3.そこに座っていい人間は

 しばらく色芸が消えた先をぼーっと眺めていたが、やがて「さあ片付けるぞ」と先輩に促され、俺達は部屋の中へと入った。


「漫画とラノベはすごい量だからな……あとでじいやに電話して、車を出してもらうか」

「……じゃあ、雑誌の処分からですか」

「そうだな、そうしよう」


 先輩と手分けして、一年間買い続けた様々な漫画雑誌やアニメ雑誌を棚から引っ張り出し、資源ごみとして出すべく、紐でくくっていく。


「ここを失ってしまうのは寂しいが……前向きに捉えてみたら、案外いい機会かもしれないな」

「いい機会?」


 突如妙なことを口走った先輩に、俺は眉をひそめる。


「私が願ったことだ。もうこの部屋の中だけの活動では物足りない。君と二人外に出て、色んな思い出を作っていきたいと」


 俺は先輩の希望を思い出す。

 俺と違って三次元を捨てていない先輩は、高校最後の一年間をより素晴らしいものにすべく、俺を巻き込んで、様々な場所に行って青春時代を楽しみたいという思いを抱いている。


「先生が言っていた通り、私達の活動は別にここでなくてもできる。宏慈、今後は場を外へと移そう。漫画喫茶でも、ネットカフェでも、サブ研の活動なんて、どこでもできるんだから」

「……憬先輩は、それで本当に満足なんですか」

「満足なわけがないだろう! ……でも、しょうがないじゃないか」


 一瞬垣間見せた本音を、先輩はすぐに理性で覆い隠す。

 どうしようもない。しょうがない。案外いい機会。

 先輩は大人だ。理不尽なことも、考え方を変えて、すぐに受け入れてしまう。


「とりあえずはオンリーに向けての作業だな。色芸さんが参加できなくなってしまったのは残念だが……宏慈、まだ君の本は出せる。原稿、ちゃんとやってるか?」

「それは……」

「締切まであと四日だからな。まあ君はメールでも送れるわけだから、多少は大目に見るが」


 色芸は家では漫画を描けない。

 この部屋を失った以上、イベントまでに色芸の原稿が完成することはなくなった。

 色芸の本は、もう出せない。


 一方、俺は家で誰にも文句を言われずに小説が書ける。

 原稿はメールで先輩に送ればいいだけだから、一日二日締切を過ぎたとしても問題なくコピー本として製本できる。


 イベントには俺と先輩の二人で参加すればいい。

 机の上に本が一種類でも置いてあれば、サークルとして出展する用件は満たしている。

 それでいい。二人いれば十分だ。


 元々サブ研は二人なんだし、むしろ色芸の本などないほうがサブ研の実態を表しているとすら言える。

 俺が入学してから一年間、先輩と二人きりで放課後の時間を過ごしてきたんだ。

 また、それが続くだけ。

 学校の外に場所を移して、二人きりの関係が戻ってくるだけだ。 


「よっと――うおっ!?」


 重ねた漫画雑誌を持ち上げようと腰を上げた瞬間、悲しいかな、非力なインドア派オタクには文字通り重荷だったようで。

 バランスを崩した俺はよろよろと意図しない方向へと歩き、そのまま色芸のスケッチブックの山へと突っ込んでしまった。


「いったぁ……」

「何をやっているんだ。捨てるものとは言え、色芸さんの練習の証だぞ」

「わかってますよ……ん?」


 散らばってしまったもの積み直そうと、手を伸ばした先に、一冊のスケッチブックから画用紙が一枚はみ出ていた。

 思わずそれをつまみ、そっと引き抜く。

 何も書かれていない真っ白な紙。

 ひっくり返して裏を確認したとき、俺は目を見開いた。


 ――俺と、先輩の絵だった。


 ソファに座って本を読んでいる、美しい男女の姿。

 色芸がこの部屋で漫画の練習を始めたその日に、さらりと描いて見せてくれたもの。

 差し上げますと色芸は言ったのに、先輩は受け取らなかった。

 その理由は、




「…………憬先輩が言った通り、不完全ですよ」




「ん? 何がだ?」


 俺の呟きに、先輩は片付けの手を止める。


「俺の本だけ出したって完全じゃない。色芸の本も隣に並ばなければ、参加する意味がない」

「宏慈……?」

「第一、俺はまだ色芸の漫画を読んでいない! 色芸が描いた、メロが主役になった漫画を!」


 俺は飛び跳ねるように立ち上がり、手にした紙を先輩に掲げた。


「俺達ならこの部屋のソファに三人並んで座れる! 石研のヤツらに座れるか!? 男三人じゃ無理だろう! だったら、部屋の主に相応しいのは俺達だ!!」


 パワーストーンとやらを何個部屋に並べたところで、何一つ心揺さぶられるものはない。

 石ころなんぞより遥かに美しい色芸の絵こそ、この部屋の装飾として相応しい。

 俺達三人の姿が描かれた〝完全版〟を一番目立つ場所に飾ろうと、先輩は宣言したのだ。


 俺は雑誌の山の隙間を縫うように歩き、部屋の扉に手を掛ける。


「宏慈、どこに行くんだ!?」

「憬先輩には関係ないです。俺の戦いなんで」


 扉を開き、外に出る。

 部屋の中の先輩に目を向けた。

 先輩は俺のことを見ている。

 呆気にとられたような、あるいは一抹の不安を覚えているような表情で。


「石研のヤツらが催促に来たら、『後輩が逃げたから片付けには数日かかる』とでも言ってください。数日あれば、多分解決できるんで」

「な、何をする気なんだ君は?」

「俺はただ、ここに引きこもっていたいだけですよ」


 それだけ言って、俺は扉を閉めた。


 格好いいことなんて言えるわけがない。

 俺は自分の身の程を知っている。

 俺は漫画のヒーローなんかじゃない。

 ヒロインのために立ち上がったりなんかできやしない。


 だからこれは、先輩を助けるためでも、色芸を助けるためでもない。

 俺が、俺の放課後を守るために、サブ研としての時間を過ごし続けるためにやることだ。


 自分のオタク活動を正当化するためだったら、俺は詐欺師の力だって借りてやる。

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