4.三人の目標
「【完結記念緊急オンリーイベント開催決定!】? え、これって……」
「ああ、同人誌即売会のサイトだ」
表示されていたのは、先日ホーリーで最終回を迎えた漫画の、同人イベントの開催告知サイトだった。
この種のサイトにありがちな、漫画のキャラが描かれたイラストやアニメーション演出等は一切なく、開催決定の文字だけがでかでかと主張していた。
本当に緊急で決まったことらしい。
「五月七日、大型連休の最終日に、川崎で開かれることになった」
「……で、このイベントがどうしたんです」
「もちろん、これに参加しようという話だよ!」
今日一番の笑顔で、先輩は宣言した。
「あー、まあ、憬先輩が休日をどう過ごしても、それは憬先輩の自由ですからね」
「何を言っている。宏慈も一緒に行くに決まっているだろう」
……ですよねー。
先輩一人で行くだけなら、わざわざ大ニュースと銘打って俺達に知らせる必要なんてないですもんね。
でも、休日に川崎か……。
引きこもりにはハードル高いわ。
「こういうイベントなら宏慈もよく行くだろ?」
「いや、一回も行ったことないです。人込みとかマジ無理なんで」
「え? でも、たまに同人誌を持ってきてくれるじゃないか」
「憬先輩、時代はデジタルですよ」
いまどき同人誌の多くはピクベルやグッズショップなどで委託販売されており、わざわざイベント会場に行かなくたって通販で簡単に買える。
休日は家から、いや自室から一歩も外に出ないと決めている俺のようなクズには大変ありがたく、暮らしやすい時代になったものだ。
「し、しかし、宏慈は今回、私に付き合う義務があるぞ」
「なんでですか」
「わ……私の思い出作りを手伝ってくれるのだろう! まずはオタク活動ができるところから慣れていって、いつかは私が行きたいところに行くと! これなら、オタク活動そのものだ!」
高校最後の一年に、サブ研の狭い部屋を飛び出して、一生に残る思い出を残したいと先輩は希望を抱いている。
その一つが俺とタピオカ屋に行くことだった。
けれど、いきなりタピオカは無理だと弱音を吐いた俺は、まずは俺の趣味嗜好に合う、オタク的な場所からなら付き合うと譲歩したのだ。
確かに同人誌即売会ならその条件を満たす。
つまり、俺は先輩に従わなければならない。
「これなら君も不満はないだろう。絶対に、付き合ってもらうぞ」
目力を込めて睨む先輩。
その剣幕に、俺は首を縦に振るしかなかった。
「水納くん、これ、一体なんのイベントなの?」
オタク用語に詳しくない色芸にはちんぷんかんぷんだろう。
「さっき二次創作について習ったでしょ。それを本やグッズにして売り買いするイベント」
「へえ、オークションかしら」
「い、いや、そういう美術的なのじゃなくて。なんだろ、マーケットってイメージかな」
「でも、他者の創作物を勝手に売り買いして、問題にならないの?」
「まあそれは……デリケートなところなんだけど」
著作権的に言えばアウトだが、概ね黙認されているのだ。
あまり掘り下げるな。
「色芸さん、五月七日は空いているか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「だったら三人で行こうじゃないか!」
まだカタギの域で留まれている色芸を沼へ引きずりこまんと、罪深い先輩は誘ってしまった。
「俺や憬先輩はともかく、色芸さんが行って一体何を買うっていうんですか」
「買いたいものがなければそれでもいいさ。それよりも、メインは売るほうだからな」
「え? 売るって……」
「宏慈は小説、色芸さんは漫画で二次創作をかいて、それを本にして売るぞ!」
「は、はああああああああああ!?」
ちょっと待て。それって、サークル参加ってことじゃないか。
完全に一般客として行くのかと思ってたよ。
てか、無理だろいきなりサークルとか。俺達はド素人だぞ!?
参加申請の手続きも何も知らない。
同人誌の作り方なんて一ミリもわからない。
ていうか、学生がサークルとして参加していいものなのか?
