8.先輩は後輩に夢を見た

「生み出す、側?」

「そうだ。小説家、脚本家、漫画原作……そういった、物語を作る人を目指してみる気はないか?」


 面白い冗談だ、と最初は思った。

 けれど、先輩の口元に笑みはなく。

 鋭い目で俺を牽制していた。


「……や、そんなの絶対無理でしょう」

「無理じゃない。宏慈ならできる」

「何を根拠に、そんな」

「二次創作が一位になったじゃないか」


 先輩はぐいっと自分のスマホを突き付けた。

 pixvelのランキングが表示されている。


「そ、その程度でなれるわけないでしょ」

「その程度じゃない。これは君の力、君の能力で獲った一位だ」

「ただの二次創作ですよ! 言わばパクりです! こんなもの、世の中には出せません!」

「だが愛と優しさに満ちていた! サイへの無限の愛、それは君の優しい慈愛の心だ! 皆それがわかったから、こんなにも多くの人に読まれたんだ! その愛情を、次は一次創作で見せればいい!」


 柄にもなく、先輩は熱くなっているようだった。


(……なぜだ。なぜこんなにも憬先輩はこだわる)


 たかが二次創作が多少評価されたくらいで、小説家? 脚本家?

 なれるわけがないだろう。


「……どうしてそんなことを俺に言うんです」

「さっきのアニメを見ただろう。あれはひどいものだった」

「……そうですね」


 再び、小風の姿が脳裏をよぎった。


「キャラクターに愛のない、物語を動かすための駒としか考えていない、あんな脚本家がアニメを作っている。あれで報酬を得ている。……空しいと思わないか? あのストーリーに比べたら、君の二次創作のほうがよっぽどキャラへの愛を感じられたし、面白かった。読んでいて胸の奥がジーンと暖かくなったよ」

「……そう言ってもらえるのは、嬉しいですけど」

「君はいつも推しキャラが負けて怒っている。ならば、君が書けばいいんだ。それこそ、誰も負けない、誰も傷つかない、キャラクター全員が報われる、愛と優しさで溢れる幸せな物語を、君自身の手で生み出して、世に送り出せばいいんだ」


 俺が物語を生み出して、送り出す?

 そんな夢みたいなことを、何真剣に語ってるんだ。


「それがハーレムエンドのことなのかはわからないが……君が思う、最良の物語を書いて、披露してみるといい。そうしたらきっと、その物語は多くの人に支持される。私はそう信じる」

