7.負けてほしくなかったから
「……かい、こう?」
「そう。原稿を直すこと。この作品はよくできてるから、ラストシーンを加筆するだけでいいよ。空港から戻ってきた主人公にヒロインの誰かを選ばせて、見事に結ばれて終わろう!」
十代さんの言葉が鈍器のような重さとなって、耳から殴りつけられたような気がした。
「な、なんでそんな改稿を……」
「そりゃ本として出すんだから、恋物語なら読者にその結末を読ませてあげないとダメでしょ」
至極当然といった様子で、編集者は言い切る。
俺がどういう理由で、どんな想いでこの物語を書き始めたのかも知らずに。
「……昨日投稿した通り、主人公にとって三人とも大切だって終わり方じゃダメなんですか」
「いやー、それじゃスッキリしないでしょ。タマゴでこれから書き続ける分にはそれでもいいけど、書籍版では一冊の本として、一応の決着を見せないと」
「で、ですが……」
「何? 坊や、ラストシーン決めてないの? 読者のコメント見て決めるつもりだったとか?」
「いえ、そうではなくて……」
俺は『負けヒロイン』のいない世界を目指してこの物語を書き始めたのだ。
俺の子供達は誰も負けない。誰も泣かない。全員が報われる。
あえて言えば、それがラストシーンのつもりだ。
読者がどのヒロインを推すようになっても、悲しませない。
ヒロインも読者もみんなが幸せになれる、愛と優しさで溢れる幸せな物語を生み出すと、先輩と誓ったのだ。
「……負けヒロインを、作りたくないんです……」
「んんー? ……ああー、なるほどね。だから坊やはサイの二次創作を……そっかそっか」
十代さんは納得したように何度か頷いた。
俺の推しはいつも負ける。
サイが選ばれなくて悔しかったから、救済の二次創作を書いた。
小風が無残にも死んだから、キャラクターみんなが報われる物語を生み出そうと決めた。
子供をフェアに愛せない親なんて親失格だ。
贔屓される子供の気持ちを考えてみろ。
そんな俺に、子供の序列をつけさせるなんて、あまりにも残酷じゃないか。
俺の気持ちが十代さんに伝わってほしい。
坊やの創作理念を尊重すると言ってほしい。
――しかし、目の前の編集者は、考え込むこともなく、軽々と言い放った。
「だったら、今回の話はなかったことにする?」
「……え?」
「どうしてもラストを変えたくないなら、それでもいいよ。でも、ワタシも一応編集者だからね。本という商品を世の中に送り出すために必要なことは、坊やよりずっと理解してるんだ。だから編集者は作家にボツを出す。ここは直してくださいと言う。より良い商品を、作家と一緒に創り上げるために。直すのが嫌なら、本にはできないんだよ。申し訳ないけどね」
無知な幼い子供を教育するように、業界人は俺を諭す。
「編集者は作家のためにいるんじゃなくて、読者のためにいるんだよ。もちろん作家も、読者のために存在する。それだけは、わかってほしいな」
それは、その通りだと思う。理解できる。
三次元になど一切興味のなかった俺が、三次元の読者のために精一杯物語をお届けしたいと、柄にもなく思うようになってしまったのだ。
……でも、読者のためを思うなら、決着なんてつけないほうがいいんじゃないのか。
推しが主人公に選ばれれば嬉しいだろう。
だけど、推しが選ばれなかった人は、絶対に悲しむじゃないか。
どうして自分の推しを幸せにしなかったんだと、作者を恨むじゃないか。
主人公に誰か一人を選ばせることが、本当に読者のためになるのか?
「どうする坊や? ワタシのオファー、受ける? それともやめておく?」
決断を求める問いに、俺は俯いたまま返事ができなかった。
「……決められないかぁ」
「……すみません」
「いいんだよ、じっくり悩んで。小説家になる覚悟を問われてるんだから。言ったでしょ? みんな、小説家って職業に夢を持ち過ぎてるんだって。まあ、そういうところも一〇代って感じで、超々愛いんだけどね! ほんと、一〇代って可能性の塊で、ワタシ大好き!」
十代さんはカタカタとノートパソコンを操作し、スケジュールアプリを見せてきた。
「少しだけ考える時間をあげるよ。でも、長くは待てない。出版したいんだったら、四日後、五月二日までに、改稿したラストシーンをメールで送ってほしい。書けなかったら、今回の話はなし。今後もタマゴで書き続けて、別の出版社からのオファーに期待してほしい」
「五月二日……」
よりにもよってオンリーイベント用原稿の締切と重なっている。
改稿に着手したら、同人誌も出せなくなってしまう。
「お世辞じゃなくて、坊やのラブコメは本当に面白いし、超萌えたよ。だからこそ、ワタシはラストシーンをしっかりと書き切ってほしい。サイの二次創作で、主人公とサイが結ばれたときのような、あのどうしようもない愛い愛いしさを、坊や自身の作品でも見せてほしいんだ」
テーブルのものを全てバッグへと戻し、立ち上がった十代さんは最後に一言、俺の耳元で囁いた。
「本を作るのって、死ぬほど大変なことなんだ。だからみんな逃げちゃう。でも、その血反吐を吐くような大変さを乗り越えて出版できたときにね、作家も、編集者も、こう思うんだよ」
――本を作るのって、死ぬほど楽しいってね!
二人分の会計を済ませてから店を出ていく編集者の背中を見ながら、俺は茫然と椅子に座り続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます