2.卵とタマゴ

 色芸は、校門の鉄扉に寄りかかるようにして俺のことを待っていた。

 晴天を見上げ、鼻歌でも歌い出しそうな佇まいだ。


「あら、汗だくになってどうしたの? 走ってきたのかしら」

「違う。鬼童さんに殺されかけたんだよ」

「真姫さんに? 水納くん、真姫さんに何かしたの?」


 何かしたのはお前だよ……。

 鬼童がどれだけ色芸とお昼を一緒したがってたのか、知ってるだろ。


「それじゃ、行きましょう」


 ことの重大さを何一つ理解する気も見せず。

 のん気に校外へと歩を進めた色芸を見て、仕方なく俺もそのあとを追った。


 ハンバーガー屋は高校から五分ほど歩いた、最寄り駅との中間付近にある。

 微妙に駅から離れていることもあってか、昼どきでも客はそう多くはない。

 俺もたまに利用している。


 当然だが、行くときはいつも俺一人。

 クラスメイトの女子と一緒にお昼を食べるなど、俺の高校史において初めてのことだった。


「あのさ、色芸さん。切実なお願いがあるんだけど」

「何?」

「教室で俺に話しかけるの、やめてほしいんだ」

「どうして?」

「どうしてって……俺には分相応の高校生活があるんだよ」


 指先で三角形を描いてみせたが、美術部のエース様には伝わらなかったようだ。


「よくわからないわ。確かに三日前までは、わたしと水納くんは他人同士だったけれど……いまはもう、違うでしょう?」

「いや、それはそうなんだけどさぁ……」


 弱った。なんと言えば理解してもらえるのか。


「……俺達の接点って、漫画だろ?」

「そうね」

「でも、色芸さんは漫画のことは他の人に知られたくないよね?」


 頷く色芸。


「なのに、急に俺と話すようになったら、勘のいいヤツが何か気付いちゃうかもしれない」

「……それは、困るわ」

「だから、俺と話すのはサブ研の部屋だけにしよう。いいね?」


 自分本位ではなく、色芸のことを案じての提案に見せかけて、なんとか了承してもらった。


「それで、色芸さん。俺のことをお昼に誘ったのは、何か用があるからなの?」

「? わたしは誘ってないわよ?」


 はあ? 何言ってんだ。自分の発言を忘れたのか?

 わざわざ俺の席までやってきて、「今日のお昼、一緒に食べましょう?」って爆弾投下してっただろ。

 おかげで被害者の俺がクラス中から悪の枢軸みたいな目で見られてんだよ畜生。


「わたしは妻館先輩からのメッセージの通りにしただけ。水納くんをハンバーガー屋まで連れてこいって」

「メッセージ?」

「メールの返事が来ないって、困ってるみたいだったわ」


 色芸の言葉を聞いて、俺は慌ててスマホを取り出してメールチェックする。

 そこには確かに、先輩からのメールが一時間目開始直前くらいに届いていた。


 やっべ、朝クラスの注目を集めたせいで、休み時間はずっと机に突っ伏して空気になることを心掛けていたので、スマホを触らなくて気付かなかった。


 メール内容は、【大ニュースがあるから昼に色芸さんと一緒にハンバーガー屋に来い!】だった。


 ……あれ、むしろこれ気付かなくてよかったパターンじゃね?

 だってこの文面だと、俺から色芸を昼食に誘えってことになる。

 そんなの、誘われるより遥かにハードル高いわ。

 絶対鬼童に屠られる……。


「昨日、妻館先輩と連絡先を交換しておいてよかったわ」


 色芸はくすりと笑った。


「水納くん、メッセージアプリは使ってないのね」

「俺はそんなものに時間を浪費するつもりはない」

「わたしもそれほど使うことはないけれど……真姫さんとか、毎日メッセージをくれるわよ」


 俺が鬼童とメッセージをやりとりする様子を想像してみて……神経が摩耗する未来しか見えなかったからやめた。


「にしても、大ニュースってなんだろ?」


 俺は首を捻りながらスマホをしまう。

 何も思い当たることがない。

 昼に呼び出すってことは、放課後まで待てないくらい大きなインパクトがあるニュースなのだろうが……。


 何かの漫画のアニメ化。

 人気アニメの二期。

 甘々ラノベのコミカライズ決定。


 候補を捻り出してみたが、どれもいまいちピンとこなかった。


「――妻館先輩って、素敵な女性よね」

「え?」


 突然耳に入ってきた色芸の評に、俺は怪訝な顔を返した。


「美人だし、凛としてて格好いいし、髪はとても綺麗だし、優しいし。いままで面識のなかったわたしにあそこまで寄り添ってくれるなんて、普通の人にはできないわよ」

「ああ、それは確かに」


 推しが負けて怒り嘆く俺に、先輩はいつも寄り添ってくれる。

 感謝してもしきれない。


「水納くんのように怒鳴ってくれる人も、わたしの知り合いにはいなかったけれど」

「わ、悪かったって思ってるよ!」


 昨日、我を忘れて色芸に怒りをぶつけてしまった件については、俺の不徳の致すところである。

 大いに反省し、再発防止に努めたいと思っています。


「……水納くんは、妻館先輩のことを、その……どう思っているのかしら?」


 珍しく途中で言い淀んだ色芸が、そんなことを問うてきた。


「どうって、いや普通にいい人だなーって、毎日ありがたいなーって思ってるよ」

「そうではなくて……好意とか、そういう感情を抱いてはいないの?」

「コウイって……え、好意?」

「そうよ。……好きじゃないの? 妻館先輩のこと」


 じっと真剣な目をして俺の顔を覗き込んでくる色芸。

 なぜ急にそんな話題を振ってきたのかはわからない。

 が、丁度いい機会だし、俺の性質についてしっかりと告げておかねばなるまい。


「そんな感情はないよ」

「…………ふぅん、そうなのね」

「そもそも、俺は三次元に興味ないから」

「興味が、ない?」

「昨日も言ったけど、漫画やアニメだけがこの世界で俺が唯一興味を持っていることなんだ。すなわち、二次元だけが俺の人生。二次元こそ至高、三次元なんて一切どうでもいい」


 今後俺と交友関係を持つなら、色芸も俺が常識外れのはぐれ者なのだとしっかり認識しておいたほうがいい。


 気持ち悪いと思うのなら思えばいいさ。

 それでも、俺は自分の生き方に誇りを持っている。

 貫徹したオタクとして、胸を張って、三次元はクソだと叫ぶのだ。


「それは、ゲイとかではなくて?」

「いや、ゲイも三次元だろ」


 二次元でも男には興味ねーよ。

 ヒロインの相手に相応しいヤツなのか吟味はするけど。


「何か三次元に嫌な思い出でもあるの?」

「……別に。生来二次元しか目に入らない人間なんだよ、俺は」

「そうなの。……まあ、世の中色んな人間がいるものね」

「気持ち悪いと思ったんなら、離れて歩こうか?」

「大丈夫よ。わたしだって、メロのことが大好きだもの。水納くんと大差ないわ」


 わー、色芸さん優しい。

 俺に合わせて目線を下げてくれたよ。


「それに、二次元だけが自分の人生って、わたしも大概そうだもの」

「え?」

「絵が好きで、毎日絵ばかり描いてる。まさしく、二次元に魅入られた人生でしょう」


 言われてみればそうとも言える。

 漫画も美術も、同じ〝絵〟、二次元の世界だ。


 忘れそうになるけれど、色芸が漫画を読み始めてからまだ半年ちょっと。

 それまではひたすら美術家としての道を歩んできたのだ。

 二歳で描いた絵が六〇万円で落札されたそのときから。


 両親からの英才教育に、数々の受賞。

 色芸は、とんでもなくすごい美術系女子なんだ。

 与えられたものを楽しむだけの俺と、二次元そのものを生み出す色芸では、格が違い過ぎる。


「となるとやっぱり、わたしと水納くんは似た者同士ね」

「色芸さんとは随分とレベルの差を感じるけど……」


 二次元だけが自分の人生。

 色芸と同じ目線でその言葉を発するには、俺も二次元の世界を生み出す立場にならなければいけないのかなと、頭の片隅でぼんやりと考えた。


 色芸が、絵描きのなら。

 俺は果たして、物書きのになれるのだろうか。

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