3.クラスの姫と対等な彼女
「つーかアタシ、なんか萎えたわ。もうすぐセンコーくるし、帰るわ」
そう言って、少女は悠然と自分の机へと戻っていく。
彼女の離脱がきっかけとなり、他の連中も三々五々、己の定位置へと移動していった。
一人取り残された俺は、解放された安堵感から長い息を吐き、着席する。
朝から陽キャ集団に目を付けられるなんて、ついてない。
今日だけならまだいいが、今年は地貫と同じクラスになってしまった。
今後何かとヤツに絡まれるかもしれないと思うと、憂鬱な感情が広がっていく。
さらには、真姫と呼ばれた少女。彼女とも、違う組になりたかった。
フルネームは、確か……そうだ、
鬼だ姫だと忙しいが、俺にとっては鬼一択だ。
一年生のとき、俺のクラスは鬼童を中心に回っていた。
彼女が「喉が渇いた」と言えば、男子の誰かが購買部へと走った。
彼女が「宿題やってない」と言えば、女子の誰かがノートを献上した。
彼女が俺のことを水呑百姓と呼べば、誰もが陰で俺をそう呼ぶようになるのだ。
悪意があるのかどうかは知らない。
それでも、俺は彼女が怖い。関わりたくない。
ああいう女がクラスの人気者になる。
だから三次元はクソなんだ。
現実逃避をするように、俺は机に突っ伏した。
……と、顔にほのかな温もりが伝わる。
それが鬼童のお尻で温められたものだと気付いたとき、慌てて姿勢を正した。
鬼童の体温を感じたところで、何一つ興奮したりしない。
だけど、もし彼女に見られたら、俺は変態のレッテルを貼られることになり、それがクラスでの新しい呼び名になるだろう。
恐る恐る視線を鬼童へと向けると、幸いなことに彼女の目はこちらを向いていなかった。
「エーガちゃん、おはよ♪ 今日も可愛いね!」
「おはよう、真姫さん。真姫さんも、今日も綺麗よ」
「つーかエガちゃん、グロス塗ってないじゃん。せっかくアタシが教えてあげたのにさあ」
「ごめんなさい、一人じゃよくわからなかったの」
鬼童の席は廊下側の後ろから二番目にあった。
鬼童は、自分の後ろの席の女子、色芸絵描とのお喋りを楽しんでいるようだった。
(……なんだ。やっぱり色芸は、鬼童と同等。カースト最上位の人間じゃないか)
先程までは一人静かに座っていたが、いまは鬼童と二人でにこやかに会話をしている。
鬼童の笑顔は、身分制度を駆け上がるためのパスポートだ。
それが向けられる相手には、クラス内での地位が約束される。
色芸は、鬼童グループの一員として認められているのだ。
水呑百姓には決して向けられることのないお姫様の笑顔。
顔立ちは整っていても、俺にはそれが綺麗だとは到底思えなかった。
(――というか、色芸に謝る機会を逸したな)
地貫に捕まったせいで、絶好のタイミングを逃してしまった。
やがて担任の教師が教室に入ってきて、ホームルームが始まる。
生徒達はガタガタと椅子を引き、気だるげに起立していく。
鬼童は小さく手を振って色芸との会話を打ち切り、色芸も同じような仕草で応えた。
今日はついてない朝だった。それは間違いない。
……けれど、俺の中で一つ安心できたことがある。
昨日脳裏をよぎった根拠のない憶測。
色芸は、誰かにいじめられているのではないか。
それが全くの杞憂であったことに、俺はほっとした。
鬼童から「エガちゃん」とあだ名で呼ばれるほど仲がいいなら、色芸の学校生活は疑う余地もなく円満だ。
そもそも、美術部のエースたる彼女がいじめに遭うなどあり得ない話だったのだ。
別に色芸の人生がどうであろうと、俺には関係ないし、どうでもいい。
が、いじめなどないほうがいいに決まってる。
(サイは、本当によく耐えたな)
主人公がサイを助けてくれてよかった。
けれど、サイが窮地を脱することができたのは、彼女が二次元世界の住人だからだ。
三次元のいじめに、救いの手など差し伸べられないだろう。
だから三次元はクソなんだ。
お決まりのことを思いながら、俺は一時間目の準備を始めた。
色芸に謝ることができないまま四時間目の授業が終わり、昼休みに入った。
教室の人数が少なくなる時間帯なので、目立たず色芸に接触するには都合がいい状況。
……なのだが、彼女はチャイムの音と共にすっくと席を立ってしまった。
「あれ? エガちゃん、どこ行くん?」
「美術室に」
「えぇー、また? つーかそれ、放課後でよくない? 一緒にご飯食べよーよ!」
「ごめんなさい、アイデアはすぐ忘れてしまうから。また誘ってくれると嬉しいわ」
昼の誘いを断り、色芸は教室を去っていく。
鬼童は目を細めて色芸の背中を見送ると、溜息を一つついてから、彼女の元へ集まってきた他の女子と机を並べ始めた。
……意外だった。
鬼童グループ内の主導権は、当然姫様たる鬼童が握っている。
それでなくとも物静かで大人しめな佇まいを感じさせる色芸が、鬼童の誘いを断るとは。
そこらへんの生徒が相手であれば、鬼童は自分の立場や取り巻き連中を存分に使って、有無を言わせずに思い通りの行動をとらせることができるだろう。
しかし、毎月のように絵の賞をとっている、校内でも名の知れた絵描きの卵が絵を描きたいと言えば、いかに鬼童といえども引き留めることはできないようだ。
鬼童と色芸の間には、姫と侍女のような主従関係はない。
フェアで、対等な友人関係だ。
鬼童と甲乙なく渡り合える女子を、俺は初めて目撃した。
(……なんか、感動する)
「おーい宏慈! 昼メシ行こうぜー!」
じんわりと感動に浸る俺の心をぶち壊すかのように、またしても地貫が俺を呼んだ。
「あれ? テツ、昼は?」
「みんなワリー、今日はオレ、宏慈とメシ食うわ。久々に幼馴染と同じクラスになったオレの気持ち、察してくれ!」
地貫は自分の取り巻きの男子生徒達にそう宣言した。
彼もまた、グループでの主導権を握るお殿様なのだろう。
主君の意向を尊重し、御家来衆は地貫のまわりから離れていった。
「んじゃー屋上でも行くか。な、宏慈?」
「……うん」
誘われるがままに席を立つと、地貫の腕ががっちりと俺の首から肩へと回され、バンバンと何度も叩き付けられた。
逃げずに付き合えよ――そんな無言の圧力のようなものを感じた。
元より断るつもりはない。
本当はいますぐにでも腕を振り払って逃げ出したいけれど、俺にそんなことはできない。
俺と地貫は、幼馴染というだけで、対等な関係ではないのだから。
色芸のように、己の技能で押し通せてしまうような遁辞も、俺には何一つないのだから。
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