4.二次元だけの人生と、叫んだ
俺は再び職員室へと舞い戻り、貝口の前に立った。
「なんだ水納、まだ何か言いたいことがあるのか」
「おいクソ教師、これを見ろ」
手に持った紙を突き付けた。
「なんだ、その絵は。まさか、お前が描いたのか?」
「そんなわけないだろ。これは、色芸の絵だ」
「色芸って、美術部のか? なんでお前がそんなの持ってるんだよ」
貝口は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに視線を絵へと移した。
当然だ。色芸の絵には、人の目を吸い寄せる何かがある。
人間は、美しいものを求めている。
「しっかし、うまいよなぁ。これ、新作か?」
「そうだ。まだ人の目に触れられていない、どこにも飾られたことのない絵だ」
「へえ、じゃあまたこの絵で、何かの賞を取るんだろうな。大したヤツだよ、色芸は」
「色芸が賞を取ったら、嬉しいか」
「そりゃ当然だろ。自分の学校の生徒が何か功績を残したら、嬉しくない教師がいるか?」
そうだよな。色芸が絵で功績を残す度に、朝礼で盛大に祝ってやってるもんな。
もし先輩が東大にでも合格したら、教師陣挙げて感涙の万歳三唱とかするんだろうな。
あんたらはいいヤツらなんだろうさ。
生徒が頑張ったことをちゃんと褒めてくれるんだから。
でも、裏ではこうも思うんだろう。
我が校の評判と実績を高めてくれてありがとう、ってな。
いいよ。だったら俺だってこの高校の生徒として、母校の実績のために一肌脱いでやろうじゃないか。
「なら、教師として喜んで、俺の要求を呑んでもらう」
「はあ?」
「俺が、この学校の生徒が誰一人真似できないような功績を残したら、俺に文化部部室棟の一部屋の使用権を寄こせ」
「功績って、何言ってんだお前」
「だってそうだろう。絵のなんたら賞を受賞してる色芸には、その功績が認められて、美術部で特別待遇、個室が与えられているんだ。なら、俺だって功績を残したら、個室を要求する権利が発生するはずだ」
色芸一人のためにフェアじゃないことをしたのだから、結果を出したら俺にもフェアじゃないことをしなければ、フェアじゃないだろう。
「バカも休み休み言え! 日がな漫画ばかり読んでるお前に、一体なんの功績が残せるっていうんだ! 漫画の賞でも獲るってのか!? まあ、夢を持つのは大事なことだがな!」
俺の啖呵を、貝口は嘲るように笑い飛ばした。
こいつは知っているんだ。
俺がなんの取り柄もない生徒だということを。
勉強は大してできない。
スポーツなど無縁。
芸能界にスカウトされるような容姿でもないし、色芸みたいな絵も描けない。
特殊技能なんて何も身に付けてはいない。
スクールカースト最下層の落ちこぼれ。
……それでも。
そんな俺にだって、一つだけ成し遂げたことがある。
この世ではない、別の世界を創造し、キャラクターを生み出し、命を吹き込み、青春煌めくその恋模様を、顔も知らない日本中の読者の皆様にご精読いただいたことだ。
そして、その物語を本にしないかと、詐欺のような打診を受けたことだ。
「――――になってやるよ」
「あ?」
貝口はわざとらしく耳に手を当て、訊き返した。
大事な生徒の決意表明を聞き逃してんじゃねーよ。
耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ。
俺は思いっきり息を吸い込み、肺活量の限界を迎えたところで、叫んだ。
「小説家になってやるって言ったんだよ!! 記念すべき、我が校初のな!!」
その場にいる教員全員に俺の進路を伝えるように、全力で胸の内を主張する。
「俺は物書きのタマゴだ!! 未来の大先生が物語の構想を練るための個室を寄こしやがれ!!!」
いつだか地貫のヤツに言われた通り、俺の頭の中は、きっと子供のままなんだろう。
進路なんてどうでもいい。
自分の将来なんて考えたこともない。
三次元の世界なんてクソだ。俺は一切興味がない。
死ぬまでずっと家の中に引きこもって二次元に浸っていたい。
この哲学は俺の中で永劫変わることはない。
……そんなクズ人間の俺でも、三次元の誰かのためになれるお仕事があるとすれば、これくらいしか思い付かない。
ただひたすらに、理想郷ともいえる二次元の世界を、読者の皆様に楽しんでいただくことだ。
百人百様な人達の娯楽の一助になるように、誠心誠意、物語をお届けすることだ。
色芸絵描が、絵描きの卵ではなく、絵描きだったように。
いつの日か俺も、物書きのタマゴではなく、物書きになりたい。
ただ似た者同士というだけでなく、色芸と同じ目線に立てたとき、フェアで対等な関係を築けたとき、初めて俺は彼女と同じ言葉で、胸を張って己の信条を語れるのだ。
二次元だけが自分の人生、と。
そして、叶うなら。
書き上げたものを、まず真っ先に――先輩に、読んでもらいたい。
白い歯零れる満面の笑顔で、彼女に心から「面白かった」と言ってもらいたいのだ。
開いた口が塞がらないといった様子の教師達に踵を返し、俺は教員室を後にする。
校舎と校門を駆け抜け、校外に出たところで、スマホを取り出し、昨夜タマゴに届いたメッセージを開いた。
これでやっぱり詐欺だったらいい笑い者だ。
それでも、いまの俺にはこの人しかいない。
本当に人生を変えられるというのなら。
これで俺達の居場所を守ることができるかもしれないのなら。
俺は、この人に賭ける。
生まれて初めて、見ず知らずの人間の甘言を、信じてみることにする。
俺に、他人を楽しませることができたという功績を与えてくれ。
メッセージの文末に記載されていたメールアドレスをコピペし、新規メールを作成する。
話に興味がある旨を書き連ね、緊張で震える指を抑えながら送信した。
――プォン、とメールの着信音が鳴ったのは、それから三分後のことだった。
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