「……信じるのは憬先輩の勝手ですけど、あり得ないですよ」

「なら、試しに書いて確かめてみたらどうだ。他にやりたいこともないのだろう? 事前投資が必要なことでもないから、失敗がない。ノーリスク、ハイリターンだ」


 ついに投資詐欺じみたことまで言い出した先輩に、俺は真顔で乾いた笑いを返すしかなかった。


「宏慈、去年君が『タマゴ』で書いていた作品、覚えているか?」

「ああ、一週間でエタった、あれですか」


 タマゴというのは、一次創作物専門の小説投稿サイト『小説家のタマゴ』のことだ。


 去年の夏休み、暇を持て余した俺は流行に乗ってタマゴに自分の一次創作を投稿していた。

 けれど、閲覧数が全く伸びず、感想が付くことも皆無だったため、日に日にモチベーションが下がっていき、わずか一週間でぱったりと書くのをやめてしまった。


「いま思えば、あれも全てのキャラクターに作者の愛が注がれていた作品だったな」

「……どうでしょうね」

「あれの続きでもいいし、新作を書いてもいい。宏慈、もう一度タマゴを始めてみないか?」

「始めたって、きっとまたエタりますよ」

「いいや、今度は続けられるよ。だって君はサイの二次創作を最後まで書き上げたじゃないか」


 そんなこと、根拠になるか。いまの先輩は本当にどうかしてる。

 ……どうかしてるのに、なんで俺は、いま、納得しかかっているんだろう。


 俺が書いてしまえば負けない。

 それは、確かにその通りなんだ。

 ……そして、何より。




『宏慈、君が書いたこの物語――とても、面白かった』




 先輩が伝えてくれた言葉。

 たった一言のその感想が、どうしようもなく嬉しくて、俺の胸を熱く高揚させていた。


「……タマゴで人気が出たところで、小説家や脚本家にはなれませんよ」

「ま、まあ、直接的にはそうだが、物語を生み出したという経験がいつか……」


「だから、将来の職業うんぬんは関係なく――俺が『こうあってほしい』って話を書きますよ」


 ……あーあ、言ってしまった。

 完全に、先輩の口車に乗せられてしまった。


 責任を取って、先輩には毎日俺のページにアクセスしてもらうとするか。


「こ、宏慈、やってみてくれるのか」

「それがタマゴ読者の支持を得られるかどうかは、わかりませんけどね」

「大丈夫だ。いまの宏慈なら書けるよ、絶対」


 まったく、この人は。肝心な時に語彙力消失するんだから。


 ……いいさ、書いてやろうじゃないか。

 どうせリスクなんて何もないんだから。


 自分が望む物語を、自分の好き勝手な展開で書く。

 それなら、二次創作と大差ない。


「将来どんな仕事をーとか言い出すからなんの話かと思えば、結局オタク活動じゃないですか」

「……すまない、少し勢いだけで話してしまったところも、多少、あるかもしれない」


 多少どころか全部だろ。まあもういいですけど。


「……そういう憬先輩は? 将来何をやるんです?」

「え、私?」

「俺に訊いたんだから、先輩も答えないと、アンフェアですよ」

「私は、そうだな……まだ絶対そうと決めたわけではないのだが……」


 頬を指で掻きながら、先輩は小さな声で答えた。


「……編集者になれたらいいかな、と思ってる」

「編集者?」


 意外な回答を聞いて、俺は首を捻った。

 先輩の能力なら十分実現できる目標だと思うけど、それにしたって。


「お、おかしいか?」

「おかしくはないですけど、なんていうか……憬先輩ほどの人間なら、もっと上流というか、立派なというか、多くの人々から敬われるような仕事をするものだと」


 先輩は名家のお嬢様だ。

 それこそ、大手企業の社長とか、政治家とかが似合っている。


「……実を言うとな、いま宏慈に『物語を生み出す側になれ』と言い出したのは、本当はもっとシンプルな理由なんだ」

「シンプル?」

「そうだ。……私が、宏慈の生み出した物語を、もっと読みたいと思った。二次創作も、一次創作も、もっとたくさん読みたいと思った。だから君には、物語をいっぱい世に送り出す人間になってほしいと、そう願ったんだ。……単なる先輩のわがままなんだよ」

「……本当にただのわがままじゃないですか」

「ああ、わがままだ。だけど――後輩とは、先輩のわがままを聞いてくれるものなんだろう?」


 先輩はちろりと舌を出し、上目遣いで子供のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 それはさっき俺自身でも言ったことだが、あまりに理不尽だ。

 たかが一年度早く生まれたというだけで、そんな理不尽がまかり通る学校組織、ひいては三次元の世界はクソだと心底思う。


 ……が、しかし。

 この人のわがままなら、少しは聞いてあげてもいいかなと、不思議と受け入れてしまった。


 だって、俺に頼み事をするときの先輩は、いつもの大人びた立ち振る舞いを忘れ、まるで幼い子供のように自分本位で――嘘偽りなく、本音で俺を求めてくれるのだから。


「もし宏慈が小説家になれば、私が編集者になる甲斐もあるというものだろう」

「というと?」

「私が君の担当編集になれば、卒業してからもずっと、一緒にいられるじゃないか。そして、君が生み出した物語を、私が世界で一番最初に読むんだよ。なんてったって、私は水納先生のファン第一号なんだから」


 ウインクを一つ投げかけ、先輩は宣言する。

 それが冗談なのか本気だったのか、俺には判別できなかった。




 下校後、帰りの電車の中で、俺は再度pixvelのサイトにアクセスしていた。

 何度見ても、俺が書いた二次創作は小説ランキングの一番上にある。

 閲覧数もブックマーク数も、先程見たときよりも増えていた。


 俺は、まだ確認していなかったコメントのページを開いてみた。

 投稿作に送られた閲覧者からのコメントと、感情を表すスタンプが合わせて表示されている。


『サイを救ってくれてありがとう』

『これが本編でいい』

『キコ派だがこれはこれで萌える』

『作者は神』

『原作の読み込みが凄い』

『続編希望』

『勝手ですが挿絵描いてもいいですか?』


 とてもじゃないが、一つ一つ返信できるような量じゃない。

 ……まずい、読むだけで口元が綻んでくる。

 周囲の乗客から変質者だと思われないように、俺はスマホをしまい、代わりにペットボトルを取り出した。


 現金なものだと自分でも思う。

 だけど、色んな人からコメントや感想を貰うと、書いてよかったなと思う。

 そして、また書いてみたいなとも思う。


(……次は、タマゴでもコメントが欲しいな)


 そんな欲求を抱きながら、俺は昼食の残りの緑茶を飲み干した。


 相変わらずの渋い味。

 だが、封を切ってからだいぶ時間が経ったそれは、若干味が変化し、渋みが弱くなったような錯覚がした。

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