3.あなたは信用できる人?

 ――――は?


 何一つ想定していなかった言葉が色芸から飛び出し、俺は驚きのあまり口をぽかーんと開けた。

 ためらいも忘れて色芸の顔を見やれば、ひそめた眉とにわかに紅潮した頬が目に入ってきて。


「まあ、それもわたしの自業自得なのかしらね」

「お、おい、何を言っているんだ君は!」


 さすがの先輩も動揺を隠せないようだ。

 声が裏返っている。


「ぶつかって倒れたときに、彼に見られてしまったんです。水納くん、それが忘れられなくて、あれからわたしのことをチラチラ見て、想像しているんでしょう?」

「はあ!? ち、違う! 俺はそんな、何も見てないから!」

「嘘。あんなに必死に、男性の性的興奮を押さえていたじゃない」

「なっ!? こ、宏慈!」

「誤解ですから! 俺は何も、一切、見てない! トイレに行きたかっただけ!」


 突然身に降りかかってきた容疑を、全身全霊で否定する。

 これは本当に本当だ。

 俺はそんなもの見ていない。


 あのときは、接触した衝撃で決壊寸前だった尿意を食い止めるのに必死で、色芸の姿なんてほとんど意識の外だった。

 誤解を招く体勢かもしれないが、完全に色芸の思い過ごしだ。


 それに、俺は三次元の女など眼中にないのだ。

 もし仮に見えていたとしても、色芸の下着なんかで興奮するわけがないだろう。

 二次元の美少女になってからパンツはき直してこいや。


「なら、教室で頻繁に送ってきた視線は何?」

「ぶつかったことを謝るタイミングを窺っていただけだよ! 他に他意は一切ない!」

「……本当に、見てないの?」

「誓って見てません!」

「…………そう」


 ふう、と色芸は息を一つ吐く。


「なら、よかったわ。男の子に見られてしまったと思って、一昨日は眠れなかったもの。……本当に、本当に恥ずかしかったんだから」


 ようやく思い直してくれたのか、色芸はぺこっと頭を下げた。


「どうやら、水納くんのことを誤解していたようね。ごめんなさい」

「……余計なお世話かもしれないが、スカート丈をもっと長くしたほうがいいんじゃないか?」


 優等生の先輩が助言する。

 確かに、色芸のスカート丈は大分短い。


「わたしもそう思うのですが、同級生の真姫さんが、『つーか短いほうがゼッタイ可愛く見えるから!』と言って、毎日強引にこの長さにしてしまうんです」


 あいつが原因かよ。

 鬼童のそれなんかは、もう腰布? みたいなレベルだしな。

 色芸を自分のグループの色に染めてやろうって魂胆がうかがえる。


「短いほうが可愛い……そ、そういうものなのか……」


 先輩は自分のスカートの裾を掴むと、あっさりと意見を引っ込めてしまった。


「……それで、水納くん。わたしを呼び止めた理由は、何?」


 話題を俺の制止の声へと戻し、再び彼女の目が俺をじっと見つめた。

 堂々巡りで尻込む俺は、またしても色芸から視線を背けてしまう。


「わたしはこっちよ、水納くん。それとも、わたしの顔は見るに堪えない?」

「そ、そういうわけじゃ……」

「じゃあ、こっちを見て。正面からはっきりと。別にお金なんて取らないわよ。……あら、そう考えると、わたしの顔よりもわたしの描いた絵のほうが価値があるのかしら。だって、絵を観るには鑑賞料を払わないといけないものね」

「ぶふっ――」


 突如、先輩が噴き出した。

 何かがツボに入ったのか、肩を揺らして必死に笑いを堪える。


「妻館先輩、水納くんは、普段先輩の顔も見ないのですか?」

「そ、そんなことはないっ。ふ、ふつーにみるし、ふつーにしゃべれるぞ、こうじは」


 身体をよじりながら答える先輩。

 笑い過ぎだろ。そんなに面白かったのかいまの。


「扱いの差を感じるわね。確かに、わたしと水納くんは一昨日まで会話したことはなかったけれど……お願いを聞いてもらう程度には、他人同士ではなくなったと思うのだけれど」


 そう言って、色芸はテーブルの雑誌を手に取った。

 そのままページをめくり、左右に見開いたものを俺と先輩に掲げる。

 そこには、数々の漫画分析が赤ペンで書き込まれていた。


「わたしは水納くんに秘密を握られている。それを守ってもらうためには、わたしは水納くんの言うことはなんでも聞かなければならないわ。言いたいことがあれば言えばいいし、訊きたいことがあれば訊けばいいじゃない。……下着の色だって、毎日教えてあげるわよ」


 きっと俺を睨め付け、色芸は刺々しい声を出す。

 反面、その頬には再び赤みが差した。


「そ、そんなの訊くわけないだろ! 言うことを聞かせるなんて気もない!」


 俺は自分がクズであることは自覚しているが、そこまで下衆に堕ちるつもりはない。

 色芸の秘密は必ず守る。

 けれど、それに付け込んで彼女にどうこうしようなんて気は毛頭ない。


「人と向き合って話さない人の言うことなんて信用できないわ。わたしは安心がほしい。水納くんが良い人だと信じたい。だから、用があるのなら、わたしの顔を見て、はっきり言って」


 ――それは、色芸の本心だったのだろう。


 女子が男子に秘め事を知られてしまった。

 他言しないでほしいと乞い願った。


 善人であれば約束を守る。

 が、悪人であれば、約束を破るか、見返りを要求する。


 色芸が不安に思うのも当然だ。

 俺と色芸は、これまでなんの繋がりもなかったのだから。


 色芸は俺の人となりを知らないし、俺だって色芸がどんな人間なのかよく知らない。

 昨日ウィキで読んだ程度のことしかわからない。

 俺達の関係は、赤の他人と言い表されるものだ。


 そんな二人の間で交わした約束が守られるなど、誰が保証できよう。


 俺は色芸のことなんてどうでもいい。

 だけど、秘密を握られた色芸にとって、俺はもはやどうでもいい人間ではないのだ。


 信頼したい、善人であってほしい人間なのだ。


 その証を、色芸は心から欲している。

 自分の秘密と、自分の身の安全のために。


「……色芸さんに、訊きたいことがあるんだけど……顔を見て質問したら、信用できるのか」

「質問の内容によるけれど、ね」


 そりゃそうか。

 一人で小さく笑うと、俺は首を動かして、色芸の顔を正面から見据えた。


 開かれた雑誌を介して、俺と色芸の目線が重なり合う。

 目が合ったところで、不愉快な顔など返されない。

 色芸は鬼童とは違う。

 何も、怖いことはない。


 むしろ、どことなく、決して認めたくはないが――彼女は、サイに似ているのだ。


 雑誌を持つ両手が下ろされ、色芸の顔の全てを視界に収めたとき、俺は改めてそう認識した。


「それで、何が訊きたいの?」


 俺という人間を知るために、色芸は、色芸を知りたいと願う俺の問いを待った。

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