6.テストは5点、ラブコメ満点
タマゴの更新が日課となってきた俺だったが、かといって六時間目終了後に直帰するようなことはなく。
放課後はしっかりと先輩と共にオタク活動を継続させていた。
ただ、多少の活動の変化として、漫画やアニメよりもラノベを読んでいる時間が長くなった。
物語をそっくりそのまま丸パクリするわけではないけれど、文字で物語を創作する上で参考にはなる。
いままでは、ただの一読者としてストーリーを漠然と読み進め、ヒロインの可愛い言動や甘々なラブコメシーンに悶えてきた。
いまでは、どういう展開が物語に面白さをもたらすのか、ヒロインが可愛く感じるのかなどを考えながらページをめくるようになった。
(――まるで、色芸がやっている漫画研究みたいだな)
色芸は、三人で昼食を共にした日から毎日サブ研の部屋に身を寄せるようになった。
放課後になった瞬間からずっと、というわけではないものの、一六時過ぎか、遅くとも一七時には扉をノックし、先輩が「よく来たな」と笑顔で迎え入れていた。
「来てくれるのは嬉しいが、美術部の活動には支障ないのか?」
「はい。わたしは元々、昼休みと、放課後の数十分で一日の課題を終えていましたから」
自慢するふうでもなく、色芸はさらりと言ってのけた。
既に国内外いくつもの賞を獲っている凄腕なんだから、高校の部活程度の課題なんて朝飯前ってことだろう。
空いた時間で漫画雑誌を読んだり研究したりしてたんだろうな。
筆の速さも能力のうちか。
「ですがいまは、昼休みの間に全て終わらせてしまいたいと思っています」
……向上心の塊かよ。
俺も物書きのタマゴを目指すなら、色芸のことを見習わなければ。
俺と先輩がソファに座りながら自由気ままに漫画やラノベを読むのに対し、色芸は正面のスクールチェアに座って、テーブルでひたすらに絵を描いていた。
本棚から参考にする漫画を一つ選んで横に置き、スケッチブックを開いて、鉛筆を握り、カリカリという黒鉛が削れる音が聞こえてくるくらい、一心不乱に描き続ける。
俺は思わず文庫本から目を外し、色芸が手を動かす様子を盗み見た。
真っ白だった画用紙に、次から次へとキャラクターが描かれていき、やがて埋め尽くされる。
新しいページが開かれ、今度は違うキャラクターが生み出され、また一杯になる。
色芸が絵を描いているところを見るのは初めてだった。
その様子に、圧倒された。
美術部のエースだなんだと軽々に言ってきたが、彼女はそんな生半可な存在ではなかった。
色芸はすでに、本物の〝絵描き〟だ。
もはや卵などではないと、そう思った。
紙の中に別次元の存在を生み出す、創造していく。
それは神様、創造神と言っていい。
突き詰めれば、そこにあるのはただの鉛筆で描かれた黒線の集合体なのに。
色芸が筆を操れば、黒線は新たな命を芽吹かせた。
画用紙という次元の壁を隔ててなお、美しい生命の脈動を感じざるを得なかった。
「――水納くん、チラ見するなら鑑賞料を取るわよ。……で、何か?」
ジト目で見返してきた色芸。
(なんだ、そんな表情も見せれるのか)
俺は妙に安心してしまった。
「いまさらだけど、色芸さん、やっぱり絵うまいなあって」
「そうかしら? 全然漫画的な絵にならなくて、全く納得いっていないのだけれど」
「絵のことは俺にはよくわからないから、うまいという感想しか出てこないよ」
「そう。……ありがとう」
髪を耳にかけながら、色芸は礼を言った。
「まあ、色芸さんは『うまい』なんて言われ慣れてるだろうけど」
「ええ、しょっちゅう言われるわ。……でも、水納くんに言われたのは初めてよ」
「あれ、そうだっけ?」
「そうよ。だから……とても嬉しいわ。褒めてくれて、ありがとう」
画用紙から顔を上げ、正面から俺を見つめながら、色芸はにっこりと笑う。
(……笑った顔もサイそっくりだな)
またしても、俺は錯覚してしまった。
「このスケッチブック、何十年後かに価値が出るかもしれないわよ。『あの色芸絵描が高校時代に気の迷いで漫画を描いていたときの貴重な資料だ』って」
「はは……」
