9.やっぱり三次元なんて

「……いや、いやいやいや、ないって! 誰か別の人と間違えたでしょ、運営これ!」


 わざとらしく笑いこけながら、俺は目の前の現実を必死に否定した。


 あり得ない。

 まだ投稿開始してたったの一七日しか経っていないのに。

 デイリーランキングだってやっと九〇位台に乗った程度だというのに。

 書籍化なんて、あるわけがない。


 運営のミスか、そうでなければ新手の詐欺か何かだろう。

 ネットは怖いところだ。


 ……だけど、まあ、一応最後まで読んでみるか。

 ……念のために。


 五回深呼吸してから、マウスホイールをスクロールさせ、メッセージを確認する。


【初芽社春雷ノベルズの十代様より書籍化の打診が届いております】


(初芽社? 春雷ノベルズ?)


 社名もレーベル名も、初めて聞く名前だった。

 雷の一字からイメージされるラノベレーベルはあるけれど、それと同系列の何か……というわけではなさそうだ。

 高まっていた脈拍が一転、胡散臭さの高まりへと変わってくる。


 さらにメッセージをスクロールさせると、今度は運営からではなく、書籍化を打診してきたという人の文章が、転載されるような形で表示された。


【初めまして。春雷ノベルズ編集部の十代(としろ)と申します。

 この度、貴殿の力作について、是非弊社にて書籍化のオファーをさせていただきたく、メッセージをお送りさせていただきました。


 ――って、若い君に堅苦しいビジネスメールを送っても、なかなか気持ち伝わらないよね!

 とりあえず、一〇万字到達おめでとう!

 書き切った君に、ご祝儀だよ!

 メールアドレスを乗せておくから、メール頂戴!

 連絡してくれたら、ちゃんと時間作るから!

 本を作るのって楽しいよ!

 一〇代で人生を変えよう!

 待ってるからね!】


 メッセージを最後まで読み終えた俺は、一つの確信を得ていた。


「…………うん、絶対詐欺だ、これ」


 独り言ち、パソコンの電源を落として、部屋の電気も消して静かにベッドに入った。


 ありえねーだろ。

 いまどき、あんな文章で引っ掛かるヤツとかいるのか?


 甘い言葉で誘っておいて、食いついたら、手のひらを返したようにこちらの財産をむしり取っていくつもりなんだろう。

 なーにが、【本を作るのって楽しいよ】だ。騙されんぞ。

【人生を変えよう】なんて、詐欺師の常套句だろう。

 人生が、そう簡単に変わってたまるか。


 俺の人生など、決して変わらない。

 ずっと二次元に入り浸り、三次元を嫌悪し、三次元も俺を鼻つまみ者として集団から排除する。

 仮に本を出したところで、それらに変化が訪れるか?


 何より目に止まったのが、【一〇万字到達おめでとう!】というフレーズ。

 そんな言い回しをするということは、毎回感想を付けて、俺をやる気にさせてくれたあの読者の人が、実は俺を詐欺のターゲットにしていただけだということに他ならない。


 楽しんでもらおうと、毎日一生懸命書いたのに、この仕打ちかよ。

 ふざけやがって。


 読者は他にもたくさんいる。

 けれど、たった一人の悪意が透けて見えただけで、俺の心は深く黒く沈んでいく。


(……しばらくタマゴの更新は休もうかな)


 一〇万字の目標は達成し、ストーリーにも一区切りがついた。

 そろそろオンリーイベント用の原稿にも取り掛からなければならない。

 多忙のため休載しますと書いておけば、読者の人達も納得するだろう。


(……いや、別に読者の顔色なんて窺う必要はないか)


 本来、俺が勝手に始めて、勝手に書いて、勝手に投稿しているだけの駄文だ。

 俺が書きたかったら書く。

 書きたくなかったら書かない。

 それでいいはずだ。


 頭から布団を被り、ぎゅっと固く目を瞑る。

 眠気の到来を待つ。

 己の呼気で不快指数が高くなっていく中、俺はいつものように頭に刻み込む。


 ――やっぱり三次元なんて、クソ野郎しかいないわ。




 翌日の放課後。

 いつも通り部室棟へ向かった俺だったが、サブ研の部屋の前に立った途端、いつもとは違う出来事に遭遇した。


「――あれ? 開いてない?」


 扉に手をかけ、入室しようとしたのだが、施錠されていて開かなかった。

 珍しい。いつもは先輩が先に来て、俺のことを待っていてくれているのに。


「……もしかして憬先輩、今日学校休んだとか?」


 先輩は優等生だが、人間なんだから体調を崩すこともあるだろう。

 それなら今日は帰ろうか、と俺は一瞬思った。

 しかしこの部屋は、いまでは俺と先輩二人だけの居場所ではない。

 もう一人、色芸絵描が人目を忍んで漫画を愛する場所でもあるのだ。

 俺は部屋の鍵を受け取るべく、教員室へと歩き始めた。


 教員室に辿り着き、扉を開く。

 その瞬間、女性のけたたましい叫び声が聞こえ、思わず飛び上がってしまった。


「なぜです!? 私が卒業するまでは使っていいと、そう仰ったでしょう!?」


 声の主を見やると、そこには先輩がいた。

 学校を休んでいたわけではないようだ。

 いままで見たことがないほど声を荒げ、一人の男性教諭に詰め寄っている。


「憬先輩? どうしたんですか?」

「……宏慈」


 俺が呼びかけると、先輩は振り向いた。

 その表情は、ひどく苦しげで。

 唇を噛み、俺から視線を逸らしながら、


「…………退去命令が出た。……もう二度と、私達はあの部屋を使えない」


 悲痛な声音で、そう俺に告げた。

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