8.分不相応な願い

 それから四日間、色芸の原稿は順調に進んでいた。

 初めて漫画を描くのにもかかわらず、一日二、三時間の作業で、しっかりと目標通り毎日二ページを描き上げた。


「恥ずかしいから水納くんは見ないで」


 そう言って、出来栄えは見せてもらえなかったが、原稿を受け取った先輩が毎回満足げに笑っていたので、ちゃんと色芸のメロへの愛を感じられるものになっているのだろう。


(やっぱり色芸は、とても優れた絵描きなんだ)


 彼女に描けないものなんて、きっとこの世に存在しない。

 美術でも漫画でも、美しい絵も可愛い絵も格好いい絵も怖い絵もエロい絵も、研究と練習を重ねたらなんでも描ける。

 いともたやすく描き上げてしまう。


 それが色芸絵描だと、色芸絵描はそういう絵描きであってほしいと、帰りの電車の中で俺は勝手ながらにそう思った。


 同時に、俺も同じような物書きのタマゴでありたいと、分不相応ながらそう願った。




 感情を押し殺し、主人公の夢を後押しした三人のヒロイン。

 しかし、主人公は海外留学への飛行機に乗る直前に引き返し、三人が待つ部室の扉を開け、心の底から叫ぶのだ。


 ――俺はまだ、みんなの側にいたい、と。


「――で、きた……」


 最後の一文字を打ち終えた瞬間、俺は天高く両手の拳を突き上げた。

 そのままストレッチをするかのように、身体をぐーっと伸ばしていく。


 今日は四月二七日木曜日。

 本日のタマゴの更新分が書き上がった。

 これを投稿すれば、累計一〇万字。

 それどころか一一万字弱に到達し、想定よりも一日早く、見事に目標を達成することができる。


(まさか、本当にやり切れるなんてな……)


 去年はわずか一週間で物語を生み出すことに飽きてしまった俺が、今回は半月以上継続し、途中で己に課した課題までクリアすることができた。

 自分でやったことなのに、まるで信じられない。


 全ては先輩のおかげに違いない。

 先輩が「もう一度タマゴを始めてみないか」と薦めてくれなかったら。

「君が書けばいいんだ」と言ってくれなかったら。

 この物語は、誕生しなかったのだ


 一〇万字の区切りとして、主人公には自分の夢ではなく三人のヒロインと共にいる時間を選ばせた。

 恋仲になったわけではないが、これで主人公とヒロイン達は全員想い合っている。

 負けヒロインなんて誰もいない、俺の理想の展開に仕上がっている。


 まだまだこれから仲を深めさせていく構想は頭の中にたくさんある。

 が、とりあえず今日の分をアップロードしようと、タマゴにアクセスし、第一七話として投稿した。


 すぐさま閲覧数のカウンターが増え始め、ブックマークの通知も届き始める。

 初日とは比べ物にならないほど、読者が付いてくれたという証。


「いつも、皆さん、お読みいただき、ありがとう、ございます」


 椅子の上で無意味に身体を揺らしながら、俺はパソコンに向かってお礼を述べた。


 顔を上げ、時計を確認すると、二三時半になろうとしていた。

 一〇万字を目前にして、今日はつい力が入りすぎてしまったようで、三時間で一万字近い文章量になってしまった。


(やべ、とりあえず風呂だ)


 ぐずぐずしてたらアニメが始まる。

 着替えを用意し、俺は風呂場へと向かった。


 風呂を終えると、そのままリビングのソファに座ってテレビをつけ、オタクのライフワークである深夜アニメ観賞に勤しんだ。


(最近、タマゴ原作のアニメも増えてきたよな)


 今日も三つのアニメを視聴したあと、自室に戻りながら俺は思う。


 タマゴ原作アニメとは、小説家のタマゴに投稿された小説が元となってアニメ化された作品のことだ。

 本日最後に見終えたアニメも、タマゴで総合ランキング上位をキープしている作品が書籍化ののちにアニメ化されたものだった。

 俺が今期視聴しているアニメの中には、さらにもう一つタマゴ原作のものがあった。


(――このままタマゴを続けて、人気が高まったら、俺の投稿作もアニメになるかも……?)


 ふと浮かんだシンデレラストーリー。

 即座に嘲笑った。

 あり得るわけがないだろう、そんなの。

 さすがに夢見過ぎだ。あーキモいキモい。


 身の程知らずな妄想をしたことを恥じ、俺は自分の首をぺちぺちと叩く。

 総合ランキングでトップ10とかに入ってから言えって話だよな。


 第一、俺にはもう既に、俺が書いた物語を楽しみにしてくれる読者の方がいるのだ。

 その人達にお届けできれば、それで十分だ。


 自室に戻ると、パソコンの電源がつけっ放しになっていた。

 どうやら妹は本日パソコンを使用しなかったようだ。

 さすがにもう寝る時間だが、新しいコメントが付いていないかだけチェックしようと、ブラウザを立ち上げタマゴを開いた。

 すると、


(――ん? 【運営からメッセージが届いてます】?)


 管理者ページに、真っ赤な文字でそう表示されていた。

 ランキングに載ったときはタマゴ運営が教えてくれたけれど、その場合はただ通知が来るだけだった。

 メッセージが送られてきたことなんて、いままで一度もない。


(……もしかして、今日の投稿で何か規約違反とかしたのか?)


 タマゴは一次創作小説を誰でも自由に投稿ができるサイトだが、過激な暴力や性描写のあるシーンには運営からNGが入ると聞いたことがある。

 まさか、俺もそれに引っ掛かったのか?

 NGが入るような描写をした覚えは一切ないんだけどな……。


 とはいえ、運営からの指摘を無視すれば、最悪アカウントが消去されてしまう。

 ここまで書いてきたものを消されてたまるかと、俺は怖々とメッセージを開いた。


 果たして、それは描写の書き直しを求めるものではなかった。


「…………しょ」


 表示された九文字の言葉を、俺は口にすることができなかった。


 一度パソコンを離れる。

 目薬を引っ張り出して点眼し、もう一度画面を見た。


【書籍化打診のご連絡】


 メッセージタイトルには、確かにそう表示されていた。

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