なんと返していいのかわからず、俺は視線をラノベに戻すしかなかった。
それ、発見されたらまずいヤツだろ。
俺達三人だけの、一生の秘密にしなければ。
「水納くんは何を読んでるの?」
「これ? ラノベだけど」
「らのべ?」
きょとんと疑問符を浮かべる色芸に、俺は知識を植え付ける。
「ライトノベルっていう、一〇代やオタク向けの小説だよ。色芸さんは漫画が好きみたいだけど、ラノベも面白いから読んでみたら? 挿絵とかも多いし、参考になるかも」
「小説……水納くんは頭がいいのね。わたしには小説なんて理解できないから」
「そんな大層なものじゃないよ。気軽に読める、軽い小説のことだし」
漫画とは違う良さもある。
未知の世界へ誘おうとする俺の提案は、色芸の一言で一蹴された。
「わたし、文字は読まない主義なの」
「……は?」
「びっしりと文字が並んでいるのを見ると、目が痛くなるの。漫画の台詞くらいなら読めるけど、小説は無理。まあ、わたしは絵描きだから、問題ないでしょう」
「問題ないって……いやいや、じゃあ国語のテストとかどうしてんだよ」
「……そうね。毎回五点も取れれば十分でしょう。ええ、わたしは絵描きなのだから」
目を逸らし、ほのかに頬を染めながら、色芸は開き直るように言った。
ご、五点!?
教室では優等生然として授業を受けているように見えたのに、五点!?
そのレベルだと絵描きも何もないだろう。
ていうか進級の危機なのでは……。
俺の隣で先輩も漫画から顔を上げ、驚きと不安が混ざった眼差しを色芸に送っている。
「文字が絵に勝るものなんて何もないもの。文字は、絵から生まれたのよ」
誇らしげに言ってるが、そういう問題じゃないと思う。
「……だから、わたしの頭じゃ、そのラノベって小説も、きっと読めないわよ」
「そう……もちろん無理強いするつもりはないよ。――ただ、色芸さん」
色芸の絵描きとしてのプライドから発せられたであろう言葉に、俺は噛み付いた。
「文字が絵に勝るものはないってのは、俺は違うと思う」
漫画より面白い小説はいくらでもある。
小説を読まないのは色芸の自由だが、読みもしないうちから知ったようなことは言わないでほしい。
「俺もいま小説を書いてるから……物書きだって、絵描きと同じくらい凄い人達だと思うんだ」
「……ごめんなさい、言い過ぎたわ」
色芸の謝罪を聞いて、俺は手打ちにした。
どちらが上かを決めたいわけではないのだ。
「そうね、水納くん、小説を書いてるのよね。ネットで一位になったのよね」
「まあ、拙いものだけどさ」
「それなら……わたし、水納くんの小説を読んでみようかしら」
なに? 文字は読まない主義なんじゃないのか?
「小説に興味なんてなかったけれど……どうしてかしらね。水納くんが書いた小説ってどんなものなのか、知りたいと思ってしまったわ」
「……や、読むなら俺の駄文なんかより、この大ヒットラノベのほうが……」
「興味ないわ。わたしが初めて読む小説は、水納くんのものがいい」
俺が差し出した文庫本には目もくれず、色芸は希望を口にする。
「五月のイベントで本になるのよね? なら、それを楽しみにしているわ」
「で、でも、俺が書くのはサイの話だから、メロは多分出てこないよ?」
「なんでもいいのよ。水納くんが書いたものであれば。それを読んでみたいの」
小説に対しての態度を一変させた色芸の様子に、俺は戸惑いを隠せなかった。
自分が書いたものを誰かに読みたいと言ってもらえるのは嬉しいことだ。
だけど、いままで小説を読んだことのない、文字を読まない主義だという色芸に目を通されたら、果たしてどんな反応をされるのだろうか。
現段階では、内容を一切理解してもらえないのでは……という恐怖が勝っていた。
「それに、わたしの絵をタダ見されたままじゃ、一方的で癪だし」
鑑賞料を払えと愚痴る言葉とは裏腹に、まんざらでもなさそうな微笑みを見せながら、色芸は再びスケッチブックに鉛筆を走らせ始めた。
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