情報がなさすぎる。
「事務的なことなら全て私がやっておく。君達は原稿の作成に集中してくれればいい」
「や、そうは言っても、こういうのって結構お金かかるんじゃないんですか?」
「参加費は、三人で割れば千円ちょっとだ。本は、印刷所に依頼すると仕様によってピンキリだが、今回は元々そんなに時間の余裕がない。したがって、自分の手でコピー本を作ることになる。手間はかかるが、コストは安い。製本作業も全て私がやる。心配はいらない」
先輩はさらりと答えてみせる。
以前から知識があったのか、今回のために調べたのか。
「他に何か質問はあるか?」
「……話を整理すると、わたしが漫画を描いて、それを本にして売るということですか?」
「そうだな。色芸さんは漫画で、宏慈は小説だ」
「ですが、わたしはまだ漫画を描いたことがありません。たった三週間で、他人様に見ていただけるようなものが描けるかどうか……自信がありません」
不安を隠せない色芸。
無理もないだろう。降ってわいたような話だ。
色芸は二次創作で漫画を描いてみたいと思っている。
が、その練習は、サブ研の部屋で今日から始めようという段階だ。
圧倒的に時間が足りない。
だが、先輩は色芸の肩に手を乗せ、笑いかけた。
「いいんだよ、色芸さん。他人様に見せられないような出来でも。へたくそな漫画もどきでも」
「え?」
「参加者は、うまい漫画を買いたくて参加するんじゃないんだ」
「では、何を」
先輩は手を左胸に当て、慈しむように回答する。
「元となった作品への――とめどない愛だよ」
「愛?」
「そうだ、愛。自分と同じ作品を好きになった人の、作品への愛を感じたいのさ。売る側も同じだ。自分の作品への愛を形にして表現し、同好の士に届けたいんだよ。色芸さんなら、メロへの愛が存分に感じられるものであれば、それでいいんだ」
二次創作の根幹を、色芸は先輩から学んでいく。
「とはいっても、色芸さんはすでに美術家の道を歩み始めているし、中途半端なものを他人に見せたくはないという気持ちもわかる。だから、もし納得のいく漫画が描けなかったら、色芸さんは今回参加しなくてもいい」
でも、と先輩は続ける。
「何事も練習する上で、目標があったほうが上達が早いだろう? 無理にとは言わないが、どうだろう。宏慈と一緒にやってみないか?」
「……水納くんは、どうするの?」
色芸は俺のほうへと向き直り、眉尻を下げたまま訊く。
率直に言えば、会場に行きたくはない。
休日に遠出とか、柄じゃないし面倒くさい。
だけど、自分が書いた物語を誰かに届ける楽しさはもう経験している。
一次創作でも二次創作でも、この数日間で十分に味わった感覚だ。
ネット上で一クリックでできることを、わざわざお金を払って参加して、手間暇かけて本を作って、ごみごみした人込みの中で売るとか、もう時代ではないと思う。
……それでも、先輩がそんな思い出を作りたいのであれば。
高校最後の年にこんなことをやったと、青春の一ページに刻みたいのであれば。
そこに俺がいてほしいと、先輩が望んでくれるのであれば。
俺は約束したのだ。
先輩の我が儘を、後輩として喜んで聞く、と。
……いや、喜んで、とまでは言わなかったな。
「まあ、俺は書くだけでいいみたいだから、やるよ」
まだまだサイで書きたい話は山ほどある。
ピクベルに投稿しようとしていたものを、先輩に渡して本にしてもらえばいいだけだ。
「そう……それなら、わたしも頑張ってみます」
「本当か色芸さん!?」
「妻館先輩が仰った通り、目標はあったほうがいいですから。これも鍛錬だと思って、己に鞭を振るってやってみようと思います」
「……いや、そんなに思い詰めなくていいから。気楽に楽しく描こう、な?」
絵に対してはどこまでも生真面目な色芸に、先輩は目が点になっていた。
「締切は連休後半開始前日の五月二日にしようか。色芸さんは手探り状態で描くのだから時間がかかるだろうが、宏慈は今日明日くらいには終わるだろ」
「簡単に言いますけど、タマゴの更新もあるんですからね、俺」
「ああすまない、それを疎かにはできないな。そうしたら、週末に両方書いてくれ」
……先輩、俺の物語を楽しみにしてくれるのは嬉しいけど、体力のことも考えてね?
「私の用件は以上だ。イベントのことを知ったのが昨日の夜だったから、急な話になってすまなかった。けれど、二人が前向きになってくれて本当によかったよ。ありがとう!」
「まあサイトにも【緊急】って書いてますしね。参加者全員が急な話でしょう」
「そうだな、イベント自体どれほどの規模になるのかもわからないが……やってくれるな、宏慈?」
「……約束、ですからね」
俺の返事に、先輩は嬉しそうに微笑んだ。
「色芸さんも、無理せず自分のペースでいいから、頑張って取り組んでみてほしい」
「はい。可愛いメロの漫画、描いてみせます」
いままでにないくらい力強く、色芸は頷いてみせた。
――こうして、同人誌即売会参加に向けて俺達三人の目標が定まった。
五月二日までに、俺と色芸はそれぞれ小説と漫画を一つかき上げる。
先輩はそれを製本する。
その他、サークルスペースのレイアウトなども用意してくれるそうだ。
自分の作業と、そのペース配分を考えながら、俺達は昼食を終え、学校へと戻っていった。
「エガちゃん大丈夫だった!? つーか、変なことされなかった!?」
教室に入った瞬間、待ち構えていた鬼童が色芸のことをきつく抱き締めた。
騒ぎ立てる鬼童に、色芸は俺のアドバイス通り「美術部の活動中に彼とぶつかって絵を台無しにされたので奢らせたの」と昼食に誘った理由をでっちあげ、教室内の空気を静めることに成功した。
それでいい。教室での俺と色芸は、立場の違う人間。
互いの安寧のためにも、色芸の秘密のためにも、人目のあるところでは関わるべきではないのだ。
……地貫のヤツだけは、至極不満そうな顔を俺に向けていたが。
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