7.ソファにて

 完全下校時刻まで各々の時間を過ごし、一九時になると、本を閉じて帰宅準備を始めた。


「水納くん、妻館先輩、ちょっといいですか?」


 色芸に呼ばれ、俺と先輩は手を止めて振り向く。


「これ、勝手に描いてしまったのですが、よかったら」


 スケッチブックから紙を一枚びりびりと切り取り、色芸は俺に手渡してきた。


「え、これって……」


 そこに描かれていたのは、ソファに背を預けながら本を読んでいる、若い男女の姿だった。


「まさか、これ――俺と憬先輩?」


 問いかけると、色芸は首肯した。

 活動中の様子でも描いたのだろうか。


 それにしても、自分が絵のモデルになるなんて、なんともこそばゆい。

 ……ていうかこの俺、すっごい綺麗じゃね?


 先輩が美人に描かれるのはわかる。実際そうだし。

 でも、俺までこんなに美的に描かれていると、俺の顔は自分が思ってるよりずっとイケてるのではないかと、自信がみなぎってくる。


「俺って実はイケメンだったりするのかな?」

「ごめんなさい、わたしの絵は写真ではないので。美を描くのが美術家なので」


 ……そうですね、補正入ってますよね。

 どうせ俺は根暗陰キャオタク野郎。知ってた。


「……まあでも、そうね、よーく目を凝らして見たら、部分的に綺麗に見えなくもないかも」


 はいはいフォローありがとう。

 この絵は俺より先輩が見たほうがきっと喜ぶよ。


「こ、これは……」


 先輩に絵を渡すと、語彙力消失して描かれた自分の姿を見つめている。


「妻館先輩は、わりとそのままです。元からとてもお綺麗ですからね」

「じ、自分がこんなふうに描かれると、恥ずかしいな……」


 頬を薄く染めながら色芸の絵を堪能し、一分後、先輩は絵を色芸に返そうとした。


「差し上げますよ。妻館先輩の家のどこかにでも飾ってください」

「いや、ありがたいが、これは受け取れないよ。この絵は、まだ不完全だからな」

「……不完全?」


 先輩の言葉を聞いて、色芸は首を捻る。

 俺にもよく意味がわからない。


「数日前までだったら、これで正しかった。だがいまは違う。ここには一人足りない」

「一人足りない、とは?」

「君だよ、色芸さん! この絵には君の姿が描かれていないだろう? だから不完全なんだ!」


 一瞬呆気にとられたあと、今度は色芸の頬が薄く染まっていく番だった。


「この絵は返すよ。いつか完全版が描けたら、また見せてほしい。そして、それをこの部屋の一番目立つところに飾ろうじゃないか!」

「……で、ですが、この部屋のソファだと、三人は描けないような」

「そんなことはないだろう? 私も色芸さんも痩せているし、宏慈は細身だし。試してみるか?」


 先輩はスクールバッグを手放して、ソファの右端に座った。


「ほら、色芸さんも!」

「は、はあ……」


 言われるがままに、色芸はソファの左端に座った。


「ほら、宏慈。君も座ってみろ」


 ソファの真ん中を叩きながら、先輩は俺にも呼び掛ける。

 確かに中央にはまだ隙間があるけど、座れるかこれ?

