2.定まらない視線

 翌日。

 放課後になり、俺は先輩と共に部室棟の部屋で色芸を待っていた。


 今日は二人であらかじめスクールチェアに座り、ソファは開けてある。

「ご足労いただくのだから」と、先輩はいちごオレを一本テーブルに用意していた。


「色芸が甘いもの苦手だったらどうするんです」

「甘いものが嫌いな女の子などいないさ!」


 いや、いるだろ。ダイエット中とかかもしれないし。

 まあ、色芸は痩せてるけど。


 しばらくして、部屋の戸をノックする音が聞こえてきた。


「どうぞ!」

「――失礼します」


 入室した色芸に、先輩がソファを薦めると、今日の彼女は素直に従った。


「わざわざ来させてしまってすまなかったな。よかったら、これを飲んでくれ」

「いえ、元はと言えばわたしが悪いのですから、ここまでしていただく必要は……」

「いいからいいから! 先輩の顔を立てると思って、さあ」

「……では、いただきます」


 色芸はいちごオレに手を伸ばすと、ストローの封を切り、紙パックに挿し入れる。

 両手で丁寧に持ち上げると、ストローを咥え、静かに甘い液体を吸い上げた。


「お口に合ったかな?」

「はい。初めて飲みましたが、おいしいです」

「それはよかった!」


 色芸の反応を聞いて、先輩はぱっと嬉しそうに笑った。


「宏慈にも、いつも飲め飲めと言っているんだが、彼は頑なに飲まなくてな」


 だって高校生が飲むようなものじゃないでしょそれ。

 なんで購買に売ってるんだよ……。


 先輩の愚痴に色芸は少しだけ微笑むと、視線を俺に向けた。


「水納くんは、普段何を飲むの?」

「え? お、俺はまあ、緑茶とか、かな」

「へえ、水じゃないのね」


 おい、ギャグのつもりか。

 ていうか色芸、お前も陰で俺のこと水呑百姓呼んでんのか?

 これだから校内上級国民様はよぉ……。


 俺の負のオーラを察したのか、色芸は目を伏せ、いちごオレを飲むことに徹する。

 やがて飲み干し、「ごちそうさまでした」と一礼した。


「定期的に飲むといい。頭が働くぞ。……では、本題に入るか」


 先輩の意図を汲み取り、俺は持参したものをバッグから取り出し、テーブルに置く。

 色芸が取り違えた結果、俺が家に持ち帰ってしまった漫画雑誌、ホーリーだ。


「重ねてお詫び申し上げます。……では、確かに」


 色芸は再び頭を下げてから、雑誌に向けて手を伸ばしていく。


 これを渡し終えれば、一昨日から続いた色芸との関係は終わりを迎える。

 ぶつかったことはお互いに謝り合ったし、取り違えた雑誌も本来の持ち主の手に戻る。

 これにて無事に問題解決。一件落着だ。


 色芸がなぜ漫画を学校に持ち込んでいたのかは謎のままだが、そこまで深入りするようなことでもない。

 別に、俺は色芸のことなどどうでもいいからだ。


 俺達は友達でもなんでもない。

 それどころか、色芸は美術部のエースで、国内外様々な賞を獲っている絵描きの卵。

 教室の姫君・鬼童と対等に渡り合う、カースト最上位の存在。


 方や俺は、なんの技能も取り柄もない。

 幼馴染とすら対等に渡り合うことのできない、ただの陰キャオタク野郎だ。


 本来、俺と色芸が関わりを持つことなどなかった。

 会話することすらおこがましい。

 自分の身のほどはわきまえている。

 わかっているのだ、このまま関係を終わらせるべきだと。


 ――それでも、俺の胸の奥底にまだ一つ、消えないしこりが残っていた。


 俺とぶつかる直前、色芸の頬が涙で濡れていたという事実が。

 女子トイレの中で、彼女が泣いていたという現実が。




「――――待って」




 そう声を発したのは、多分脳が出した指令ではなかった。

 反射。本能。

 俺の心中に残ったわだかまりが、きっとそうさせたのだ。


「……何か?」


 雑誌に触れる寸前だった色芸の手が止まり、上がった視線が俺を捉えた。

 澄んだ目に貫かれ、俺は彼女の顔を正面から見据えることができなかった。


「……あ……いや、その……」


 視線から逃れるように、顔がそっぽを向く。


(……なぜ、声をかけてしまったんだろう)


 後悔の念が一気に押し寄せる。

 だけど、発した声を口に戻すことはできない。

 次の言葉を必死で探したが、何も思い浮かばない。


 訊きたいことはある。

 でも、どう訊いたらいいのかがわからない。

 訊いていいことなのかもわからない。


 こうしてウダウダ無駄な考えを巡らせている間にも、色芸は俺が引き留めた理由を求めている。

 彼女に不快な思いをさせてしまったら、申し訳ない。


 顔色を窺うように一瞬視線を色芸へと戻したが、彼女の目は未だに俺を捉えており、耐えきれなくなってまた顔を横に向けた。


「……水納くん、わたしのことをチラチラ見るの、やめてって言ったわよね」


 呼び止めておきながら煮え切らない態度の俺に痺れを切らしたのか、色芸は不快感を滲ませた声で咎めた。


(……やっぱり、声なんて掛けるんじゃなかった)


 俺は自分の行動を恥じた。


 訊きたいこととはなんだ。泣いていたことか。

 それを訊いてどうする。

 そもそも、セクハラじゃないのか。

 友達でもない男子に「お前なんで泣いてたの?」なんて訊かれても、愉快な気持ちになる女子がいるわけないだろう。


 軽率な自分が気持ち悪い。

 俺は俺らしく、二次元の世界のことだけ考えてればよかったんだ。


(……謝ろう。謝って、帰ってもらおう)


 俺と色芸は、最初から関係を持つべき間柄ではなのだ。

 改めて自分の立場を認識し、俺は謝罪のために口を開いた。


「……すみま」

「そんなにわたしの下着が気になるのかしら」

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