元で勝つために。
俺は、小説家のタマゴを割った。
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