 俺は先輩と変わらないくらいチビだけど、一応男の体格なんだが……。


「はーやーくーしーろー」


 先輩の命令に、俺はしぶしぶソファの前に立ち、ゆっくりと腰を下ろしてく。


 まず尻に先輩の肩が当たった。

 先輩がさらに端に詰めたが、今度は肘が色芸の二の腕をかすめる。

 俺は両手を抱きかかえるようにして身体の横幅を極限まで縮め、ようやくソファに座ることができた。


 ……座れたというだけで、正直居心地はめちゃくちゃ悪い。


 肩も脇腹も腰も足も、全てが両隣に座る女子とぴったりと密着している。

 制服越しでもはっきりと伝わってくる二つの熱と未知の柔らかさ。

 さらに、鼻をくすぐる嗅いだことのない甘く優しい匂いが、俺はこの場にいるべきではないと警告してくる。


 すぐに立ち上がろうとしたが、あまりの狭さに腰が動かなかった。


「ほら、三人でも座れただろう!」


 朗らかに先輩が成果を誇るが、それは結果しか見ていない。


「こ、この状態で活動とか、無理ですよ。本が開けませんって」

「わ、わたしも、これでは絵が描けません」

「まあそれは無理だろうが。でも、アニメは見れるな! 色芸さんも、今度一緒に見よう!」


 どこまでも前向きな先輩に、俺と色芸は苦笑するしかなかった。


 その後四苦八苦しながらなんとかソファを脱出し、俺達は部室棟を後にした。

 色芸は一度美術室へと戻り、俺と先輩は一足先に下校する。

 駅で先輩と別れ、電車に乗った。


 近頃の乗車中のルーティーンは、その日の更新分のタマゴの構成を考えることだ。

 ……しかし、今日はどうにも集中ができない。

 その原因は、言うまでもない。


 俺の身体の右側と左側に、先程感じた二つの熱と柔らかさが、いつまでも残り続けていた。




 一週間ほどキャラクターの練習をしたのち、色芸は本格的に漫画の創り方を勉強し始めた。

 新刊のホーリーを描き写すような作業をしていたり、本屋でこっそりと購入したのか、『初心者のための漫画の描き方』という指南本を持ち込んで、参考資料としていた。


 そして四月の最終週、二四日月曜日となった今日、いよいよオンリーイベント用の漫画原稿に取り掛かると宣言した。


「一日二ページを目標に、一二ページの漫画を描こうと思います」


 色芸は製本担当の先輩に告げる。

 コピー本の原稿枚数は4の倍数ページが望ましいらしく、一二ページならそれに沿う。

 二四日から二八日、五月に入って一日と二日、合計七日の平日があるので、毎日二ページずつ仕上げていけば、十分に間に合うスケジュール管理だ。


「わかった。何度も言うが、完璧を目指さなくていい。メロへの愛を描く、その一心だ」

「はい、頑張ります」


 色芸は頷いて、A5のコピー用紙に鉛筆を滑らせ始めた。


 サブ研は文芸会と漫画研究会が合併してできた同好会であるため、備品棚には漫画研究会の遺物と推測される漫画用のペンもあったのだが、色芸は使い慣れた鉛筆がいいと断った。


 ペン入れしない、トーンも一切ない、漫画として見劣りする出来になることは避けられないだろうが、生まれて初めて描いた漫画なんて、きっと誰でもそんなものだろう。

 何回も漫画を描き続けるうちに、様々な用具の存在を知り、使い方を覚えていくのだ。


 色芸がそういったものに触れるのは、多分そう遠くない未来の話だ。


「そういえば憬先輩、参加申し込みとかはもう済んだんですか?」

「バッチリだ。あと一週間くらいでサークル入場証も送られてくる」


 そうか。じゃあ本当に、俺達、同人誌即売会に参加するんだな。

 思わず武者震いする。


 初めてのことだし、会場の雰囲気なんかも全く想像できないが、それが先輩の望む思い出作りになるのであれば、絶対に成功させたい。


「宏慈のほうは、原稿進んでいるのか?」

「……いや、俺はほら、タマゴもあるんで」


 二八日までに累計一〇万字書くという目標を立てた俺は、オンリーイベント用の原稿には未だに手を付けていなかった。

 そのおかげかタマゴの更新は順調に進み、週末にペースアップした甲斐もあって、現在八万字弱というところまで来ていた。

 この調子なら目標達成できるはずだ。


「私も楽しく読ませてもらっているが……イベントのほうも頼むぞ?」

「大丈夫ですよ。今週末、休みに入ったらバーッと書き上げますから」


 元よりその予定だったが、タマゴの更新を毎日欠かさず行ってきた結果、自分の執筆スピードには大分自信が持てるようになっていた。


 もちろん早く書けたからと言って話がつまらなかったら意味がないが、ありがたいことに閲覧数やブックマーク数は日に日に増えていってくれた。

 昨日はなんと、デイリー総合ランキングで九五位にまで入っていたのだ。


 コメントが付くことも多くなり、その大半が好意的なもので、ありがたく、嬉しかった。

 その中でも、例の【目指せ一〇万字】の人は毎日感想を送ってくれた。


【モモの片思いにきゅんきゅんです! 五万字到達!】

【デート回期待! あと三万字!】


 と、感想と一緒にカウントダウンみたいなものを書いてくれたので、それに乗せられるようにして、もっと書いてやろうという気分にさせてもらったものだ。


 間違いなく今週中には一〇万字に到達できる。

 イベントの原稿は、そのあとでも十分間に合う。

 確信した俺は、今日もラノベを開き、物語を作る研究に没頭する。


 先輩も俺のことを信頼しているのか、それ以上は何も言ってこなかった。

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